第十七話 夜明けの光は自らに(前編)
カヌレは落ちた水滴に気が付くと、慌てて目をごしごしと擦った。
「大丈夫、大丈夫…。どんな最悪も乗り越えて来たんだ…。うまくいくはずだよ。」
無理やり口角を上げて、ゆっくりと立ち上がり歩き出す。手に持った紙を見る。まだ行ってない、月のマークが書かれた住所。そこに行ってみる価値はあった。
「ソルベが託してくれたのかもしれない…。とにかく行ってみよう。」
一人、薄暗い通路を進んでいった。その先に明かりがあることを信じながら。
「カヌレを…ずっと…陥れようとしていたの…?」
ポムが信じられない様子で呟く。サバランはええ、そうですよと平然と答えた。
「あらゆる手を尽くして、彼女を突き落とそうと試みた。ふう…今回は、社会的に彼女を追い詰めた。一緒に戦った事務所の仲間も、探偵の居場所としての事務所も、民衆も…全てを掌握したんだ。今頃彼女は、どこにもない居場所を探し回ってるはずだよ。こんなに新聞に大々的にやれば…彼女が昔から大切にしていた家族の元にも、帰れまい。う~ん、そろそろ…人を恨んで、誰かを憎んで、理不尽に憤慨して…手を真っ赤に染めてくれないかなァ?そろそろ一線を超えるに、bet!」
サバランは困ったように首を傾げた。その様は子供が知育玩具でうまくいかなくて、純粋に疑問を感じてる姿そのものだった。フィナンシェが瞳を少しだけ揺らしながら、サバランの方を睨んだ。
「…陥れようとして陥れられなかった…?彼女は、貴方に気付いていたのですか。」
「いんやァ?彼女は私に全く気付いていなかった。つい最近までね。それなのに、僕が仕掛けた罠を、無意識に避けちゃうんだもん。そりゃあ、若い私を幻滅させて他のターゲットに変えさせるだけの実力者であるわけだ。時には、ただ単純的な気分で罠を回避したかと思えば…おっちょこちょいで罠を踏んだから、やっと突き落とせると思ったら…これが全く突き落とせない。焦らすのがうまいんだから♡…罠にかかったことも知らずに、彼女は一線を超えないという…唯一無二の存在だったのだよ。」
彼は乾いた笑い声をあげた。ポムがきっと睨みながら最低…!と吐き捨てる。その言葉に、サバランはそうかもねと頷いた。
「最低?クズ?ははっ…そんなものに私を当てはめようとするな。相手の痛みは理解できる人だ。世間によくいる馬鹿どもの一員ではない。そう…彼女だって、苦しくて辛くて、悲しみに何度もくれた。地獄のような日々だったろう。どんなに神に懇願しても、助けてくれると囁く人でも、誰も結局は助けちゃくれない。この世からふっと消え去りたい、死にたくもなっただろうと分かるよ?本当に可哀想だ、僕が手を差し伸べたいくらいに。…そして、その上で君には一線を超えてもらう。フフフ…それが本当に楽しいんだよ!痛みを叫びながら、苦しみながら、私のもとで壊れていく。その様がたまらない!」
ドン引きするポムとマドレーヌの前で、ケラケラと不気味な笑い声をあげるサバラン。カッサータとシュトーレンが静かに拍手して絶賛した。
「さすが、サバラン様!人の上に立つ者はこうでないと。やっぱ最高に楽しいぜ。」
「きゃー♡最高!だからカッサータ、このポジションについたのよ。人を陥れるのが楽しい人が私以外にも、いたなんて本当に運命っ。」
サバランがうやうやしく頭を下げてお辞儀をする。そんな異様な光景に、探偵フィナンシェが静かに言った。
「…僕には理解できない。あなたは…壊れていますよ、サバラン。人の苦しむ様や悲しむさまがそんな…楽しむなんて、おかしい。」
彼のあまりに真っすぐな瞳。それは確かに探偵の目だった。サバランはその目を見ると、舌なめずりをした。フィナンシェに顔を寄せ、瞳をじっと覗き込む。彼が少し動揺しつつも、真っすぐ睨み返すと、彼はにっこり微笑んだ。
「良い目ですね。実に探偵らしい。…でも、あなたのような理知的な人は、突き落とすのは簡単なんですよ。隣にいる、暴漢の助手も…カヌレ探偵の助手の赤い髪のポムさんも…おや!ポムさん、私はあなたに意外と感謝してるんですよ?!」
思わぬ言葉に彼女が、はあ?!と声をあげる。彼はえへへと照れ笑いした。人差し指をあわせて、もじもじしながら言う。
「いや…それはもう、カヌレ探偵が探偵事務所を開いて、私は真っ先に駒となる人を探したんです。そうして、君を見つけたんだ。僕の駒になってくれると思ったんだけど…現実はうまくいかないものでねぇ!生憎カヌレ探偵に駒になる運命から引きはがされてしまったけど…でも、逆にこれがうまくいった。君が助手として傍にいて、彼女を一人の探偵をして支えてくれたおかげで、彼女は探偵をやめずに…探偵としての夢を叶え、そうして毎日楽しく過ごすことが出来たんだよぉ?助手もいて、事件を解決する日々…。私の手からあなたを救い出すことが出来たという優越感…保護欲…。だからこそ!私が今突き落としたのが、彼女をさらに絶望させるスパイスになったわけだ。おめでとう!乾杯!」
そう言って彼は急に近くにあった空のグラスを掲げた。シュトーレンとカッサータが乾杯!と言って、シュトーレンは銃を上に向かって撃ち、カッサータは何もない片手を上げた。
「はあ…。はあ…。」
書かれている住所の付近に辿り着いた。後は隠し扉を開けて…外に…。カヌレがそう思って、扉に手を触れようとした時だった。再び、罵声が扉の向こうから聞こえて来た。
「あの探偵たちを許すな!」
「初めから怪しいと思ってたのよ!」
「俺の息子達は冤罪だった!被せた罪を返せ!」
すぐに扉から離れる。
(ここも…。だめ…。)
震える体。動きにくい足。すぐにはその場を離れられず、扉を見つめたまま硬直した。真っ向から飛んでくる罵声に、彼女はしばらく怯えた。反論なんて浮かばない。ただ、罵声を吸収した。やっとの思いで静かに足を動かすと、踵を返してもと来た道を引き返した。
(どうしよう…。どうしよう…。地上に出たら、私は逮捕される…。サバランに誰も気付かないまんま…私だけ牢屋に…。)
不安がぐるぐると脳内を駆け巡る。流石に歩き回ったから、疲労も出て来た。それでもなんとか走る。少しでもあの罵声から遠くに行けるように。
(どうしよう…。もう探偵としてやっていけないのかな…。遠方の親の元に帰りたい…。ああ、でも…親の元に帰ってもどのみち…。私の居場所なんてどこにも…。)
行先なんて無い。嫌な考えがぐるぐるとよぎる。だんだんと彼女は走るのが辛くなってきて、足が遅くなり、ついに地下通路の途中で立ち止まった。
(こんなはずじゃなかった…。今度こそ…焦らず…呑気にやってれば…うまくいくと思ってたんだ…。なのに、みんなを巻き込んじゃった…。私のせいで…。あの時私が、いち早く新聞が出回ることを予測していれば…。)
沢山の後悔が頭をよぎった。必死に震える唇を落ち着かせようと噛むが…ついにぽろっと雫が目から落ちた。その途端にはっとして気が緩んだら、もう涙は止まらない。地下通路で抑えきれなくなった彼女は、一人静かに泣いた。探偵服に顔を擦り付け、涙をにじませる。その場にしゃがみ込むと、震える体を自らの手で抱きしめた。
(私も捕まって…みんなも捕まって…。こんなはずじゃなかったのに…。私のせいだ。どこにも行く当てがない。誰かに頼っても、また巻き込んでしまう…。私は…一人だ。)
嗚咽を必死に喉の奥にとどめ、目から溢れる涙を何度も拭う。彼女を慰める人も、しかりつける人も、ハンカチを差し出す人も…そばにいない。カヌレが静かに泣いていると、そのうちなんだかふらっと意識が揺らいだ。
(あれ…今こんなところで…倒れるわけには…。でも…。)
泣きながら身動きが取れず、彼女はそのままパタリと通路に倒れてしまった。涙を流したまま、意識が暗転した。
「カヌレちゃんは将来、何になるの?」
幼稚園で小さい女の子がカヌレに聞いた。カヌレは遊具に乗りながら、う~んと困った顔をした。
「…普通のママかな。美味しいご飯が作れて、優しいママになりたい。」
「そうなの。じゃあ、こーゆーの好き?」
いきなり後ろ側から声をかけられて、カヌレは振り返った。小学生の男の子が謎解き本を差し出していた。彼女はそれをすぐに手に取り、嬉しそうに頷いた。
「謎解きだ!うん、大好きだよ。探偵になったら、謎を解き放題かな?」
爛々と目を輝かせる彼女。だが今度は後ろから泣き声が聞こえた。彼女が振り向くと、遠くで泣いている子供とその両親がいた。いつの間にか彼女の後ろには、両親がいた。なんで泣いているんだろうとカヌレが首を傾げる。彼女の父の手が肩に添えられた。
「カヌレ。君は正しいことをしたよ。でもね、世の中には…解かないでおくべき謎もあるんだ。」
「そうなんだね、パパ。気をつけるよ。…ねえ、パパ、ママ。私、大人になったら…パパたちみたいに探偵になりたいんだ。」
カヌレがそう言うと、二人は顔を見合わせた。ママがカヌレの肩を掴みながら、向き合った。それはとても優しい目だった。
「カヌレ。分かってると思うけど…探偵になれるのは一握りだけ。それに、パパとママを見てたから知ってると思うけど、稼げるわけじゃないの。優秀な探偵にはさらに優秀な探偵がいる。それに…探偵は基本男がなるものだわ。女の貴方には危険な目にあってほしくないわ。…他の仕事を考えてみましょう?探偵なんて、いつでもなれるわ。それに、副職として働くのもありよ?」
彼女は私は作家になりたい…それに、一か八かでも良いから作家になりたいんだ…と心の中で思った。が、仕方なく微笑んだ。親の優しさも分かっていたから。
「…分かったよ。副職で目指してみようかな。」
そう言って、謎解きの本は手放さなかった。微笑む両親に、彼女も微笑んだ。その時、近くでケラケラと笑う声が響いた。彼女がすぐに目線を移すと、そこには、中学生の男子生徒が数人いた。小さな羽虫を捕まえて、小瓶に入れている。
「こいつ、飼おうぜ。」
「飼育、誰がすんだよ。」
「俺やんねーぞ?」
そう言って嘲笑っているのを見て、彼女は即座に反応した。結論は出ていた。きっと彼らはその虫を世話などしない。
「可哀想だよ、離してあげてよ!」
すると男子生徒たちは笑い声と共にふっと消え去り、目の前には瓶の中で息絶えた羽虫が横たわっていた。彼女は悲しそうに小瓶を見つめると静かに手を合わせた。悲痛な声が飛ぶ。
「助けられなくてごめんなさい…。私があの時助けていれば…。私のせいで…。」
震える彼女の肩が誰かに掴まれる。振り返ると数人の男子生徒に囲まれていた。全員が手を差し出し、彼女をじっとりと見ている。
「大丈夫?立ち上がれる?僕の手だったら良いよ、貸すよ?」
「カヌレって頭良いよな。優等生っぽい。この前も悩み事解決してたし。尊敬するわ。」
「仕方ねーな、さっさと立てよ。こんなところでぽけっとしてんじゃねー。」
その視線に彼女はひどく怯えた。静かに後ずさりをする。
「違う…。私そんなんじゃ…。私は優等生じゃないの…。違う…私は、モテたいわけじゃなくて…私はもっとドジで間抜けで…少年漫画とかアニメとか見てたから男っぽい口調だし…女口調より男っぽい口調のがあってるし…型に私をはめようとしないで…!」
ぶるぶると体を震わせ、彼女は静かに逃げ出した。すると、その矢先で今度は、高校時代の学校の廊下に来た。全員がしらーっとした目で彼女を見て、廊下から外に出れなくて困ってる虫を助けようともしない。彼女は窓を開けて蝶を解放した。誰もが参考書を見たり、教科書ばかり見ている。窓の外へ飛び立った蝶を見つめながら彼女は小さく微笑んだ。
「モテなくて良いんだ。もう誰かにモテたくない。型にはめられるくらいなら、型をぶち壊しにいく。それで周囲にはドン引きされて、嫌われたかもしれないけど…モテるより良いよ。勉強なんか後でいくらでも取り返せばいい。今目の前にいる、助けられる小さな命を助けるよ。…本音を言えば、私も勉強したいけどね…。副担任が社会の先生なのに、私…地理…学年最下位、取っちゃったからさ。」
あははっと彼女は照れくさそうに笑った。蝶はもう見えなかったが、綺麗な青空が彼女を見返していた。そんな青空を見つつ、彼女は困ったように笑った。ふっと瞳が曇る。小さくつぶやいた。
「E判定だけど…受かるかなぁ…。親戚の子と、仲が良いままでいられるかなぁ…。嫌われてるかも…。昔のように、仲良く遊びたいな。」
そんな彼女は今度はちょんちょんと誰かに肩をつつかれた。
読んでいただきありがとうございます。
投稿時間遅れたどころか、深夜投稿すみません。
今読んでる人は作者と同じ、夜更かし共犯者ですおめでとう。
深夜投稿なのでエックスのリンクは割愛させてください。それでは怪盗ノクターンに仕組まれた布団に篭ります




