ポロロン
俺、ギター弾けるんだとクラスメイトの坪井が不意に言いだした。
「ギターて、あのギター?あのポロロンと鳴らすやつ?」
「うん。そのポロロン」
何故、突然そんなことを言い出したのか、話の意図がつかめず黒澤七海は釘を打つ手を止めて訝しげに坪井の顔を眺めた。悪い顔のつくりではないが、緩みがちな口元は軽薄さを感じさせ、本来の顔立ちよりも魅力を半減させているように思える。
「お前が楽器を弾けるなんて話、今まで聞いたこと無いけど」
「夏休み入ってすぐに親戚の集まりがあってさ、そこでおじさんからギターもらって習ったんだ」
「それで弾けるなんて言えるのか」
そうだよと、坪井は真面目な顔をしたままあっさりと返したので、何か間違ったことを口にしてしまったのかと七海の方が戸惑ってしまった。
「……で、弾けるから、何よ?」
「小倉さん、どんな曲が好きか知ってる?合わない曲を歌って聞かせても盛り上がれないだろ」
「まだ諦めてねえのか」
七海はいささか呆れながら作業を再開した。七海と坪井が手掛けているのは、舞台で使う予定の城の背景を支える骨組である。二人は裏方として背景担当となっていた。周りでは演者となる生徒が熱心に台詞合わせをしたり、一心不乱に衣装を縫い合わせている生徒もいる。夏休みも明後日で終わり、文化祭まで日にちも迫っている。ぼやぼやと坪井の与太話に耳を傾けている余裕などないのだが、坪井は気がつかないでまだ話を続けている。
「俺は邦楽も洋楽もどっちも好きなんだけど、彼女が苦手だったらアピールにならないだろ?だから、その傾向と対策つうことで彼女の嗜好を知っとかないとさ、やっぱまずいと思うんだ」
「……」
坪井の話には反応せず、七海は柱の部分を抑えながら坪井に「釘一〇本くらい持ってきてくれ」と指示した。面倒なので聞き流そうとしたのだが、坪井は答えを待つかのようにじっと眼を注いでくる。
「いい加減、諦めろ。小倉さんが写真部の部長とつきあってんの、知ってんだろ」
「そりゃあ、俺もお前から聞いた時はショックだったよ。けどさ、俺が見たところ、ぎこちなくて入り込む余地はあると思うんだ」
「……それなら、歌がどうとかの前にまともに会話するところから始めろ」
それはそうだけどと、口をもごもごと動かしたが、あとは何を言っているのか判然としない。
坪井は一年の時に小倉を一目ぼれして以降、何らかのアプローチを考えてはいるのだが成功した試しがない。この一年間、まともに話も交わしていないのだから、成功も失敗もないのだが。
「あの子には、不思議と話せないなにか特別な力があるんだよ。〝恋はつらい。あまりに残酷だ、暴君だ。いばらのように人を刺す〟」
「まあ、確かに特別な力はあるけどな……」
クラスでやるロミオとジュリエットの台詞の真似をして、大袈裟に嘆く坪井の言葉を聞き流して、七海は坪井に聞こえないほどの声で呟いていた。
アルとシオンが護るジュエルを発動させる力。七海たちがいつも苦戦を強いられている〝使い魔〟を一瞬で大ダメージを負わせるほど強大な魔力を秘めた力。ジュエルをつくり出した魔導士の末裔であるジャム王女にもその原因はわからず、小倉はこの夏休み中も写真部の一員として重いカメラ機材を担ぎ、学校内を部長と共に肌が真っ黒になって駆けずり回っているはずだった。
※ ※ ※
「……でさ、どんな曲が良いと思う?」
「知らん。小倉さんとはそういう話をしたことないんだ」
「なんだよ、情けねえな。小倉さんと仲良いくせに、そんなことも知らないのかよ」
出来の悪い生徒から回答を聞いたかのように嘆息する坪井に、七海はムッとして鋭く睨んだが、坪井はまたしても気がつかないで、カエデちゃんに着ぐるみを似合うだろうなあと愚にもつかないことを呟いている。
他の生徒から材木が足りなくなったということで七海と坪井が受け取りにいくこととなり、小道具等の物品を管理している文化祭実行委員のいる教室に向かう時も坪井はまだ話を続けていた。
神林高校では生徒達の手間を省かせるために、文化祭等のイベントで使用される廃材や廃段ボール等は業者から大量に無償で譲り受け確保している。その窓口を実行委員会が行っていた。夏休み中だが、文化祭に追われるのは彼らも変わらず、他の生徒達と同じ様に役員も何人か登校しているはずだ。
実行委員が詰める部屋は旧校舎の一階、倉庫代わりに使われている教室にある。
〝文化祭実行委員管理室〟と手書きの紙が貼られたドアをノックすると、中から「どうぞ」と女の明るい声がした。
からりとドアを開けると、長身の植松桜が机を前にして窮屈そうに座っている。
「なんだ桜か。暇そうだな」
「なんだの上に、いきなり暇とはごあいさつだよね。アンタ」
「お前、副会長なのに、夏休みも出てきてんの?」
「生徒会は実行委員会をサポートする立場なんだから、出てくるの当たり前でしょ」
「悪かったよ。そう怒るなって」
「こんな一生懸命やってるのに……」
苛立たし気にブツブツ言いながら、最後に桜は植松家の令嬢という身分に相応しくなくよなな品悪い舌打ちをした。
桜の苛立ちは七海の軽口のせいだけではないだろう。〝文化祭実行委員管理室〟として使われている教室は場所が山側にあるせいか風通しがかなり悪い。窓も全開にしてあるのに室内は蒸すように暑かった。
桜の傍らでは小さな扇風機が申し訳なさそうに置かれてあるが、おそらく実行委員の誰かが訴えて設置してもらったのだろうと七海は推測した。
チラリと室内を一瞥すると、以前、この部屋に来た時には小道具類が雑然と置いてあったが、今は綺麗に片づけられ空いたスペースに、束に括られた段ボールや廃材が置かれてある。
「で、どうしたの二人とも。何か用?」
「ええと、材木、貰いに来たんだけど」
「じゃあ、この紙にクラスと受取人と必要な束の数書いてね」
そう言って桜は机の中からB5サイズの用紙を取り出し、記入欄を示して説明を始めた。
「ここ、こうだっけ?」
「そうじゃないわよ。こうよ」
説明する桜に、わからないふりをして七海は顔を近づける。
化粧をしているわけではないだろうに、桜から良い匂いが七海の鼻まで伝わってきて、七海は思わず息を呑んだ。聞こえただろうかとチラリと上目で見ると、桜は書類に目を落としたまま説明している。汗の匂いだろうかと想像すると胸の鼓動が速まって顔が熱くなるのを感じた。
書類を落として桜の伏せた目や艶のある頬。さらりと垂れた髪。
手を伸ばせばすぐそこにある。
しかし、目の前の桜には婚約者がいる。その事実は地の果てより宇宙の果てよりも遠い。
――坪井を笑えねえな。
未練がましいと自分が情けなく、七海は諦めろと何度も自分を言葉で殴りつけた。
「学校の道具を借りるわけじゃないのに、ずいぶんとメンドイ手続きするんだね」
周りに聞こえないよう嘆息する七海の横で坪井が面倒臭そうに言った。
「こんなの、勝手に持っていったらダメなん? 単なる形式でしょ?」
「形式でも、私としちゃこれくらいはやってほしいわね。あの材木や段ボール、切りそろえて束ねたの私たちだもん」
へえと眼を丸くする坪井に合わせて七海が顔をあげると、桜と部屋に山積みとなっている廃材を見比べた。去年、七海も桜の手伝いはしたことはあるが、それこそ形ばかりで廃材のことなど一言も言わなかったのだ。
「大変だったんだな、お前も」
「そうよ。呑気に見えてけっこう大変なんですよ。夏休み中も先生や地域の人とやりとえりして、写真部にも広報活動手伝ってもらったり……」
写真部と聞いて、ふと七海の頭のなかに小倉の顔が浮かんだ。
「そういやさ、小倉さんてどんな曲が好きか知ってる?」
「なんで?」
「ええとさ……」
坪井のことを口にするのは気が引けて、どう言い訳したものかと首を捻っていると「おっ」という坪井の声が七海の思考を遮った。
「ギターあるじゃん」
その声に反応して振り向くと、坪井が桜と七海に見せつけるようにして古いギターを構えている。おそらく劇で使用する小道具のひとつとして置かれていたのだろう。
「二人とも、一曲いいかなあ?」
「坪井君、ギター弾けるの」
「まあね」
得意気に坪井は鼻を鳴らした。
桜は意外というよりも、未確認生物でも見つけたかのような驚愕といった表情を浮かべている。坪井は「何もかもが軽い」という以外、特に特徴のない生徒だと周囲に思われているから桜の反応は当然と言えば当然と言えた。
じゃあ、なにか一曲と言う桜に坪井が頷くと、ひとつ大きな深呼吸をして表情を引き締めた。指先がボディの表板を小さく叩きリズムをとっている。いつもその身から醸し出す軽薄な雰囲気が一変し、緊張感のある張りつめた空気が室内に充満した。坪井もこんな表情をするのかと変に感心してクラスメイトを見つめていると、「いくよ」と低い声で坪井が言った。
何の曲を披露するつもりだろう。
固唾を呑んで見守る二人を前に、坪井は腕をあげた。
ポウエエン
室内に響き渡ったのは、ヘロヘロとボールを明後日の方向に投げ飛ばしたような間の抜けた音程。七海は腰砕けてずっこけそうになったし、桜は呆れた様子で肩を落としてうなだれていた。
「あれ? おかしいな。こんなはずじゃないんだけどな」
慌てて調律を始める坪井を余所に、桜は書類をそろえていたし、七海は材木の束を集めに向かっていた。
「ねえねえ、今度はちゃんとやるからさ。二人とも聞いてくれよ」
泣きそうに顔を歪めて訴える坪井に対し、桜と七海の反応は冷淡だった。
「暑いし、また今度ね」
「坪井、お前もさっさと仕事に戻れよ」




