推移
冷静になって思い出すのが淫夢ともいえぬ淫夢だろうか?
早紀が見たのはただの景色で、場所は今宵父の浩也と身を隠している緯度/経度/海抜と大差ない。見下ろす先には例の施設があり、見上げた空では鳶が鳴きながら旋回している。だから時刻は昼間だろう。以前テレビ映像で見た施設破壊の爪痕は思った程には感じられず、むしろ整然とした印象を受ける。
が、それが早紀を求めている。そのことだけが早紀にはわかる。
求められている事柄が性的なモノだろうとまで気づけるのだが、実体験のない早紀にはそれ以上のことがわからない。過去に読んだ小説か観た映画あるいは自身で経験したマスターベーション経由の絶頂以外に想像がつかずモヤモヤする。股間……というよりはその先の内臓部分がじんわりと重く熱を持ち、徐々にしっとりと濡れてくる感じがするのは、何だろう? 失禁の前兆だろうか、と首を捻る。そして何モノかが入って/昇って来るが、それには匂いも気配もない。気配がないのに膣内の充溢は感じられ、けれども性的な快感がなく、心がひたすら惑うのだ。
振り返って思い出しても早紀にはそれが東風とは思えない。また水でも南風でも六本牙の象でも龍でもなく、更にいえば犬の気でもフォース(理力)でもないようだ。
自分に一度でも実体験があればまた違った印象を受けたのかもしれない、と早紀は臆することなく目前の父親に語るが、目を閉じつつ黙って訊いている浩也は娘の性行為を偶然覗き見てしまったような妙に後ろめたい想いに囚われ、胸を悪くする。
それから釈然としない心持ちのまま浩也は早紀と一緒に産婦人科を訪れる。が、そこでは娘の妊娠が正しく確認されただけだ。
「お目出度ですね。もう少しで三ヶ月になります」
浩也との仲を疑ったのか、表情のない声で産科医が告げると、浩也の胸に行き場所のない怒りが広がり始める。が、その怒りを払拭させるほど浩也を驚かせたのが、
「わたし産みます」
と断定口調で言ってのけた娘、早紀の出産宣言だ。
「おまえ、そんな誰の子だかわからない子供を……」
と思わず諭す浩也の言葉を、
「何を言っているのよ、お父さん。この子は誰の子でもないわ。もちろんわたしの子供よ」
と早紀が自信満々に翻したのだ。
浩也は娘の性格を心得ていたので、その先の彼の言葉は彼女の意思の確認作業となる。
「本当に産むんだな」
「はい。いろいろとご迷惑をかけます」
「そんなことは構わんが、大学はどうする気だ。」
「休校します。あるいは退学しても良いです」
「おれに言わせれば退学はもったいないな。物理学は好きなんだろう?」
「でも、お父さんみたいな才能はないから」
「自分でそう思うのか?」
「はい。残念ながら……」
「そうか、それでは仕方がないな。が、子供を産む方の才能はあるんだな」
「ええ、それは多分大丈夫です。お父さんがいつも言っていることと同じですから。好きな仕事で成功するためには才能が大前提」
「だが、フィクションを除けば、父親のいない子供を産んだ女は過去にいないぞ」
「それならば、わたしが最初になります」




