22話 犠牲者
「俺は……」
暗い部屋で一人の男が蹲っている。両手で耳を抑えて『声』を遮る。先程から鳴り止まない何かの悲鳴。
「俺は何も悪くないっ!」
彼は初めて犯罪を犯した。
それも彼自身がニュースで他人事のように見てきた『殺人』という文字。
それが今の彼を蝕んでいた。
『いいや、お前のやったことは間違っていない』
かつてたどたどしかった言葉は滑らかな口調に変わっており、まるで別のものにすら感じるケムダーの声。
自分自身が言い聞かせても何も変わらかなった心の荒ぶりが彼の発した肯定の声によって掻き消える。まるで神聖な儀式のような神聖さすら感じた。
「ケムダー……俺がやったことは間違っていないんだよな?」
それでも心配は完全に拭えなくて、彼はもう一度聞いた。
『ああ、よくやってくれた。中井友樹、あいつは危険因子だったのだからな』
「お、俺が殺した……」
手が震える。ナイフの突き刺さる感触が未だにはっきりと思い出せることが、彼が行った殺人が現実のものであると物語っている。
『そしてお前は手に入れた。劣悪な環境を良きものにしたのはお前だ。好きなようにすれば良い。お前の望み通りになるだろう』
そう言うとケムダーの気配はすっかり消えた。
男の光る目は赤く光っている。それはまるで殺人に快楽を覚えた、狂気じみた瞳。
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「…………え?」
何があったかなんてわからない。
突然目の前から友樹が消えた。多くの人間がいるこの場で殺人が起きようと誰が想像しただろうか。
肉片一つ残らなかった彼の“死”を物語るのは地面を覆う赤黒い液体。
あたりに飛び散りアートを描いた絵の具は床を汚し、カーペットを侵食していく。
「…………」
その光景を華凛は見ていた。
唯呆然と。
手から皿が落ち、カーペットに食品をばら撒く。
涙が流れる。
不思議と悲しくは感じなかった。
ただ、涙が流れた。
「何よ……これ……」
美久がそう言うと隣の竜彦が涙を流した。なぜあの男に対して涙を流すのか、彼女には理解出来なかったであろう。彼はあの男を虐めて、引きこもりにしたのだ。なのに、なぜ泣いているというのだろうか。
彼のいじめていた理由が、恨みや嫉妬などの感情からくるものではなかったことに。
数秒の間を開けて悲鳴が部屋中を支配する。驚くことに悲鳴をまっさきにあげたのは勇者ではなく、貴族の者だ。彼女の悲鳴につられた他の貴族がその状況に気付き同じく悲鳴。
混乱が支配したこの空間は阿鼻叫喚の地獄のようですらあった。
「に、逃げろーーー!」
1人がそう言った瞬間、一瞬の静寂が訪れた。しかしそれはさらなる混乱を招く静かさであり、一斉にホールから逃げようと人口密度が大扉へと集中する。我先にと全員が出ようとするため、結局出口付近で混雑してしまったようで、後ろの方の者達はパニック状態で前の人々を押し倒してでも進もうとしている。
「な……で……」
何で。と言いたかったのだろう。華凛は嗚咽を漏らす。
気まずいとばかりに他の勇者は少し離れた場所から不安そうに――否、興味はあるけど関わりたくない。それこそ彼らの本音である。
それを裏付けるように、彼らの中から騎士を呼んだり、華凛のそばに寄り添うものは水緒や明奈といった特に仲の良い面子しか行動を起こさなかった。
静かになった大広間の中での泣き声はいつ止むのだろうか。
水緒には純白の柱、壁がこの時ばかりはくすんだ白のように見えていた。
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――なあ、華凛は友樹のこと好きなんだろう?
かつて誰かが言った気がする言葉。
華凛にとって忘れ難い記憶だったはずのものだ。しかし彼女はもうこの記憶を覚えてはいない。
地球では私と友樹、水緒。もう1人、いた気がするのだ。華凛は自分自身の記憶の欠落のような違和感に悩む。
「やっぱり気のせいなのかな……」
水緒は地球の事はほとんど覚えていない。
友樹は死んでしまった。
この事について詮索する事は今となっては不可能なのだ。
どうしようもない喪失感と悲しみに苛む彼女が見た夢は現実逃避するには、相応しくない。
「はぁ……」
よって彼女は溜息を吐く。幸せが逃げるなんていう人がいるが、自律神経のバランスが悪くなった際に働きを回復させる効果があると言われている。
ウィリアム・シェイクスピアの名言に最悪と言っていられるうちは、本当の最悪とはいえない。といった意味で翻訳されているものがある。
彼女にとって今はまだ最悪と言える状態ではないのかもしれない。本当に最悪なら溜息すら出ないのだから。
コンコン。とドアを叩く音。
「華凛ー、いるー?」
声の主は明奈だった。恐らく水緒もいるのだろう。
いるよー。と返事をすると遠慮がちに扉を開ける明奈。フレンドリーでいつも明るい明奈であるが、今日の彼女は別人の女性に思えるほど憔悴していた。一晩でここまで人は変わってしまうのかという変貌ぶりだ。
友樹が亡くなって心痛したのは私だけだと思っていた水緒にとって、彼女はたった一人の仲間のようにさえ感じただろう。
「あのさ……」
明奈は俯いて呟いた。彼女の口から出た声とは思えられないほど小さな声。いつもは彼女の明るい顔を引き立たせているボブカットの前髪は彼女の表情を隠す。
「いつ、まで、そう、する、つもり?」
途切れ途切れではあるが、彼女はそう言った。
揺れる髪の間から表情が見え隠れする。
それを見て水緒は目を見開いた。
「…………わかんないよ……」
彼女は泣いていた。昨日の号泣で枯れた涙は新しく湧き上がることは無かった。だからだろうか、泣ける彼女を『羨ましい』と感じてしまったのは。
気まずくなった水緒が視線をそらした。
「そんなことでいいのっ!?彼氏くんっ!……友樹はそんな華凛を好きになったっていうの!?」
「私の気持ちも知らないくせに勝手な事言わないでよ!私だって……私だって……っ」
私だって、立ち上がりたい。せめて、彼を殺した者に復讐したい。華凛の原動力は復讐。憎悪。
「デウサルボルに来て後悔してる?前に聞いたよね?あの時のアンタは『幸せだ』って言ってたよ。今のアンタはどうなの?」
「……っ、後悔してるよ」
華凛の表情が曇る。
「デウサルボルなんて来なければよかった……こんなことになるなら地球にいたかった!」
でも彼女たちに選択の余地はなかった。
召喚は彼女達の選択の自由を奪い去ったのだろう。
「後悔してる?アンタはその言葉に甘えたいだけなんじゃないの!?後悔してどうなるの?過去が変わる訳じゃないし友樹が戻ってくるわけでもっ……」
彼女は耐えきれずに泣き始めた。
言葉にならない嗚咽を漏らす彼女は華凛の心を針で刺すような痛みを与える。
「あのさ……一度冷静にならない?」
水緒が気まずそうに、控えめな声でいう。
「……それも、そうね、っ」
明奈は未だに泣いていた。
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「さっきは言い過ぎたわ、ごめん」
「私こそ明奈の気持ち考えないで好き勝手言っちゃってごめん」
クールタイムが功を奏し、彼女たちも自分自身を見つめ直し、好き勝手な発言、暴言に気づいたのだろう。大いに反省したようで、まさに水緒の思惑通りとなった。
「それでさ、華凛はこれからどうするの?」
「私は……」
華凛は1呼吸置く。
「ケテル王国を守るよ。……友樹が戻ってくる場所を守りたいから」
「随分主婦的な考えね。まあ、華凛らしいけど」
華凛の決意に明奈は苦笑する。
友樹は死んだ。その現実を彼女に肯定させる必要は無い。そしてまた明奈自身も彼が死亡したとは一欠片も思っていない。現に、彼の死体は未だに見つかっていない。リドル騎士長の見解はどこかに転移されたのではとのこと。大広間に広がった血液は友樹のものだと証明されたが、彼が死んだ証明には繋がらない。
「私は友樹が思わず二度見してしまうような超絶美少女に華凛を仕立て上げるっていう目標を達成させなきゃ!みおみおも手伝ってくれるよね!?」
「へっ!?なにそれやめてよー!」
いつも通りの明奈の発言に華凛も水緒も微笑んだ。
「それに、私も我慢は辞めた!華凛の事気にして友樹君諦めてたけど、早くしないと私だって狙っちゃうぞぉ〜?」
「ちょっと明奈!?」
彼女の言葉は本心ではない。
確かに明奈にとって友樹は悪くない。
だが彼女にとって友樹は華凛の彼氏君であって、それ以上では無いのだ。
彼女は華凛を励まし、やる気を出させるためにこんなことを言い出したのだ。
「二人とも、仮面が剥がれたみたいにスッキリした顔してるよ。充分可愛い!」
「ちょま、……水緒ぉぉぉ!?」
赤面する明奈も、大笑いする華凛も、もう仮面は無い。
自分を守る必要はなくなった。全部見られてしまったから。本性を明かす恐怖に勝った彼女たちの笑みは心の底からの笑みであった。




