戦士、邂逅す
公園の芝生広場では、野球やボール遊びに興じている家族連れ、無邪気に走り廻る子どもたちの姿や、満ち足りた顔つきで会話を楽しんでいるカップルと、穏やかな日常といった光景が広がっている。
「アルもそこにいるんでしょ?」
ベンチに座ると、相沢が始めに聞いてきたのがアルのことだった。
『いるぞ、相沢奈緒』
それまで黙っていたアルが、俺のポケットからひょいと顔を出した。相沢はアルを見もしないでひさしぶりと微笑みを見せたが、その声はどこか強張っているようにも思えた。
アルと相沢の間にいささか気まずい空気が流れる。一応の和解をしてからしばらく経つが、まだ感情にしこりが残っているのか、会話のやりとりは以前よりだいぶ増えたものの、二人の関係は未だに薄皮一枚ほどの壁がある。
その時、相沢のポシェットがうごめき、中から男のうんざりした声が聞こえてきた。
『おおい。いい加減、俺も出ていいか?』
相沢がポシェットを開けると、中から現れたのは小さな熊のぬいぐるみだった。暑さ寒さなんて感じない身体のはずなのに、暑くてかなわんと深いため息を漏らした。
彼も、アルと共に異世界の国からやって来た一人で、相沢の相棒となるぬいぐるみだった。
本名はシオン・レイン・スレイア。通称でシオンと呼ばれている。アルとは向こうの世界では子どもの頃からの付き合いで、堅物のアルに比べて気さくな性格だった。
『よう、七海。元気そうだな』
「どう、シオンさん」
シオンさんは、何故か〝さん″付で彼を呼んでいる。
俺と小倉の関係に似ていて、相沢が「シオンさん」と呼んでいるから、流れで自然とそう呼ぶようになったが、〝さん″付けで呼ぶと何故か彼に対しても丁寧語で話すようになる。普段から呼び捨てタメ口のアルはそこにも不満をもっているらしい。
シオンは、とてとてとアルの傍に寄ると、ようと軽く手を挙げて挨拶を交わした。
『しばらくだなあ。アル』
『しばらくって……。先週に会ったばかりだろ』
先週、俺と相沢の二人で使い魔を一匹退治している。
あんなの会ったとはいえんと、さして気にもしない様子でシオンは言葉を続けた。話はやはり、小倉の話だった。
『あの小倉という子は、なかなかかわいらしいお嬢さんだったな』
うちの娘みたいだとシオンさんが感慨深げに言った。
向こうの世界では、アルは独身だったがシオンさんは妻帯者であり、こちらの世界でいうところの5歳になる娘もいたという。
『あの子に、そんな力があるとは思えないが、見た目ではわからんものだなあ』
と、熊のぬいぐるみ姿のシオンさんが呟いた。
『あの子を俺達に協力させるのは、出来ないのか?随分、戦力になると思うんだが』
「……俺は、小倉さんを関わらせるのは気が進まないんですよね。特別な力はありますが、それ以外はいたって普通の女の子だし、俺達で解決するべきじゃないですかね」
『それもそうだけど……。正直、今の俺達の力だけじゃ限界があるぞ。俺達には選べる手段がそれほど多くない』
『相沢はどう思うんだ?』
アルが相沢に尋ねると、私は七海君とちょっと意見が違うかなと首を傾げた。
「私は、小倉さんとは今日、始めて会ったばかりでよく知らないけど、手段を選んでいられる場合じゃないと思う。この戦いを終わらすために必要であれば、なんであろうとそれは使うべきじゃないかな?」
「……」
「それに、七海君は『巻き込みたくない』と言うけれど、後手に回っている私達が敵の正体を探っている間に、どれほどの人が巻き込まれて死んでいるか考えたことある?」
「……」
耳の痛い話だと思った。
死んでいった人間の中に俺のおふくろも含まれている。相沢がそれを百も承知で言っていることもわかっていた。
「言いすぎかもしれないけど、少し考え方が甘いんじゃないかと思ったから、ちょっと言っておきたかったの。七海君が巻き込みたくないという気落ちはわかるけど……」
それぞれ経緯は異なるが〝守護者〟になることを望んだのは俺たちだ。首に突っ込まなくてもいいことに首を突っ込み、後に退けなくなったのも俺たち自身だった。「巻き込みたくない」とか「手段を選んでいられない」なんて議論をすること自体、そんな資格が俺たちには無いのかもしれない。それでも俺達は生きていたかったし、大切な人を失いたくもない。しかし、その一方で俺達の都合で何も知らない女の子を、こちらから巻き込むのはどうしても気が進まなかった。
「俺の勝手な言い分だけど、俺は小倉さんをできるだけそっとしておきたい」
陽の光を浴び、重い機材を背負って部長の後を追いかける小倉の姿が浮かんだ。恋や部活に一生懸命な彼女が居るべき場所はあそこだろうと思った。
「甘いわね。ホントに」
「……」
「でも、今の小倉さんをそっとしておく、という点は賛成」
「……どういうこと?」
「今の段階だと、彼女の力が未知数。発動条件も不明。本人も自覚が無いし、下手に手を出したら取り返しのつかないことだって起きるかもしれない。だから今は様子を見た方がいいと思う」
「でも、さっきは『手段は選べない』て」
わかった場合よと相沢が遮った。
「あの子の力が解明できれば、話が変わるわ。それまでは、流石にそっとはしないけど地道に調べていくしかないんじゃないの?」
後は敵を見つけてさっさと倒すことよね、と相沢は自分の髪をいじりながら言った。
『……先週の戦闘のようなレベルで戦うことができれば、大概の使い魔には勝てると思うがな』
腕組みをして何かを考えている風だったアルがぼそぼそと独り言のように声を発した。シオンさんが同調して頷く。
『あれは見事だったな。今までで一番連携が取れていたんじゃないか?難敵だと思っていたが、あれほど簡単に倒せるとは思わなかった』
「そうですか? 後で、アルからは魔法の使い方がなってないとか敵の動きが読めてない、とか散々でしたよ」
『相変わらずの説教好きだなあ、アルは』
シオンさんがからかうように言うと、アルはふてくされたようにそっぽ向いた。
基本的に、俺と相沢はそれぞれ単独で行動している。
単にドライというわけでなく、使い魔の強さは安定していない。一人であっさりと倒せる場合もあれば、二人掛かりでも危機的状況に陥る時もあった。しかし最近、単独で対処できるようになってからは、できるだけ日常生活に支障をきたさないようにするために、俺達の間で交わされた取り決めだった。
俺達の使命はジュエルを守ることにある。
アルとシオンさんが戦闘中の情報を相互に送り、俺達は魔眼で戦闘の状況を見極め、援護が必要と判断した場合にはすぐに応援に駆けつける。
先週の使い魔もそんな難敵だったが、相沢が応援で駆けつけると戦況は一変した。俺は驚くほど周囲が見えるようになった。相沢がどう動き、何を求めているか瞬時に理解することができたし、相沢も理解してくれていた。
いつもなら二人の超高位の合体魔法〝ゴールデンシャワー〟を使って、強引にとどめを刺すような戦闘になるところを、ふたりの連携攻撃で使い魔を翻弄し、最後は俺の直接攻撃で仕留めほぼ無傷の状態で勝利してしまった。
『相沢と須貝のコンビも良かったが、今のお前らの連携はあの頃を越えているかもしれないな……』
シオンさんはそこで言葉を切った。須貝美由紀という名前を出すと、シオンさんの声が沈み、相沢へと視線を向けたのがわかった。相沢は無表情を装っているが、瞳に一瞬、暗い影が奔ったのが俺には分かった。アルと相沢の関係がいまだぎこちないところもあって、俺達の間で須貝美由紀の名前は一種、タブー扱いされているところがあった。
私から話すわよと相沢は言った。
「みっちゃんの話もしたかったんでしょ?気にしてたもんね」
「須貝さんち、何かあったの?」
一昨日、引っ越したのよと相沢はぼそぼそと語り始めた。
「ホームページも閉鎖。夜逃げ同然でどこかに行っちゃった。嫌がらせの書き込みや電話も頻繁だったし……」
俺達の間に、再び重い空気が流れた。ここにいる四人はその重さの意味を知っている。
みっちゃんこと須貝美由紀はアルの元相棒。つまり、俺の先代の「守護者」だった。
須貝美由紀は一年前に死んでいる。
彼女の死は事件として話題となった。
事件当時、全国紙でも『三百キロと数時間の謎』という見出しで報じられたから、もしかしたら覚えている人もいるかもしれないが、マスコミが大勢やってきて、俺の近所や学校でも結構な騒ぎとなったものだ。何しろ須貝の遺体が見つかったのは、俺の自宅からほど近い一〇キロ程度の山の中だったし、彼女は当時、東京在住の中学生だ。何の縁も所縁も無い土地の山中に、何故、須貝の遺体があるのか?衣服に乱れは無かったし、身体に外傷も認められなかった。胃に薬物等も検出されなかった。そして、遺体の見つかる数時間前に、必死な形相で何れかに駆けてゆく須貝の姿を、東京で友人やクラスメイトによって目撃されていたことが、益々謎を深めることになり、一時期はネットでも須貝専用の掲示板が幾つかあったという。
また、彼女の周囲では相次いで行方不明の事件、発生しており、その関連性も疑われていた。その行方不明事件も使い魔の仕業によるものなのだが、当然のことながら、現在もその関連性は解明されていない。
後でアルから聞いたところによれば、逃げた使い魔を単独で追っていたところだったという。
神林町で追いつき、そこで再度戦闘となったのだが、使い魔が自爆し相打ちという恰好で須貝も深刻なダメージを受け、アルの回復魔法も間に合わないまま、そこで息絶えてしまった。
シオンさんに連絡を取り、相沢を呼ぶつもりだったが、アルも取り乱していたしタイミングの悪いことにほとんど人気の無いはずの山中に、巡回中のパトカーが戦闘の爆発音を聞きつけ須貝の遺体を発見してしまっていた。
彼らは救急措置を行う傍らで、救急車や応援を手配して須貝の身体は病院まで運ばれて行ったという。そのために事が公になってしまった。
相沢は生き残ったアルが許せなかったらしい。
〝守護者〟になったのは相沢や須貝が自ら望んだものなのだから、逆恨みも同然なのだが気持ちはわかる。
当時、アルやシオンさんは異世界からこの世界に住み慣れ始めた頃で、俺達の世界にやってきてからの数年間は、今のように使い魔も現れる気配がなかったのだ。
アルとシオンさんが相沢と須貝に出会った当時、二人はまだ中学一年生で、彼女らの友人たちを事故から助けるために〝守護者〟となった。それ以来、二人は夜空を飛び廻ってこそ泥を捕まえたり、悪人を懲らしめたりと、アニメの魔法少女ごっこの気分で過ごしていたという。そこは相沢もアルも認識は一致している。ヒーロー気分でやっていた俺も似た様なものだ。ただ、そういった事情を聞いておきながら、軽く考えていた俺の方がもっと間抜けなのだろうが。
ともあれ、相沢がアルを恨んだのは、相沢の中で納得できていないものがあったからだろうと俺は思う。
納得できない心境が不審を招き、それがやがて怒りになって、須貝を死なせたアルに向けられて爆発した形になったのだろう。相沢と初めて会ったのは、俺が「守護者」になってからだが、言動は今より辛辣でそれが原因で衝突したのは一度や二度では無い。
「引っ越す前に、向こうのご両親とも話す機会があったんだけど。かなり疲れていたみたい。白髪も増えて……」
こんなふうに、俺に対しての会話の端々に、感情が籠り、声にも丸みを帯びるようになったのも、ずいぶん経ってからだ。それでも今日のように多弁で、腰を据えて会話したのはあまり記憶が無い。
須貝の事件は世間を賑わせたが、その分、有象無象の連中も喰いついてくる。援助交際で金を稼いでいたとかシャブを喰っていたとか、根も葉も無い噂がまことしやかにネットを中心に伝達され、須貝家は次第に世間から冷たい目にさらされるようになった。事件の解明を訴えて立ちあげたホームページには誹謗中傷のコメントで溢れ、家には落書き、石やゴミが投げ入れられるような事態が絶えず発生していた。
「その中に、当時のクラスメイトも何人かいたのよね。噂を真に受けて裏切られたと喚いていたけれど」
「……」
「あんなに明るい家庭だったのになあ」
遠い目をして相沢は力無く笑った。




