面会
回想を断ち切ると浩也は鏡を見ずに髭を当たる。着替えを済ませると家を出る。早紀のいる病院に向かうためだ。車を使うとその後の散歩が難しくなるので電車を選んで最寄り駅に向かう。元より浩也は車の運転が好きではない。出かける場所の近くに鉄道駅がないことが多いから必要上運転はするが、移動時間に本や資料を読めないのが無駄と考える人間なのだ。が、純粋に車の運転が好きな誰かに己の考えを押し付ける気は毛頭ない。元妻が嫌ったのでかなり前に止めたが、その昔浩也はタバコを喫んでいる。運転と比すれば悪癖だが、溺れる感覚に負けて快楽を味わうるのが人間本性の一部であることを浩也は疾うに悟っている。
「ああ、お父さん。お早う」
「調子はどうだ?」
「身体中痛いわよ。でも、わたしなんか安産だったからまだいいわ。陣痛が来て破水してから半日とか一日とかウンウン唸ってた人だったら、しばらく筋肉痛が取れないかもね。お父さんもいっぺん子供を産んでみる?」
「いや、遠慮しておこう。ところで塔紀はまだ保育器か?」
「そうね。でもさっき会いに行ったわ」
「そうか、元気だったか?」
「部屋に一人しかいないから比べようがないけど、元気に泣いていたわ」
「隔離、ってことか? せっかくおまえが苦労して産んだというのに……」
「大丈夫よ。そろそろこの腕の中に戻ってくるから」
「医者がそう言ったのか?」
「ううん。でも塔紀の機嫌が少しでも悪くなったら、わたしに抱かせるしか手はないんです」
「早紀。おまえ強くなったな。母は強しか?」
「さあてね。でも感じるのよ。今はまだ塔紀だってよく理解していないかもしれないけど、自分の唯一人の母親がこのわたしだってことに気づいたら、保育器の中でウカウカ泣いていられなくなることを」
早紀の病室を他に訪れる客もなく、そのまま二時間ほどを親子二人だけでノンビリと過ごす。
「そういえば大学の同級生たちは来なかったのか?」
「たぶん体良く追い返されたんじゃないかな?」
「追い返された?」
「だって、そうでしょう」
「でも塔紀はここにいないじゃないか」
「話題にされるのも厭なんじゃないの? 担当医の上野先生は親切で優しいけど、顔色を読めばそれくらいわかるわ」
「いつ退院できると言っている?」
「わたしは二日後だけど、塔紀はダメだって」
「酷いな」
「だけどわたしが望めば、いつまでも病院にい良いと言われたわ。居場所も用意するからって……」
「まるでVIP待遇だな。実際、そうなのかもしれんが……。で、おまえはどうするんだ?」
「塔紀と一緒がいいわね」
「それでは家には戻らないのか?」
「ねえ、お父さん。塔紀はこの先ちゃんと育ってくれるのかな?」
「それは病院側が保障するだろう」
「でももしもこのままだったら、塔紀、保育園にも幼稚園にも行けないのよ。友だちだって誰一人できないかもしれない。そんなのは厭! ……だけどイジメも厭!」
「すべての子供が塔紀をイジメはしないだろう」
「そうかもしれないし、そうではないかもしれないわ。あっ、でも、みんながちゃんと塔紀のことを見てくれれば人気者になれるかも……。それって親バカ?」
「そうだな。オレもそう思えるから、きっと爺バカだろうな」




