ep.15 『キートゥーンの変態』
草木も眠る丑三つ時。とは、一体いつ頃の時間を指すのか。
そんなことは忘れたけど、今がそうなのだろうと思えるくらいの静寂に包まれたジョーイ王子の屋敷は、ムーンとルナに照らされて暗闇の中にその黄金の姿を浮かび上がらせていた。
「ったく、うるさくて寝れやしない」
ケールのイビキがうるさくて寝つきが悪く目が冴えてしまった。
それまで、エルフという種族は呼吸を自在に操れると思っていたけど。
長い時間、水の中に潜ったり、毒霧の中でも僅かな酸素で耐えることが出来たりと。
でも、ケールの呼吸器官はエルフとして機能していないと思った夜だった。
目が覚めたので、服を着替えて気持ち良さそうに眠るケールを残し、部屋を出てしばらく中庭を散歩していると、屋敷の裏側の庭にある、海が見える長椅子に、誰かが坐っているのが見えた。
遠目でよく見えなかったけど、本らしき物をぱらぱらと捲っているのが判った。
近づいてみると、今日買ったばかりの本を、ゆるやかな風に濃いブルーの髪をなびかせて、読み漁っているユーダがそこに居た。
「ユーダさんも寝られないの?」
後ろから声をかけたせいか、ユーダは一瞬驚いた様子だったが、オレと判りすぐに本を閉じてオレの方へ向き直した。
「うん。そうなんだ、ちょっと……イギンのイビキがうるさくてね――寝れないから、買った本を読んでみようと思ったら止まらなくなっちゃって……」
猫もイビキをかくのか……。
「そうなんだ、じゃあ、寝てないの?」
ユーダの傍らには持ってきた一冊の本と、ふくろうのおっちゃんの店で買った二冊の本が積み上げられていた。
「うん……キートゥーンの上で少し寝たから大丈夫さ――ニートンこそどうしたんだい? こんな時間に。ニートンは、もう少し寝た方が良いんじゃないの?」
ユーダはまた本を開きながら云った。
「うん。でも、父さんのイビキがうるさくて……」
「えええっ! ケールってイビキかくんだぁ!? 意っ外だなぁ~」
ユーダは驚いた様子で本を閉じ、立ち上がってオレの方に向き直した。
「あわわ、内緒にしてっ。しゃべったって事が判ったら怒られちゃう……」
「あはは、大丈夫だよ、そんなこと言わないから。安心して」
しかし、唇の端が少し上ったような気がしたのは気のせいだろうか……。
オレはユーダの隣に坐って話を始めた。
「ここからロハン城までどれくらいで着くの?」
純粋に、距離感や日数を確かめて、今後の旅に備えなければと思い、ユーダに聞いてみた。
「街の外れまで行くと荒野になるから、そこでキートゥーンの形態を変えたら、一日で着くよ――だから、朝に出発したら、夜にはお城でゆっくりお風呂に浸かって、のんびりしていると思うよ」
なんと!? あの亀は形が変わるのか……? すごいなやっぱり異世界は! ちょっと楽しみだな。
「へーっ! そうなんだぁ! でも、ずっと旅出来るのかと思ってた……ちょっと残念」
「あはは、ニートンがもう少し大きくなったら、探窟に連れて行ってもらえると思うよ。そうすれば、最低でも十日間くらいは野宿するからね」
「わ~、そうなんだ! 楽しみだなぁ。じゃぁしっかり弓の練習しなくちゃ」
「うんうん。そうだね」
オレは探窟に早く行きたいと思った。
ユーダから色々昔話やレピンとケールの事をあれこれ聞いて大笑いしていると、後ろから猫の鳴き声がした。
「ニャー! ウルサイニャ!」
振り返ると、目を擦りながら窓を開けて飛び出してくるイギンが居た。
「まだ、夜明け前にゃのに、にゃにやってるにゃ? うるさくて寝れにゃいにゃ」
えっと……部屋からは相当離れてはいるのだが……どんだけ地獄耳。
「ご、ごめんなさい。と、というか、ここの会話が聞こえたのですか?」
「これだけ静かなら屋敷中の会話が聞こえるニャ。 朝までもう少し静かにするにゃ」そう云うとイギンは踵を返し部屋に戻って行った。
「――自分のイビキは聞こえないのか……」
ユーダがぽつりと呟いていた。
「なはっ、そうですね」オレがそう云うとユーダは本を重そうに抱え上げ、
「じゃあ、そろそろボクはイギンが眠りに就く前にもう一度寝るとするかな。おやすみ、ニートン」
「あ、じゃあ僕も部屋に戻ります。 おやすみなさい、ユーダさん」
海岸線から聞こえる波の音を聞きながら建物に近づくと、先程開け放たれたイギンの部屋の窓から大音量のイビキが鳴り響いていた。
ユーダは振り返ってオレを見ると、肩をすくめ長椅子へと戻っていった。
「あれ? どうしたの、ニートン? 部屋に戻らないのかい?」
「うん、この椅子長いから二人でここで寝れないかなと思って」
帰ってもケールのイビキがうるさいと思い、オレはユーダの反対端に廻り椅子に寝転んでみた。
「そうだね、一緒にここで寝よう」
ユーダはそう云うと仰向けに寝転がり頭の下で両手を組んで月を眺めていた。
「おやすみなさい、ユーダさん」
オレも月を見ながら云った。ユーダの反応はすでに無く、返ってきたのは、
「…………ぐぉっ、ごご、ぐがぁー。 ぴゅー。 ぐがぁー ぴゅー。」
うそだろ……。
***
「起きろ! 二人とも!」
大きな声で怒鳴るケールに起された。
「なんてとこで寝てるんだ! 朝起きたら居ないし、心配したぞ!」
あなたのイビキのせいです……。
「――おはようございます、父さん、ごめんなさい」
目を擦りながら、眩しい朝日の逆光に映るケールに謝った。
「おはよう、ケール。 ごめんね、ニートンが寝れないって言うから、ボクがニートンと話し込んじゃって……そうしたら、ボクがうとうとしちゃってニートンは傍にいてくれただけなんだ――なんでニートンが部屋を出たかは聞かないであげてほしい。ボクからのお願いです」
ユーダは目に涙を浮かべて名演技をしている。策士だ。こいつは策士だ絶対。
「そ、そうか。 無事だったから別に構わんが。少し心配しただけだ」
ケールはユーダの言う事には少し甘いような気がする。オレの知らない弱みも一杯握っているのかも知れないな。ここは、ユーダを味方に付けて置いた方が良さそうだ。
「すぐ出発するから部屋に荷物を取りに行って準備しろ、オレはキートゥーンを迎えに行って来るから」そう云うとケールは外れの厩舎に向った。
荷物を整え、王子達に見送られながら屋敷の門まで来ると、ケールとキートゥーンもちょうど到着した。
「王子、世話になった! また三日後に今度は朝まで飲もう、さぁ、ユーダ、ニートン行くぞ」
「ああ、気をつけてな! 極上のワイン揃えて待ってるから」ジョーイ王子が小さな麻袋に詰めたトシジルの実をユーダに渡した。
「道中でお腹が空いたら食べな」
王子はその端正な顔立ちから冷酷に思われがちだが、とても心が温かい優しい王子だった。
見た目は赤い髪でヘビメタ少年にしか見えないけど……。
「ありがとう、王子。大事に頂きます」ユーダは袋を受け取るとキートゥーンの上に登って行った。
オレも頭を下げてユーダを追った。王子の後ろには隠れたままのマノン姫と姫に抱えられたイギンが手を振っていた。
「よし、出発だ!」
大きな門を抜け城壁沿いに東にしばらく進むと、草木が一本も生えていない、岩と砂だけの荒野に出た。
すると、ケールは一度、皆を台座から下ろし、キートゥーンの甲羅に固定されている台座留めを解いた。
右側の三本の足の上側に台座を入れるスペースがありそこに荷物をケールが押し込んでいた。
「おい、ユーダ少し押すのを手伝ってくれないか?」
台座の端を重そうに持っているケールが赤い顔でユーダに訊いた。
「わかった! それよいしょっと!」
甲羅と足の間に綺麗に台座が挟まると左側に廻って同じ場所に今度は三人で入っていく。
そこは決して広くは無いがくつろげる空間があった。ちょうど亀の首元に当たるところに窓があり外も確認出来るようになっていた。
「うわ~すげ~! なにここ!」
「あはは、甲羅の中は広いだろ~! 何かあったらここに逃げ込めば安全だからな、覚えておくんだぞニートン」
「うん! わかった!」
「よし、じゃぁ、行くぞ! フライング・キートゥーン! 変態開始!」
ケールがそう云うと、キートゥーンは一旦、後ろに体重をかけ反動をつけると、全速力で走り出した。
所々、人族語で決めセリフのように発せられるケールの言葉はダサ過ぎた……。
速度が上るに連れて、六本ある長い足は前側の二本が翼のように変形し四本足で更に速度を上げた。
真ん中の二本の足が翼に変わると、最後の両足二本で勢い良く飛び立つとキートゥーンは、すっと宙に浮かんで空に飛び立った。
「ぬわわわわわ! すごーい! 空飛んでるよこれっ!」
年甲斐もなくはしゃいでしまった。
「これで、一日でロハンに着く事が出来る。あとはキートゥーン任せだからゆっくりするといい」
ケールは寝転んでそう云うとすぐに寝息が聞こえ始めた。
オレとユーダは目を見合し、ケールに飛び掛った。
「あはは、やめろ! くすぐったい! あはは、頼むから~ああああ~寝かせてくれ~」
「もういっぱい寝たでしょ!」「ダメ、寝かせない! 絶対!」