小人、度し難し
井上とトラブルが起きたその晩から更に一週間ほど過ぎても井上たちは学校に表れなかった。
教員側も自宅に何度も連絡し、教師が自宅に訪問しても不在だという。実際には帰宅しているらしいのだが、井上の家庭が放任主義な上に学校に非協力的で、あれだけの騒ぎを起こしたにも関わらず、自分の子どもの行為には非が無いと思っているらしい。
帰って来ても注意も学校への連絡もしていないのだという噂があった。
「結局、殴られ損だったな」
と昼休み中、坪井が喋りながら、白い飯ばかりが目立つ弁当の上で箸を彷徨わせていた。
「逆恨みもいいとこだし、あいつらはなんとかならないのかね?」
難しいだろうなと、俺は自分の弁当箱から鮭の切り身を摘まんだ。
「警察に届け出や退校処分という話もあったみたいだけど、井上の両親が弁護士を連れて来て、何とか停学処分になったんだと」
面倒くさい連中だなと、坪井は忌々しげに飯を口一杯に頬張った。
「別にカエデちゃんが悪いわけでもないのに……」
「それをわかっているなら、女の子一人に絡んだりしないだろ」
※ ※ ※
それは五月中頃に発生した窃盗事件がきっかけだった。
坪井が俺に小倉を紹介しろと、催促してきたあの日だ。
ロッカーが何者かにこじ開けられ、中から総額で数百円の被害が出たのだが、被害状況の割に被害額が僅少であったことから、校内で解決する事案とし、正式な届け出までには至らなかった。
その後、学校でアンケートや教師らによる内部調査で井上らが浮上し、何日もかけて聞きとりが行われたのだが、のらりくらりとはぐらかすばかりで、犯行を認めさせることが出来なかった。明確な証拠や目撃者もいないことから有耶無耶になりかけた時、意外な方向から真相が割れた。
事件当日、更衣室の向かいの校舎で、写真部が生徒会と広報で使う写真撮影を行っていて、出来あがった写真の片隅に、井上らが更衣室内で犯行を行う姿がはっきりと写し出されていたという。そのうちの一枚には、ご丁寧にロッカーの扉を破壊するために用いられたバール様のものを掲げている写真もあって、これには井上らも、一言の言い訳も出来ず素直に犯行を認めるしかなかったという。
事件当時、撮影を行っていたカメラマンが写真部の部長と小倉で、井上は誰かからその話を聞いたらしい。そして停学が明けてその日のうちに小倉を見つけると、早速、絡み始めたという。
「なんでそこから、写真部に恨みが行くのかね?」
「俺にはわからん。向こうにしてみれば、あいつらが写真をとってなきゃバレなかったのにて、発想なんじゃないのか?」
なにそれと暗い目で呟いて、坪井が俺を見た。
「……そういうのを、盗人猛々しいて言うんかな。馬鹿馬鹿しい」
最後は、吐き捨てるように坪井が言うと、既に空になった弁当箱の底を、箸で苛立たしげに小刻みに突っついている。
「俺達に何かしてやれることはないかな……」
腕組みして思案顔で俯く坪井だが、それが下手の考え休むに似たりの類であるくらいは俺だって知っている。答えを期待せずに、俺は牛乳パックにストローを差してちゅうちゅう吸っていた。
どうせこうなるなら、骨の一本でも折って叩き潰しちゃえば良かったかなと後悔している部分がある。
まあ、いい。今度絡んできたら潰してやるさ。
牛乳を啜りながら俺は窓の外を眺めていたが、ふと、視線を感じその先に目を向けると、坪井がじっと心配そうに俺を見つめている。
「……何?」
「黒っちてさ、時々、スゲえ怖い目つきするよな。コバセンとか井上も怖いけどさ。それと違った種類の。何か、ナイフでも脇腹に突き付けられているみたいな」
「え……。そ、そう?」
俺は思わず顔をごしごしと撫でた。
拭っても意味ないだろと坪井が言った。
「一人で考え込んでいる時なんてさ。声掛けづらいんだよなあ。いつも何を考えているの?」
思い過ごしだろと俺は呆れたふりをして言ったが、内心、焦りがあった。自分では感情を抑えているつもりだったのだが。
「いやあ、晩飯のメニューとか……。大したこっちゃないぜ」
「晩飯でそんな顔つきになるかなあ?」
どこか納得いかない様子で、首を傾げて俺の顔を見つめている。俺は気付かないふりをして、再び窓の外へと視線を逸らしていた。
そんな時、桜が傍に寄って来て救われた格好になった。
「二人とも、ちょっといい?」
小倉さんからだけど、と言って俺達に紙袋を示した。
「ん、何?」
小倉と聞いて、坪井がひったくるように紙袋を受け取ると、ごそごそと紙袋を開けた。
「小倉さんお手製のチーズケーキ。この間のお礼だって。私も貰ったけど、美味しかったわよ」
「小倉さん、お菓子作れるんだ……」
小柄で可愛らしい容姿でありながら、実兄に酷く悪態をついたり、愚痴が長かったり気に入らない軽口には蹴りを放つような人間だが、その一方で女の子らしい一面も持ち合わせていたのかと思うと何か不思議な気がする。
「七海だって、お弁当に美味しそうなメニューが増えてきたじゃない。ちょっと前までいかにも男の手料理、みたいな内容だったのに」
「最近、弁当を作っているのは親父だよ。料理教室がはまったみたいでさ」
へえと桜が目を丸くした。
「おじさん、料理なんて作れたっけ?」
桜は小学校三年生まで俺の家を行き来している仲だけに、親父がどんな人物かよく把握している。
料理教室に通い始めたんだと俺が説明した。
親父が料理教室に通い始めて数カ月が経ち、メキメキと料理の腕を上げていた。目玉焼きくらいしか作れなかった男が、和洋中問わずレパートリーも増え、今では機会があれば、休みの日に会社や料理教室の仲間を集めて料理を振る舞ったりしている。
元々が凝り性なところがあったから、上達が早かったのだろうが、おふくろがいない寂しさを紛らわすためというのもあるのだろうなと俺は思っている。
「カエデちゃん、良いお嫁さんになるよねえ」
坪井の何気ない一言に、そうねえと桜と苦笑いを浮かべ、溜息をついた。
「部長も早く気付けばいいのにねえ」
あ、馬鹿野郎。
チーズケーキを口に運ぼうとした手がぴたりと止まった。その手は、まるで花が萎れるかのようにゆっくりと下りていった。既に坪井はがっくりと肩を落としている。
「どうしたの?坪井君」
桜は自分の失言に気付かない。
「植松さん……。もしかして、カエデちゃんは部長に気があるの?」
「そうなのよねえ。あの鈍感部長。あんな好き好き光線を送っているのに、まるで気が付いていないんだから。こっちが恥ずかしいくらいなのに」
そこで漸く失言に気がついた桜は、口に手を当てて驚きの表情を浮かべている。
今更、おせえよ。
俺はにがりきって外を眺めていたが、その横で桜は周囲を見渡すと、秘密にしといてよと急に声をひそめた。
しかし、時すでに遅く、坪井の心を深くエグるには充分みたいだった。頭をがっくりと垂れ、たった数分で頬がげっそりとし、目は虚ろだ。
「……ちょっとトイレ」
坪井は陽炎のようにフラフラと立ち上がると、おぼつかない足取りで教室から出て行った。
「……どしたの?」
植松は訳がわからないらしく、ぽかんとした顔で坪井の後姿を指さして俺に尋ねる。桜の鈍感さに舌打ちしながら、桜を睨んだ。
「お前な。小倉さんに口止めされてなかったのか?」
「つい、ちょっとね……。悪かったわよ」
馬鹿野郎と呟き、何よとふくれ面をする桜を教室に置き去りにして、俺は坪井の後を追った。廊下に出ると、坪井は窓に寄り掛かってぼんやりと外を眺め、たそがれている。
「告白する前にフラれちゃったなあ……」
「そんなしょげるなよ」
「黒っちは知ってたのか?」
「なんとなく聞いてはいたよ。でも、まだお前が行動して無いからわかんねえだろ。だから、悪いけど黙っていた」
「そうかあ……」
その後、坪井は教室に戻っても授業の準備もせず、じっと手元のチーズケーキをぼんやりと眺めている。
「カエデちゃんのケーキ……。部長と、あんなことこんなことをした手で作ったのかなあ」
「おいおい、何言ってんだ。しっかりしろよ。まだ、付き合っているわけじゃねえんだから」
俺も坪井の妄想に釣られて、小倉と部長のよからぬ痴態を想像してしまい、慌てて首を振って打ち消した。
「振られたわけじゃないんだからよ。俺の分のチーズケーキもやるから。これも喰って元気だせよ。景気悪い面をするんじゃねえよ」
ケーキと景気。我ながら上手いなと内心、感心していると、坪井がボソリとつぶやいた。
「……しょぱいなあ」
ギョッとして振り返ると、坪井は泣きながら涙と一緒にケーキを口に運んでいる。
次の日、坪井は学校を休んだ。




