なあ、肝試しに行かないか?
今日は随分と涼しい。近頃は熱帯夜続きで寝苦しかったのだが、こうして自転車に乗って風を切っていると、自然と気分も明るくなるものだ。その目的地が、噂の遊園地でなければ尚の事良かっただろうに。
そろそろ時計の針は一時を回ったころだろうか。自転車のライトに照らされる道は整備されていないようで、所々に小さな石や積もった落ち葉が散見される。この山道の上にある遊園地がその役目を終えて二年ほど経った。今では肝試しにやってくる物好きくらいしか通らないこの道を、俺とクラスメイトの修が並んで進んでいる。
そう。俺たちはその物好きなのだ。
夏の始まりに、俺たちの学校で一つの噂が流れた。裏野ドリームランドが廃園になった数々の噂だ。どれもこれも胡散臭いことこの上ないのだが、残念なことに特に進学校でもない俺たちは、その高二の夏を只々暇に感じていたのだ。
そんな時に飛び込んできた噂。クラスのガキ大将だった修はすぐに食いついた。そして腐れ縁の俺を巻き込み、こんなド深夜にろくでもない処へと向かっているわけである。
懐中電灯しか持ってこなかった俺に対し、修はビデオカメラまで用意している。遊園地へ行った証拠をクラスの皆に証明するのだという。そんなもの、スマホで写真でも撮っておけば良いだろうにとも思ったが、あまりにもやる気に満ちた修の表情に、そっと言葉を飲み込んだ。
それでも、今日は月の明かりが煌々としている。そよぐ風の気持ちよさもあって、それ程不気味さは無い。真夜中のサイクリングも良いものだなんて考えていた。そんなひと時も終わりを告げる。ライトに照らされて、遊園地の外壁が見えてきたのだ。
遊園地の正門脇に自転車を止めると、懐中電灯のスイッチを入れる。パッと辺りが照らされる。その明かりを門へ向けたとき、違和感を覚え、修に問いかける。
「おい、この遊園地ってもうやってないんだよな。なんで正門にシャッターが下りてないんだ?」
長く運営していない遊園地である。普通は人が入れないようにしているはずだ。
「どうせ、前に肝試しに来た奴らが開けて行ったんだろ。なんだよ明、ビビってんのか?」
挑発めいた修の言葉に、俺は少し腹を立てた。まったく、誰の所為でこんな所までくる羽目になったと思っているのだ。
「バカか。さっさと一周して帰るぞ」
「へいへい」
気のない返事をして、修はビデオカメラを構える。入口の改札を飛び越えて、今は人っ子一人いない遊園地へと侵入した。手にしたライトが、今は誰にも構ってもらえない遊具たちをチラリと照らす。廃園してから整備されていない遊具たちは、その表面を風に撫でられ、塗料が剥げ、錆びた鉄が剝き出しになっていた。
俺たち二人は、外周に沿って少しずつ散策をしていった。目が慣れてくると不気味さは感じなくなるもので、くたびれた遊具達からは哀愁を感じるばかりであった。
誰も入る事のないミラーハウス、その昔は多くのマスコットが客を楽しませていたのだろうドリームキャッスル、もう回る事のない観覧車、そして、この遊園地の三分の一ほどの敷地を使い、昔は目玉として長い行列を作っていたジェットコースター。それら全てが、ただ朽ちていくだけなのだ。
少しセンチメンタルな気分に包まれながら、元の入口まで戻ってきた。少し速足だったとはいえ、時計の針はまだ二時を少し越えたくらいなもので、思っていたより早く済んでしまった。
「なんだ、こんなもんか。さっさと帰ろうぜ修」
「しっ……おい、明、なんか聞こえねぇか?」
すっかり帰宅気分だった俺に、修が冷や水を浴びせる。俺たち二人しかいないこの遊園地で聞こえる音など、風の音くらいのものだろう。まったく、聞き間違いで萎えさせるなよ。そんな事を心の中で愚痴っていたのだが、修の言葉が勘違いでないことがすぐに分かった。
確かに、何か音楽のようなものが聞こえてくる。方角的に、遊園地の中央付近だろうか。それはオルガンのやさしい三拍子の曲で、淡い懐かしさが込み上げてくるものだった。
「なんだ? この音。なんか聞いたことある気がするんだけどな……」
確かに聞いたことがあるのだが、どうにも思い出せない。幼い日にここに来た時の楽し気な思い出がうっすらと蘇るのだが、その背景は白く霧がかっていて、不明瞭なものだった。
「とにかく、行ってみようぜ。このままじゃ、このビデオカメラ持ってきた意味ねぇよ」
修が指を指す先、コーヒーカップのその向こうに、やんわりと光が見える。確かに、何かの遊具が動いているようだ。早く行くぞとせかされて、修の後を小走りで着いて行った。そして、その光が近づき、シルエットがはっきりしたとき、俺は思わず呟いた。
「なんだこれ。なんでこれだけ動いてんだ」
それは、まるで大きな黄金の王冠のようで、この真っ暗な遊園地の中で唯一、眩い光で辺りを照らしていた。雲が月を隠し、先ほどよりいっそう暗くなったこの場で、場違いな程に煌びやかである。いくつもの白馬がゆったりと飛び回り、ファンタジーから飛び出してきたような馬車はその馬に引かれ、軽やかに走っていた。
それは、メリーゴーラウンドだった。幼いころ、両親に駄々をこねて乗った記憶がある。他の遊園地に比べて、お世辞にも派手とは言えないこのメリーゴーラウンドは、この遊園地の中でもあまり人気の無かったものだった。それが、今何故か動いている。
遠くから煌びやかに見えたこのメリーゴーラウンドだが、近づいてみると、違和感が強くなる。所々ライトは消え、馬が上下する度に錆びついた鉄が嫌な音を立てる。そして何よりも不気味であったのが、その馬や馬車を含め、いたるところに西洋風の人形が置いてあったのだ。
それはまるでメリーゴーラウンドを楽しむ子供のように、ゆったりと揺られている。いつから置いてあるのか、明かりに照らされて人形たちの顔は薄汚れ、着ている服も随分とぼろぼろになっていた。
まるで吸い込まれるように、それを眺めていた。不安定に揺れる馬に乗った人形たちは、それが上下する度に首を震わせていた。カタカタ、カタカタと小刻みに揺れる。そして……
人形たちの顔が、一斉にこちらを向いた……気がした。
そして、無表情なはずの人形たちであったが、リズムに合わせて揺れる首と合わせて、ケタケタと笑っているようにも見えた。
「おい、修、これ気持ち割いよ。帰ろうぜ」
あまりにも不可解な光景に、俺は一歩、後ずさった。そんな俺の言葉を気に掛ける風もなく、修は片手に持ったビデオカメラを回している。全部収めるつもりなのか、嫌に興奮しているようだった。
「綺麗だ……」
修は不気味に思うどころか、そんなことを呟いていた。まったく、信じられない。悪趣味な奴だ。それから暫くして、そのメリーゴーラウンドは公演を終えた。静まり返った冷たい空気で我に返ったのか、修は急いでビデオカメラをバッグにしまう。
「やべえよ、これ。早く帰ろうぜ」
さっきまで俺の声に耳を貸さなかったくせに、虫のいい奴だ。ともかく俺たちは、急いでその遊園地を後にした。帰りの自転車の上で、先ほどの興奮が蘇った修の話が煩わしかったが、どうにか無事にそれぞれの家に帰りつく事が出来た。それは、夏休みの一日目だった。
それから、毎日のように修から連絡が来た。まったく、何を気に入ったのだろうか。また例の遊園地へ行かないかという誘いに、俺は辟易していた。何度も断ったのだが、それでも執拗に誘ってくる。
夏休みも一週間が過ぎる頃、あまりにもしつこい誘いに、いい加減にしろと怒鳴ってしまった。修は売り言葉に買い言葉のように、
「じゃあいいわ、俺一人で行ってくる」
と言って電話を切った。その翌日から、誘いの電話がピタリと止まったので、俺は少しほっとしていた。そして、何となく気まずいまま、顔を合わせることなく新学期を迎えたのである。
新学期初日。皆夏休みの話題で持ちきりである。そして、その中心で、晴れて肝試しをやり切った修が自信満々に語っている……はずだった。
その日、修は学校へ来なかった。あの日怒鳴った事を気にしているのだろうか。悪いことをしてしまった。今日は学校は午前中だけである。通学用の自転車で少し飛ばせば、昼杉には修の家に着くだろう。昼飯時であれば、修も家にいるのではないだろうか。そんな事を思いながら、修の家へ謝りに行くと、家の前に見慣れぬ男の姿があった。
警官である。修の母親と何やら険しい顔で話している。ふと、その母親の目がこちらに向いた。つられるように警官顔もこちらを向く。
「君、修君のクラスメイトかい?」
そう尋ねられ、小さく頷く。警官に話を聞かれるなど、生まれて初めてだ。そして、その姿と表情に、嫌な予感がする。その予感は、次の警官の言葉によって、すぐに的中した。
「この二週間、修君が家に帰って来ていないんだ。何か小さい事でもいい。知っていることはないかい」
やさし気に、それでも力強い口調で、警官は言う。俺は、あの遊園地の事を話した。肝試しで廃園した遊園地へ行ったこと、そこでメリーゴーラウンドだけが動いていたこと、修がそのメリーゴーラウンドに執着していたこと。そして、あの怒鳴った日、一人で行くと言っていたこと。
初めは半信半疑に聞いていた警官と母親も、話が進むうちに真剣な顔になった。何より、俺が怒鳴ったあの日こそ、修が失踪した日と同じだったのだ。
「これは……一度行ってみた方がいいかもしれないな。明君、だったよね。案内頼めるかい?」
警官の提案に一も二も無く頷くと、警官と共に例の山道へ向かう。あの日の夜とは違い、アスファルトは熱を照り返し、生暖かい風が肌をのっとりと撫でる。目的地に着く頃には、額から大粒の汗が流れていた。
「裏野ドリームランドか、ここに、修君がいるのか」
「多分ですけど……」
はやる心に背を押されるように、メリーゴーラウンドの場所まで一気に走り抜ける。当然そのメリーゴーラウンドは動いていなかった。あの日見たはずの人形は、ただの一つも無くなっていた。たちの悪い悪戯だったのだろうか。修も、そんなものに引っかかる事もないだろうに。
大きな心配と少しのいらだちに心揺さぶられながら、辺りを見渡す。人影のようなものは無い。そんな中を必死で探す俺たちを嘲笑うように、太陽は強く照り付けてくる。その時だった。
「おい、明君! これに見覚えは無いか!」
メリーゴーラウンドの上を探していた警官が、何かを発見したらしい。顔を上げると、その手には確かに見覚えのあるものがあった。黒く反射するそれは、間違いなく修のビデオカメラだった。
バッテリーは僅かに残っていた。録画記録を見ると、最後のデータは修が失踪した日の夜になっている。ごくりと、一つ唾を飲み込み、再生のボタンを押した。
映っていたのは、煌々と眩いメリーゴーラウンド。それは楽し気な音楽と共にメルヘンな雰囲気をまとっている。カメラを構えているのは修なのだろうが、それにしては視点がやけに低い。
ゆっくり、ゆっくりと光に近づいて行く。あの日見たボロボロの人形達の視線が、すべてこのカメラの主に向かっているようだった。それは、何だかやさし気であり、歓迎でもしているかのように見えた。そして、カメラの主が馬車に腰を下ろしたとき、ギギッと嫌な音がして、映像が大きく縦に揺れた。
その揺れに耐えられなかったのか、カメラ落としてしまったようだ。床に落ちて転がってたカメラは、先ほどまでそれを抱えていた主の姿を映す。
それは、まだ小奇麗な西洋風の人形だった。
オルガンのリズムに合わせ揺れるその人形は、どこか楽しそうで、どこか寂しげであった。
……そしてその顔は、どことなく修に似ている気がした。