ep.4 『神殿の赤子』
「おとこのこだねぇ、あ、そうだ、あたし布持ってるよ」
フュオラッテが持っていた青い布を腰袋から出し、ミッツィール隊長に手渡した。
艶かしい太ももの奥にある観音様を覆う布が、短めのスパイトローブの裾から一瞬見えた。
それを、ミッツィール隊長は、見逃さなかった。
「白です」「――あ? 青だろう? 何言ってるんだ隊長」「いいえ、何でもありません。…痛っ」
ミッツィール隊長は鼻を大きくヒクつかせて居るとこをヒュオラッテに頭を小突かれた。
「生きてるか?」「ええ、ぐっすりと眠っているみたいです」
ケールが、赤子に手際良く布を巻きつけているミッツィール隊長に問うと、
「そろそろ、赤子を抱く練習をしてもいいんじゃないですか?」
と言いながら、布を巻き終えた赤子を我が子のように、そっと差し出した。
「ば、ばかをいうな! 赤子などまだ…」
ケールは慌てふためきながらそっぽを向いた。
欲しいと頭では考えていたが、まだ、レピンとの間には子供の予兆は無く、あまりそういった事も出来ないで居た。
「ボクにも見せてよ~ケール」ぴょんぴょんユーダが飛び跳ねていた。
「ほらよ、見るだけだぞ、お前落としそうだからな」ミッツィール隊長は、しゃがみ込みながら赤子を両手で抱えてユーダに見せた。
「ボクが見つけたんだよ~っ! もうっ、子供扱いしないでっ! わ~かわいいぃね~」
赤子の頬を人差し指で突きながら笑顔で見つめている一人っ子のユーダは、ちょうど弟が欲しいと思っていた時期だった。
キュタールは「ふんっ」と興味無さそうに下に居るマリッチに目を移した。
「ララーッ 勝利の舞いぃぃ」
……まだ、廻っていた。
「―――隊長、パンツを脱げ」唐突にケールがミッツィール隊長に激しい口調で言った。
「え、あ、はい。えっここ…で、ですか?」
ケールの言う事には絶対服従のミッツィール隊長もこの時ばかりは、戸惑いを隠しきれない様子だった。
急に女々しく内股になりもじもじ腰を動かし、目を伏せていた。
「ばか、勘違いするな、お前のゲートルに赤子を入れて肩に巻いて運ぶんだ」
「あ、なるほど。でも、く、臭いかも、、、知れないですけど、いいですか?」
微かな恥じらいを残しつつ、頬を赤らめ、諦めの顔で隊長はケールに聞いた。
「あーなんでもいい、他の者じゃサイズが合わないからな」
「マリッチは…」
最後の抵抗を試みるミッツィール隊長だったが。
「あいつはふんどしだ。」
そうだった、マリッチは人より多く世界樹の腰蓑を付けていた。
その下にはいつもすね毛の生えた足を出しているのを思い出したミッツィール隊長だった。
「……ああ、ですね。」
「ララー えーっくしっ ん?」
「早く脱ぎなさいよっ! 誰も隊長の下半身なんか見ても興奮なんてしないんだからっ!」
目を丸々開けて、鼻息を荒くして肩で息をしながらヒュオラッテが言った。
見たいのがバレバレだった。
「…分かりました」
観念した様子で恥ずかしげに麻製の下半身防具を脱ぎケールに手渡した。
ケールは片方の裾に赤子をそっと入れ込むと、優しく起用に包み込み肩口に背負って立ち上がった。
「一応、連れて帰ろう。長老に報告もしなくてはならぬからな。」
ケールがすっと歩き始めると、彼の後ろでキュタールが何か呟いていた。
「……こんな日に、こんな所で見つかる子なんて呪われてるんじゃないか? 殺したほうが…」
「あんた、またっ! 聞こえたわよ! 何て事言ってんのよもう、ほんと信じらんないっ!」
ヒュオラッテがキッとキュタールを睨んだ。
「……うっ」
蛇の一睨みで黙るカエルの様に縮こまったキュタールは何事も無かったように空を見た。
そこへ、下から踊り疲れたマリッチが上って来てケールの手元に目をやった。
「お? どうした? なんだそれ?」
「見る限り人族の子だ。額の傷が気になるが、魔族じゃないだろう」
ケールが諭すようにキュタールと、今上ってきたばかりのマリッチに言った。
「不可侵条約が破られたのかな? 森には人族は入っちゃだめなんでしょ?」
ユーダが心配そうに赤子を見上げている。
「それは、分からん。まずは帰って長老に報告をしよう。話はそれからだ」
「ささ、早く帰りましょう。ワタクシ風邪を引きそうです。ううぅーぶるぶる」
「アラー今、上ってきたのに…」「マリッチがずっと踊ってたからだよぉ」
ユーダが笑いながらマリッチのお尻を叩いた。
下半身をくねくねさせながら体をプルプル震わせて、
真冬に毛を刈られた羊の目をしたミッツィール隊長が皆を見た。
「そうだな、行こう」
ケールが云うと一番にミッツィール隊長が駆け出した。
それを見て皆が笑いながら後を追って行った。
****
湖の近くまで来ると急に赤子が動き始めた。
「ウー アー ウー」赤子は弱い声で囁く様に声を発した。
「起きたみたいだ、どうすれば…」
そう言うとケールはそっと結びを解いて、枯れ草を集めそっとそこに赤子を寝かせた。
皆が赤子の顔を覗き込んだ。
「よかった目が覚めましたね ケール様」「この子、黒い瞳だ」
ミッツィール隊長は鼻を鳴らしながら、そんな事は関係ないとばかりに笑顔で赤子の頭を撫でた。
「臭くないか~坊主」「よかった、よかった」「ふん」各々が赤子に反応していた。
「さぁ、先を急ごう。少しの辛抱だからな、もう少し入っててくれ」
ケールはそういいながら嫌がる赤子を笑顔で再び包んだ。
そして、肩越しに優しく巻きつけると、にっこりと赤子に笑いかけ、ゆっくり歩き出した。
しばらく歩くと赤子は静かになった。「…よかった、寝てくれたみたいだ」
ケールは、安堵しながら肩に揺れる赤子のすやすやと眠る顔を見て、この子を守ってやりたいと思うようになっていた。
長老がどういった決断を出したとしても、自分が責任を取ろうと。
しばらく歩き、湖に戻って来ると、泥酔の白髪の老人と蜥蜴が、大の字になって寝ていた。
ケールが「あーっ!」と、大きな声を上げた。
「忘れてた…」「おれも…」
ケールとマリッチが顎を落とした。
ミッツィール隊長は気づかずに先に行ってしまっている。
「最初から、居ない者だと見てた」
と言い、その横を通り過ぎるキュタール。
「爺ちゃん!」ヒュオラッテとユーダが駆け寄って行った。
「チャボ爺さん、起きてぇ」
ユーダが肩を揺するが一向に起きる気配のないチャボ爺だった。
「先を急ぐから、ここで寝かせておこう。もう魔物も出ないから大丈夫だ」
ケールは、チャボ爺の横を立ち止まらず通り過ぎて行った。
忘れていたことが恥ずかしかったのだろうか。
「綺麗な満月が三つもあるんだからな、そりゃ~呑みたくなる気持ちも分かるな~」
と言いながらマリッチが残りの酒を飲み干していた。「ぷはぁ~うめぇ」
「そうだね、爺ちゃんなら大丈夫」「うん、わかったぁ」
二人はイビキをかいて寝ているチャボ爺を飛び越えると、足早にケールの後を追った。
エルフなら一口で酔う麗しの果実酒を飲み干したマリッチは、ヨロヨロと皆の後を追った。
*****
「ケール様、来ないでください!」
珍しく激しい口調でミッツィール隊長が、後方から追いついてくるケールに叫んだ。
ミッツィール隊長の前には、三匹の業火大蟻が立塞がっていた。
フレイムアントは、一匹で森を焼き尽くす凶暴な魔物で、祠を通れる大きさではなかった。
「一体どこから…」
ケールは立ち止まり、肩に掛けていた子供をキュタールに手渡し言った。
「この子をレピンに、ユーダと一緒に無事送り届けてくれ」
キュタールは黙って頷くと、ユーダと共に駆け出した。
二人を守るようにミッツィール隊長は、フレイムアントの気を引く為、
弩弓を一番小さなフレイムアントに数発撃ち込んだ。鈍い音を立てて矢が尾に突き刺さった。
小さいフレイムアントは咄嗟に暴れ出し、真ん中に居た大きなフレイムアントがミッツィール隊長に向かって鋭い火を吐いた。
「あぶない!」
ケールが叫ぶと同時に、ミッツィール隊長はヒュオラッテに助けられ後方に逃げていた。
「ふぅーっ危なかったぁ」「助かった、ありがとうヒュオラッテ」
股間を押さえ、恥ずかしそうに礼を言うミッツィール隊長。
火は汚下着を焼き払っていた。
「べ、べ、べつに、お礼なんていらないんだからっ」
顔を背け、恥ずかしそうに頬を掻くヒュオラッテの後にいたフレイムアントが、いちゃつく二人の間に火を吐いた。嫉妬でもしているかのように。
その火は、たちまち辺りの枯れ木に火を点けた。
すぐさま火の手が上り、辺りが火の海に囲まれそうになった瞬間、
後方から駆け寄ったケールが、口述詠唱で水魔法を繰り出した。
「水神なる我が祖先よ 猛々しく怒る荒波を 我が右手に賜う 【スウェルスプラッシュ】」
ケールの右手から勢い良く放たれる大量の水は、一瞬で火を消し止めた。
すかさずケールは、フレイムアントに突進しながら弓を二発、右の小さなフレイムアントの眉間に撃ち込んだ。
そのフレイムアントは、火を吐き返そうとして口を開けたが、力尽きて倒れた。
すると、一番大きなフレイムアントが、ケールに突進してきた。
それを軽やかに横移動で避け、後方からフレイムアントに飛び乗り、ロンズデール製の短剣を首の後ろからねじ込んだ。
「キーッ」と、フレイムアントが力なく倒れ込み、息を引き取る頃には
ヒュオラッテとミッツィール隊長が残りの一匹を倒していた。
「ふぅーやっぱこれぐらいじゃないとね。張合いがないわ 楽しかったぁ いい物見れたしねっ☆」
満面の笑みで、ミッツィール隊長の下半身を今は、見つめるヒュオラッテが居た。
咄嗟に下半身を隠すミッツィール隊長。「あうっ」
「あぶなかったな。しかし、なんでこんなとこまでフレイムアントが」
ケールは三匹のフレイムアントの死体を確認しながら言った。
「フレイムアントはアスガルド大陸の南方、グスターブ火山帯にしか生息しないはずだ。すまん遅れた」
マリッチが今追いついた。この状況を見てさすがに酔いが醒めたみたいだった。
「家族だろうな。こんなとこまで来なければ。すまんなぁ」
ケールは肩膝を付いて右手を一番大きなフレイムアントの頭において哀悼の念を示した。
「かわいそうだったが仕方がない、この辺に埋めてやろうと思うのだが」
「分かった、オレが掘る。遅れて来たからな。」
「ケール様、ワタクシは先に帰っても…」
「だめだ、お前も掘れ」
「あぁぁ…はい。」
「あはっ、あたし見てよーっと」
こうして、ケール達の初めての全満月の夜は何事も無く?無事に朝を迎えた。