第95話 依頼と輸送
緊迫した雰囲気の中、職員用区画から一人の男が出てきた。
明らかに普通のギルド職員ではない。恐らく二メートル近い身長と、服の上からでも分かる圧倒的な筋肉量。
デシバトレ帰りの冒険者といわれた方が、まだしっくり来る。
その男の歩みに合わせ、依頼板付近に密集していた冒険者達が、数歩後ずさった。
男はできたスペースをゆっくりと歩き、Dランク(偶然にも、俺の出した依頼と同じランクだ)の板が掛けられている場所で立ち止まる。
静まりかえった空気の中、男が懐から依頼板を取り出す。
それがフックにかけられるや否や、ギルドに喧噪が帰ってきた。
しかも、普段の数十倍の大きさで。
「取ったああああああああああ!」
「押すなよ! 痛え!」
「よこせ!」
俺が依頼の内容を確認するまもなく、かけられた依頼板に冒険者達が殺到する。
依頼板の枚数は多くないらしく、フックからはあっという間に依頼板が消え、すでに確保した冒険者から力ずくで依頼板を奪おうとする者まで出始めた。
ギルド内は混迷を極めている。
しかし大混乱の中、一人、また一人と、依頼板を手にして人混みを抜け出す者が現れ出した。
その者達はそのまま一直線にギルド内を走り抜け、受付嬢のいるカウンターに依頼板をたたき付ける。
「これ、受けます!」
「俺もこれを!」
流石にこの段階になっては冒険者達も手は出せないのか、依頼板を奪おうとする者もいないらしい。
依頼を取り損ねた冒険者たちが、意気消沈した顔で他の依頼を選び始める。
全員がDランク以上ということもあって、軽いけがをした人はいても、大けがをした者はいないようだ。
ギルドカードに犯罪者認定された者もいない。情報操作解析の盗賊探知には、誰一人として引っかからなかった。
今なら、依頼板を持ってきた職員がむやみに屈強だった理由も分かる。もしあれが一般の受付嬢だったら、巻き込まれて大けがをしてもおかしくない。
ギルドは恐らく、この惨状を予想していたのだ。
そしてこの状況を見せるため、受付嬢は俺をギルドに連れてきた。
となると……もしやこの騒動は、俺の出した依頼か?
しかし、俺の出した報酬はそこまで破格だっただろうか?
そもそも、依頼の数が違う。
受注に成功した者は、十人もいなかったはず。
それに対し俺の出した依頼は二十四人分。報酬は全て同じ額、二千テルだ。
いくら安全な依頼とは言っても、Dランク以上の冒険者にとってこの給料は決して高いものではない……はずだ。
報酬は、ギルドと相談して決めたのだから。
「どういうことだ? 報酬が高すぎたのか?」
俺をここまで連れてきた受付嬢に、この理由を聞いてみる。
「報酬の問題ではなく、依頼内容の問題かと……」
「依頼内容?」
「昨日この依頼を受けた方々が、揃って大幅なレベルアップを果たしている、という話が広まりまして。気付くとあんな状況に……」
レベルアップ……
そういえば、レベルなんてものもあったな。
ドラゴン討伐以降はレベルアップ音を聞くこともなくなって、気にしたこともなかった。
ちょっと気になって、久しぶりに自分のステータスを確認してみる。
……レベルは、2600を突破していた。
なるほど。道理で上がらない訳だ。レベル2600台の必要経験値など想像もつかない。
きっとドラゴンをもう一匹討伐か亜龍を乱獲でもしない限り、レベルが上がることもないだろう。
「それで、ギルドが困ると。……でも、どういう対策を取ればいいんだ?」
依頼を出さない、というのはないだろう。
別の場所で募集したところで、騒動が移動するだけだ。
「実は、依頼に受注希望が殺到した場合の対策というのも、あるにはあるんです」
「対策?」
「ずっと使われておらず、ギルドでもほとんど忘れられていたシステムなのですが……逆オークションのようなものです」
逆オークション……
どれだけ安値で請け負うかを競う形か。
しかし使われていなかったシステムなど、簡単に復活させられるのだろうか。
「それって、すぐに実行できるんですか?」
「すぐに……とはいきませんが、今日の夜には可能かと思います。場所だけ用意できれば、準備自体はそう難しいものでもありませんので」
問題なさそうだ。
しかし、これに俺の出番はあるのか?
ギルドだけで全て済みそうなものだが。
「それで、俺は何をすれば?」
「依頼の変更です。つまり、逆オークションに関する承諾ですね」
「ああ、それくらいなら問題ありません」
提示された書類の内容を確認し、一番下にサインをする。
後は全て、ギルドがなんとかしてくれるらしい。
まあ気にはなるので、夜には会場を見に行く予定だが。
ギルドを出た俺は、断熱材の実験を見に行くことにした。
扉を開けて部屋に入ると、そこにはすでにカトリーヌがいた。
メルシアは今のところ見当たらないが、俺を見た職員が呼びに行ったようだ。そのうち到着するだろう。
「様子はどうだ?」
「まだ凍っています。これは凄いですね……」
カトリーヌが断熱材付きの箱に入った肉をつつきながらつぶやく。
断熱材が入っていないほうの肉は、すでに完全に溶けてしまったようだ。
この程度の時間なら腐ったりはしないだろうが、長期間の保存はできないだろう。
「予想以上の効果だな」
冷たさが違う、程度のことを想像していたのだが、断熱材なしでは二時間ともたない魔石が、一晩もったようだ。
グリーンウルフの毛は、思ったより断熱性が高いらしい。
「ええ。ただ、これでもまだ魔道具は沢山必要なようです。魔道具の魔力がほとんど尽きていますから」
「まあ、今はこのサイズだからな。船ごと……」
「お待たせしました!」
話している間に、メルシアが到着したようだ。
ずいぶん早い気がするが、恐らくもともと近くにいたのだろう。
「メルシア、結果は確認したか?」
「ええ。恐らく魔石1個で一晩、一日あたり魔石三つといったところでしょうか。……ただ、これでもまだ必要な魔石の量が多いと思います。再利用可能な魔道具にしろ、いくらでも持つ訳ではありませんから」
「船を大きくすれば解決だな。輸出用の船は、別に一日分ずつ荷物を運ぶ訳じゃないだろ?」
小さい船でちまちま運ぶような距離ではない。毎日往復したりはしないだろう。
大きい船を使って、一気に運ぶはずだ。
「それはもちろん。恐らく、150トンほどはまとめて運ぶことになると思います」
「となると、実験の100倍ってとこか。……荷物を百倍にすると、魔石は何倍必要だと思う?」
「ええと、船が大きい方が高効率とのことでしたので……50倍ほどでしょうか?」
「いや。実はその半分もいらないんだ」
縮尺を二倍にしたとき、容積は8倍まで増えるが、表面積は4倍にしかならない。
積載量は容積に、入ってくる熱は表面積に比例するので、容積を8倍にするだけで、効率は2倍になるわけだ。
百倍だと、パッと暗算するのは難しいが……8倍の8倍よりは大きいので、効率が4倍以上になることはすぐに分かる。
「……となると1週間の輸送で、箱1個あたり魔石5個程度? そんなに減るんですか?」
「減るはずだ。それに今回の断熱材は、実験用の雑な作りだからな。もっと厚みをとって、しっかりと毛を詰め込めば、効率は跳ね上がるはずだ」
「一箱に五個でも、十分実用的です。更に減るとなると……他の国にだって輸送できてしまうかもしれません」
……肉の輸送一つで、物流革命が起きてないか?
まあ他の国への輸送は色々と問題が起きそうなので、実際にはやらないだろうが。
ともあれ、それは理論上の話だ。実現できなければ意味はない。
「とりあえず、実験用に船を発注しといてくれ。もし使えなくても、改良なり他の用途に回すなり、使い道はあるだろう。それと断熱性の高い繊維探しも頼む。毛の細い奴がいいかもしれないな」
毛が細いと、間に入る空気が移動しにくくなるのだ。
いくら空気が熱を通しにくくても、空気ごと移動されては意味がないからな。
それを邪魔するのが、繊維の役目だ。
「分かりました!」
断熱材についても俺の役目を終え、適当に狩りや魔石の属性付与をして暇を潰しているうち、夜が来た。
ギルドにはとどめ依頼の逆オークションに関する告知が張り出されている。
オークション開始報酬は2000テル。依頼が殺到した時と同じ価格だ。
俺が会場に到着した時、ちょうどオークションは開始したところだった。
「2000テル!」
「1600テル!」
「1000テル!」
レベルが上がるだけあって、どんどん値段は下がっていく。
そして、ついにその時はきた。
「0テル!」
「……マイナス100テル!」
マイナス……?




