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相沢奈緒

 六月半ばとなり、制服も夏服へと変わった。

 重苦しい雨と快晴を繰り返す日々が続いたとある日曜日の昼休み。

 俺の隣に小倉楓が歩いている。

 お互い「元気プロレス(power&spiritsと背中にプリントされてある)」と記載されたロゴ入りTシャツに赤いジャージのズボン姿で、両手には大量のペットボトルの入ったビニール袋をゆさゆさとぶら下げていた。

 俺の隣では小倉が口をとがらせながら、ぶつぶつぼやきながら歩いている。


「今日、デートの約束してたんですよお。それなのに……。ホント、チョームカつく」


 まあまあと俺がたしなめるも、あの馬鹿兄貴と小倉はふくれっ面で漫画のように口を尖らせ、ぶつくさぼやいていた。


「でも、あの部長はデートじゃなくて、部活動の一環だとしか思ってないだろ?」


 いやいやいやいやと連呼しながら、片方で十数本のペットボトルが入ったビニール袋を、軽々と振り回しながら小倉が言った。


「私がデートと思っているから、それはデートなんですよお」


 同い年の小倉は、俺に対して丁寧語で話す。

 始めて会った時、小倉は俺を年上だと勘違いし、俺も小倉を年下だと思っていたので、しばらくの間、先輩後輩みたいな関係が続いたせいで今もその癖が残っている。

 部長の話になると、先程までの不機嫌な面はどこかに消え、その代わりにえへへと艶のある声で笑顔を浮かべた。

 俺と小倉は、デパート「マルコシ」の地下にある食品売り場で、スタッフと選手用に買い物を済ませた帰り道だった。

 今日は公園近くの県立体育館で、兄の田代さんが所属する『元気プロレス』の興行が行われている。いつもは道場で四、五〇名程度の観客相手したちいさな興行を行っているのだが、今日は五周年記念ということで大物選手も何人か招くという。団体創設以来のビッグイベントであることから、選手にも気合が漲り、俺は裏方として小倉は主に撮影係というスタッフの一員として駆り出されていた。

 それが小倉には不満らしく、折角のデートがおじゃんになったと、買い出しの帰り道でもずっとぼやいていた。

 小倉の愚痴は結構しつこい。


「部長からの誘いで、浅深山にデートするつもりだったんですよ?カップルで行くと恋愛が実るとか言うじゃないですかあ」

「浅深山て……、金現様のとこか」

「コンゲンサマ?」

「あそこで祭られている神様の名前だよ。知らない? 元々は豊穣の神様らしいけれど」


 知りませんと、きょとんとした表情で小倉は首を振った。そして黒澤君て、意外に物知り何ですねえと感心したように言った。

 浅深山は、地元にある標高三百メートルほどのなだらかな山で、四季を通じてハイキングで訪れる客も多い。

 その浅深山の神社には、金現様という神様が祭られていて、去年、俺がまだ守護者テイカーになる前だが、余所から来た妖怪に悩まされて、俺とアルでその妖怪を退治したことがある。金現様は神様のわりに随分と人見知りのはにかみ屋で、恋愛の神様と祭り上げられていることに、かなり当惑気味の様子だった。神主の娘に惚れていて、「自分の恋愛も成就できないのに」と嘆いていたけれど、今も進展は無いだろうな。神様という立場もあるし。

 小倉と部長は、そこで夏の写真展に向けた写真撮影を行う予定だったという。


「それをあの馬鹿兄貴のせいで……」


 ダメレスラーの癖にとまたぶつぶつやり始めた。

 小倉は気立てが良いし明るくて基本的に良い子だと思うが、短気なのと大飯喰らいと実の兄を馬鹿馬鹿言うのは良くない癖だと思う。前に田代さんに聞いたことがある。田代さん本人は「あれが、あいつの可愛さなんだよ」と諦めたように笑うだけなので、俺も注意まではしないけれど。


「でも、小倉さんがあの部長を好きなんてなあ」

「人は外見じゃないのですよ」


 小倉はふふんと得意気に鼻を鳴らした。


「でも、この一年間、部長は気付いてないんだろ?そのうち告白でもするの?」

「部長は鈍感だから、普通の告白じゃ効果しません」

「じゃあ、どうするの?」


 どうしましょうとしばらく考え込んだ後で、にこりと笑って顔を上げた。


「思い切って、こっちから襲っちゃいますかね」


 大胆な発言に、俺が呆気にとられて小倉の顔を見つめていると、小倉は幸せに満ちた顔つきをして微笑んでいる。本気なのかどうかわからないが、こういう小倉を坪井が見たら、さぞショックを受けるだろうなと思った。

 しばらくあいつには黙っていよう。

 それにしても随分、あっさりと他人に打ち明けたものだ。誰が好きとか、流石に俺は他人に打ち明ける度胸なんて無いな。


「話したのは、黒澤君だけですよ?あ、あと桜さんにも」

「桜にも?」

「ええ。二人には一度、話しておかないとなあて思って」


 イベントと広報活動が多い生徒会との繋がりで、二人で仲良く会話をしている光景を何度も見ている。


「桜に話すのはともかく、俺に話をしてもしかないだろ。女同士ならではの話しもあるだろうし。俺の経験なんか頼りにならんよ?」

「当たり前じゃないですかあ。黒澤君の経験なんて、全く期待してませんよお」


 朗らかな笑顔から放たれた、氷の矢のような言葉が俺の胸を刺した。俺はショックのあまり全身が石のように硬直したが、小倉は気付かずに相変わらずニコニコしている。


「でも、黒澤君には知っておいてもらいたいんですよね。私には好きな人がいるてこと」

「だから、なんでそれが俺なの?」


 はてと小倉は首を傾げた。


「何でしょうね? 黒澤君にはそんな感じがするんですよね。誰かに残しておきたいこととか伝えたいこととか、そういった想いを大切にしてくれそうな予感が。写真部のカメラみたいな」


 写真部が使用しているカメラは、どれも古びたフィルムカメラだった。何十年も前から代々受け継がれ、部員たちで修理をしながら大切に使われている。

 今回、小倉が持ってきたカメラもその一つでこの大会のために部から借りてきたという。

 口にしてみたものの、自分でもわからないといった様子で、小倉は立ち止まって何度も首を傾げて視線を宙にさまよわせている。


「小倉さんもおかしな事を言うな。そんな『伝えたい』とか、『想いを大切にしてほしい』なんて死に際で言いそうな台詞だろ」

「そう……、なんですよねえ……」


 使い魔との戦闘やそこで見せた自分の力など、何も気付いていないはずだが、小倉は小倉で、無意識に何かを感じているのだろうか。

 小倉は眉をひそめて考えていたが、すぐにいつもの明るい顔に戻って、心の片隅でいいんで覚えておいてくださいよと無邪気に笑って、再び歩き始めた。


「黒澤君はいないんですか?」

「いないって?」

「ええと……。好きな人です」

 随分、ストレートに聞くなと俺は苦笑いをした。

「今はいないよ」

「ホントですかあ?」

「ホントだよ」


 最後は真顔で答えた。

 いない。いないというより、できるだけ考えないようにしていた。肉親の死を見てから、俺は好きな人を争いに巻き込んだり、俺が死んで、行方不明になって悲しませるのはあまり想像したくはない。例え、それが一時期の感傷であっても、俺は嫌だ。それに、「守護者ガーディアン」や使い魔の存在を誤魔化すために必ず嘘を言わなければならない。嘘は不審を招き、それはやがて、お互いの関係に亀裂を生じさせてしまうだろう。

 小倉はそんな俺の顔をまじまじと見つめていたが、やがてふうんと呟いてそれっきり口を閉じた。

 俺達はしばらく無言で歩いた。

 道路沿いに歩くと、若干遠回りになるので、公園内を突っ切った方が早いと思い、俺達は再び公園に入った。

 芝生広場に入った時だ。俺の名を呼ばれて様な気がして、後ろを振り向くと小倉が遠くを見つめている。

 黒澤君と小倉が買い物袋を下げた手で俺の袖を引いた。


「あの人、お知り合いですか?」


 促されるように小倉の視線の先を追うと、広場の向こうから、一人の女の子がこちらに歩いて来るのがわかった。背中まで伸びた長い髪。麦わら帽子にキャミソールブラウス、ショートパンツと、時期としてはいささか早めに思えたが、夏を感じさせる服装だった。

 次第に近づいて来る彼女の正体がはっきりすると、俺はあっと声を上げそうになった。


「相沢奈緒じゃん。何で、ここに」


 彼女の自宅は東京で、数百キロ離れたこの町に来る機会なんて、普段なら全く無い筈だった。

 相沢奈緒。俺と同じ高校2年生。

 この世界に存在するもう一人の〝守護者テイカー〟だった。

 やがて、彼女は俺と小倉に傍に来て、ニコリと小倉ににこりと微笑むと、小倉は恐縮した様子で慌てて頭を下げた。

 相沢は高校でウチの桜と同じ様に生徒会の副会長を務めている。学校での成績は優秀で、家も都内のセキュリティ万全の大型マンションに住み、両親は大手のビジネスマンと弁護士というし、その辺りは非常にうらやましい家庭環境だ。

 会う時はいつも青色の魔闘衣を着て変身した姿か、お下げで地味な制服姿がほとんどなので、今日みたいな私服姿はかなり新鮮に感じた。

 そんな相沢の表情は、いつも仏頂面で陰気くさい。


「さっき、デパートで七海君を見掛けたから、挨拶しようと思って追いかけてきたのよ」


 言われて良く見ると、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。呼吸も少し弾んでいた。


「でも、何でここに? 家は東京だろ」

「お父さんの仕事の手伝いみたいなものよ。今日はマルコシで営業があって、お父さんにモデル頼まれて一緒に来たの」


 読者モデルか。

 綺麗な顔立ちしているからモデルにはいいだろうけど、こう暗い性格でも務まるのかな。

 よく知らんけど。


「休みなのに大変だな」


 と本心とは別に俺が感心したように呟くと、相沢はどうせ暇だしとネガティブなことを言って肩をすくめた。


「ところで、七海君は何してんの? デートて雰囲気じゃなさそうだけど」

 相沢はじろじろと俺達の格好や両手にぶら下がった袋を眺めていた。

「ちょうど、そこでプロレスの試合があってさ。小倉さんと会って……」

「プロレス?」


 相沢には予想もしない返答だったらしく、面食らった様子で首を傾げた。


「ええと。前に話さなかったか? 知り合いにプロレスラーの妹さんが後輩にいるって。それがこの子でさ。人手が足りないから、手伝いに来たんだよ」


 俺が小倉を指さすと、相沢はこの子が例のと小さく言った。以前、相沢には小倉に関して一通りの説明している。だが会うのは初めてだ。

 しかしというか、当然というべきなのか。例のと言われ、小倉は自分のことを話題に出されたのが気になったらしい。「何で私の話が出るんですか」と言って怪訝そうに俺を見た。

 俺は相沢に「誤魔化してくれ」という意思を含んだ視線を向けると、相沢は「わかった」という目で小さく頷いた。この一年余りの激闘をくぐり抜けた間柄だから、この程度のやりとりは目だけで通じる。

 ごめんねと相沢が小倉に申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「紹介が遅れたけど、私ね、七海君と付き合っているの。それはもう、口にするのが恥ずかしいくらいにズブズブのただれた関係」

「へっ?」


 突然、何を言いだすんだ、こいつ。


「え、ええと……。そうなんですか。よろしくお願いします……」

 小倉もさすがに驚いた顔つきで、目を白黒させている。

 バカ馬鹿ばか。何言ってんだよ。

 俺は小倉から見えない角度から必死になって首を振り、それを相沢は無表情のまま、じっと見返してくる。


「うそうそ、冗談です。ホントは従兄妹。こういうことを言うと七海君がうろたえて面白いから、ちょっとからかってみただけ」


 相沢奈緒と言いますと改めて丁寧なお辞儀をすると、小倉も慌てて深く頭を下げた。

 俺は安堵と苛立ちがカフェオレの様に混ざった感情とともに、相沢が急遽持ち出した従兄妹設定に話を合わせようと、小さな脳を高速回転させていた。


「七海君とは遠い親戚なんだけど、お父さん同士、気があってね。何度かお互い顔を合わせているのよ。そこで学校の話もするんだけど、小倉さんの話も色々と聞いていたの」


 相沢が俺の傍に立つと、俺は慌ててそうそうと頷き返す。


「プロレスラーが知り合いにいるって珍しいからさ。つい自慢したくて、話の流れで小倉さんのことも話しちゃったんだよ。こいつ見た目の割に、ゴリラみたいなマッチョマンが好みだから」


 一瞬、錐のように鋭い視線が俺を刺した。

 思わず相沢に顔を向けると、余計なことをバラさないでよねと乾いた笑い声を上げていたが目だけが笑わず、トイレに財布でも落としたかのような虚ろな目をしている。

 相沢は桜ほどではないが、俺よりも背が高いので、その見下ろすような視線がちょっと怖い。


「まあ……。それはいいですけど」


 小倉は俺と相沢の顔を交互に見比べ、一応は納得したのか、瞳から不審の色が消えていった。


「ご親戚の方ですか。言われてみれば、お二人とも雰囲気は良く似てますよね」

「雰囲気? 俺、こんなに暗いか?」


 言った瞬間、息が詰まった。

 相沢の鋭い肘が俺の腹部をえぐり、俺は声も出せないまま腹を抱えてうずくまるしか無かった。

 何で俺はこうも女の子に殴られるのだろう。

 小倉は苦笑いしながら俺を眺めていたが、やがて考え込むようにして俯いた。


「ええと、何て言うんですかね、相沢さんの雰囲気。最初お見かけした時、顔も全く違うのに、黒澤君をパッてイメージしたんですよ。やっぱり、親戚だからですかねえ?」

「あのさ……。小倉さん」


 相沢がうずくまる俺と顔を見合わせた後、相沢がためらいがちに切り出した。


「少し七海君と話したいことあるから、ちょっと彼を借りていいかしら?」


 と相沢が申し出ると、意外にもいいですよと快く了承した。そして俺から荷物を受け取り「休憩明けまでに遅れないでくださいね」と言い残して、一足先に会場へと帰っていった。その表情から俺達の関係を疑っている様子は感じられなかった。


「……言いたいこと言ってくれるわね。誰が、マッチョマンがタイプだって?」


 小倉の背中が見えなくなると、相沢がギロリと怖い顔をして俺を睨んだ。


「悪かったよ。他に良いのが思い浮かばなかったんだ」


 俺が謝りながら立ち上がると、軽くため息をついてまあいいわと言った。


「小倉楓さんか……。普通の子だと思っていたけど、不思議な勘みたいなものがあるのかな?」

「従兄妹かあ。俺達、そんなに雰囲気が似ているかな」

「どうだろ? 空気読んで、信じたふりをしただけかもよ。やっぱり付き合っていますのがシンプルで良かったんじゃない?」

「そうかなあ。俺たち、そんな関係に見えるかなあ」

「だって、私たちお互いの裸は見慣れているわけだし、私たち浅い関係じゃないのは確かでしょ?」

「……」


 相沢は平然と言ったが、誤解があると困るので言い訳しておく。

 俺達は別に男女の関係といったところまで進行しているわけじゃない。

 俺達が着ている魔闘衣は魔法を和らげる効果があるのだが、デメリットとして俺達に対する回復魔法まで効果を薄れさせてしまうので、酷い傷だといつも魔闘衣を剥ぐことになる。

 だから相沢の手に収まるような形の良い乳房だとか、うっすらと生えた陰毛だとか、向こうがそうであるように相沢の身体は隅から隅まで知っている。

 俺だって健全な男子高校生なので、相沢の裸体を思い浮かべる日も無いことはないけれど、どうしても血を伴う記憶といった無残な光景が同時に呼び起こされてしまう。


 一度は使い魔によって斬り落とされた右手で髪をいじりながら、そっちが自然だったかなあと、相沢は後悔したように呟いた。


「でも、恋人なんて恥ずかしいな」

「そんなの私だって嫌だから、従兄妹と言ったんだけどね」

「おい」


 相沢の言う通り、恋人だと騙るのは確かに自然だったかもしれないが、俺としては真面目な顔をして付き合っている人はいないと言った手前、恋人ですと名乗られたらこれほど間抜けなこともなかっただろうな。 


「それで、小倉さんについて、あれから何かわかった?」


 いいやと俺は首を振った。


「大して進んでない。あまり変な刺激を与えて、あの力が発動しても困るし」

「……」

「戦闘に何度か加わってもらえれば何かわかるかもしれないけど。これ以上、あまり巻き込みたくないからな」


 ふうんと相沢は頷いた。表情から何か言いたい様子がうかがえた。


「話があるて、そのこと?」

「それもあるけど……」


 と相沢はそこで一旦、言葉を切った。


「こんなところで会うなんて珍しいから、ちょっと雑談したかっただけ」


 そこで休まないかと、相沢は木陰のベンチを指さした。

 普段、戦闘が終わればすぐに帰り、素っ気ない態度で必要事項以外あまり会話がなかったから相沢の提案を意外に思った。


「私と話すのが嫌で、早く戻りたいなら別にいいけど」

「まさか。嫌じゃないよ」


 あまりにそっけない口調なので、嫌味のようにも聞こえるが、これまでのつきあいでおそらく冗談なのだろうというくらいには判断できるようになっていた。

 相沢が言うようにこういう機会は滅多に無い。促されるまま俺と相沢はベンチに並んで座った。

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