発端
「お父さん、どうしよう。あたし、困った、困った、困った……」
娘の先早紀から初めて妊娠の可能性を告げられたとき、浩也は自分がどう対応したか覚えていない。
「ん、どうしたんだ? おまえにしては珍しいな。ホラ、いいから落ち着きなさい。ハイ、息を吸って、吐いて……」
が、そのあとの一連の早紀の言葉を自分が理解できなかったことだけは鮮明に憶えている。
「赤ちゃんができたらしいの?」
「えっ?」
「だから赤ちゃんが……」
「誰の子供だ?」
「誰でもないわ」
「誰でもないことはないだろう」
「だって、そうなんだもの……」
「いいから落ち着いて。今ここでお父さんは怒らないから本当のことを話しなさい」
「だから誰でもないんです。あたしは今年成人になったけど、まだ誰とも、そういうことをしたことはないんです」
「夏休みに家に連れてきた、あの男は違うのか?」
「吉峰くんは大学の先輩で――正直に言えば好意は抱いていますけど――セックスとかはしていません。抱かれたことはないんです」
実の娘の口から不意打ち的に出てきた、セックス/抱かれた、という言葉が妙に生々しく、浩也が瞬時当惑する。が、凝視した先の娘の目は何処までも清潔で凛としている。それが浩也を意味不明の世界に誘って行く。
「いいから本当のことを話しなさい。例えば、おまえに覚えがなくとも酒を飲んでいてそうなったとか? 記憶はないのか?」
「お父さんは実の娘を疑うの?」
「そうではないが、父のいない子など――常識的には――ありえない」
「そんなことはわかっています。だから、これは非常識……いえ、常識の枠外のことなんです」
「庇いたい男がいるのか?」
「庇いたい男なんて、あたしにはいません」
「どうして、そんな嘘をつく?」
「だから嘘ではないんです」
間。
「わかった。……ではまずおまえが自分で妊娠を知った経緯を話しなさい」
そのままの押し問答では埒が明かないと判断し、浩也が方向転換を図る。が、それで結論が変わるかどうか自信がない。
早紀は突然の生理停止と体長不調に見舞われ、その自覚症状から、経験もないのにマサカね、嘘よね、と自分でも冗談のつもりで市販の妊娠診断薬を試したらしい。最初のそれで陽性と診断され、吃驚仰天した早紀は続けて他社製品も試したが、選んだ二社とも結果が陽性。それで途方に暮れ、迷った挙句、父親のところに相談しに来たという。それが直線的経緯だ。実際には紆余曲折があったのだろうが、知りたくもない。浩也の、例えばおまえに覚えがなくとも、という疑いは当然早紀の中にも芽生え、可能性は吉峰渉唯一人だったから問い質してみたが、結果は彼の怒りを買っただけだ。
「そもそもきみはぼくの部屋で眠ったことさえないだろう!」
言われてみればその通りで、晩生の早紀は彼とキスを交わしただけで心臓がバクバクと破裂しそうなほど鳴っている。だから吉峰との性交渉の可能性が無限にゼロに近いとわかるのだ。




