ep.12 『ベルスクリット』
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鳩のように太った二羽の燕が、雲一つ無い澄みきった青空を大きく旋回すると、あぜ道の先に見える山影から、太陽の光が差し込んできた。
オレとケールは、来た道を戻り三叉路をそのまま真っ直ぐ進むと、大きく拓けた場所に出た。
「ここからずっ~と先、森が終わるまで、すべて、ベルスクリット牧場だ」ケールは彼方まで続く杭を指差して云った。
道沿いには高さ、五メートル程の木杭が、等間隔で地面に打ち込まれている。
杭と杭のあいだには、鉄条網が隙間無く張られ、その雰囲気は重々しくもあった。
通りから遥かに離れた牧場の小高い丘に小さな小屋があり、煙突から煙を轟々と吐き出し、その周りに巨大な生物が居るのが遠目でも見て取れた。
事或るごとに『ベルスクリット』という名前が出てくるので疑問に思い、ケールの上着の裾を引っ張りながら訊いてみた。
「ねー、とうさん」
「うん? ……どうした?」ケールは一瞬オレに顔を向けたがすぐに牧場とは反対側の森の中を見ながら生返事を返してきた。
「ベルスクリットってなんなの?」
「――ん? ああ、ベルか、それはな……ただの乗り物だ」ケールは上の空で森の中を眺め続けている。
「それは、分かってるよぉ~もうっ」
足早に二、三歩ケールより前に出て振り返り、彼の目を見て再び訊いた。
「だから、なんの乗り物なの? って聞いてるの」
ちょっと駄々を捏ねて膝に抱きついてみた。ケールは抱きついていることを気にしないかのように三歩歩くと、「……亀だ」一言そう云うと、はっとして立ち止まりしゃがみ込んでオレと目線を合わせた。
「ごめんな、ベルスクリットとはな、すっごく体が大きくて、ながーい足が六本あり、かわいい頭が二つある、おとなし~い陸亀だよ」
大げさな身振りと固い笑顔でオレの頭を撫でている。しかし、目線はやはり、ちらちらと森の中に目をやっていた。
「どうしたの? 森の中に何かいるの?」その行動が少し変だったので訊いてみた。
「いや、何でもない。大丈夫だよ」と言って、オレの手を取り再び歩き出した。
ケールが見ていた方向を目を凝らして見るが、そこには何も見当らなかった。何を見ていたんだろうか?
しばらく柵沿いに歩くと、先ほどの小さな小屋の正面入り口にいつの間にか廻り込んでいた。
鉄柵を開け中に入っていくと、一匹の大きな亀がものすごい勢いでケールの元に走ってきた。
「ピギーッ! ブハハハハハ~ン」
危ない! と思ったら、亀は六本の足? 手? を大きく外に投げ出しその場にドーンとうつ伏せになった。長い二つの舌がケールの顔を襲っている。
「あはは、こらっキートゥーン。あはは、やめろっ!」顔中舐められ、べとべとになりながらケールは亀の頭を両手で撫でていた。
「ニートン、こっちにおいで、ほら、キートゥーンだよ」
――ぶっ! どんな脈略の名前だよ……。キントウンか?それとも……。
「いやだ、こわいよ……そんな大きいの」似たような物を、前世でずっと毎日撫でてましたから……。
「大丈夫だよ、おとなしいから。さぁ、挨拶してごらん」
ケールはそう云ってオレの手を引っ張って亀の鼻の上に乗せた。
「あわわわ……」
オレは見上げるように亀の顔を眺めていた。
甲羅の高さは三メートルをゆうに超え、全長五メートル程の大きな亀がオレを見下すような目で睨み返してきた。すると、亀が天を仰ぎ、次の瞬間
「ンップッシューン……ジュルッ」
大量の水しぶきと強風がオレの顔を襲った。
「……。」亀のくしゃみで髪も服もびしょびしょに濡れた。
「あははは、キートゥーンに気に入られたな、ニートン」
「そ、そうなんですか……」しずくが滴り落ちる顔を拭い、服の水滴を払っていると亀の長い舌がオレの体を舐め始めた。
「あははは、くすぐったい。あはは、やめて~ああああ~」
小屋の入り口で騒いでいるのが聞こえたのか、中から小太りで片目の老エルフが出てきた。
「なにごとじゃ? なんの騒ぎだね」亀に蹄鉄と云うものがあるのだろうか?
老エルフは、手に金槌と蹄鉄らしき形を模した金属の輪を持ち、扉から飛び出してきた。
「いあや、申し訳ないベル殿」ケールが胸に手を当て深々と頭を下げた。
「おお、ケール殿! こんな朝早くにどうしました?」
険しい顔をしていた老エルフは一気に顔色が変わり満面の笑顔になっていた。
「これから、ニートンと王都へ出かけるのでキートゥーンを取りに来ました」
「おお、左様でございましたか。キートゥーンの蹄鉄を今ちょうど手入れしていたので、もうしばらくお待ち頂けますか?」老エルフはそういうと金槌と蹄鉄を軽く顔の近くに持ち上げて見せた。
「ええ、構いませんよ。私達はじゃぁ、しばらく牧場見学でもしていますので、終わったら声をかけて頂けますか?」
「はい、出来るだけ早く済ませますので。あ~そうだ!お腹は空いていませんか? 家内にトシジルのスープでも作らせてきます」
「いえいえ、お気になさらずに」「ぐぅ~っ」ケールが断るのと同時にオレの腹が鳴った。
「あはは、子供は正直でございますな~。すぐにお持ち致しますので」そういうと老エルフは小屋の中に入り二言三言聞こえると、金槌を打つ音が聞こえてきた。
牧場にいる様々な動物を眺めていると、ケールが色々教えてくれた。そこへ、ベルさんの奥さんがスープを持ってやって来てくれた。
「熱いからお気をつけ、はいどうぞ、召し上がれ」柔らかい表情のかわいらしい老エルフだった。
「いただきます! ふぅ~ふぅ~、ずずっ、アツッ」
「あはは、だから言ったでしょ、ゆっくり飲みなさい、誰も取りませんからね」そう云うとチャーミングな笑顔を残し小屋の中へと入って行った。
ゆっくりスープを飲みながらケールに動物の事を訊いてみた。
「あれはベルスクリットだ。あれはリザードストライダーだ。あれはマリッチだ。そしてあれがキュタール……ん?――」
ケールは指を差したまま固まっていた。
「――なにやってんだあいつら?」
柵の中に目をやると、マリッチとキュタールがストライダーに乗って走り回っていた。
「お~い、ケール~おっはよ~」マリッチが右手でストライダーの手綱を持ち、左手を大きくケールに振っていた。
「おはよー! って、お前ら何してんだこんな朝早くから? ストライダーなんぞ乗り回して……」
「――これから西の海岸沿いの村、ドーンフェルに向うのです。親戚の結婚式に出席するために。」キュタールは相変わらずキザな話し方をするエルフだな。と、思いながら楽しそうにストライダーに跨っているマリッチに目をやった。
「ひゃっほ~! こいつに決めたぜ、ベル爺さん」
「おやおや、本当にそいつでいいのかい? もう歳だぜそのストライダーは。遠出は無理じゃないかの~」
「大丈夫だ! ダメならオレが担いで連れて帰ってくるから心配するな! がはは」
嫌がるストライダーの首にハミをかけ口に回す、そこに自分の体にあった手綱を取り付けて、鞍を載せると号令一つで自由に制御出来る。
ベル家 ストライダー家 スクリット家の三家族に伝わる秘伝の調教法があるらしく、もともと凶暴だった亀や蜥蜴を品種改良し、今の形にした。各家庭に一匹はストライダーかベルスクリットを持ち、三家族いずれかの家と契約し、調教、育成管理を委託している。遠出する時は、ケールみたいに自前の手綱を持って来るのが普通らしい。
「――ケールさんはどちらに行かれるのですか?」蚊の啼くような声でキュタールが訊いた。
「ニートンを外に連れていってやろうと今から、ユーダと三人で王都に行って来るよ」
「――へー、ユーダも。」
「キュタールの親戚と結婚するヤツは俺の昔からの親友の妹なんだ。だから俺とキュタールでドーンフェルに向うってわけさ」マリッチがいつの間にかオレの後ろに居た。
「やぁ、ニートン元気かぁ? 大きくなったな~! どれ、パンチ パンチ!」と言って両手を広げオレの顔の前に持ってきた。そんな歳でもないが、喜んで殴る。振りをする。
「えいっ!えいっ!」
「はははっいいぞ!」
「えいっ!」
「いでっ、こら! 目はダメだろ目は!」
「あはは、隙あり! カンチョー!」
「ングッ!? コラーッ! ニートン まてー!」
マリッチと戯れているとキートゥーンに手綱を巻き終えたケールがドスドスと近くまで寄って来た。
「ニートンそろそろ行くぞ、後ろから乗りなさい」
そう云うと号令でキートゥーンを坐らせた。
オレは飲み終えた器をチャーミングミセスに返して、亀の後ろから甲羅の上に取り付けられた台座まで登った。
「おわ~! すげえええ!……おとっと、あわわ」
そこから見える景色は絶景だったが、キートゥーンが立ち上がり歩き出すと台座は少し不安定だった。
「それじゃ~マリッチ、キュタール! お前達も気をつけてな~」
「――はい、ケールさんも」キュタールは珍しく笑顔で手を振っていた。シャイなだけだなこのエルフ。
「あいさ~! ニートン~王都で迷子になるなよ~! ケールも気…………」
ほぼお互いが進む方向に向って叫んでいたので最後のマリッチの言葉は聞こえなかった。
村の出口まで来ると、ユーダがそこに立って待っていた。
「も~お、遅いよ~っ」