やらかしちまうのがオレだぜ?
やっちゃまずいとは思うけれども、正しく「仰げば尊し」を理解する現代人が少なそうなので。
【おおいなる誤解】
扇げば 問う歳 和菓子の怨
押し絵の二羽にも 早い句 賭せ
面絵 バイトとし この砥石 月
今 こそ別れめ いざさらば
【対訳(超訳)】
扇子を翻してみれば 和菓子を盗んだものがおり 歳はいくつかと尋ねる。
二羽の鳥の描かれた押し絵に 早さを競う句をつける。
「利用者からの感想です」という広告記事の顔写真に掲載されるバイトをし
月の石でできているという砥石を宣伝する。
そんないま、という時代へ、別れを告げよう、いざや、さらばと。
【正訳】
降り注いでくれたものを仰ぎみれば どれほどの恩恵を師にたまわったことか
今日までを送ってきた教えを受けた庭は いったいどれほど長く心にあるだろうか
思い返せばたいへんに早いものだ 年月が経ってしまっていて
いまこの瞬間に別れそれぞれ歩みだそう さあ さようならだ
【谷川俊太郎の「じゃあね」と「仰げば尊し」「英語原曲」の比較】
2011年に桜井雅人先生がつきとめた
「仰げば尊し」の原曲であろうとされる「Song for the Close of School」の歌詞
谷川俊太郎氏の作詞となる
「じゃあね」の歌詞
さらに
「仰げば尊し」に表現された歌詞
この三つは、内容的に合致しており、また
立体的に「仰げば尊し」を理解するのに格好のものである。
なぜ「仰ぐ」のか。
谷川の詩が「宇宙のかなた」なのはなぜか。
まためぐりあおうとする英語の「神の国」とはなんであるのか。
心の底に、まぶたの裏に、積み重ねられる過去。
実はその脳にこそ、爽やかで思い出深くて満ち足りた、天国のような場所があるのではなかろうか。