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使い魔、現れる

 空間の歪みがおさまると、そこには蒼穹に澄んだ青空とごつごつとした荒れ果てた岩の大地が広がる世界が現れた。辺りには草一本すら生えず、乾燥した空気に満ちている。

 俺の結界が生み出した世界。

 使用した魔法使いの心象風景だと言われるが、これは俺の何を表しているのかわからない。それに精神状態によって変わるものであるというから、特に関心もなかった。


「な、何だここ?学校にいたはずじゃねえのかよ?」


 正気を取り戻した井上だったが、事態を把握することが出来ず、狼狽した様子で辺りをきょろきょろと見廻している。


「先輩。大人しくしといてくださいよ」


 俺は静かになった小倉を地面にそっと寝かして、薄い光が膜のように小倉を包んでいるが、さっきまでの強烈な力はもう感じない。

 穏やかな表情で寝息を立てている。とにかく無事な様子にほっとはしたものの、同時に後悔の念が胸に疼いた。


「これで二度目か……。結局、巻き込んじまったなあ……」

『仕方ない。どんなに頑張ってもうまくいかないことだってある。反対に頑張ってきたから、今まで何とか乗り越えてきたともいえる。どちらにしても俺達は神様じゃないんだ。〝必ずしも上手くいかない″という事実も、力を持つ者が知る真理のひとつなんだろう。それよりも今はやるべきことをしよう』

「……そうだな」


 俺は、手を掲げて小倉の周りにバリアの魔法をかけた。これで、ほとんどの攻撃は防げるはずだ。そしてバリアを掛け終えると、俺はアルとのやりとりを呆然と眺めている井上の元へと向かった。俺が近づくにつれ、怯えた表情に歪んでいくのがわかった。今にも逃げ出しそうな様子であったが、腰でも抜かしたのか、尻もちを着いた姿勢のまま動けないでいる。


「先輩」


 俺は井上の前でしゃがみ込み、親指で後方の小倉を指さした。


「あいつの、小倉さんの傍にいてもらえます?」

「……」

「俺は、これから戦わなきゃならない相手がいるんでね。あんたと違って、やたら強いから先輩まで守りきれないんすよ。これから小倉さんの周りにバリアを張りますんで、そこにいてもらえます?」

「相手? 相手て誰だよ」

「ほれ。あいつです」


 俺は顎で井上を促し、そちらに視線をむけさせた。

 青い空の彼方に黒い巨大な影が映り、その影は次第に染みのように広がっていく。

 世界の広さを自由に設定できるという、結界魔法の特性のひとつを活かし、時間稼ぎのために果てまで飛ばしたはずだが、やはり相手も甘くはない。

 金属を擦り合わせたような鳴き声と押しつぶされそうな圧迫感がここまで伝わってくる。

 傍らのアルが呻くように呟いた。


『速いな。今まで戦ったどの使い魔よりも、ずっと速い』

「な、なんだよ。あれ」

「あんたの持っていたナイフが化け物になったんですよ」


 井上は信じられないといった表情で、目を点にしながらこちらに向かってくる物体を凝視していた。まだ数十キロの距離があるはずだが、その輪郭はここからでもはっきりとわかる。

 鈍く光る切っ先はそのままに巨大化し、折り畳み式の柄の部分は数えきれないほど無数別れて触手のように変化していた。触手をうねらせて上空を飛んでくる姿は、イカを思い出させ、飛ぶというより泳ぐという表現の方が似合っているかもしれなかった。


「……あんな化け物に勝てるのかよ?」

「闘う前から、負けること考える馬鹿なんていませんよ。まあ、あんたが死ぬ分には構わないんですけどね」


 正直な気持ちとしては、死ぬことを望んでいる。

 俺は王家の杖を形成して手に取ると、使い魔を睨んだまま言った。こうして話している間にも、使い魔は俺の間合いへ急速に近づいている。


「ぼやぼやしていると、やられちゃいますよ」

 それでも後ろでまごついている井上を、アルが邪魔だと怒鳴りつけた。

『死にたくなかったら早く行け!』


 兎のぬいぐるみから発せられた厳つい声に圧せられ、井上は小さく悲鳴を上げて小倉の元へと走っていく。その後ろ姿を横目で素早く確認すると使い魔へと視線を戻した。


「優しいな。アルは」

『……七海が厳しいんだ』


 俺は自分が手を汚す分には抵抗があったが、井上を使い魔から守る気など毛頭なく、奴が戦闘で巻き込まれて死のうがどうでもいい。

 そんな俺の根に潜む酷薄さを見抜きつつも、冷たいとストレートに言わず厳しいと表現を変えてくれたアルの配慮に、少しだけ心が軽くなるのを感じた。


「相沢は間に合うかな」


 俺は青い空を見上げて言った。


『小倉か、もしくはジュエルの影響なのかな。かなり強力な結界が張られている。使い魔の疎漏な結界と違って、かなり強固だから魔眼で探知するのも容易では無いだろう。あいつの援護を当てにするな』

「状況は、必ずしも俺達に優位じゃないてことか」

『ああ。だが、ここはお前が作った結界だ。地の利もある。基本的に直接攻撃しか能が無い使い魔とはわけが違う。お前ならやれるさ』


 不思議というか、単純というべきなのか。こんな励ましでも、心強くてどこからか力が沸いてくるし、使い魔に対する恐怖心や強張った緊張感も薄れていくのを感じた。

 普段は口やかましい異世界人でも、こんな時には相沢と同等の頼もしさがある。

 深呼吸した後に短く息を吐き、杖を再び握り締めて身構えた。魔力で刃を形成し、全神経が杖の切っ先に集中していく。俺の気を察して警戒したのか、間合いぎりぎりで使い魔が止まり、こちらの様子を窺っている。

 先に仕掛けて来たのは使い魔だった。

 不意に無数の触手を振り上げたかと思うと、それこそイカが遊泳する姿のように触手をひとつ煽り、巨大な切っ先を俺達に向けて一直線に襲いかかってきた。

 耳障りな轟音と共に、重くのしかかってくる巨大な刃にも似た触手を、俺は寸前でかわして距離をとった。

 切っ先が大地に深く突き刺さり、ほぼ無防備かと思えたのだが、使い魔の触手が槍のように変化して伸びて頭上から次々と襲ってきた。杖で弾き飛ばしながら、何とか凌いだものの、防御に手一杯でそこから反撃することができなかった。

 使い魔はその触手を手足代わりに、地面から切っ先を抜き取ると、再び上空へ飛び上っていった。あの触手で空を飛んでいるとは思えず、自ら浮遊する能力があるらしい。触手は推進するために使われているのだろうか。

 二度目の攻撃も一度目と同様に鋭く重い攻撃だったが、今度は心に余裕があった。触手の攻撃も単調で、まっすぐにしか襲いかかって来ない。俺は攻撃をかわしながらも、使い魔の刀身に槍を突き刺したが、金属同士がぶつかる鈍い手応えしか返ってこなかった。

 竜の皮や鉄球を切り裂くほどの魔力を生み出す魔法の杖だが、この使い魔の強度は相当なものらしい。


「アル。刻印は見えたか?」

『いや、刀身部分には確認できないな。多分、もっと奥だな』


 わかったと俺は頷くと、〝守護者テイカー〟による直接攻撃は大して効果が無いと判断し、そこで槍を消した。

 次に仕掛けたのは俺の方だった。印を結んで地面に掌底を叩き込むと、岩の大地が〝牙〟と化して使い魔に襲いかかった。上空の使い魔はかわしきれず、自身の触手を派手に振り回し、応戦するのが精一杯のようだった。

 それはまるで、逃げ回るのが精一杯な素人の動きを連想させた。

 攻撃パターンは触手と切っ先による頭部の突撃しか無いようだ。パワーは流石に段違いで、正面からぶつかると危険でスピードもあるが、直線的な動きしかなく対応できないレベルでもない。

 超高速のエスカレーターでも乗るようにして、数多く繰り出される〝牙〟のひとつの上からその状況を観察していたが、やがてある程度の見極めがつくと、〝牙〟から〝牙〟へと飛び移り、駆け上がりながら使い魔の後を追った。

 使い魔は〝牙〟の対処に必死のようだった。


『使い魔の動きは意外に鈍い。七海、時間は掛かるがフルパワーの〝ラストライド〟で一気に片付けよう』

「全力だと、あの魔法の力をコントロールできるか自信ねえんだけど……」

『ここはお前の結界だから時間もスペースも充分にある。小倉からも距離があるから巻き添えにする心配もない。それになにより、今回は人質もいない。思いっきりやれる』

「……わかった。やってみる」


 俺は翼を広げて飛翔し、使い魔との距離に詰めようとした。

 使い魔は俺の姿を認めると、その大木のような巨大な触手を次々と繰り出してくる。

 触手はまともに当たれば絶命するほどの威力を持っていたが、魔眼で使い魔の身体を巡る魔力の動きを見れば、次の動きも予測しやすい。俺は木の葉のように錐揉みして巧みにかわしながら前進を続けた。


「……リーディ・アール・ゾ・ティグレシオ……」


 俺の横で魔導書を広げたアルが詠唱を始めている。

 フルパワーで〝ラストライド〟を放てるようにするための詠唱だ。

 俺は〝牙〟で使い魔をけん制しながら、使い魔の脇についた。丸い目玉が俺を睨みつけ触手を振り回そうとする。だが、俺はそれよりも先に〝牙〟を放ち、使い魔の巨体を弾き飛ばしていた。


「ギィィイィィイィ!」


 金切り声をあげて咆哮する使い魔を追撃し、更に俺は〝牙〟を放つ。使い魔はピンボールのように次々に弾き飛ばされ、使い魔は容易に反撃が出来ないでいる。触手で薙ぎ払ってはいたもののそれも間に合わず、次第に〝牙〟は檻のように使い魔の周囲を囲んでゆく。

 やがて〝牙〟にはさまれるような格好となり、使い魔の動きが完全に止まった。


「……ガーファイルド・ジーファンクル・アブラシエダ……」


 アルの詠唱は終盤に差し掛かっていた。

 金色の光が俺の身体を包み込み、身体の内側から膨大なエネルギーが湧きあがってくるのを感じていた。血液が沸騰するような、筋肉という筋肉が膨張するような力が俺の中に生まれている。

 俺は使い魔の真上に陣取り、地上を見下ろす。

 使い魔は触手も刀身部分も〝牙〟に挟まれ、ろくに身動きが出来ないでいた。


「これでケリをつけてやらあ……!」


 その時、傍らで詠唱を終えたアルが『今だ』と叫んだ。

 俺がアルの声に合わせて使い魔に向けて両手をかざすと、俺の背後に巨大な魔法陣が浮かび上がり、その魔法陣は金色の光を宿した。


「いくぞ! 〝ラストライド〟!」


 俺が呪文の名前を叫んだ直後に、魔法陣から灼熱の炎が放たれ、強大なエネルギー波が使い魔の身体を呑みこんでいった。熱波が大地をえぐり、硬い岩盤を溶解させ、全てを呑みこんでしまうほどの衝撃波が四散していった。

 アルの最大級の攻撃魔法〝ラストライド〟。

 モンブラウ公国の王家以外ではアルだけが扱える超高位魔法。

 溜めこんだ魔力を出しつくすとやがて光の柱は力を失ってか細くなり、キラキラと金の粉となって散っていた。そして光が完全に焼失すると、抉られた大地の底から黒焦げとなった使い魔が、身動き一つせず静かに横たわっている姿が現れた。

 やったなとアルが傍らで興奮した様子で喚いている。

 俺はどちらかというと信じられない思いの方が強く、しばらくの間、激しく喘ぎながら呆然と炭化した使い魔を見下ろしていた。


『苦戦する相手だと思ったが、大したもんだ。ホントに強くなったな、七海』 

「……サンキュ」


 俺はアルほど浮かれる気分にはなれず、単純な相手で助かったという安堵感が胸に広がっていた。緊張感が解けたからだろうか、どっと重い疲労感が身体に襲いかかってきた。

 高位魔法以上を扱う魔法使いなら、精神的鍛錬も充実しているので、これほどの疲労もしないという。だが、変身により肉体が変化しているとはいえ、実際に魔法を扱うのは俺自身の身体だ。しかもフルパワー。

 未熟といえばそれまでなんだが、俺の場合は超高位魔法一つ扱うにしても、精神的肉体的にも極度の疲労を伴う。

 ゆっくりと地上に降りると、急に立ちくらみを起し、膝の力が抜けて思わず地面に片膝をつく格好でうずくまった。その拍子に、大量の汗が額からぼたぼたと流れ落ちる。

『どこか怪我をしたのか? 七海』

 魔法でも掛けようかとのアルの提案に俺は首を振って断った。

 回復魔法で傷を治せても、疲労までは回復させることができない。

 俺は少し休めば回復できるからと手を振って断った。

 俺は何度も何度も深呼吸を繰り返し、胸の激しい鼓動が納まるのを確認すると、漸く立ち上がることが出来た。まだ身体が鉛のように重いが、もうへたりこむほどの疲れは感じない。

 俺は改めて、使い魔の骸を見上げた。

 黒こげになったその巨大な身体から、二本の触手を硬直させたまま空に向かって伸びている。その姿はまるで天を仰いでいるように見えた。だが、よく見るとその二本の触手が細かく痙攣し、小さな金属音に似た鳴き声がどこからか響いてくる。


『まだ、生きているのか?』


 アルは驚きよりも呆れたといった口調で使い魔の身体をあちこち調べ始めた。


『どうする。このまま放っておいても死にそうだが』

「相手は使い魔だしな。念のためにとどめを刺しておこうよ」


 魔法で再度ダメージを与えるという手もあったが、疲れもひどくて集中できそうもなかったし、結界を張り続ける間にも魔力をかなり消費していた。

 確実に仕留めるには刻印を見つけて削った方がいいという話になり、俺とアルは手分けをして刻印を探すことにした。かといって全長は新幹線くらいだし、高さはうちの校舎よりも大きい。幅が僅か数センチくらいの文字を探すのは容易では無かった。念のためと言ったものの、疲れもあって集中も切れ始め、俺はこのまま放っておこうかという考えも過った。しかし、使い魔の低い唸き声が耳に入ると、そんな情けない考えを打ち消した。相手はこれまで何度も苦渋を舐めさせられた使い魔だ。油断して良いことなんて何も無い。

 長い時間をかけて、漸く刻印を発見したのはアルだった。『あったぞ』とバタフライナイフでいうところの刀身のピン付近からアルの叫ぶ声が聞こえ、俺もそこへ向かおうとした時だった。

 俺は身体に違和感を覚え、思わず立ち止まって自分の身体を確認した。

 身体が羽毛のように軽い。疲れもいつの間にか消えている。いや、戦闘前よりも調子が良いのかもしれない。


「アル。魔法を何か使ったのか」

『何の話だ』


 アルが触手と触手の間からひょっこりと顔を出す。


『俺は何もしていないぞ』

「……?」


 何だろう。この頭をちくちくと刺す感じ。また胸にざわつきを感じる。俺はある不安に襲われる思いで周囲を見渡した。

 抉られた大地の他には、ほんの僅かな丘陵以外は何もない。ごつごつとした岩の大地が広がっているだけだ。

 その時、目の端に何かが映った。


「光の玉……?」


 小指の先ほどの小さな光の玉がゆらゆらと頼りなく地上から空へと舞い上がっていった。

 だが、それはひとつだけではなく次から次へと乾いた大地から光の玉が生まれ、空に昇っていき覆っていく。


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