第94話 タワーと断熱材
「百回目いくぞー!」
かけ声と共におよそ二十メートルの高さから落とされた金属製の檻が、地面に当たって大きな音を立てる。
俺がちょっとした用事でフォトレンを離れている間に、トラップタ……いや、魔物素材量産工場第一号が完成したのだ。
そのテストが行われるということで、俺とメルシアは様子を見に来ていた。
「檻に歪みは?」
「……寸法に変化なし、問題ありません!」
「実験は成功です!」
まずは檻の強度や基本的な構造をチェックするため、檻に魔物を入れずに実験したのだが、これは上手くいったようだ。
「いよいよ、魔物を使った実験か」
「こちらは少し心配ですね。色々と追加しましたから……」
メルシアの言う通り、この施設を小型のアイテムボックスで運用するにあたって、この魔物素材量産工場第一号(面倒なので、タワーと呼ぶことにしよう)には、かなりの数の変更が施されていた。
変更の中で最も大きいのは、檻を自動で持ち上げる仕組みだろう。
長期間の酷使に耐えるために100%メタルリザードメタルで作られた檻は、とても職員に持ち上げられるような物ではなかったのだ。
かといって、こんな物を収納できる容量を持ったアイテムボックス持ちなど、確保できはずもない。
その問題を克服するためにタワーは川沿いに建設され、水車の力で檻を持ち上げることになったのだ。
「カエデさん、魔石を」
「よし。これを使ってくれ」
『俺なしでも設備を動かせるか』の実験でもあるので、本来俺はノータッチのはずなのだが……アイテムボックス持ちがフォトレンに到着するのは明日なのだ。
なので、今日の実験では俺が魔石の保管を担当することになった。
「一個目セットだ、急げ!」
「分かってる!」
俺から魔石を受け取った職員は、大急ぎで魔石を滑車に乗せ、縄を引っ張って魔石を上に上げる。
出力の関係で檻が上がるのにはやや時間がかかり、それに乗せていると魔石が古くなってしまうのだ。
そのため魔石三つに対し、檻は九つも使われている。
この構造に関しては、技術者達がかなり苦労したようなのだが……俺は詳しく知らないので、解説しようがない。とりあえず報酬は多めに出しておいたが。
様子を見ているうちに魔石からは魔物が召喚(正確には蘇生だが)され、直後に檻が落とされて轟音を立てる。
「殺せー!」
その檻に向かって槍を突き込んだのは、ギルドで雇ってきたEランクの冒険者二人組だ。
コスト的にはもっと高ランクを雇ってもいいのだが、弱くてもとどめが刺せる、と言うことを確かめるため、この程度のランクにしておいた。
檻は上手く機能しているようで、とどめはスムーズに刺せたようだ。
冒険者達は死体の腹から魔石を取り出して滑車担当に手渡し、それから残った死体を解体担当の元に送る。これで魔石が一周回ったわけだ。
とどめを刺した冒険者達が持ち上げ装置に向かって檻を運び始めると、安全確認の後にタワーから次の檻が落とされ、他の二人組がそれにとどめを刺す。
とどめ担当は2人組×3ペアの6人+予備2人で、合計8人だ。
「ずいぶん大がかりになったものですね……」
様子を見ていたメルシアが呟く。
解体担当はとどめ担当に比べて倍の人数がおり、設備を稼働させるスタッフは更に多い。
結果としてタワーの稼働時には、およそ五十人ほどがここで働くことになっていた。輸送に同等の人数が用意されるので、それを含めると100人。
「メタルリザードメタルの消費量を考えたら、このくらいの規模はあってほしい……あれ? 流石にペースが速すぎないか?」
様子を見る限り、体重およそ60キロのウルフが、およそ30秒に1匹解体されている。
1時間に120匹、8時間で960匹。食用にする部位が3割しかないとしても、1日に19トンもの肉と、960枚の毛皮を生産できることになる。
これを一つ建てるだけで、フォトレンの食糧問題が一発で解決してしまう……とまではいかないが、肉の需要はほぼ満たして余りあるだろう。
毛皮が余るのはまだいいとして、肉は腐るぞ?
調整はメルシアに任せていたのだが、流石に心配になってきた。
「当面の在庫はカエデさんに保管していただくとして、将来的にはフォトレン外へ輸出する前提ですよ?」
なんてこった。俺が知らない間に、そこまで話が進んでいたとは。
「どうやって輸出するんだ?」
「それについては、商会のほうで相談したのですが……」
ああ、しっかりともう対策まで決めてあるのか。
「輸送設備程度、帰ってきたカエデさんが何とかしてくれる、という結論に至りました。……ダメならダメで、設備の稼働時間を
減らせば大丈夫です。投資の回収は少し遅くなりますが」
おい。ノープランかよ。
確かにこの程度の問題なら今までも何とかしてきたが、食料の遠距離輸送は少し方向性が違うぞ。
缶詰や瓶詰めはこの世界じゃ厳しいし、干し肉の消費量もそこまでは多くないだろう。
他に大量輸送を可能にする方法と言えば……
「冷凍船とか?」
「やはり、アイデアがあるんですね!」
冷凍庫の効率は、冷凍庫が大きければ大きいほど上がる。
アーティファクトの出力や効果時間を考えれば、大型の船を丸ごと冷凍庫にすれば、大量の肉を腐らせずに運べるはずである。
「あるにはあるが、カトリーヌの領域だ。フォトレンに戻ろう」
実験は順調であるし、緊急用にはデシバトレ帰りのBランク冒険者が雇われている。俺達が見ている必要もない。
「そうですね。……ガデーさん、私達は街へ戻るので、船を出してください」
「了解!」
タワーはフォトレン付近を流れる川(フォトレン川と呼ばれている。安直な名前だ)の、フォトレンから見て上流にあるため、フォトレンとの行き来は船を使って行われる。
魔物の領域を渡れるような大型船で川に乗り込むわけにも行かないので、使うのは普通の木造船だ。
やや小さい船なので揺れるかとも思ったが、船頭の腕は確かなようで、それほど酷い揺れはなかった。
「カトリーヌ。輸送について、アイデアが出ましたよ!」
「やっぱりですか!」
カトリーヌは輸送のことで俺がアイデアを出すのを予想していたようで、すでに実験の準備を終えてスタンバイしていた。
いや、メルシアが予想して、待機させていたのかもしれない。
「とりあえず用意するのは冷却のアーティファクトだ。持続時間の長いものがほしい」
「冷却ですね! 用意しておきました!」
肉の輸送といえば冷却だということは考えていたらしく、カトリーヌは冷却のアーティファクトを山と用意していた。
「スペックはどんな感じだ?」
「持続時間は1個で2時間ですが……大量の肉を冷やし続けるには、出力が足りませんでした。肉の50キロ入る木箱に入れたくらいなら、力不足にはなりませんでしたが……」
すでに試していたのか。
肉50キロごとに2時間で1個魔道具を消費していては、まともに運搬はできないな。
魔石だって重さ一キロはあるし、運搬に四日かければ荷物と魔石が同じ重さになってしまう。
魔力チャージの手間も考えると、全くお話にならない。
「必要なのは、断熱性だ」
「だんねつせい……ですか?」
カトリーヌが問い返す。この世界では余り知られていない単語らしいな。
「熱が伝わりにくいもので外と中を仕切るんだ。……たとえば、服を沢山着ていると暖かいだろ?」
「はい。特に毛皮などは、とても暖かいですね」
「あれは毛皮なんかが熱の移動を邪魔して、体温を閉じ込めているからなんだ。……冷たいものにも、同じことが言える」
正確にはその毛皮が含む空気なのだが、そこまで説明する必要はないだろう。
「では、肉に服を着せるんですか?」
……その発想はなかった。
それでどうやって冷やすんだ。
「いや、容器ごと断熱したほうがいいな。表め……いや、基本的に断熱ってのは、大きいほうが効率がいいんだ。だから、船を一隻丸ごと断熱構造にして、運搬に使おう」
体積に対する表面積がどうのとかは、魔道具職人に話すことじゃないだろう。
こっちは構造を伝えておけば、メルシアが船を発注してくれるはずだ。
「船の方は完成してから実験するとして……地上にも冷凍庫がほしいな。生のまま積むのはよくない」
「それも『だんねつせい』を使うんですか?」
「とりあえず魔物の毛を詰めておくだけでも、大分違うはずだ。例えば……っと」
いつ入れたのか覚えていないが、アイテムボックスにちょうどいい鉄塊がいくつか入っていたので、それを魔法でプレスして箱のような物を作る。
肉が1.5トンほど入りそうなものと、それよりやや大きい物だ。
まず大きいほうを地面に置き、魔物(主にグリーンウルフ)の毛を敷き詰める。
そこに小さい方を入れ、間にも毛を詰め込めば完成である。
かなりの急ごしらえで、加工もきわめて雑だが、実験には十分だろう。
「これで実験してみてくれ」
「分かりました。……でも結果が出るまでに、時間がかかりそうですね」
「あー……同じサイズの箱をもう1個作って、そっちは断熱材なしで同じような魔石を入れて実験すればいい。比べれば性能の違いが分かるだろ?」
そう言いながら俺は鉄塊を追加で取り出し、似たようなサイズの箱をもう一つ作る。
よく調べると寸法が違うかもしれないが……まあ大した影響はないだろう。
「鉄って、そんな簡単に成型できるものでしたっけ……?」
「プレス加工って偉大だよな」
複雑な形を作ろうとすると壊れてしまうが、板くらいなら簡単に作ることができる。
それを曲げれば箱ができてしまうのだから、便利になったものである。
「加工技術の問題では無いと思うのですが……」
そんなこんなで実験の結果は翌日に持ちこし、俺は宿に戻って眠りについたわけだが……
翌朝、俺が起きた直後に、宿のドアが叩かれた。
珍しいことだ。断熱材の実験で、何か起きたのだろうか。
「カエデさん、助けてくださいぃ……」
そう思いながら俺は来客を出迎えたのだが、驚いたことにその訪問者はメルシアでも、メイプル商会の人間でもなかった。
見覚えのあるギルド受付嬢が、涙目で助けを求めていた。
「魔物の群れでも出たんですか?」
「違います。依頼のことなんです……」
よく分からないまま受付嬢に連れられ、俺はギルドに入る。
その瞬間、ギルドの雰囲気のおかしさを感じた。
ギルド内に、冒険者が密集している。
更にそのあたりには、緊迫感と戦意のようなものが満ちていた。
これだけなら分からなくもない。強敵が現れたなどの事情があれば、あり得なくもないだろう。だが致命的におかしい点は、他にあった。
その緊迫感や戦意――いや、最早敵意といっていいかもしれない――はギルドの外ではなく、内側に向けられているのだ。
まるで『自分以外は全て敵だ』とでも言うように。