プレゼント
俺達は掛ける言葉も思い浮かばず、ただ黙っているしかなかった。
アルから、須貝の人柄や家族に関して聞いているから多少のことは知っている。アルによれば学校での成績や運動神経が優れていた訳でもないが、明るくて前向きな性格だったという。
今だとちょっと考えにくいが、どちらかというと相沢を引っ張る側だったらしい。使い魔が現れるようになっても物怖じすることなく立ち向かい、それどころか以前より精悍さが加わって、人としても何倍も強くなっていたという。
相沢にとって、そんな須貝は友達以上の存在だっただろうし、彼女を失ったことは相沢にとって相当なダメージだったに違いない。
「私が何故、あの日いなかったか聞いている?」
うんと俺は頷いた。
デートに出かけていたとアルから聞いている。
「中学で憧れの先輩がいてね。みっちゃんも応援してくれたんだけど、ホントはみっちゃんもその先輩のことが好きだったのよ。先輩も私よりもみっちゃんと気が合ってたし」
「……」
「でも、あんな噂が飛び交うようになってから、先輩も口には出さなかったけど、みっちゃんに対して腫れものに触るように冷たくなっていくがわかるのよ。名前を出されるのも避けるようになったし、お墓参りも来なかったし。先輩もみっちゃんのことは良く知っているはずなのに。あんなに憧れだった人が、段々と色褪せていって……」
相沢の言葉が途切れ、静かに俯いた。
「じゃあ……、その先輩とは」
「付き合えるわけないじゃない。そんな人と。敵と戦ったことは知らなくても、みっちゃんがどんな子かは知っているはずでしょう?」
相沢はキッと顔を上げ尖った声で俺を睨んだ。相沢の瞳は涙で濡れていた。
「ごめんね。七海君」
「いや……」
涙を拭う相沢の向こうから緩やかに流れ込んだ夏の風が、俺達の間に沈黙を運んできた。眩しい日差しも周囲の喧騒も、見えないフィルターに遮られて全てが遠く感じられた。
顔も知らない「先輩」への憤りよりも、他人の無知や思い込みによる仕打ちの方が俺には痛切だった。
アルやシオンさんも、死者を悼むようにうつむいたままじっと黙っている。少ししてから、ねえと沈黙を破るように相沢が口を開いた。
「七海君。休みの日て、いつもこういうことしてんの?」
「こういうことって?」
「さっきのプロレスの手伝いとか、そういうこと」
「元気プロレスの人達とは、中学の時からの付き合いだしね。それに……」
「それに?」
「何もない空間でさ。舞台が作られていく光景が好きなんだよな。物売ったり運んだり、観客を案内したり選手のサポートとか。無事終わって、皆が打ち上げやっているのを見ると、変な達成感があるんだ。去年の文化祭も裏方だったんだけど、似た様な感覚があったな」
「……」
わかったような、わからないような表情で相沢が頷いた。
「裏方作業が好きだ」と単純に言えば良かったんだろうけど、でも自分の中から湧いてくる様々な気持ちを何とか言葉にして伝えたかった。
やることあっていいわねと相沢は言った。そこには、どことなくうらやましそうな響きがあった。
「相沢は何をやってんの?」
「特に何も。生徒会だって他に人がいなくて、頼まれたからやっているだけで、それほど楽しいわけじゃないし。勉強終わったらシオンさんと稽古して……他は家でゴロゴロしているだけ。友達の買い物に誘われれば付き合いはするけど、それだけかなあ?」
面白くなさそうに相沢がぼそぼそと言った。
中学の時はもう少し行動的だったと、アルから聞いている。
暗い影が差すようになったのは須貝が死んでからだが、相沢の両親が不仲ということもあって、以前からその傾向はあったようだ。須貝が主に引っ張っていたという理由もその辺りにあるのかもしれない。
生徒会役員に推されるほど、他人から認められる存在であり、責任感を持ちながらも、周りに信用できる友達もおらず、頼れる家族もいない相沢の日常は孤独で満ちているのかもしれない。俺の頭の中には、多くの人に囲まれながらも独り俯いている相沢の姿が浮かんでいた。
「七海君て、この先のこと考えている?」
「この先って?」
「……闘いが終わった後とか、続いた時のこととか」
「どうしたの?急に」
「別に。なんとなく思いついただけよ」
ううんと唸って、俺は空を見上げた。木の葉の隙間から、青い空と細かく千切った綿のように薄く白い雲が、呑気に初夏の空を漂っているのが見えた。何日か前の親父とのやりとりが頭に浮かんだ。
「正直、終わった後のことは考えて無いんだよなあ。目の前の使い魔で精一杯だし。ただ、大学の方が講義を途中で抜けだしても、特に言われないだろうから、進学はするつもりだけど」
自分の夢もない無難すぎる未来予想に閉口しつつも、平行して存在するもう一つの現実を考えるのはどうしても億劫だった。無難な道を考えざるをえない。
「私と同じか……」
ぼそりと相沢が呟いた。心なしかどこかほっとしたように聞こえた。
「でも、その先は?」
「そんな先のことはわからねえよ」
不安はあるけど考えたって仕方ない。一寸先は闇だ。ここ最近、そう考えるようになってきた。
「ならさ。この闘いが終わっても終わらなくても、大学を卒業したら私達みんなで旅に出ない?」
「旅?」
「そう。ロールプレイングゲームみたいに、みんなで世界中を旅するの。お金は、私達の魔法やアルとシオンさんの大道芸で何とかなるわよ。悪い奴が襲ってきたって、私たちならへっちゃらだし」
俺は、相沢の唐突な子どもっぽい提案に呆然としていたし、アルとシオンさんも怪訝そうに互いの顔を見合わせている。
「私ね。世界中の色んな場所を見て廻りたいんだ。遺跡や自然、街や人。本や映像だけじゃなくて、実際に触れて体験してみたいの。門原姉弟みたいにさ」
「門原姉弟ねえ。そういや、俺はあったことないけど、今、どこにいるの?」
「昨日、メールで連絡があったんだけど、アトランティス帝国のとこだって。ミラン星人から使い魔の情報があったらしくて。大した情報じゃなかったけど」
「超能力者に古代人、宇宙人か……。空想科学のバーゲンセールだな」
「あの人たちも使い魔に国が滅茶苦茶にされたり、帰る船が破壊されて仲間が殺されたりと恨みがあるだろうしね。それにどっちの兵器もまともに通用しなかったから、かなり危機感があると思うよ」
門原ケイとシュウという超能力を操る姉弟で、俺らと歳は変わらないが世界中を廻り使い魔の主を追っている。アトランティス帝国やミラン星人といった古代人や宇宙人も、かつてはジュエルを狙い、命のやりとりをしてきた関係だったが使い魔の前に敗れ、今はこの世界で唯一まともに対抗できる俺たちのサポート役にまわっている。
敵の敵は味方。
少年漫画のライバルみたいに、強大な敵を前にしていつの間にか共に戦う戦友となっていた。
「それでも、あいつらはよく俺たちに協力してくれるよな。他の化物連中は逃げちまっているのに」
「ケイはなんだかんだでみっちゃんと仲が良かったし、シュウはみっちゃんのこと好きだったんだよね。他のみんなもそう。みっちゃんには色んな人を引き込む不思議な魅力があった」
自分にはそんな力が無い。
歪んだ唇を噛みしめて、まっすぐに空を見上げた相沢の表情はそう語っているように思えた。
須貝も門原姉弟らも話だけでしか知らないから、どんな人間関係を構築していたのか俺にはわからない。だけど、連中は連中でそれぞれの利害で動いているだけだろうし、相沢が自分には魅力がないと卑下しているなら考えすぎなんじゃないだろうか。
しかし、相沢本人がそれ以上言葉にせずに、胸の奥でぐっと堪えている以上、所詮は俺の憶測でしか無く、言うべき言葉が見つからなかった。
見つからない以上、話を変えるしか思いつかない。
「……それにしても、お前にしては随分と子どもっぽい夢なんだな」
「七海君と話していて、急に思い出したのよ。小さい頃の夢」
俺のからかいにも相沢は大して怒りもせず、楽しそうに言葉を続けた。
「私も夢がなんだったのかて思い返してみると、小さい頃は、世界を廻るようなスチュワーデスや通訳に憧れたのよねえ」
「小さい頃の夢か……」
俺の場合、親父みたいな長距離トラックの運転手だったな。
小学生の頃、休みがとれなかった親父が、俺を仕事のついでに九州まで連れて行ったのがきっかけだったっけ。
「俺は運転手かな。親父から中古のトラックでも拝借して、お前らが荷台に乗って、チンドン屋みたいに派手な客寄せするんだ」
俺が自前の宣伝カーで運転し、観客席や小さな舞台を作って、その上で相沢やアルとシオンさんが手品という名の魔法を駆使して世界を回る。そんな光景を想像しながら言いだしてみると、他愛も無い空想が意外にも楽しく思い始め、きりがなくなってくるようだった。
『俺は芸なんてできんぞ』
俺の空想が伝染したように、それまで黙っていたアルが横から口を挟んできた。
「アルは、普通に話をしてくれれば別にいいから。あとはシオンさんが返せば、それで成立する」
『……シオン、どういうことだ?』
『お前の話は、常にグローバルだってことなんだろ』
シオンさんに言われると、アルはそうなのかと妙に納得した声で呟き、俺はグローバルなのかと腕組みをした。
そんな二人のやりとりが可笑しく、俺や相沢もつい誘われて笑ってしまったが、こういった空想が馬鹿げたものだなんて、ここにいる四人全員が知っていた。でも、そんな他愛も無い空想で盛り上がる雑談が俺には心地よく、普段、学校で交わす雑談とはまた違った楽しさや懐かしさで胸が一杯になるようだ。この時間、この空間がひどく愛おしく思えた。
その時、相沢のポシェットから携帯電話の鳴る音が聞こえてきた。相沢が慌てて携帯を取り出し、少し離れた場所で何か話している。
「……今、公園。散歩していたの。うん、うん……。すぐ戻るから」
そんなやりとりが聞こえ、携帯を切ると相沢は小さくため息をついた。
「ごめんね。お父さんからの呼び出し。そろそろ戻らないと」
俺もそこで自分の仕事に気付き、公園に設置された時計台の針を見て顔が青ざめるのを感じた。少しの間と思っていたが、既に一時間近くは話込んでいて。休憩時間も終わりに近づいていた。開場は二時だから、急いで帰らないといけない。
「引き留めて悪かったわね」
アルとシオンさんが互いに挨拶を交わすと、それぞれ俺のポケットや、相沢のポシェットへと戻っていった。
「いや……。今までお前とちゃんと話せる機会がなかったし、話せて良かったよ」
「そう。ありがと」
「じゃな。また、今度」
俺が相沢から背を向けると、再び相沢が俺を呼びとめた。
「どうしたの?」
「ごめん。これを忘れるとこだった」
相沢がポシェットの中から取り出したのは、青いリボンの付きの包装紙に包まれた小さな箱だった。『マルコシ』と記名が振ってある。
「確か、さ来週が七海君の誕生日よね?次、いつ会えるか分からないし、今のうちに渡しておくね」
「良く知ってんなあ。そんなの教えたっけ?」
「去年、誕生日に使い魔と戦闘になって、台無しだとかぶつぶつぼやいていたでしょ?横で結構、気になっていたんだから」
言われてみると、確かにそんなことを相沢に言っていた気がする。
あの日は桜と坪井が誕生会を開いてくれたんだったか。
おふくろが死んで間もない時期で、俺を励ますために桜が提案したと後で坪井に聞いた。市内の大型ショッピングモールのファミリーレストランで祝ってくれたが、その帰り際、楽器屋に通りかかり、桜が試弾用のピアノを見つけると、誕生日の曲に関わる洋楽邦楽を幾つか披露してくれたんだっけ。
「じゃあ、今度は俺からも何か贈るよ。相沢の誕生日はいつなの?」
「気にしなくていいわよ。私のわがままみたいなものなんだからさ。」
「わがまま?」
俺がびっくりして尋ねると、なんでもないと首を振って、優しく微笑んでみせた。
「早いけど誕生日おめでとう。また、改めて電話するわ」
そう言い残して、相沢は「マルコシ」へと戻っていった。呼び止めて「わがまま」の意味を尋ねたかったが、時計の針がそんな余裕のないことを知らせていた。
だが、会場に戻ると、その後は弁当を口にする暇もなかった。
会場は立ち見がでるほどの予想外の大盛況で、俺は空き腹を抱えたまま、販売や荷物の搬送、選手の案内、リング調整など裏方作業に追われていた。息つく暇もなく、小倉が他のカメラマンに混ざりながらリングサイドで撮影している姿がチラリと見えたものの、大会が終了まで一言も会話をする機会も無かった。
撤去作業が終了すると、さすがの小倉も疲れ切った様子で「お疲れさまでした」と一言だけ言って、足取り重く帰って行った。俺も誘われはしたが打ち上げに参加する気力もなく、大人の集まりでもあるし、スタッフのリーダーに断って帰宅させてもらった。
相沢のプレゼントを思い出したのは、部屋に戻ってからで、箱を開けると中には濃い青を基調としたいかにも高級そうな美しいボールペンが収められていた。文房具屋のガラスケースの中で綺麗に並べられているような、一本何千円とかする代物だ。
『折角のプレゼントだ。大切に扱えよ。我々の国で女性から男性に対してのプレゼントというものは……』
と、アルが横で長々と説教してくるのを上の空で聞きながら、俺はそのボールペンを眺めていた。
相沢の言う「わがまま」の意味を考えていたが、ふと思いついたのが須貝美由紀のことだ。
相沢は、須貝やその家族に対する周囲の冷酷な反応、蔑視、誹謗中傷に相当なショックをうけているようだった。家庭も不和が続いているという。
見返りも見通しもないまま戦いを続け、いつ死に直面するかもわからない自分の身に置き換え、俺に贈り物を通して「自分のことを忘れないで欲しい」という想いを押し付けることになったのを「わがまま」と表現したのだろうか。
もしそうだとしたら、ちょっと重いな。
今度、真意を確かめてみようかと考える一方で、聞くのを恐れている自分がいた。




