ep.10 『月の法則と暦』
今日も弓の練習を、日が昇る前から始める。
毎朝、裏庭にある大きな木から、ぶら下がっている丸太に、矢を三メートル、五メートル、十メートルと離れたところから、各五本づつ射っていく。
三本当たったら次の距離へ。
それが終わると、今度は片足と片目で揺れる丸太を狙う。
同様に繰り返す。最後に木の周りを走りながら十本射ったら終わり。
それがケールから教わった朝の日課だ。
「あはは、止まってる丸太に当てるのは上手いのに、少しでも動かすと全然当たらないな、ニートン。よ~く、狙ってから放つのだぞ」
ケールが笑いながら丸太を揺らしている。
「む、むずかしい…です」
弓道とは違い、動いている物を狙うのは少し苦手だった。
弓の素質があると褒められてはいたが、それは前世の記憶を持っていれば小さい弓くらいは…。
しかし、動いている物を射ったことは無く、矢速と標的の速度、距離感が判れば、なんとなくコツはつかめたが、まだ慣れていなかった。
三歳位までは、弓の練習の後に水魔法の特訓が続いたが、二年前からはケールも諦め、魔法の特訓はやらなくなった。その代わりに、レピンの手伝いをする事になった。
オレには一切、魔力が備わっていないらしい…。魔法ドーンでバーンは、夢と消えた。
うん? 今、何歳になっているのかって?
オレは…すでに、五歳になっている。
え? 早すぎる?
うん。いきなりなのはオレも良く判ってる。
毎日、本当にする事がなくて、昔読み漁ったラノベの事を思い浮かべて、これは普通のテンプレ物と違うなと考えて居たんだ。
魔法で空腹を充たされ、強制的に睡眠に陥れられる毎日。
ドラッグ漬けにされているのかと最初は思った。
普通のテンプレストーリー転生者は、すばらしい幼少期を過ごし、自分の能力に気が付きそれを磨いていく物だと……。そうでなくても、近くに可愛い女の子がたくさんいて、ツインテールの女の子に少し弄られたり……。
そんなことは、何にも無かった。
ただ、綺麗な月が三つ空に浮かんでいた事だけが、印象的に脳裏に焼きついている…。
*****
祭りの最中、空に浮かんでいた三つの月は、最後の夜には、小さな三つ目の月は空には姿を現さず、二つの月だけが頭上で輝いていた。
その後、二つ目の一番大きな月も徐々に欠けていき、七日後の夜には空から消えていた。
残った普通の大きさの月が、何回目かの満月を迎えた日から、ふと気になり日にちを数えると、二十七日で満月に戻ってきた。
その間、月は一つしか空に現れず、大きな月も小さな月も見ることはなかった。
小屋の中から見えるのは、ケヤキの葉のざわめきと夜の月だけだった。
あの一週間の祭りが終わった後、オレは小屋に軟禁され、来る日も来る日も、変な光の魔法で腹を充たされ続けた。結局、一回も乳を飲ませて貰えなかった。一回もだ。
ある時、意地でも乳を触ってやろうと肌着越しにエルフ女の胸を鷲掴みに触ると、鬼の形相をした銀髪男におもいっきり殴られた。後にも先にも彼が怒ったのを見たのは、この時だけだった。
エルフの胸は小さいと思っていたけど、中々これが、たわわに実って、最高の形だった。
それ以来、エルフ女はオレの背後から頭に魔法をかける様になった。
日が暮れると虫の音や風の囁きしか耳に入らず、空に浮かぶ月を眺めるにはちょうどよい音色だった。
その日は、いつもより虫の音が強いなと思っていると、空にまた二つの月が浮かんでいるのが見えオレは、もしや? と思いその夜から、満月の回数を調べるようになった。する事もなかったので簡単に覚えられたのは幸いだった。
空に浮かんでいる月が十五回目の満ち欠けを繰り返す周期になると二つ目の月が同時に空に現れる。これで一年という仮定を立てれた。
今まで一人で小屋に寝かされていたオレは、二つの満月の次の日から大きな家の小さな部屋に寝床を移した。
この時期から簡単な言葉は理解出来るようになり、母親がレピン、父親がケールという名前だと判った。
オレがケールの書斎に寝かされていた事、裏庭から大きな山まで広大に広がる平野はすべてケールの土地だという事も教えてくれた。
ケールの家は横に大きく、室内は綺麗に整頓され調度品や無垢の家具が並んでいた。
庭を挟んで隣の家とも少し距離がある大きな邸宅。
一人でどこかに行けるほど、まだ体も大きく無かったので、家の敷地内で過ごすしかなかった。
レピンとケールは熱心に教育してくれた。
しかし、生まれ変わったら物覚えが良いとか、エルフは魔法で色々弱い部分を補うとか…オレにミラクルは起こっていなかった。昔のまま頭が悪い少年に育っていた。話が違うぞ…。
その間に簡単な言葉と文字はある程度覚えた。ある程度だ。
発音も文字も難しすぎてオレはお手上げ状態だ。
村に居るたくさんのエルフ達も気さくに話しかけてくれるようになっていたから、簡単に名前だけは覚えた。
しかし、他の発音が難しすぎる。
三歳になって長老の命名式以来、初めて隣の家の女の子、アーリアに会わせてもらった。
一瞬だけだった。隣に住んでいる事が分かっているのに会えないのは、とても、もどかしかった。
だが、可愛く育っている。まだ我慢するんだと自分に言い聞かせた。
三歳で魔法を豪快に使えたり…実は貴族や王族の子供だったとか、極悪なチート能力を期待して待っていたが、そんな物の欠片の一つもない事が最近ようやく判って来たところだった。
数え始めて四回目の二つの月の満月の夜、恐らく四歳の誕生日に盛大なパーティーが開れた。
アーリアと一緒に、隣のジャンクスの庭とケールの庭を開放して宴会場が設置された。
アーリアは、運動神経は鈍いが、魔力は三歳で既に村一番かも知れないと、長老が長々とスピーチしていたのを思い出す。オレは走るのも遅い、鈍い子になっていた。
誕生日は四年に一度、祝うそうだ。四歳で一歳の感覚らしい。
エルフは不老不死と思っていたが平均寿命は四百歳。人族の四、五倍程度長いだけらしい。
長くても八百歳くらいが歴史上の最長だと。
千年生きると思ったと言うと、そんなに生きるのは龍族だけだとケールに笑われた。
その誕生日会で月の仕組みや暦をケールに教えてもらったのだ。
オレの仮定は正しかった。正確には、十六ヶ月と十日で一年だそうだ。
最後の二週間だけルナと呼ばれる大きな月が出てくる。
ツキと呼ばれる第三の月は四十年に一度、七晩だけ空に見えるとも。
だから全然現れなかったんだと判った。
ケールは、エルフ達は太陽ではなく、月の周期にあわせて暮らしていることも教えてくれた。
そして、その誕生日会以来、オレはアーリアとは会えていない。いや、正確には、話せていない。
そんな毎日を過ごして居たら、昨日、五回目の二つの満月を向かえたばかりだった。
今日も家の裏の小川で、水魔法を使って小さな魚の周りの水を粘状の液体に変え、小魚をそっと包み込んで漁をしているアーリアが視界に入った。話しかけると、恥ずかしそうに家の中に走って逃げていくのが判っていたので、声は掛けなかった。
ただ、見ていたかった。
五年も待たされて…家の敷地内に軟禁され。外に出る事は禁じられている。
このままこっそり背後から歩み寄って押し倒し…川の中で…。邪知が巡る。
五歳で強○はダメだろ。せめてお医者さんゴッコで…ワ○メちゃんを拝見するくらいに…と思うが首を振る。
「まだ我慢だ」ぽつりと呟いた。
練習が終わるとケールが
「今日はレピンの手伝いはしなくていいぞ、ちょっと用事があるから一緒に付いてこい。さあ、帰ったら準備して行くぞ」と云うと矢を集め家に向って帰っていく。
「やったあ~! どこにいくの?」残った矢を拾いながら訊いた。
「ロハン城だ」
五歳になって初めて村の外に行くことになったオレは目を輝かせてケールの後を追った。