12話 【イル視点】六畳一間のオーバーヒート ――非公開の領域
自分の部屋にナギを招く。それは、私にとって「ルート権限」を明け渡すようなものだった。
秋葉原から数駅離れた、どこにでもあるワンルームマンション。そこに、私がこれまで必死に守り続けてきた、誰にも見せていない「依瑠」の生活がある。
「……お邪魔します。……意外と、普通だな」
玄関に入ったナギの第一声に、私は密かに安堵の息を漏らした。
本当は、彼が来る三時間前から部屋を掃除し、女の子らしい匂いのする芳香剤を隠し、かといって不自然に無機質になりすぎないよう、細心の注意を払って「偽装」したのだ。
けれど、デスクの上に鎮座するL字型のPC環境だけは隠せなかった。
「……お前、ケースファン買い替えただろ。これ、静音性の高い最新のやつじゃないか?」
ナギが私のPCを覗き込み、感心したように呟く。
その瞬間、胸の奥が熱くなった。
大学の友人たちは、私のこの要塞を見ても「すごいね、オタクなんだね」と記号的に処理するだけだ。でも、ナギは違う。私がこだわった静音性、エアフローの最適化、色の統一感――その「意図」を正確に読み取ってくれる。
やっぱり、この人だ。私のすべてを、言語化せずとも理解してくれるのは。
並んでゲーミングチェアに座り、FPSの画面に向かう。
ヘッドセット越しではない、生の声での連携。
「右、角待ち。カバーいける?」
「任せろ。……よし、ダウン」
最高に気持ちがいい。彼と組むと、まるでもう一つの脳を手に入れたような感覚になる。
けれど、ふとした瞬間に、マウスを動かす私の右手が、彼の左腕に軽く触れた。
「…………っ」
指先から心臓へ、高電圧の電流が走ったような衝撃。
画面の中の敵なんて、もうどうでもよくなった。
隣にいる彼の、微かな衣擦れの音、規則正しい呼吸、そして、体温。
それらすべてが、私の冷静さを奪い、思考回路をショートさせていく。
「……お前、リアルで見ると、意外と手が小さいんだな」
ナギが不意に、私の手元をじっと見て言った。
その言葉に、私は息が止まりそうになった。
……気づいてしまったのか。
私が「俺」と名乗っていても、身体構造は抗いようもなく、か弱い「女の子」であることを。
「……当たり前だろ。女の子なんだから。……そういうのは、チャットで言えって言ったじゃん」
ぶっきらぼうに言い返しながらも、私は彼から視線を逸らすことができなかった。
彼が作る、男の一人暮らしにしては手際の良い夕食。
狭い部屋に漂う、ベーコンと卵の匂い。
そのすべてが、私にとっての「幸せの定義」を書き換えていく。
ネットの向こう側にいた親友は、今、私の生活の真ん中にログインしている。
……帰したくない。
このまま、この部屋のノイズの中に、二人だけで閉じ込められてしまいたい。
そんな歪んだ独占欲を、私は静かに、けれど深く、心のアドオンにインストールした。




