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これからふたりは、ゴールデン・ラヴァーズ

 昼休み。

 いつものように俺は屋上で独り、ぽかぽか陽気の空の下にいた。

 すっかり夏模様となった青く澄んだ空の中に、大小様々の白い雲がぽっかりと浮かび、風に吹かれてゆったりと流れている。夏の風もさらさらと心地よく頬をなでて通り過ぎてゆく。俺の傍らでアルが横になって小さな寝息を立てている。

 俺はアルが手掛けていた魔法の鏡の前に座って、あぐらをかいていた。


『……それで私、あんまりにも我慢が出来なくなって、お城からこっそりと馬で抜け出したんですよ。その後をアルやシオンがはあはあ息を切らせながら走って追いかけて来て……』


 鏡には一人の少女が映し出されている。

 少女は白いベッドに腰掛けていた。

 きらびやかな西洋風の白いドレスに身を包み、瞳が大きく綺麗で星のように輝いている。青く長い髪もさらさらしていた。俺はその鏡の前に座り込み、少女からアルとも思い出話に耳を傾けていた。


「アルの講義て、ホントに退屈なんだな」


 あれには参りましたと溜息をつきながら少女は首を振った。


『王女たるものは気品を大事にしなければなりません。王女たるものは学を納め避ければなりません。王女たるものは、王女たるものは……。来る日も来る日もそればっかり。抗議の仕方も眠くなるほど単調ですし。七海も逃げたくなる私の気持ち、わかるでしょう?』


 確かにと、俺は心の底から同意した。

 ここに来ても変わりませんねと鏡に映った少女は小さな溜息をついて寝込んでいるアルを見ながら優しく苦笑いした。

 先ほどから俺が話している女の子は、モンブラウ公国のジャム王女である。

 当初、半年は掛かるというアルの予想だったが、思った以上に進行が早く、一昨日に完成したばかりだ。


『でも、いつか、わたしもそちらの世界に行ってみたいですね。色んな物があって楽しそう』

「今いる結界よりは賑やかだろうけど、良い人もいるけどくだらねえ奴もいて、そっちの国とあんま変わらねえと思うよ?アルはどちらかというとモンブラウに帰りたがっていたぜ」

『アルは、見た目よりも気持ちが老けていますから』


 この子、意外と酷いことを言うな。


「でも、こっちに来るにはその身体を捨てないといけないんだろ?」

『……そうなんですよねえ』


 少女は残念そうに呟くと、ふてくされたように足をばたばたと揺らした。

 これまで寂しい思いをしてきただろうに、彼女には長い幽閉生活の疲れを感じさせない明るさがある。


 早速、回線を開いてまず驚いたのが、ジャム王女の容姿だった。

 アルはジャム王女を聡明でおしとやかな方と言っていたし、その話し方から俺と同い年かそれ以上だろうと勝手に想像していたんだが、いざ画面を通してお会いしてみると、どうみても一〇歳前後の女の子にしか見えない。

 ただ、ジャム王女は幼いながらも凛と大人びていて、王者の風格を漂わせている。俺の汚い言葉に付き合って気さくに話してくれるものの、俺たちと違う人間なんだと思わざるを得ない。


『ところで、昨日も伺いましたが、そちらの世界にジュエルを操る力の持ち主がいるそうですね?』

「うん。王女さまにはどういうことか、心当たりあるかな」


 どうでしょうと王女は昨日、アルから説明を受けた時と同じく困惑の表情を浮かべた。


『あのジュエルは、私たちモンブラウの王家の血をひく者にしか扱えないものなのです。それがこの異世界にいるとは……』


 そのまま考え込むジャム王女だったが、魔法の鏡に設置してある小さなアラーム音にはっと顔をあげた。


『時間……ですか。申し訳ありません。貴重な時間を雑談に費やしてしまうなんて』


 ジャム王女が申し訳なさそうに頭を下げた。

 鏡は魔法エネルギーの蓄積が不十分で、王女と会話が出来るのは一日せいぜい10分くらいしか持たない。本来は放課後に相沢らと合流してジャム王女と連絡をつける予定だったのだが、この昼休み中に突如、王女から連絡をしてきたのだった。

 この5年近く、あんな小さな女の子が時の止まった部屋に独りで過ごしてきたのだ。誰かと話をしたいという気持ちはわかる。

「気にすんなよ。また明日会える。楽しみにして待ってな」

『……そうですね』

「うん、明日だ。明日」

『ええ、もう一人の〝守護者テイカー〟にもよろしくお伝えください』


 その言葉を最後にジャム王女の姿が消えると、元の鏡に戻って鏡を見つめる俺の凛々しい顔が映し出された。


「明日、か……」


 このまま何も無ければいいな、と思いながら俺は腕枕をして寝そべった。

 見上げる青い空を、綿でもちぎったように小さな雲の群れが漂ってゆく。


     ※   ※    ※


 使い魔との戦闘から二週間ほど経ち、夏休みを直前に迎えた学校内では、事件に関する噂でもちきりとなっていた。 俺が使った催眠の魔法は、当初、毒ガスかと大騒ぎとなったが、最終的に警察や消防では集団パニックの一種として片づけられ、怪我や後遺症も認められなかったことからそれ以上の捜査は進めらずに済んだ。

 井上は現在、何度目かの停学処分を受けて自宅で謹慎している。聞くところによると、今回がこれまでと異なり、反省を通り過ぎてか何かに怯え、部屋から滅多に出てこないという噂もあった。

 俺は杖の切っ先で井上のあごを持ち上げ、今までの罪をみとめることと、金輪際、俺達に近づかないことを誓わせたくらいしかしていないが、井上には俺の脅しがよほど堪えたらしい。

 教員に泣いて謝ったというが井上がこれから更正しようしまいと、俺にはどちらでもよく、期待もしていない。大事なのは井上に、『関わってきたことを後悔させること』と『今後、俺達に関わらせない』という点で、近づいてこなければ、そこから先は奴がどうなろうが知ったことじゃない。

 それにしても……。


 次に、井上の矢面に立ち、最も被害を受けた部長の顔が浮かんだ。

 部長は井上の次に話題となっていた。

 井上から最も暴行を受け、顔面も腫れあがり、前歯一本、アバラも三か所ほどヒビが入るほどの大けがを負ったらしいのだが、次の日にはコルセットを巻いて普通に登校してきて、周囲の生徒を驚かせた。そして放課後には自分で機材を担ぎ、手が使えて足が動けりゃ充分だろうと、いつものように運動場を駆けずり回るようにして写真を撮っていた。

 それだけでなく、あれだけの怪我を負わされたのは、井上に最後まで勇敢に立ち向かったからだという。貧相な見掛けの割に相当タフな人間だと、特に運動部からは畏敬の念で見られている。

 小倉を始めとした部員たちが、あの部長を尊敬しているのも分かる気がする。あのタフさ。人を引っ張る力。勇敢さ。そして事件を解決した判断力や行動力。

 もしかしたら、俺より守護者ガーディアン向きかもしれない。守護者ガーディアンはアルやシオンさんと契約さえすれば、基本的に誰にでもなれる。問題は生き続けられるかどうかだ。


 もし、俺に何か起きたら、次はあの人がいいかもな。

 そんな考えが俺の頭の中に過ったが、あまりにも軽率だと思いすぐに打ち消した。俺達四人はいつも死と生の狭間で揺れ動き、不安と恐怖を抱えながらも死線を乗り越えてきた。それが俺達の絆を強くしてきた。後継者なんて考える余裕などなく聞けば必ず憤慨するだろう。アルは須貝というパートナーを失っている。

 ふと、近くで大気が揺れた。

 乾いた靴音がこちらに近づいて来る。それが誰かは見なくても気配でなんとなくわかる。

 相沢の空間転移の魔法は、変身しなくても使用できるレベルになっていた。


「相沢。最近、ここによく来るな」


 別にいいでしょと相沢は小さい声で答えた。


「さっき、王女様から連絡きたよ」

「あれ? 放課後じゃなかったの?」

「うん……。多分、人と話すのが久しぶりだから、ちょっと我慢できなかったんじゃないかな」

「……そう」


 それだけで相沢は察したらしく、それ以上は何も尋ねないで俺の隣に座った。

「ここは静かで良いね。ウチの学校、こんな場所に入れないのよね」

「ここだって、本当は立ち入り禁止だよ」

「そうなの?鍵はどうしたのよ?」

「うん。ちょっと借りた」


 俺は言葉を濁し、相沢に覚られないように目を閉じた。


 本来ならこの屋上は立ち入り禁止で、一般生徒が入れる場所じゃない。

 ある日の放課後、校内清掃で屋上に通じる踊り場までやって来たのがきっかけだった。俺は扉に鍵が刺さったままなのに気付き、俺の足は職員室の前まで一旦は赴いた。普段の俺ならそのまま先生に報告し鍵を手渡すという行為が俺らしく、道徳的にも正しい選択だったのだろうが、その時の俺はその正しい行為を選択しなかった。

 俺は職員室の入り口で、回れ右をして鍵をそのまま持ち帰り、帰り道に鍵屋に寄って、合い鍵を作っておいてから、翌日の朝になって廊下の隅に落ちていたと職員室へ届けに行った。

 先生は鍵が無くなって慌てていたところだったというから、持ちかえったままだと、鍵ごと取り換えられるおそれもあったから、とりあえず正解だったわけだ。普段の俺だったらこんな不正行為をしようと思わなかったろうけど、そうさせたのは、この屋上の扉を開けた日も、今日みたいな見事な澄んだ青空が広がっていたからだ。

 視界を遮るものも無く、これまでに溜めこんでいた鬱屈した孤独や寂寥感も、一気に解放してくれたような気分になったものだ。


 以来、俺は昼休みの昼食を終えると、教室からそっと抜け出し、こうして屋上で寝そべっている。時間にしてみればせいぜい10分程度。それでも気分転換を行うには充分な時間だった。

 すっかりと短くなった相沢の柔らかな髪が、わずかな風に吹かれてさらりとなびいている。

 使い魔との戦闘で焼け焦げて痛んでしまった相沢の髪は、魔法でも元に戻すことができず、その日のうちにばっさりと切り捨ててしまっていた。眼鏡もやめ、首筋や耳が露わになるほど短く切られた相沢は、以前よりも中性的でなにか解放感がある。


「シオンさん、何も言わないの?」


 シオンさんもアルと同じく、仮眠中らしいので相沢に尋ねた。二人はこのところ情報集めや新しい魔法の開発などで忙しく昼夜が逆転した日々を過ごしている。そのため学校でも寝ていることが多く、使い魔でも現れない限りはそっと眠らせておくつもりだった。


「目立つことや悪用しなきゃ特に言わないわよ。そのくらいの信頼はあるし」


 空を見上げながら相沢が言った。


「目立つねえ……。先週みたいなことは止めてくれよ」

「ああ、あれはちょっと迂闊だったかもね。ごめんなさいね」


 大して悪びれた様子も無く、淡々とした口調で謝った。

 先週というのは、坪井が俺の家に遊びに来た時のことだ。学校から一緒に帰宅し、部屋の戸を開けると、そこには制服姿の相沢が太ももを露わにしたまま、だらしない格好をして漫画を読んでいる相沢の姿があった。

 棚にしまったはずの煎餅や、冷蔵庫のジュースを勝手に開けてゴミが辺りに散乱している。

 坪井はちょうど俺の真後ろで死角になっていたので、相沢には気がつかなかったのが幸いだったが、俺はゴキブリが出たと坪井を誤魔化し、ゴキブリて何よと口をとがらせる相沢を急いで帰らせた。

 先日の使い魔を倒して以来、家に帰ってみると、部屋に片付けたはずの漫画や小説が散乱していたり、勉強机に冷蔵庫から空になったコーラのペットボトルが置かれていたりという前兆は度々起こっていて、相沢の仕業だと思っていたのだが証拠も無かったし、本人がしらばっくれているのでこれまで糾弾出来ないでいたのだ。

 それにしても、相沢は基本的には真面目なタイプかと思っていたけども、髪を切ってから一緒に何かを捨ててきたのか、随分と厚かましくてだらしないところがあるなと最近では俺の中の相沢像を修正し始めている。


「……さっき、ここに来る途中で小倉さんに合ったよ」

「へえ?どう、様子は」


 事件後、小倉は殴られた怪我の影響や精神的なショックに加え、警察の事情聴取の関係もあって、しばらく学校を休んでいた。今日が事件以来、初めての登校となる。この戦いの行く末の鍵を握る人物なだけに、相沢も来る度に小倉の様子を俺に尋ねていたのだ。


「そこそこ、元気そうには見えたね」

「ふうん。プレゼント、喜んでくれた?」


 俺は一応ねと答えてから、言葉を続けた。

 小倉には回復祝いと称して、髪留めを一つ贈っている。坪井や植松と相談して購入した普通の髪留めだが、ひそかに俺と相沢で、魔法で念を込め、特別な髪留めに仕上げていた。小倉の身に事件事故が振りかかった場合に発動し、強力な結界を張ってその身を守る。無論、その結界は小倉の力をある程度封じるためのものでもある。


「でも、周囲を心配させないためにて感じかなあ。事件の話に触れると、急に口が重くなるし。それでも、ぽつぽつと話し始めたから、前向きにはなってきていると思う」

「よく出てくる気になったわね」

「部長のおかげだよ。電話で人手が足りない。早く出てこい。何やってんだ。て励まされたらしいよ」

「それ、励ましなの?」

「小倉さんにはそうなんだってさ」


 俺は上体を起こして相沢の顔を見た。

 本人も重傷を負い、他の部員と同じく心の傷を負っている。それでも普段と変わらない部長の姿に、自分も負けてられないと小倉は話した。

 ふうんと相沢は相槌を打って聞いていたが、それで?と言った。

「小倉さんは何か覚えていそうだった?」

「本人は夢を見たと思っているみたい」

 小倉は、事件の最中、急に猛烈な睡魔に襲われ、奇妙な夢を見たと語った。見知らぬ荒野が広がる世界で、刃物のような化け物と誰かが闘っていて、激しい光が目の前に溢れたかと思うと目が覚め、井上が教師に泣きついている光景があったという。


「実感もないみたいだから、夢と認識しているみたいだけど、断片的には覚えているみたい」

「……断片的ねえ。そういえば、前回も同じような状態だったんでしょ?」

「あの時は、本人は全く覚えていないみたいだったけど」

「もしかしての思いつきだけど、小倉さんも力が覚醒してきてんのかな?」


 どうだろうと俺は首を傾げたが、一方でありえない話じゃないという言葉が過った。 

 確かに前回に比べれば力が飛躍的に増大している。今回も曖昧だが記憶もある。この場合は、覚醒に近づいているという表現が妥当なのだろうか。ただ、当面の問題はそんな自分の力をコントロールできていない点だ。


「もしも、意識をしっかり保つことができれば、あの力も制御できるようになるのかしら?」

「そうだとしても、やっぱりそこまでのリスクがでかそうだよなあ」


 俺は頭を掻いた。

 今のところ、小倉の力は俺達にとってもろ刃の剣でしかない。不明な点が多い以上、彼女の力に頼るのはあまりに危険だろう。


「でもさ。それでもまだ色々とわからないところは多いけど……。ちょっとずつ前に進んでいるよね?少し前まで何もわからない状態だったのに。王女さまとだって話ができるようになった。これって大したことだよね」


 確かめるようにだが、どこか嬉しそうに語る相沢にそうだなと俺も同意した。

 王女の反応も今一つだったし、推測の域を出ない部分が多い。それでも希望があると感じられるものがあるというのは、暗中模索だった数カ月前までよりも大きな前進かもしれない。ほんのわずかだが達成感が得られたような感覚があった。

 相沢の声が若干、弾んで聞こえるのもそのせいだろう。俺は一年程度だが、一筋の光明と呼べるものが差すまでに、相沢は何年もの年月を費やしているのだから。

 さてと、と呟き相沢はうんと背伸びする仕草をした。そして一度は何かを言いかけて口をつぐむとためらいがちに話を切り出してきた。


「七海君、そっちの終業式て、ウチの高校と同じ日よね?」

「ああ」

「折角だしさ……。その日、どこか遊びに行かない?」


 珍しいこともあるもんだと思って、俺は相沢の顔をしげしげと見つめた。俺の視線に気がつくと、相沢はついと恥ずかしそうに顔を背ける。


「悪いけど、先約あるんだ」

「……」

「週末、新しい映画やるんだけど、坪井や桜と一緒に観に行く予定なんだ」


 その映画のジャンルは桜が苦手としている恋愛ものだったが、仮にも俳優を目指すのだから、勉強のつもりだと桜は言っていた。

 当初、誘われたのは俺一人だけだったのだが、以前二人で見に行った際、やたら桜の愚痴が耳障りだったので、今回は防音壁代わりに坪井も誘うことにした。告白前に振られた坪井には気の毒だが、チケット代を奢るので勘弁してもらおう。


「……前から思っていたけれど、坪井くんはともかくとして、植松さんて違うクラスなのに、話を聞いていると七海君とよく一緒にいるよね」

「そうかな?さっきも小倉さんに似た様なことを言われたけど。まあ、付き合いも長いしなあ」


 事件の話が終わり、話が映画の件になると、いつもの呑気な口調に戻った小倉が仲良いですねえと微笑んでいた顔を思い出す。


「桜て、今からは考えられないけどさ、身体も気も小さくて、悪ガキからよく苛められていたんだ。苛められていた子は他にもいたけど、あいつはよくいじめられてたなあ。そこからの仲だから」

「でも、それだけの関係?」

「……?」


 相沢の顔を見ると頬が少し赤くなっている。


「七海君て、植松さんのことをどう思っているの?」

「どうって?」


 質問の意図がつかめず、何と答えたものかと目線を宙に彷徨わせていると相沢がいきなり言った。


「植松さんのこと、好きなのかな? 」


 あまりに率直な質問に吃驚して、俺は思わず相沢の顔を二度見した。


「……なんでまた、そんな風に思うんだよ」

「植松さんの話を私にする時、いつも楽しそうに話すから。思い過ごしかな?」


 突拍子もない憶測に俺は笑いとばそうとしたが、なぜか頬が硬直して笑えなかった。

 僅かな息しか漏れない。相沢の視線がまっすぐに俺を捉えていた。睨んでいるわけでもなく、つぶらな瞳がじっと俺を見つめている。

 誤魔化しは許さない。相沢の瞳はそう語っているように思えた。俺は顔を正面に戻し、小さく息をついて考える準備を整えた。


「そうだなあ」


 俺の脳裏に桜の顔が過る。

 泣き虫だった頃の桜、中学に上がって再会した際に明るく笑っていた桜。旧校舎で助けてくれるかと尋ねてきた桜。不意に俺の心の底からある感情が溢れ出てきた。胸を焦がすような熱い感情を抑えることができず、俺は絞り出すようにして言葉にした。


「……好き、かもな」

「そう」


 相沢は小さく頷くとそのまま俯いた。


「好きだな。……うん。やっぱり、あいつのこと好きなんだよなあ」


 自分でも確かめるように呟くと、自分の中で桜への想いをますます強めていくかのように思えた。

 沈黙の空間に初夏の微かな風がふわりと舞って通り過ぎた。


「でも……。もう、遅いよな」

  もし、俺が〝守護者テイカー〟でなかったら、桜と今と違った関係を築いていけたかもしれないが、〝たら・れば〟の話をしても仕方がない。

 それに、あいつはあいつで複雑な家庭事情を抱えて片田舎の県立高校に通っているとはいっても、一応は天下の植松家のご令嬢だ。それに婚約者もいる。

 桜にはああ言ったものの、これから住む世界ももっと違ったものになる。

 それに複雑ではあっても平穏な日々を過ごし夢に向かって進んでいる桜と、死を前に右往左往して、醜くもがく自分と向き合わなければならない俺とでは、やはり微妙なズレや深い溝を感じることが度々起こる。

 桜がどんなに親しく大切な人間であっても、自分の心の奥底まで打ち明けられるかというと、それもまた少し違った存在になっていた。幾ら話したくても、やはり表層的な部分に限られる。使い魔という化物に立ち向かい、痛みや恐怖、弱さを互いに分かち合い、それを勇気や希望へと変え、乗り越える力を与えてくれるのは、アルでありシオンさんであり、そして目の前にいる相沢だけだった。

 桜は小倉と同様に、あくまでも平穏で陽のあたる日常の世界で生きていく人間だった。

 様々な災厄や使い魔の魔の手から守る大切な友人だ。


「もっと早く告白でも出来たら良かったのにね」

「そうだな」


 だが、一方でそれも無理だろうという俺の声がどこからか聞こえてきた。

 はっきりと認識したのは、相沢に言われてわかったからで、中学の頃は正体もわからず、桜と再会出来た嬉しさに満足していた。その頃の俺に同じこと聞かれたら戸惑うか怒るしかなかったろう。

 とっくに時間は過ぎてしまっていた。

 壊れたものはもとに戻らない。

 死んだ人間も生き返らない。

 時間も戻ることもない。

 傷ついた心もかさぶたが覆うだけで完全に癒えるとは言えない。


「今は、お前らがいるしな」


 横を向くと相沢は俯いたまま溜息をついた。顔を上げても、浮かない表情で遠くを眺めている。


「お前ら、か……」

「何を言ってんだよ。俺達は苦楽を分かち合う戦友だろ?戦友」

「戦友ねえ……」


 戦友と聞いて細い眉をひそめていた相沢の表情が暗くなり、ますます複雑なものに変化していった。


「戦友という言い方は、好きじゃないか?」


 不満だよと相沢は口をとがらせていた。


「恋人じゃダメなの?」

「え?」


 俺は相沢の言葉が理解できなくて思わず聞き返した。

 恋人?

 俺のことか?


「私さ、七海君のことが好きなんだけどな」

「冗談よせよ。なんだよ突然」


 笑ってはみせたものの、顔面が強張っていて自分の声が虚ろに響いた。


「突然じゃないと思うけどなあ。まだ一年くらいだけど色んな敵と闘って、お互い死にそうな目にあって、それでもなんとか生き残っていたじゃない。お互いを知りつくして使い魔にも簡単に勝てるようになってきてピッタリて感じで。もう戦友どころじゃないと思うけどなあ」


 膝を抱えたまま、身体を揺らして相沢が呟く。


「俺じゃなくてもいいだろ。なんで俺を……」


 いまさら何をと相沢が呆れたように言った。


「学校の友達や家族以上に、私のなかでけっこうな位置を占めているんですけど。黒澤七海て男の存在は」

「いつから俺のことを……?」


 そうねえと首をかしげた後で相沢が言った。


「はっきりと意識したしたのは、先生が……、小学校の時の先生が死んじゃった時」

「……」

「また一人大切な人がいなくなって、七海君もいなくなったらと考えていたら、頭のなかがぐちゃぐちゃになりそうで悲しくてどうしようもなくて、その時にああ、七海君のことが好きなんだあて気がついたの」

「……」

「みっちゃんが死んで、先生が死んで、これ以上失う気持ちなんて味わいたくない。だから私ね、あなたを守るために私は戦う」

「……」

「それまでに七海君が先に死ぬようなことがあったら、その時は私も生きていない。私も七海君と一緒に死ぬから」


 相沢の瞳は潤み、それでも強い光を放ちながら俺を凝視している。

 俺は瞳の眩しさと重さに耐えきれず、思わず視線を逸らしてしまった。


「死ぬだとか、幾らなんでも大袈裟すぎやしないか。これから先、俺なんかよりもっと良い奴がいるだろ。それに、お前が死んだら親御さんや友達だって悲しむぞ」

「そんなの関係ないよ」


 ぞっとするほどの冷たい声に視線を向けると、井戸の底のように虚ろな瞳が俺を見つめている。相沢が静かに口を開くと抑揚のない声が唇から洩れた。


「やっぱさ、ホントのとこまで共有できる人じゃないとダメなんじゃないの。ずうっと一緒にいられる人だとか苦難をわかちあえる人じゃないと。それは、七海君以外考えられないんだよね。私、上っ面な関係なんていらないよ」

「でも、今じゃなくたって」


 相沢には悪いが話の内容が俺には重すぎる。

 俺は精一杯の抵抗をするつもりで言った一言が、相沢の感情に火をつけたようだった。

 潤んだ瞳に宿る光が戻り急激に強さを増していく。

 頬が紅潮し、相沢のその目がまだ俺を捉えて離さない。

 真剣なんだとその目が語っていた。


「なら、いつ言うのよ? いつ死ぬかわからないのに。私は七海君が好き。でも七海君は植松さんが好きなんでしょ。それなら、私は告白するしかないじゃない。いつまでも大人しく我慢なんてできないよ」

「……」


 俺の誕生日にアルが〝あいつはいつも我慢している〟と言ったのを思い出した。

 アルは相沢の気持ちに勘付いていたのか。


「これが私の気持ち。あとはアナタよ」

「……」


 結果云々に関わらず、告白するなら男から。

 もし告白することがあったらと坪井に胸を張って答えたことがあるが、初めての愁嘆場でその理念は脆くも崩れ去っていた。俺はただもじもじと情けなくウジ虫のように身を悶えながら赤面して返答に窮すだけの高校2年生をすることしかできなかった。


「……ごめんな。今は答えが出せない」


 ようやく搾りだした回答がこんな逃げの言葉かと思うと情けなくて涙がでそうになる。

 でも、そんな返答に相沢は「良かったあ」と安堵するような声をあげた。


「さっき植松さんが好きなんて言ったばかりなのに、ここでオッケーなんかしてたら私、七海君をぶん殴ってたところだよ」

「お前な、いい加減からかうのも……」


 振り向くと、そこには優しく微笑む相沢の笑顔が俺の視界に広がっていた。そのまま視界一杯に広がり、甘い香りとともに柔らかな感触が俺の唇に伝わってきた。

 そして相沢はしなだれかかるように身を預けてきた。激しい感情が俺の心を揺らしたが、全身が硬直し俺は相沢の為すことに何も反応できなかった。衣服を通して伝わる相沢の身体の熱さや俺の身体をしきりに擦る手が何かを伝えようとしている。

 だが、俺は何も考えられず、じっとしているしか思いつかなかった。

 どれくらいそうしていたのだろう。

 相沢は身体をスッと離すと、じっと俺の顔を見つめた。


「私は七海君と特別な恋人になりたいから、結論が出るまで今は戦友くらいで我慢しておきます」

「……」


 優しい微笑をたたえたまま、相沢はそろそろ学校に戻るねと言って立ち上がった。


「あ、そうそう」

 何かを思い出した様子で相沢が振りかえった。


「何?」

「話変わるけど七海君さ、いい加減、私を名字で呼ぶのやめてくれない?私はずっと下の名前で呼んでいるのに」

「そんなの、今さらいいじゃねえか」


 言われてみれば、いつの頃からか相沢からは下の名前で呼ばれている。桜やアルなど周囲から名前で呼ばれる場合が多いせいか余り気にしてなかったな。


「何、名前くらいでためらってんのよ?私たち戦友なんでしょ?」

「その改まって、というのが恥ずかしいんだよ」


 俺が口をもごもごさせて頭を掻きむしる俺に相沢の視線が降り注いでいるのが痛いほど感じていた。

 その時だ。錐で突き刺すような強烈な殺気が俺たちに襲いかかった。


「使い魔か?」

「みたいだね」


 俺達は互いに魔眼を発現させ、気配が表れた北の方角を睨む。以前にも現れたことがある弥生町の付近だった。


『敵か?』


 気配を察して飛び起きたらしく、いつの間にかシオンさんが相沢の肩に止まっていた。一方、俺と相沢のやりとりを何も知らないアルも起きてこちらに近づいてくるが、寝起きのせいで若干、ふらふらしている。


『また、弥生町か』


 アルは、あそこは人口が多いから狙いやすいのかなと言いながら俺の肩の上に乗った。


「でも、今回は私もいるから、少しは早く終わるでしょ?」

「そうだな。あい……」


 言いかけて、ちらりと相沢の顔を見た。無表情のままじっと俺を見つめている。


「……そうだな。奈緒」


 奈緒はそこで表情を崩し、その下から満面の笑みを浮かべた。夏の太陽のように眩しくてこの空のように澄みきった笑顔だった。

 やっぱりこいつは、こういう顔が一番似合うんだな。一緒にいられればこの笑顔がずっと見られるんだろうか。


『二人とも。そろそろ準備をしようか』


 アルが横から口を挟むと、行きますかと奈緒が自分の頬を軽く両手で叩き、表情を引き締め直した。


「これからもよろしくね。七海君」


 と言って、奈緒は拳を突き出した。


「……ああ、よろしくな。奈緒」


 俺も拳を突き出し、奈緒の拳にこつんと合わせた。ほんの僅かな仕草だったが、パートナーの心強さが拳から伝わってくる。これから先、どんな困難があっても、乗り越えられそうな、そんな頼もしさだった。俺は目を閉じ、一つ深呼吸をした。静かに目を開くと、既に気持ちは使い魔へと切り替わっている。身の引き締まるような緊張感とどんな敵でも二人なら乗り越えられるという熱い高揚感が身体の中で混ざり合っている。


「私たちならやれるよ」


 俺は奈緒の声に頷き、空に向かって手を掲げた。

 雲雀のつがいが青空の中、飛んでいる姿が映った。

 彼らは互いに寄り添うようにさえずりながら、精一杯に空の彼方へ向かって、どこまでも、どこまでも羽ばたいていく。


 一陣の風が巻き起こり、闘いへと誘う銀色の光が、柔らかく俺達を包み込んだ。




                    終


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