プロローグ
文学とは何なのか。
それは文学の真核に関わる人間誰しもが、一度は考えたことのある問題であろう。
文学は美しく神秘的であり、また時にその優美な話説で私たちの心を惑わす。
そういう意味では、文学というものは艶美な女性のようなものなのかもしれない。
私たちは常日頃から”彼女”によって自らの思考を構成されている。そして、時には”彼女”の奥深さに魅了されてしまう。
そして、彼ら―― 私立東学園文学部に所属している、一癖も二癖もある部員たちもまた、”彼女”によって心を奪われてしまった者たちであった―――。
私立東学園は、この地域で一、二を争う歴史ある有名進学校だ。そこそこに権力と財産を持つ者たちの子息が集まり、そこそこに学力伸ばしに力を入れている。
理系進学者の多いこの高校には、当然ながら理系寄りの部活動が大半を占めていた。
文系の部活もあるにはあるが、どれもこれもぱっとしないものばかり。実績もほとんどないに等しい。
それは、二年前にできたばかりの新参部、文学部にも言えることであった。
東学園は本棟と別棟に分かれている。
本棟は校舎として普通に使われているが、学生寮を校舎用にリフォームした別棟は、生徒に「幽霊校舎」と揶揄されるほどに、校舎としての役割を果たしていない状態にある。
そして当然、そんな寂れた幽霊校舎へわざわざ訪れに来る物好きはいやしない。否、つい最近オカルト部が肝試しに乱入したことがある。が、あまりの不気味さに、一階を少々巡回しただけで怖気づいて逃げてしまった。その出来事は今や校内の笑いの種と化している。
そしてそれ以降、「別棟はオカルト部でさえも尻込みする」と生徒たちの間で皮肉交じりの噂がされ、物好きな来訪者たちもその噂に怯んだのか、この別棟の人気はさらに少なくなった。
・・・にも関わらず。
今、その幽霊校舎で、コツコツとローファーが地面に触れ合う音がしていた。
足音は二階から聞こえる。あのオカルト部でさえ一階を進むのに腰が引けたのに、足音の主はまるで幽霊なんて信じない、あるいは存在を認めていても怖がらないとでもいうように、迷いなく進んでいく。身軽な足音からして、音を鳴らしているのは女性であることがわかった。
彼女は同階にある社会科室の前で足を止める。そして息を深く吸って、教室のドアノブに手をかけた―――が、そのあとにあるべき物音はしなかった。
彼女はためらっていたようだった。もちろん、この不気味な校舎に対してではない。二階に上がって今更怖気付くとなれば、それはとんだ鈍感者だ。その鈍感さはきっと右に出るものがいないだろう。
しかし、彼女はそんなに鈍感ではなかった。彼女は単純に、ドアノブの奥にいる”なにか”と対面することに緊張してしようがなかったのだ。
彼女の名は山吹 泉。
ここ最近東学園に転入してきた女生徒である。
栗色の内巻き髪と、雪のように白い肌、加えて気を緩めたら思わず吸い寄せられそうになってしまう橙色の瞳は、彼女がいかに美形であるかを物語っていた。
所謂、薄幸美人であろうか。彼女はそんな雰囲気を漂わせている。
多くの人びとは、彼女の美しさと儚さに心を奪われてしまうが、色恋沙汰に疎い本人は自分の魅力に気づいていない。本気に異性から口説かれても冗談を言われていると認識する。全く罪な少女であった。
そんな美形少女が、わざわざこの幽霊校舎を訪れた理由は一つ。
勿論幽霊と戯れたいからではない。幽霊と仲良くする美少女、という設定に、なにか燃えたぎるものを感じる人も多いが、残念ながら泉はそんなファンタジックな人間ではなかった。
彼女は入部届けを出しに来たのである。変人揃いで名が高い文学部に――。