消しゴムの話
僕の体は使われるたび、小さく、丸っこくなってくる。
そして、小さくなる度に僕は、真っ赤なボディがカッコイイハサミ君に、着ている服の裾直しをしてもらう。
「いつも悪いね」
「なあに、お安い御用さ」
いつも、ハサミ君は楽しそうに服を着る。
僕は、ハサミ君がチョキ、チョキ、と綺麗に服をカットするときの音が好きだ。
**
ある日の朝、僕が机の上で目を覚ましたとき、ハサミ君が、いつも住んでいる赤いペン立てにいなかった。
「ねえ、ハサミ君知らない?」
僕はペン立てに入っていた、物知りの定規さんに聞いた。
「サヨちゃんのお道具箱に入っていったよ。多分、今頃学校じゃないかい」
定規さんの言う“お道具箱”と“学校”がイマイチ分からなかったけど、とにかく、もう僕の服はハサミ君に切ってもらえない、という事だけなんとなく解った。
**
「この紙も、汚くなってきたし、いらないや」
あれから、しばらく経って、僕の服はサヨちゃんに捨てられ、とうとう僕とハサミ君をつなぐモノはなくなってしまった。
泣きたい、という感情とは、たぶんこの事だろう。だけど、僕は消しゴムだから。
**
それから5回の太陽と4回の月を見た、夕方。
サヨちゃんが一階のリビングで泣きながらお母さんに叫んでいるのが聞こえる。
かすかに聞こえるのは、誰か知らない女の子の名前と、「ハサミをとられた」という言葉。
「とられた、って何?」
「盗まれた、って事だよ」
そう言う定規さんの声は、何処か搾り出すような声で、心なしかつらいように聞こえた。
僕は、盗まれたって何? ともう一度定規さんに聞いてみたけれど、彼女は何も言わず、ただ赤いペン立ての中に収まっていた。
**
あれからまた、7回の太陽と6回の月を見た、午後。
ハサミ君はまだ帰ってこない。代わりに、綺麗で透明なハサミがやってきた。
「あ、あなたは?」
「私はサヨちゃんのお母さんに買ってもらった、新しいハサミです。どうぞよろしく、小さな消しゴムさん」
彼は、礼儀正しくて、でも、小さくて汚らしい僕を、どこか見下しているような話し方をした。
「ハサミさん、聞いてよ。昨日、サヨちゃんったら、林を森って書いたんだよ」
「あなたは消すのが仕事なんだから、仕事があって良かったじゃないですか」
「……そうだけど」
彼は前のハサミ君のように、僕の話を楽しそうに聞いてはくれなかった。僕らはただ、使われるためだけに、ここにいるんだと言った。
彼は、人間に使われてこそ、価値があるとも言っていた。
「君は、もう長くないだろうがね」
ふっ、と笑い声を盛らしながら言う彼の言葉に、僕は何故かとても腹がたった。
だけど、腹が立ったって殴りかかることすらできない。僕は動けない、消しゴムだから。
「ハサミ君……」
「なんだい?」
「君のことじゃないっ!」
――……早く帰ってきて、ハサミ君。
**
もう、いくつ太陽と月を見たか思い出せないくらい、日が過ぎていった、ある日のこと。僕はもう初めの4分の1も背丈がない。
もうすぐ、君には、終わりが来るんだね、とまたあの腹の立つ含み笑いの入った声で、透明な彼は言った。
そんな時、バタバタバタッと、廊下と階段を駆け上がる音が聞こえた。サヨちゃんだ。
どうしたのかな、と定規さんに尋ねてみると、定規さんもよく分からないらしく、さあ、何だろうね、と言っていた。
バタン! という大きな音を立ててドアを開け、サヨちゃんは真っ直ぐ、僕らのいる机へやってきた。
すると、おもむろに僕の隣にいたイヤミなハサミくんを持ち上げて、大きな箱に入れた。定規さんは「この箱が“お道具箱”よ」とペン立てから言った。
しばらくして、部屋にサヨちゃんのお母さんも入ってきた。
「どうしたの、サヨ。にぎやかに帰ってきて……」
「私のハサミ、帰ってきたの! でも、汚くなってるからこっちを学校に持って行こうと思って」
そう言いながらサヨちゃんが“お道具箱”から取り出したのは、真っ赤でカッコよかったボディの赤い色が所々はがれた、ボロボロのハサミ君だった。
「よォ、元気だったか?」
「……ハサミ君!!」
**
あれから何日かは、ずっとハサミ君が行っていた家の話だった。彼の話は、あの透明でキレイなハサミさんよりも、ずっとずっと面白かった。
「サヨよりもずっとやんちゃなんだぜ、そいつ。俺で何を切ろうとしたと思う?」
「うーん、分かんない」
「どうせ、石とかそう言うんじゃないの」
「オイ、定規! 簡単に正解するなよ!」
どうやら定規さんの言ったことは当たっていたらしく、ハサミ君は悔しそうに舌打ちをした。
「他にも何か切らされたりしたの?」
僕がハサミ君に聞くと、おう、と嬉しそうな声が返ってきた。
「そうだな……飼ってる犬の毛とか、あ、あと、粘土とか切ったりしたなあ。それから一番キツかったのは、犬のお守りだよ。おかげで俺の赤いボディがボロボロさ」
それでも、彼はそれを勲章のように誇らしげに僕らに見せた。ペン立てに定規さんと一緒に入っている、滅多に口を開かないシャーペンさんも驚いたように言った。
「それはすごい体験をしてきたんですね」
「ああ、あっちの家も良かったぜ」
「でも、僕達、君をすごく心配したんですよ」
「悪い。まあ、帰ろうと思っても俺一人じゃどうしようも出来ないからな」
シャーペンさんの言う通り、僕らは本当に心配していたんだ。
シャーペンさんの言葉にすまなそうにしながら、その後は嬉しそうに言った。
「でも、やっぱ俺にはこっちの方が平和で良い」
「何言ってんだか。今までもっと静かで平和だったんだよ。アンタが帰ってきた途端、にぎやかで仕方ない」
定規さんが呆れた声で言う。でも心なしか嬉しそうだ。
――……ハサミさんが、帰ってきてくれてよかった。
それからというもの、机の上は、笑いが絶えなくなった。
僕自身はもう長くないのかもしれないけれど、あと少しの間でも、この、楽しい時間を思い切り過ごそう。
ハサミ君、定規さん、シャーペンさん、その他の筆記用具さんたちと一緒に。
終わり
最後まで読んでくださって有難うございました。