見舞客
2012年12月24日。あの時の神谷の言葉は現実化した。この日の東京都警察病院の前には多くのマスコミと被害者遺族団体が集まっていた。
その様子を女性アナウンサーはレポートしている。
「宇津木死刑囚が警察病院に搬送されました。詳しい病状は不明ですが、病院の前には多くの被害者遺族が集まっています」
被害者遺族は暴徒化しかけている。それはまるでストライキのようだ。被害者遺族の男は大声を上げる。
「このまま病死なんてさせてたまるものか。あの悪魔は死刑執行で死んでもらうんだ」
「そうよ。法務省は早く死刑を執行するべきなのよ」
被害者遺族たちは彼が入院している病院を前に「死刑」というコールを何度も叫ぶ。
大野達郎警部補はこの様子を三階の窓から見ていた。
「一体何の騒ぎでしょう」
大野が独り言のように呟いていると、千間刑事部長と喜田参事官が現れた。喜田参事官は窓を見ている大野に話しかける。
「大野達郎警部補。ここで何をやっていますか」
「喜田参事官。10月31日に退屈な天使たちの構成員を逮捕したでしょう」
千間は大野の話に相槌を打つ。
「ああ。意識不明のあの女か」
「今も彼女はこの病院に入院しています。あの日から非番の日はこの病院に来るようにしているんです。もしかしたら被疑者が意識を取り戻すかもしれませんから。ところであの女のことは何か分かりましたか」
「何も分かっていないというのが現状だな。彼女が所持していた免許証は偽装された物。携帯電話のデータは使い物にならない。コンピュータに詳しい北条の話によれば、彼女がこの病院に搬送された直後に彼女の携帯電話にデータを破壊するプログラムがインストールされたらしい。これで彼女と連絡を取っていた別の構成員の所在も不明だ」
大野は千間の話を聞き、肩を落とした。
「そうですか。意識不明の退屈な天使たちの構成員のコードネームはラジエル。これで奴らのコードネームは天使名であることは分かりました。このことは公安に報告しましたよね」
「もちろんだ」
「お聞きしたいのですが、千間刑事部長と喜田参事官はなぜこの病院にいるのでしょう」
「宇津木死刑囚が末期がんでこの病院に搬送された。どこかから情報が漏えいして、玄関前で被害者遺族が暴徒化しているらしい。それを鎮めるために呼ばれたわけだ」
「この前の佐藤真実監禁事件と同じように死刑囚が誘拐されたら、警察の面子に関わるから、そんな奴らが来ないように警備を兼ねているのですよ。死刑囚が病死しかけていると聞いた被害者遺族が彼を殺しに行くとまずいでしょう」
喜田の話を聞いて大野は目を点にした。
「そんな奴らがいたら今頃殺しにきていますよ。まあ油断は大敵ですけどね」
そんな時待合室で大きな声が聞こえた。
「いい加減にしろ。あんたに話す話なんてない」
「それでも聞きたいです。なぜならこの手記は世論が望んでいる物ですから」
「手記なんて書いたって被害者遺族が納得するはずがない。手記なんて書いたら親父が悲劇のヒーローのように美化される。そんなことされたら被害者遺族が黙っていない。迷惑なんだよ。お前は加害者遺族を殺すつもりか」
「あなたのお父様は取材に応じてくださったのに残念です」
喧嘩でも始まりそうな雰囲気を感じた大野は待合室に向かい仲裁に入る。
「警視庁の大野です。病院内では静かにしませんか」
刑事と聞き二人は口論を止めた。
「刑事さんでしたか。僕は朝霧睦月です。ルポライターをしています。宇津木死刑囚の手記を執筆しろと上司に言われて取材に来ました。そこで宇津木高生さんと口論になったわけです」
朝霧の前に座っている宇津木白豚は大野に会釈した。
「宇津木白豚です。お察しの通り宇津木由紀夫死刑囚の息子です。死刑囚の息子ということだけでいじめも受けました。それで人とあまり会わないプログラマーという職業をしています。朝霧さんが被害者遺族の怒りを買うような手記を書こうとしていたから、出版を止めるよう口論していました。迷惑かけてすみません」
「そうですか。所で朝霧さん。手記執筆に当たり宇津木死刑囚が取材に応じてくれたとおっしゃっていましたが、なぜ彼は取材に応じたのでしょう」
「僕が最初に東京拘置所を訪れた時に彼は話してくれました。手記を書いて被害者遺族に謝罪したいと。中々共犯者が逮捕されないから死刑で死ぬ前に寿命が来るのではないかと思ったのでしょう。それを裏付けるように彼は延命処置を拒んでいるそうです」
それだけ言うと朝霧は待合室を後にした。朝霧の話を聞いた大野は宇津木死刑囚の覚悟を知った。いつ共犯者が逮捕されて死刑が執行されるのかが分からないため、彼は延命処置を拒み病死という形で命を絶とうとしているのだろう。