推測
一斉にアレらは海に旅立ったようだ。正確には時間的な前後があっただろうが、数時間程度なら誤差範囲内だ。そして旅立ったアレらがいれば、旅立たなかったアレらもいる。その違いが何処から生じたのか、世界中に知る人間はいない。無論、浩也にだってわからない。けれども結果としてアレらが子孫を残すため、一旦海中に旅立ったと考えることはできる。それが何故人間の女の腹の中に命を育んだのかは永遠の謎かもしれないが……。
アレらが一斉に地上を去った夜、アレらの子供を身篭った女はいない。少なくとも確認されていない。最初にアレらの一つが女を孕ませたのは一回目の帰巣のときだ、と今では多くの関係者が考えている。当然のように理論的な根拠はない。二つの事象の一致が偶然とは思えなかったことがその理由だ。
最初に地上を去ったとき、アレらは人間を殺す気はなかったようだ。ただ終夜勤務の労働者を身内に残したまま移動を始め、その後海中で異物として全員を放り出しただけだ。それで水圧や海水の喝水あるいは体力または体温の低下でそのほぼすべてが命を落とす。……とはいえアレらに故意に殺された人間はいない。例えばヒトが行う虫下しは殺虫だが、それとは違う。単に異物を排除しただけだ。いや、もしかして異物とさえ認識していなかったかもしれない。が、後に人間の女を孕ませたことを考えるとそうとも言えない。まったく人類を認識していなかったとは、と浩也が訝しみつつ顔を顰める。
アレらが建設敷地内を立ち去るとき――一般常識的に考えれば――相当な警報が響き渡ったはずだが、周辺住民の誰もそれを聞いていない。だから実際に警報は一つも鳴らなかったのだろう。警報機のすべてがアレらの一部であればその不可解も理解できるが、敷地内に残された警報機もあるので訳がわからない。他に監視カメラの一部も残されていたから、浩也たちは後にその白黒映像を見ることができたが、その違いの差を知るものはいない。代わりにいたのが途方もない憶測をする者たちか? もっとも聖書がフィクションでないとすれば、その差は大同小異かもしれないが……。
ところで建設敷地内からの建造物移動を建屋内または敷地外部にいた関係者が見逃したのかといえば、そうではない。彼と彼女たちは迅速正確に行動し、危機管理マニュアルには当然記載がない非常事態として、すぐさま上層部に連絡している。一部報道機関が伝えるように、日本の場合――近い過去に学ぶべき事例があったにもかかわらず――、多くは後手々々の対応だったが、諸外国においてはそうでもなかったようだ。時刻の関係もあったかもしれない。同じ夜でも宵と深夜では対応できる状況が異なるからだ。民間企業の判断が早くて政府に潜水艦の出動を要請した国も存在したが間に合わず、アレらの移動の痕跡が僅かに確認されただけだという。
仮に号機一つについての整地面積が三万二千平方メートルであり、例えばそれが隣接六ヶ所同時に消えたとして、世界中の海の総面積と比べれば塵みたいなものだ。現在までに発見された史上最大の海洋生物よりも数十から数百倍も大きいが、海中または海底を自由に行き交うアレらを常に探知する技術は人類にまだない。だからアレらが帰巣して初めて人類はアレらの姿を再確認できたことになる。
そんなアレらを直ちに破壊するのは――周辺地域に対する――リスクが大き過ぎると判断され、とりあえず認識タグを埋め込むオペレーションだけが計画される。紆余曲折の末、実行されるが、失敗する。失敗の理由は不明だ。が、高密度の放射線でタグが破壊されたことは間違いない。海水中または海底にその身を潜めているとき、アレらは身内から何一つ外に漏らさない。が、一度己の存在が脅かされそうになると力の封印を解き放つのだ。タグ破壊のとばっちりでまともに放射線を受けた兵士たちの防護服の除線作業には数日を要したという。
動きが制限されるので今はまだ身に纏っていないが、浩也たちも当然――簡易的だが効果的な――放射線防御服を用意している。駐車場敷地内ギリギリの潅木の下に停めた四輪駆動車の後部座席に積んであるが、これまで秘密裏に掴んできた日本政府のアレに対する及び腰の対応から浩也は、おそらく自分たち三人が今宵それを着ることにはならないだろう、と踏んでいる。もちろんそれは――最終的には――浩也の勘でしかないが、経験的に浩也はこういった場合に自分の勘が外れないことを知っているのだ。
「今、見えたわ!」
「何が、何処に?」
「人がよ。敷地内の、ホラ、右側の一番外れの方に……」
「どうれ」
浩也が身を乗り出すと塵のような人影が左右に揺れる。肉眼から暗視スコープに切り替え、再確認し、
「確かにいるな」
と声に出して言う。監視員の一人を確認すると、不思議なもので、浩也はその近くにいた数名のアメリカ人兵士も発見する。浩也が彼らをアメリカ人兵士と断定した理由は、近くにいた日本人監視員と比較した背の高さと軍服からだ。
……ということは自衛隊員もいるのだろうか、と浩也は思うが見い出せない。
「お父さんが正しかったみたいね」
「いや、まだわからんよ」
「だって塔紀のキラキラが変わってきたもの……」
「なんだって?」
慌てて早紀の腕に抱かれた塔紀を凝視する。が、浩也の目にその違いが見分けられない。
「そうなのか? おれにはまったく変わったようには見えないが……」
「あら、ダメなお爺ちゃんね。きっと愛が足りないのよ」
娘から投げかけられたそんな言葉に浩也はただ苦笑するだけだ。




