第96話 競売と国境
「マイナスってアリなのか?」
仕事の依頼で報酬がマイナスというのは、どうなのだろうか。
近くにいたギルド職員に、疑問をぶつけてみる。
「……制度としてはありませんが、既存の制度を運用すれば可能かと思います」
「既存の制度?」
「意味がないというだけで、『硬貨の納品』を依頼にするなという規則はありませんから。依頼内容に『〇〇テルの納品』と付け加えてしまえばいいんです」
……その手があったか。
違約金制度を使えば、未払いを封じることもできるだろう。
最早逆オークションというより、ただのオークションだが。
「マイナス2500テル!」
そんな話をする俺達を尻目に、依頼の価格は上がっていった。
安全なレベリングというのは、とても需要が高いらしい。
そして……
「マ、マイナス5000テル!」
価格がマイナス5000テルになったところで、ようやく入札が終わった。
しかし、これは数十枠ある募集の中で、たった一枠が決まったに過ぎない。
ある程度の相場観が形成されたので、これ以後のオークションは多少スムーズになるだろうが……最後まで見届けるには、このオークションはあまりにも長いな。
ここはギルドの方々に任せて、俺は休むとするか。
結果は明日の朝にでも聞こう。
翌朝。
俺がギルドの依頼を確認していくと、掲示板のうち一つに昨日のオークションの結果が掲載されていた。
平均価格、4700テル。
最低価格、3000テル。
最高価格、15000テル。
「大荒れじゃないか……」
最高価格がぶっ飛んでいる。
恐らくこれは、最後かその前の回あたりで、後がなくなった頃に決まったものだろう。
しかし数日分の依頼をまとめてオークションにかけたため多少日付のずれはあるが、基本的には同じ依頼。
こうも依頼価格に差が出てしまうのは、システム的にどうなのか。
いや。儲かるのはいいことだが。
『解体担当になった者はとどめの依頼を優先受注できる』などというシステムを作れば、人材不足の心配もほぼ不要だ。
オークションも初回だから値段が乱高下しただけで、回数を重ねれば安定してくるだろう。
となると、やることがないな。
肉の輸出も船の完成待ちだし、断熱材も細かい調査の段階に入り、俺の出る幕はない。
……依頼でも受けるか。
金の問題はないが、暇がつぶれないのだ。
今日張ってある依頼は、最高でBランク。
魔物の領域に入って魔物を乱獲し、フォトレンに近付こうとする魔物を減らせ、というものだ。
しかし、あまり面白そうな依頼ではないな。報酬からすると、緊急性も低そうだ。
保留。
「カエデさん、依頼を探しているんですか?」
面白そうな依頼を探すためCランクの場所に移動しようとしたところで、受付嬢に申し訳なさそうな顔せ声をかけられた。
名前は覚えていないが、見覚えのある受付嬢だ。
「ええ。何か面白そうな依頼はないかな、と」
「……面白いかは分かりませんが、大発生の予測が出たんです」
大発生?
それならば、いち早く俺に声を掛けても良いはず。
申し訳なさそうな顔をする必要も、特にはないだろう。
「何か特別な事情でも?」
数が多いとか、時間がないとかだろうか。
いや。そうだとしたら、もっと急ぐはず。
俺がギルドに入ってきた時点で、いや宿にいる時点で声をかけられていいはずである。
それ以外の事情……思い浮かばないな。
「予測の場所が、とっても遠いんですよ」
「遠い?」
「はい。とても遠いんです」
そりゃあ魔物だって、近くにばかり出現するわけじゃないだろう。
だからこそ、大発生討伐の条件として移動速度が求められたのだ。
何もおかしいことはない。
まさか、この星の裏側とか?
「ここからの距離と、残り日数は?」
「ええと、大体七百キロ。発生までは一週間ほどと見込まれていますが……実はその場所が、他国なんです」
外国か!
中々面白そうじゃないか。
「国の名前は?」
「ノイレル共和国です。向こうにも冒険者ギルドは存在しますが、あくまで別の組織でして……。大変な依頼になりそうです」
距離より、政治的な面で面倒ということのようだ。
しかし、そういう点も旅の楽しみというものだろう。
「よし。受けます」
もし何か大きな問題が起きれば、無理矢理逃げてくればいいのだ。
そういう意味では、国外の依頼も割と気楽に受けられる。
なにより、これ以上に面白そうな依頼はまず見つからないだろう。
「即決ですか!? ギルドとしてはありがたいですが、メイプル商会の都合とかは……」
「メルシアが何とかしてくれるはずです」
そもそもメイプル商会は、俺抜きでも成立することを目標にして作っているのだ。
経営はメルシアに丸投げだし、俺が直接関わっているのは新しい事業を始める時くらいだ。
俺がちょっと外国へ遊びに……もとい、仕事で出張したくらいで問題になるようでは困る。
「分かりました。では気が変わらないうちに、受注ということで! 場所のメモや紹介状などはこちらに用意してあります! ノイレルのギルドカードはベイシスと別なので、気をつけてください!」
言いながら受付嬢は素早く受注の手続きを行い、文字や地図の書かれた板の束を手渡してくる。
俺が受注を宣言する前から、準備が進められていたようだ。
もし俺が依頼を断ったら、どうするつもりだったのだろう。
まあいいか。
とりあえず、メルシア達にこのことを伝えてこよう。
「ちょっとノイレルに行ってくる」
商会に着くや否や、俺はメルシアにそう告げた。
「ノイレル……? ああ、ノイウェールですか。お魚が美味しい街ですよね。まさか他の国へなんて……」
「いや、ノイレルだ。そのまさかだ」
「……なぜ?」
「大発生が起こるのは、この国に限った話じゃないってことだ」
ノイレルに限らず、これからは他国を飛び回ることが増えるかもしれない。
言語で悩む必要がなくて助かった。
「では、商会は……」
「……俺がいないと回せないか?」
答えを予想しつつ、一応聞いておく。
質問と言うよりは、確認だ。
「いえ、大丈夫です! やりきってみせます! ……ちなみに、期間はどのくらいですか?」
「短くて一週間ってとこだな。もっと長く滞在するかもしれない」
主に、気が向いたとかの理由で。
いつも通りアンカーは持っていくので、何かあれば戻ってこれるわけだし。
「普通、一週間で往復できる距離じゃないんですが……分かりました! 商会のことはお任せください!」
これで俺が出かけたことは、メルシアが周囲に伝えてくれるだろう。
別に引っ越す訳ではないし、あちこちに挨拶することもないはずだ。
荷物はまとめてアイテムボックスだから、準備も必要ないし……
よし。出発するか。
俺は門から街を出ると、渡された板の束から地図になっている物を取り出す。
ノイレルとの国境は、フォトレンからエレーラを超えて、ずっと内陸に入った場所のようだ。
目印となる街道を見失わないようにしながら、俺は速度を上げる。
国をまたぐだけあって、流石に遠いな。
音速を超えないように注意しているので飛行自体は単調だが、景色を眺めながら飛ぶのもなかなか楽しい。
飛行機とは違い、視界を遮るものがないのも大きいのだろう。
「……そろそろか」
国境から一つ手前の街を発見した俺は一気に速度と高度を落とす。
経路的にはこのまま真っ直ぐでいいのだが、まさから国境を空から突っ切る訳にもいかない。
向こうのギルドカードを手に入れる必要があるし、入国の手続きも必要だ。
通貨が違えば、両替だって必要だろう。
低空をゆっくりと国境の町『カザニーク』まで飛んだ俺は、門番にギルドカードを提示した。
「ようこそ、カザニークへ!」