ep.13 『ふくろうの本屋』
ユーダは杖を地面に突立て、仁王立ちで道の真ん中で頬を膨らましていた。
「ごめんな、ユーダ。キートゥーンの受け取りに少し手間取って……」ケールが頭を掻きながらユーダに謝っている。
「約束は、夜明け前じゃないかっ! ボク、ずーっと待ってたんだよ!」
「あれ~、そうだったかぁ? 俺は日が昇る頃。と言ったような……」ケールは腕組みしながら顎を触って首を傾げていた。
「いいや、絶対夜明け前って言ったもん。もうっ!」ユーダは杖を地面に何回も突き刺していた。
「あ~、ごめん、ごめん。 そんなに怒るなよ――王都に着いたら、新しい魔法書を買ってやるから」
「最初からその約束だったよ! ニートンのおもりを魔法書ひとつでって。だから、二冊に変更ね! 条件」
「おまっ……わ、わかったよ、仕方が無いな」
ケールが首をうな垂れると、ユーダの口元が微かに上るのが見えた。策士だな…。
「さぁ、後ろから乗りな、ガルド公国に夕方までには着きたい」号令でキートゥーンを坐らせると、ユーダが駆け登って来た。顔は女の子にしか見えないな……やっぱり。
「よーし、レッツゴー!」……ユーダも人族語を話せるみたいだ。
こうして、オレは初めて森の外に出て行った。
森を抜けると、一面にトシジルの実の畑が広がり、あたり一面を真っ赤に染めている。
「わぁ~、綺麗な色だね~! でも、トシジルの実って、なんなの?」森の方を振り返りながら訊いた。
「さっきベルさんの家で飲ませてもらったスープがあるだろ? あれがトシジルの実で作られたスープだよ」とケールが教えてくれた。少し辛めのバターのコクと魚介類のダシがしっかり利いたクセになるスープだった。大きさは唐辛子とピーマンの中間くらいで、見た目は真っ赤な、なすびの形をしたトマトの様な不思議な野菜だった。
「ガルド公国までずっと、この畑が続いてるんだよ」
ユーダは座り込んで魔法書をめくりながら教えてくれた。景色には目も暮れず本を読み始めていた。
「ニートン、眠たかったら寝てていいぞ、寝れたらだが」ケールは手綱を放し二股の首元に座り込んでいる。こんなに揺れる上で寝れるわけが……と思ったらあっさり眠りに落ちていた――。
「――止まれ! 何者!」
急にベルスクリットが止まり、目が覚めた。見下ろすと鋼の兜を被った全身鎧姿の槍を持った門兵らしき二人に道を塞がれていた。
見上げると、そこは均整の取れた石で、綺麗に積み重ねられた高さ、二十メートルは越すであろう城壁の門前にオレ達は着いていた。
「ジョーイ三世へ、届け物を持って参った。ロードウッドのイージョクだ」ケールが臆もせず太い声で云うと、門兵は「おお、ケール殿! 申し訳在りません。おいっ、槍を下ろせ」と云って兜を脱いだ。金髪の髭面の中年の男がひざまずいて頭を下げた。
「大変失礼致しました、すぐに門を開けますので、しばらくお待ち下さいませ」その男は全満月の時にジョーイ三世の傍に居た警備兵だった。あの髭面忘れられない……。
「ありがとうございます」ケールは手綱をしっかりと握り締め、まっすぐ門を眺めている。
「こんなに大きい門だったかなぁ~懐かしいなぁ」ユーダも門を見上げていた。
「か~いも~んせよ~」
門兵が城壁上の番兵に叫ぶと、ゆっくり重々しく門が開いた。
「ささ、どうぞ。王子は中庭に居ると思います。ベルスクリットは厩舎にわれわれが……」と門兵が云い手綱を掴むと、キートゥーンは首を振って手綱を払った。門兵達は振り飛ばされた。
「あはは、申し訳ない。こいつは誰の言う事も聞かないので、私が自分で連れて行きます」そういうと頭を下げて門の中にケールはキートゥーンを進めた。
***
―― ガルド公国 ――
ロハン皇国から西へ徒歩で五日、リットエンドの神殿とロハン城との間にある小さな湾内に作られた教会の街。
ラセルパ神院国を統治していたコーヤンジ家の滅亡後、生き延びたラセルパの民がロハン皇国の属国として、ナオッペン国王から許可を得て、公国を名乗り新たに建国された。現在は、コーヤンジ家の旗手だったプシャード家の子孫、ジョーイ・プシャード二世が統治している。
城壁に囲まれた漁港街だが、城は無く、街の中央に凛と天にも届きそうな高さの大聖堂がある。
街の人々は、その大聖堂をラセルパ教会と呼んだ。
漁業が盛んで、街中に魚屋があり、船に関する職業や神職など様々な人々が街を行き交い、城内は活気で溢れていた。
「うっぷ、くっせー」ユーダは魚の匂いがダメみたいだ。
築地を思わせる活気ぶりだなこの街は……。
「いい匂いなのにっ」オレは久しぶりに嗅ぐ魚の匂いを胸一杯に吸い込んだ。
――この匂いを嗅ぐと、ある目の見えない老人の話を思い出す。
ある、一人の老人がいつもとは違う散歩道を歩いていると、港の魚市場に迷い込んでしまう。
すると、老人は何か忘れていた感覚を突然思い出し、長年、用を足す以外に使い道がなかった歴戦の旧友に力がみなぎって来た。
市場の真ん中で胸いっぱいに魚のにおいを嗅ぐと老人は云った。
「こんにちは、お嬢さんたち」
「なにやってんだ? ニートン」ケールが不思議そうに見返してくる。
ですよね……。
「よし、ここで降りろ。キートゥーンを預けてくるから、ユーダと魔法書屋にでも行っててくれ、ユーダ頼んだぞ」ケールはオレの頭を撫でると、キートゥーンを連れて城壁の外れの方に向かっていった。
「行こうか、ニートン」ユーダはオレの手を引いて、ゆっくり歩き出した。
角をいくつか曲がり、額に汗が滲んだ頃に訊いてみた。
「ユーダさんは、この街に来た事があるの?」
「うん、小さい時に父に連れられて、一度だけ来た事があるだけなんだけど……。だから、あんまり道も覚えていなくて……えっと――」そう云いながらきょろきょろと辺りを見回していた。すると、
「あ、あった、あった。ふぅ~よかったぁ」安心した顔で小さな抜け道から出ると、目の前に古く趣のある本屋があった。
「ここ、ここ。ボクが欲しい本が置いてあるお店。さっ、中に入ろう~」ユーダはオレの手を取り、扉を開けた。
中は薄暗く、通りの喧騒は扉が閉まると気にならなくなった。少し歩くとそこら中に置いてある本から埃が微かに舞い上がり、窓の外から差す光に照らされ、キラキラと魔法のように本の上で輝いていた。
「こんにちは~、シーロさ~ん! シーロ・ウイートウさーん! いますか~?」机の上に置いてあるベルを鳴らしながらユーダが奥の部屋に向って叫んでいる。
「にんっ。なんじゃ?」奥から小さい丸い眼鏡をかけた、ふくろう……にしか見えない太った中年の男が出て来た。
「にんっ! おいっ、お前さん、ユーダじゃないかっ!? おおおっ! 大きくなったな~!」と云って翼を広げた。
へ……? 半獣人か……。少しあせったけど、まぁ、考えられるよな。
「やぁ、ひさしぶりっ! ねぇ! 新しい結界書出てる? 西のドーンフェルの長老が書いた本!」挨拶も簡単にユーダがまくし立てた。
「ああ、あれか、たしかまだ倉庫に余ってるはずだから、ちょっと待ってなさい」と云ってふくろう男は奥に消えていった。後ろから見ると、下半身は普通の人間で……どうみても着ぐるみにしか見えないんだが……。
「父さんの知り合いなんだ。よくロードウッドの森にも来るんだよ」と云ってユーダはもう一冊の本を探し始めた。
オレも読める範囲で本を見渡すと、ほとんどが図鑑や歴史書、料理の本ばっかりだった。読めない字が書いてあるのが魔法書かもしれない。
するとユーダが一冊の本をオレに渡してきた。
「ニートン、これくらいなら読めるかな? 読んでみるかい?」
重厚な表紙に『みっつのつきのものがたり』と書かれた本だった。
「もう知ってるからいらない……。」
オレは首を振り、弓の本を探した。
「弓の本がいい。なにかないかなぁ~」わざとらしくユーダに聞こえるように云うとすぐに新しい本を持って来てくれた。
『森のハンター 弓の使い方』おおお! これいい! 基礎は大切だもんな。うん、これにしよう。
中を開けてみると、弦の引き方、矢のかけ方、狙いと距離感……等々。すでに習得済みのことばかり書いてある本だった。
「やっぱこれじゃない……。」あれこれ図鑑が積み上げている場所を探っていると一冊のいい本を見つけた。
「あ、これがいい。これ欲しいな!」オレは薬草図鑑を見つけてユーダにお願いした。
治癒から調理まであらゆる薬草が千種類以上も載ってる図鑑だ。魔力が無いからポーション作る能力だけでも習得したいと思い、薬草から始めて見ようと、ちょうど思っていた所だった。
ユーダがその本を手に取ると、「いい本を見つけたね。ちょっと高いけど、ケールにお願いしたら買ってくれると思うよ」と云って本をシーロさんに渡した。
「この三冊でいいかの?」
こくりと頷くユーダは、すでに何かもう一冊選んでいたみたいで、本は三冊まとめられて紐で結ばれた。
「お代は後でケールが払いに来るから。ボク達は近くの港に居ると伝えてね」
「にんっ! わかったよ」シーロさんは両翼を振っていた。
「じゃあシーロさんまたねー!」そういうとユーダも手を振りながら本を背中に背負い店を出た。
オレはシーロさんに軽く頭を下げるとユーダの後を追った。
来た角を曲がり港へ向っていると、最後の角で赤い長髪の派手な細身の背広を着込んだ、背の高い男とユーダがぶつかった。
「いててて……あ、ご、ごめんなさい」咄嗟に二人で頭を下げた。オレはぶつかってないけど……。
「いあいあ、こちらこそ、ごめん。大丈夫かい? ユーダくん」
男はそう云うとしゃがみこんで二人の頭を撫でた。
「え? あっ!」
ユーダはその手を払いのけながら、「お久しぶりです! ジョーイ王子」と云った。