第一話 彼女はカヌレ探偵
大変ご無沙汰しております、Ameme-H(星くず餅)です。一年の時を経て、ようやくこの場所に戻ってくることができました。ずっと待っていてくださった方も、今日初めて出会う方も。私の新しい物語に、少しだけお付き合いいただければ幸いです
「ご来店ありがとうございましたー。」
緑色の屋根に茶色の壁の建物。その前では、うねうねとした黒髪にメガネをかけた、一人の男性店員がぺこりと頭を下げていた。彼が見送る先には、一人の女性がいる。彼女は軽く手を振りながら、大通りへと歩き出した。
すらっとした体形に、探偵服。少し高身長でこげ茶色の長髪。年齢は25歳である。優しそうな顔立ちで、きらきらとした夜明け前の瞳は、前方を見据えていた。大通りを歩きながらぐーっと背伸びをすると、快晴の空を見上げふっと微笑んだ。
彼女の名前はカヌレ。ちょっと変わった探偵である。はっとした様子で顔を下に向け、腕時計を見ると少し青ざめた。
「やべっ。カフェでゆっくりしすぎた!急いで向かわないとっ。」
ものずごく慌てた様子で大通りを駆け抜けていった。彼女の宿命の歯車はまさに今、動き始めた。
フレグランスの丘にある、大きな屋敷。そこでは、一つの事件が起きていた。西洋造りの屋敷の中で、カヌレ探偵は屋敷の主人達の話を聞いていた。
「…つまり整理すると、ここ三日間で、異音や異臭が多発していると?」
「その通りです。」
屋敷の主人である、シュトロイゼルが困ったように言った。宝石の散りばめられたお洒落な服装に、茶髪のくるくるとした髪型。年齢は三十代後半あたりだろうか。相当な金持ちであることは確かだった。
「もううんざりしているんです。夜も安心して眠れやしない。私はいつ殺されるか分からないんだ!」
本当ですわと傍の女性が言う。彼女はキャラメリゼ夫人。艶やかな茶髪を毛先でふわりとまとめ、宝石を飾った指輪やブローチを身に付けていた。非常に困った顔でため息をつく。
「こんなこと今まで一度も無かったのに…。私達が一体何をしたというの?」
イライラが抑えきれないように指をトントンと手のひらにぶつける。その様子をちらっと見ながら、カヌレが優しく微笑んだ。
「お辛かったでしょう。分かりました、原因の調査にあたらせていただきます。」
ありがとうございますと二人が口を揃えて言った。主人のシュトロイゼルが廊下に向かっておーい、ポムと声をあげると、一人の女性使用人が出て来た。身長はカヌレより少し低く、赤髪のボブヘア。凛とした目がとても綺麗な女性だ。彼女はカヌレを一瞥すると、礼儀正しくお辞儀をした。シュトロイゼルが少しそわそわした様子で説明する。
「この屋敷に来るまでの道のりは、さぞ大変だったことでしょう。屋敷は丘の上ですから、町とも離れてますし、調査もあるでしょうが、まずはごゆっくりなさってください。何か困ったことや調査に関することは、うちの使用人のポムになんなりとお申し付けください。依頼をしていて大変申し訳ないのですが、私は急用が入ってしまいまして…。妻もこの後友人たちとの食事会に行く予定が出来てしまったもので。…失礼ながら私達の代わりにポムが対応いたします。ポム、カヌレさんのことを頼むぞ。」
「かしこまりました。」
ぺこりと女性がお辞儀をする。カヌレはにこにこしながら、よろしくね〜と使用人に手を振った。主人達は申し訳なさそうにその場から離れ始めた。
「それでは私達はもうそろそろ…予定がありますので…。」
「ああ、分かりました。大丈夫ですよ。お気になさらず、予定を優先してください。」
カヌレが了承した途端、二人はありがとうございますと礼を言い、その場から離れて屋敷の外へ消えてしまった。彼らを見送ったあと、カヌレはポムの方に向き直った。
「あ、せっかくだから、客室に行くついでに、この屋敷を一度全部把握しておきたいんだ。とりあえず…屋敷の全部屋とか見て回りたいんだけど、大丈夫かな?NGな場合は、申し訳ないから…その時は見れる部屋だけで良いんだけど…どうかな?」
カヌレが呑気にポムに言うと、彼女は大丈夫でございますよ、全部屋を見てもよいとご主人様に仰せつかっておりますと言った。
「それでは、各部屋をご案内いたします。」
カヌレを引き連れて歩き始めたポム。廊下を歩きながら、カヌレが思い出したように言った。
「…ポムは何歳なの?」
「二十五歳です。」
「おお!同い年ッ!!」
キラキラと目を輝かせ始めるカヌレに、ポムは面食らいつつも微笑む。次の瞬間、カヌレの口から思わぬ言葉が飛び出した。
「同い年なら話しやすくて良いや!ちょ、提案なんだけどさ、主人達がいない今だし、敬語無しでいかねぇ?」
「…え?いやでも…あたしは使用人ですので…。」
困惑する彼女に、カヌレはパンと両手を合わせ、ペコッと頭を下げた。
「気にしないで!というか、私の頼みっ。まあ、無理して敬語無しにしなくても良いけど…強要はしない!けどもしよろしければ!出来ればあなたのことも知りたいし…それにほら、使用人と客より、まるで友達のような関係の方が、会話しやすくなるでしょ?逆にそれくらいフランクな方が、この謎の解明に繋がることとか、発見しやすい面もあるからさ。…どうかな?」
「わ、分かりましたよ…。」
ポムは混乱しつつも、あまりの勢いに押されて、ため息交じりに了承した。
「謎の解明に役立つとは思えないけど…そこまで言うなら、確かに今は主人達もいないし、あたしも敬語なしで応対するわ。…もし敬語なしで応対してるのを見つかっても、あなたならちゃんと探偵として主人達に説明してくれそうだし。」
「わあ、ありがとう!助かるよ〜。私…敬語出来なくはないんだけど、えへへ…たまに変な敬語使っちゃったりするから、あんまり敬語に自信ないんだぁ。」
困ったように笑うカヌレ。手で頭を抑えて自嘲する裏表がない様子に、ポムはしばらく呆けていたが、くすっと小さく微笑んだ。
「大丈夫よ、敬語なんてすぐに慣れるわ。あたしも最初は出来なかったけど、だんだんと出来るようになったもの。こういうのは経験よ。誰でも最初から出来る人なんていないわ。」
ポムの言葉にカヌレが少しだけ、嬉しそうにうんと頷く。ポムは優しいんだねと微笑んで言うと、彼女は驚いた様子だった。すぐに照れくさそうに顔を背けてしまった。
「普通のことを言っただけよ。それより、屋敷を見るんでしょ。ほら、さっさと行くわよ。のんびり見てたら日が暮れちゃうわ。」
いそいで歩き出すその背中をカヌレは優しく見守ると、後ろをついていった。
二人は各部屋を順番に見回った。
「ここがキャラメリゼ夫人の部屋。夫人は、外に出かけることが多いから、あんまりこの部屋にはいないわね。基本的には朝九時に起きて、夜は一時とかに寝るわ。」
「確か夫人の部屋では、夜中に異音がすると言ってたな。バキっとかギギっとかいう音らしいね。多分木製のものや、金属系だとは思うけども…。見る限りは不自然な点はないね。壁は厚い。特に隣の部屋の音が聞こえてるというわけでもなさそうだ。建付けではないね。…夫人は夜一時に寝る、随分遅いんだね?」
「ええ。寝ている時とか食事以外では、ほぼ外出してるのよ。友人たちとのお食事会とか、ゴルフだとか言ってるけど、一部の使用人の間じゃ浮気の噂が出てるわ。」
ま、浮気しようがあたしには別にどうでも良いことだけどね、とポムは手を横に振った。彼女は面倒な様子で、部屋の入り口の柱によりかかっている。カヌレは夫人のいかにも女性らしい、清楚な部屋を、隅々までじっくりと見た。綺麗な化粧品に、高そうなオイル。高価なアクセサリーが、棚にずらりと並んでいる。その一つ一つを見ながら、カヌレはポムの他にも使用人はいるの?と聞いた。
「当たり前よ。あたし以外に五人いるわ。男女の比率は丁度半分ね。後で会ってみるといいわ。みんなそれぞれの場所で活動してるはずだし。…そろそろ次の部屋に行く?」
「あ、ちょっと待って。あの暖炉は?」
カヌレが部屋の隅の暖炉を指差す。焦げた薪が転がっているが…。ポムがああ、あれねと言いながら古い暖炉よと説明する。
「キャラメリゼ夫人は寒がりなの。夜中に暖炉に火をつけたまま寝るのよ。」
「じゃあその近くにある…その金属のオブジェは?」
カヌレが金属製のオブジェをしげしげとみる。銀の馬のオブジェだ。それは数年前にオークションで買ったものよとポムが言う。
「ふむ…。ありがとう、次の部屋に行こう。」
満足した彼女の言葉に、ポムは頷いた。
次の部屋は、整理整頓されていた。近くの棚には沢山の書物と書類。窓からは光が差し込んでいた。
「ここはシュトロイゼル主人の部屋。投資家で、近くの病院とか、競馬の名前とか、色々なことに関わってるわ。投資関係の仕事で忙しくて、大抵は自室に籠っているか、外出して投資相手と会っているわ。」
「綺麗な部屋だね。主人の話によると、ここは時折、昼夜関わらず異臭がすると。しかも焦げたアーモンドの匂い。おそらくシアン系かな。特殊な匂いだし、青酸カリとかはそういう匂いだけど…それをご主人は、調べて知ったみたいだね。まあ、部屋からそんな匂いがしたら殺される前兆と思うのも、無理もないね。」
カヌレは、確かにうっすらと匂いがまだ残ってると言い、部屋の窓を開けた。ポムが匂いに顔をしかめながら、呆れたように文句を言う。
「あの主人は神経質なのよ。芳香剤かなんかじゃないの?夫人が浮気してるって噂、あの男だって多分耳に入ってるでしょ。あの男も浮気してるんじゃない?女の家に行ってるのがバレないように、匂いを消すためとか。」
「ははっ!そしたら面白いね。浮気に浮気か。ドロドロしてるねえ。」
カヌレが笑いながら、周囲をくまなく捜索する。そして、棚の中の書類を見た。
「これは投資関係か。…まあ、これはご主人に許可を取らないと分からないね。見る限り異常は無いかな。」
よし、ありがとう、次の部屋に行こうかとカヌレが言うと、ポムが返事をした。
「ここはあたし達の使用人の部屋。それぞれのロッカーと荷物置き場よ。宿舎は屋敷から少し離れたところにあるわ。」
「ここでは特に異常は無いとのことだったね。どれどれ…ふむ。皆さん素敵なものをお持ちだね。各個人の荷物がここに入ってるんだね。」
各人のロッカーを開けて順番に見ていく。お、この人はフィギュアスケート好きか、シフォン選手可愛いよねわかるよ、同じTORのブランドの靴まで持ってるんだね…こっちの人は、サンジェットゲームのBの因縁Ⅱが好きなのか!あれは人気高いよね、私もいつかやってみたいのよあのソフト、うわ、超絶レアのT83…やるねえ…!…この人はお菓子作りが好きなのかな?製菓用エッセンスとSRの鞄…これはこの子良い趣味だね、一度じっくりお話してみたいよなんて言いながらいろんな人の荷物を見ていく。ポムのロッカーを開けたとき、カヌレはおお…と声を上げた。
「シンプルイズベストだね。」
「物が無いだけよ。」
ぶっきらぼうにいう彼女に、カヌレは笑った。
「いやいや、これはこれで良いんだよ。ロッカーの使い方なんて、人それぞれだからね。」
なーんて言いながら、人のロッカーを物色する探偵なんて…前代未聞だろうなぁ、とカヌレはお茶目に笑った。
二人が他の部屋を見回っていると、丁度廊下に二人の女使用人がいた。
「…ご主人に医療費を負担してもらってるんですってよ?」
「まぁ…私だって親の治療費を負担して欲しいくらいだわ…。」
二人はカヌレたちが近づいてくると、慌ててぺこりと頭を下げた。カヌレがこんにちはーと明るい声を放ちながら、二人の方に近寄っていく。
「初めまして、探偵のカヌレです。お二人は?」
「使用人のマカロンです。」
右にいる使用人がペコリと頭を下げる。金髪が外側にカールした、セミロングの女性だ。左の女性もそれに続くように自己紹介する。カヌレは二人からある程度の話を聞きだすと、ありがとう!と言ってポムのところに戻って来た。
「ごめんごめん、つい話し込んじゃった。次の部屋に行こうか。」
カヌレの言葉にポムはため息を吐きながら、ええ、行きましょうと返事をした。
夕方ごろ主人達が帰って来て、カヌレ探偵に原因は分かったかと聞いた。彼女は申し訳なさそうに笑った。
「あ~…すみません、まだあと三日くらいかかりそうですねこれ。」
「はあ?!」
主人達が驚きの声を上げ、傍で聞いていたポムも思わぬ展開に口を開けた。散々屋敷を見回って、使用人たちからも話を聞いて、なんなら依頼人の主人達からも事情を聴いた、挙句の果ての…この有様。主人達が解決できるんじゃなかったのか?!と騒ぐ一方、カヌレは困ったようにぽりぽりと頭を掻いていた。
「いやあ…そんな屋敷一周したくらいじゃ、分からないこともありますしィ…。えと、だってほら、まだ私その異音とか匂いも…よく把握してないですしィ…。」
「あれ?さっきでも匂いは…。」
ポムが言いかけると、カヌレはぎくっとした顔をした。その様子を見て、主人達が怒り狂う。キャラメリゼ夫人が、わなわなと唇を震わせながら叫んだ。
「探偵だとは言ったけど…女だから頼りないかもと思ったら!これだから、探偵に相談はやめましょうと言ったのよっ。ぼったくりよ、詐欺よ!」
「依頼金は返さなくていい!その代わりもう二度と来るな!」
シュトロイゼルが顔を真っ赤にしながら、男の使用人にこいつをつまみ出せ!と叫ぶ。カヌレはえ、ちょ!ま、待って下さいよ!と言うが、男に適うわけもなくそのまま屋敷の外につまみ出されてしまった。屋敷の扉がバタンと閉まる。
「あちゃー…つまみ出されちゃったよ。あはは…。」
カヌレが困ったように笑いながら、探偵服についた砂埃をパンパンと払う。が、なんだかその時くらっとした。
「あれ……。」
焦点が合わなくなり、冷や汗が出て来た。変に頭がぼーっとするような感じがする。彼女は呼吸が早くなるのを感じながら、立っていられなくなり、膝をついた。
「うう…。」
何度酸素を吸っても、酸素濃度が低くて吸った気がしないような感覚。視界がだんだんと真っ暗になっていった。そうして、しばらくして彼女はぱたりと気を失い、地面に伏した。
「全くなんなんだ!あの探偵はっ。お金を無駄にした。」
「別の探偵を呼びましょっ。」
キャラメリゼ夫人が言うが、シュトロイゼルは少し困ったように顔を横に振った。
「また今回みたいに…変な探偵に依頼しては困る。別の探偵に依頼するには、まず探偵のことをよく調べて、その上で依頼するか判断しよう。優秀な女探偵と噂で聞いていたし、それなりに近すぎず遠すぎないところに事務所があったから…なんて思って依頼したのが馬鹿だった。」
さて、一度お茶にしようと主人達が客間へと向かう。男の使用人はお茶菓子の準備へと回った。ポムはそのまま主人達の後ろについていく。が、近くの窓を通った際、丁度玄関の外で膝をついている探偵を見た。明らかに様子がおかしい。泣いているのかと思ったが、肩が上下していて、頭を垂れている。そのうえ、垂れた長髪の分かれ目から見える首筋が、夕焼けの光を浴びてキラキラと輝いている。あれは汗…?と思って見ていると、主人達がポムの様子に気が付いた。
「どうした、ポム。」
「あ、いえなんでもありません。」
彼女が慌てて主人達の方へと視線を向ける。シュトロイゼルは呆れたように言った。
「全く…お前は昔からぼーっとしてたり、仕事が出来なかったり…。弟の医療費を負担してやってるんだぞ。出来ない割に、ここで働かせてやってるんだから、ありがたいと思って仕事しろ。そうすれば少しはできるようになる。いいか、人間やる気が全てなんだよ。」
シュトロイゼルの言葉に、彼女ははい…と答えた。キャラメリゼ夫人も夫の言葉にうなずき、本当にどうしようも無い子ね、私達がいなかったらこの子どうしてたのかしら、と笑った。二人はきっと碌な目にあっていなかっただろうと言いながら、再び歩き出す。ポムはその背中を静かに見つめていた。廊下の小さな机の上には、大きめの花瓶があった。しかも部屋の扉の前と窓際にそれぞれ一個ずつ。ポムが静かにそれに視線を向けた時だった。
パタッ。
視界の隅で、何かが揺れた気がした。彼女がゆっくりと視線を向けると、窓の外にカヌレが倒れていた。すぐに起き上がるだろうと思っていたが、なんとなく気になって目の端で見ていた。予想は外れ、全く起き上がる様子は無い。
「………。」
目の前の花瓶二つと、主人達を、彼女はじっと見つめた。
「……うーん……?」
カヌレがゆっくりと目を開ける。見たことのない真っ白な天井。どこかの病院だろうか?と思いつつも、視線を泳がせる。すぐにこげ茶色の髪の男が出て来た。白衣を着て聴診器を首から引っ提げている。
「あ、気づきましたね、カヌレさん。良かったですー。」
「ここは……?」
「マリネ病院です。あなた、シュトロイゼルさんの屋敷の前で倒れてたんですよ。」
「え……あ……ああ。はい。」
倒れる前の記憶を思い出し、カヌレが寝ぼけながら頷く。
「それで、屋敷の使用人がうちに電話してくれたんですよ。いやぁ、目が覚めてよかったですー。貧血ですね。症状も回復したみたいで良かったです。貧血で倒れる事はよくありますか?もしあれでしたら、血液検査とかしますよ?」
「あ、ありがとうございます…。いえ、あまり倒れることはないので大丈夫です。大抵寝れば治るんで。」
カヌレが寝ぼけた頭をフル回転して必死に答えると、医者はそうですかと頷いた。
「それではもう帰って大丈夫ですよ。私も他の診察があるので、失礼しますね。」
医者はすぐにその場から去っていった。カヌレはその後ろ姿を目で追いながら、ゆっくりとベットから体を起こした。とりあえず周囲に目を走らせる。丁度ベットから少し離れたところに、赤髪の女性がいた。不貞腐れたように座っているポムに気が付くと、カヌレはきょとんとした。
「あれ?ポム?…来てくれたの?ありがとう!」
「なに入院したみたいに言ってんのよ。そもそも電話したのあたしだし。全く…屋敷の外でぶっ倒れてんじゃないわよ。心配になっちゃうでしょ。気を付けなさいよ。」
ぶっきらぼうに言う彼女に、カヌレは電話してくれたの?ありがとう!おかげで助かったよ!と嬉しそうに言った。ポムはハア…と溜め息を吐きながら、本当にあなた呑気ね、と呟く。カヌレはにこにこしながらシーツをどかし、自分の靴を履きながら言った。
「屋敷の方は大丈夫だったの?あのご主人達、厳しそうじゃん?」
「無理やり言い訳作って来たわよ。まず救急車を呼んで…主人達に屋敷前で倒れてるのを見つけた、変に死なれても困ると説得して…その後、あたしが責任をもってここに来たのよ。主人達には、弟の書類関連のことで病院に行かないといけない、と言ってね。」
彼女は元気になったのなら、良かったわと言った。カヌレは靴を履き終えると、不思議そうに彼女に聞いた。
「弟?」
「そう、弟のヴェルト。つい最近までここに入院してたんだけど、亡くなってね。だから書類関係のことがあると言っても、まぁなんとか納得してもらえたわけよ。」
そうだったんだ…なんかごめんねわざわざ…そんな病院に…と、カヌレがしょぼんとして言うと、ポムは良いのよ、と手を横に振った。
「屋敷から一番近い病院は、ここしかないんだから。それに明日は屋敷のシフト入ってないから、どうせ休みだし。さ、さっさと帰りましょ。」
ポムの言葉にカヌレはうん、ありがとうと言って一緒に病院から出た。外はもう真っ暗だった。道路沿いを歩きながら、カヌレがさりげなく聞く。
「明日は何する予定なの?」
「そうねえ…買い物かしらね。あたし今まで宿舎に泊ってたんだけど、なんだか屋敷で奇妙なことが起きてるじゃない?宿舎も危ないかなと思ってて、どこかに家でも借りようかなと思ってんのよ。セントラル街のオペラデパートにでも行って、不動産と、新しい家具とかの下見でもしてこようかしら。」
「へ~良い予定だね。」
カヌレが呑気ににこりと微笑んで言う。ポムも微笑む。他愛のない話…一見そう思えた。何気ない様子で、カヌレが呑気に言う。
「あ、そうそう。宿舎が危険だと思ってるのなら、ポムには言っておくよ。宿舎は多分安全だよ。」
「…………は?」
突然の言葉に彼女が唖然としていると、目の前の探偵は純粋な優しい笑みで、つらつらと言い始めた。
「屋敷での奇妙なことに関して…異音と異臭だったよね。異音は銀の馬のオブジェに施された細工。キャラメリゼ夫人は普段部屋にいないから、寝る時だけ暖炉に火をつける。すると、近くにあるオブジェはだんだんと熱される。一定の温度で金属がきしむように細工されているから、それで異音が響くわけだ。もちろん金属のオブジェは、傍からみたら何も起きてないように見えるから、夫人も気づかなかったんだろうね。火事の危険もあるから、暖炉からベットは離れておかれてたから…余計に、ね。異臭に関しては、主人の部屋の通気口内に大量にこぼされた液体。あの屋敷には高価なアーモンドオイルが夫人の部屋や厨房にあったし、製菓用エッセンスもロッカーにあった。…安心して良いよ、主人達を狙った犯行だ。君たち使用人の方にはいかないよ。もしいくとしたら、既に仕掛けているだろうし。もちろん、このことがポムの仕業じゃないことも分かってるよ。他の人だろうね。」
ポムが呆然としながら、全て解けてたの…?と聞くと、彼女は笑った。
「まさか。これはほんの一部だよ。まだ謎は根深くあるからね。それじゃ、そろそろ私も帰らないと。今日はありがとう。そうだ、今日のお礼をしたいから…明日オペラデパート付近に行くなら、その近くの公園に、午後六時頃来てくれない?ちょっとで良いからさ。んじゃ約束!お疲れ様~!」
「は?ちょ…ちょっとまっ…!」
一方的に言われて、ポムが慌ててカヌレをひきとめようとするが、彼女はすぐにタクシー!と言って、丁度きたタクシーを呼び止めた。また明日ー!とか言って即座に乗り込んで、そのままタクシーで走り去る。ポムは呆然としながら、その場にしばらく立っていた。
「なんなの…あの探偵……。」
翌日、黒ズボンに黄色いパーカーを着たポムはオペラデパート内にいた。不動産屋、家具屋、服屋…いろんなものを見て歩くが…買いたい衝動が出てこない。腹立たし気にデパート内をウロウロしていた。
(…昨日のあの探偵の言葉が気になって仕方ない...。なにも頭に入ってこないじゃないっ。何してくれてるのよ、あの探偵。貴重なシフト外の時間なのに…。)
躍起になって振り回されてたまるかと、雑貨屋をみたり、薬局をみたりするが…結局いつの間にか予定の時間になってしまい、何一つとして借りる家も、家具も、それ以外も全く買わず決まらずのまま、午後六時になった。デパートを出て、近くの公園の前に来て、ポムは重苦しい溜息を吐いた。
「結局…何も決まらなかったわ…。どうしてくれるのよ…。」
悲しそうにつぶやいた時だった。
「ごめーん!乗ってーーー!」
聞き覚えのある、あまりに自然で能天気な声。ポムが声のした方向へ顔を向けると、遠くの方に見知った顔が見えた。
「…カヌレ?!」
白い車に乗って必死にハンドルを掴んでいる。そのまま、彼女の目の前で車を急停止させると、カヌレは開いた窓から叫んだ。
「乗って!はやく!」
「え?!」
ポムが戸惑うが、彼女のあまりに必死な形相に気圧され、急いで車に乗る。その途端、カヌレがアクセルを踏んだ。慣性がかかる中、ポムは一体何事?!と聞く。彼女はハンドルを必死に掴み、バックミラーで後ろを確認しながら言った。
「えへへ、ごめん…。ちょっと、悪い人達に追いかけられてて。」
「はあ?!」
思わぬ言葉にポムが唖然とする。彼女の荒っぽい運転にどうにか耐えながら、必死に頭を整理するが、全く飲み込めなかった。
「なんで?!」
カヌレは少しの間黙った。車内の雰囲気が一気に変わったのを感じて、ポムも黙る。
「……あなたは、どうしたい?」
唐突な言葉に、ポムは困惑した。先ほどのあの能天気な声とは全く違うトーンだった。真剣で、それでいて…優しい声。カヌレは、ポムの方を見向きもせず、静かに言った。
「復讐したい?」
その言葉にポムはびくりと体を震わせると、観念したような目をした。カヌレの方に、諦めたような、悲しそうな、それでいてどこか助かったような視線を向ける。車内はやけに静かだった。街灯が時折車内を照らしては消えていった。
「…知ってるのね。あたしが、屋敷の主人達を殺そうとしてたこと。」
少し弱弱しい声に、カヌレは静かに頷いた。
「うん、知ってる。あなたが、彼らを殺そうとしたことも、それが弟を殺されたからだと言うことも。そして……あなたが、彼らを殺そうとして殺さなかったことも。」
カヌレはバックミラーを確認しながら、ポムに語りかけた。
「…どうして、殺さなかったの?私が倒れたあの時、あなたは殺すことが出来たはず。」
ポムはしばらく黙っていたが、視線を逸らし窓の方を向いた。外の景色を見ながら、ため息交じりに言う。
「殺すはずだった。…あなたのせいよ。」
「……え?」
カヌレが聞き返すと、ポムは少しだけ小さく微笑みながら、ぶっきらぼうに言った。窓に小さな微笑みは反射していたが、カヌレからは見えない位置だった。
「…探偵だから、ある程度知ってると思うけど…あたし、弟が全てだったの。親はシングルマザーでさ、病気がちであたしが小さい頃に亡くなった。弟も遺伝なのか知らないけど、病気がちだった。だから、小さい頃からあたしが全部背負って、弟の医療費も必死に稼いでたの。」
あの屋敷で働いてたのは、小さい頃からずっと弟のためだったのよ、と彼女は言った。その声は普通を装っているが、小さく震えていた。
「苦しくない訳じゃなかった。あんなクソな屋敷の主人達だったからね。弟の医療費の負担を掲げられて、こき使われたわ。負担してくれてるのなんてあたしぐらいだから、周囲の人間なんて、もう最悪よ。えこひいきと思われて嫉妬してるのか、怒られてばかりで出来ない奴だと思われたのか…それとも自分らの仕事がうまくいかないわりに、あたしだけうまくいってたりすると気に入らないのか…そりゃひどいことをされ続けたわ。それでもね、別に良かったのよ。弟が元気になってくれるなら。滅多に出来ない面会でも、あたしに会うと笑顔を向けてくれたのよ。いつか病気が治ったら、一緒にどこへ行こうか、話すだけでも楽しかった。……それだけで、あたしは十分幸せだったの…。」
うん…とカヌレが小さく相槌を打つ。ポムの声の震えは収まったが…その代わり、頬に光るものが窓に反射していた。
「…でも、もう会えないんだけどね。弟があいつらのせいで殺されたと知った時は、絶望した。だから、殺すつもりだった。…刺し違えてでも。どのみち弟はもういない、あいつらを殺して、あたしが逮捕される。それで良かったのよ。」
少しの沈黙の後、カヌレが優しい声で言った。
「でもあなたは、それをしなかった。どうして?」
ポムは震える口を閉じた。しばらく沈黙した後、少しだけ口角を上げる。夜の景色を見ている瞳は潤みながらも、どこかあたたかい目をしていた。
「弟は病気がちで、よく倒れることが多かったの。だから毎回あたしが傍にいて、倒れたら慌てて病院に連絡してた。…倒れているあなたを見たとき、弟の影が重なったのよ。あなたを放っておいて、彼らを殺すことも出来た。でも、それをしたら…あなたは助からないかもしれない。ふとそんなことがよぎったのよ。見殺しにするのは、奴らが弟にしたことと一緒じゃないかってね。だから殺すのをやめて、あなたを助けた。殺す機会なんてあなたを助けてからだって、いつだってあるもの。」
「そう…。ポムは優しいね。」
その言葉に、彼女は驚いてカヌレの方を見た。するとハンドルを握ったまま、いつの間にかポムの方を見ていたカヌレとばっちり目が合い、彼女はすぐに動揺して視線を逸らした。何気ない素振りで窓の方に顔を向ける。視線がかち合ったら、あまりに優しい目だった。窓に反射した頬を伝う涙が見えて、彼女は袖でごしごしと拭った。
「…優しくなんかない。あたしだって、人を殺そうとしたのよ。殺人未遂者よ。」
「でも、他の人を犯人に見せかけようとはしなかったじゃん。ちゃんと自分が犯人として捕まるつもりだったんでしょう?責任感がある証拠だよ。」
「…そんな甘いこと言ったって、警察に突き出すんでしょ?良いのよ別に、同情なんてしてくれなくても。」
ポムが不機嫌そうに言うと、カヌレは小さく笑い声を上げた。
「突き出したりなんかしないよ。あなたは優しい人間だからね。それに、なにも悪いことをしてないのに、突き出せるわけないじゃない。」
「だからあたしは殺人未遂を…!」
ポムがムカついて反論しかけたとき、カヌレがはっきりと言った。
「もし、あなたが殺人を犯すように仕向けられていたとしたら?」
「…………は?」
予想外の言葉にポムが詰まってると、カヌレはにこっと笑った。
「そしてあなたをはめた奴を、私が追ってるとしたら?」
「………なによ……それ………?………あたしが……?」
混乱するポムの横で、カヌレは堂々と言い放った。
「そういうわけだから警察に突き出せない。それに私が追ってる奴は、まだ警察ですらその存在を認知してない。……ポム、あなたは探偵作品とか読んだことある?」
「………シャーロックホームズなら?」
「それなら話がはやい。いわゆる、モリアーティみたいな存在がいるんだよ。あなたはそいつにはめられて、殺人を犯すように仕向けられてた。おめでとう!あなたは奴の思い通りにはならなかったわけだよ!」
満面の笑みと超明るい声を飛ばすカヌレに、ポムが動揺しながら待って待ってどういうこと?!と食ってかかる。いつの間にか静かにこぼれていた涙はどこかへ吹っ飛んでしまっていた。
「なによそれ?!なんで警察が認知してなくて、あなたが認知してるのよ?!」
カヌレはしばらく悩んだ後、ドヤっとした顔を向けた。もったいぶった声で答える。
「私、実は…こう見えて、優秀な探偵だからね。」
「ふざけてんじゃないわよ!」
パリィィィンッ。
ポムの叫びと共に、突然窓ガラスの割れる音が響いた。突如車内に風が吹き込む。思わぬ音に二人とも驚き、ポムが呆然として、音のした方向を見る。後部座席の窓が派手に大破し、椅子の上にガラスが散りばめられていた。しかもそのガラスの破片の中に、よく見たらレンチが転がっている。大破した窓からは、少し遅れて隣を走る黒い車。ポムが青ざめると共に、カヌレが慌てた声で叫んだ。
「やばい!油断してたっ。後ろにいたのに、いつの間にか横に来てる!」
「アクセル!もっとスピード出して!」
吹き込む風のせいで、二人の髪の毛が乱れる。ポムの悲鳴に、カヌレが必死にアクセルを踏んだ。慣性がかかり、体が後ろに引っ張られる。それに耐えつつ、ポムが叫んだ。
「あの黒い車、なんなの?!」
「ポムの弟の病院の医者と医療機器メーカーの人達。屋敷の主人達と癒着してて、賄賂関係の書類とか、あとポムの弟に仕組まれた手術の失敗とかの書類をこの車に積んだから、追っかけられてるんだ!バレたらやばいんだろうね。なにせお金の為に人の命を奪ったんだからね。」
「……危険を犯してまでそんな……。あたしのために……?」
呆然とするポム。カヌレはハンドルを操作しながら、はは!と笑い声を上げた。
「うん、そうだよ!こんなんだから変わった探偵と言われるんだろうね私っ。でもドジだから、車に積んだ途端バレちゃってさ。こんな有様だよ。とりあえず万が一私がここで死んだら、墓石にスイーツ置いといてくれない?なんか今すごいスイーツ食べたい気分だからさ、食べられずにお亡くなりになったらよろしくっ。」
「縁起でもないこと言わないでよ!てか気分って……!」
ポムが即座に切り返した途端、ゴッっと鈍い音が響いた。二人が一瞬で青ざめる。後部座席のドアのボディに、なにか硬いものがぶつかったのが分かった。二人の脳内に先ほどのレンチが浮かぶ。
「アクセル!とにかくアクセル!」
必死なポムの言葉にカヌレがさらにアクセルを踏む。
「ところでこれどこに向かってんの?」
「ポムが働いてる屋敷だよ。」
「癒着相手のところに行くの?!」
驚きの声に、カヌレはうんと元気よく言った。
「準備は整えてある。大丈夫、もうすぐ着くから。」
スピードを上げて、車は夜の街道を走り抜けていく。街灯が少ない道を通り抜け、いよいよ真っ暗闇の屋敷が見えてきた。ただし屋敷に明かりは一つもない。
「もう十時だもの、あいつらは寝てるわ。屋敷に行って、一体どうするの?あたし達が殺されるだけじゃ?」
「いいや、大丈夫。むしろ屋敷は安全なんだ。敷地内に逃げ込めれば、私達の勝ちだよ。」
カヌレは得意げに言うと、屋敷の敷地内に車を入れた。後に続いて、黒い車も敷地内へと侵入していく。ハイスピードで庭へ突っ込み、カヌレは急いでブレーキをぐっと踏んだ。車がキキキキと音を立てながら、徐々に減速していく。ポムが体を座席にへばりつかせながら、なんとかうめき声をあげつつ、体を安定させようとする。
「大丈夫!多分止まるっ!」
カヌレが反動に耐えながら叫ぶ。後ろの黒い車も減速しているが、カヌレたちよりはやくからブレーキを踏んでいたので、安定して減速していた。二人の乗った車のフロントガラスに屋敷が迫って来る。カヌレがぐっとハンドルをきり、なんとか屋敷にぶつからずに済むように、一か八か車を横にする。タイヤのキュルキュルという嫌な音が響き、車はドリフトして奇跡的に、屋敷の目の前で止まった。屋敷の入口の支柱との距離は僅か3センチ。ポムが生きた心地がしない顔でほっと胸を撫でおろしたが、すぐにはっとした様子で、ハンドルを掴んだままぐったりしているカヌレの方を見た。
「逃げるわよ!ここにいたら殺されちゃうわっ。」
「だ、大丈夫だよ…ポム……。」
カヌレがぐったりとしたままふにゃふにゃ声で言う。その様子にポムが眉をひそめると共に、大きな声が響き渡った。
「確保ーーーーーーーーッ!!」
彼女が驚いた顔で外へと視線を向ける。屋敷の裏からドタドタと警官が出て来た。一瞬で黒い車を取り囲む。黒い車は慌てて逃げようとしたが、入口の方から来たパトカーに退路を塞がれた。即座に車から複数名の男女が引きずり降ろされ、逮捕される。彼女が驚いていると、一人の若い刑事が二人の乗っている車の方へと来た。茶色の髪をして、真面目そうな顔をした男だ。警察手帳を見せつけながら、呆然としているポムと、ぐったりとしているカヌレに向かって言う。
「初めまして。刑事のガレットだ。運転席で探偵服を着てる女は、今回賄賂や意図的な手術ミスによる殺人の証拠を、署に送った探偵だな?そして、被害者のポムだな?」
ポムが混乱しつつも頷くと、彼は少し不機嫌そうに視線を逸らしながら言った。
「探偵に手柄を横取りされたのは癪だが、礼を言う。奴らのことは以前から噂があがっていたが、確証は無かった。それと、弟のことはすまなかった。刑事として謝る。」
若い刑事はポムの方を見るとびしっと深く頭を下げた。彼女が突然のことにえ…あ…と戸惑っていると、ガレット刑事は顔を上げ、未だにぐったりしているカヌレの方へ向いた。
「事件の真相を暴き、そして逮捕するのは本来警察の役目だ。今回の件はあれだが、俺は基本的に探偵というものを信用していない。今回のように、証拠を唐突に送りつけるようなことをするな。はっきり言って迷惑だ。それでは失礼する。」
一方的に言うと、ガレット刑事はポムに軽く会釈して、踵を返した。そのまま他の警官達と共に、黒い車に乗っていた人達の対応に回った。カヌレがぐったりとしながら、えへへ…と困ったように笑った。
「車酔いしちゃったよ…。そんな中あんな言葉を言われるとはね。まあ、別にそんなこと言われても謎があれば…。」
カヌレはへらっと笑うが、隣のポムが静かに黙ってるのに気付いて、首を傾げて彼女を見た。彼女が静かにカヌレの方を向く。目には、はっきりと怒りが滲み出ていた。カヌレが、あ…となる瞬間、ポムが怒りの声をあげる。
「なによ…?あいつ何様?あたしの弟に謝ったのは良いとして、こっちこんな目に合ってるのよ?…カヌレがいなかったら、あたし危なかったのよ?」
「まァまァまァ…。彼にもきっと事情があるんだよ。」
カヌレが笑顔でなだめるものの、ポムは怒りが収まらない様子だった。なにか考えるような表情を浮かべる。その後二人の元に警官が数人来て、二人はそれぞれ署で事情聴取を受けることとなった。
数日後、新聞のとある一面にポムの屋敷が映っていた。記事には「人為的な医療ミスで医療費削減」とか「お金の為に人の命を奪った医療」などの見出しが書かれ、屋敷の主人達、一部の使用人、医療機器メーカー、医療関係者が逮捕されたことが書かれていた。その記事の隅をよく見ると、「事件を解決へと導いたのは女探偵!」と書かれている。別の新聞では「カヌレ探偵事務所の、探偵カヌレだった。」とも書かれている。
事務所の机で新聞を開き、自分のことが書いてあるのを見たカヌレ探偵は、ニコニコと微笑んだ。椅子にぐでーっと座り、ふふふ…と惚気ている。
「ついに新聞に…良いねぇ。私も有名人かァーーーっ。カヌレ名探偵!どんな事件も解決!まさに優秀!そして容姿端麗!ふははっ、まんざらでもねぇぜぇーーーっ。」
一人で勝手に妄想して、歓喜のあまり両足をじたばたとさせる彼女。事務所公認の執事であるタルト・タタンが、真っ白な髭をかすかに揺らしてほっほと笑った。
「カヌレ様の実力の賜物でございますよ。」
「流石タタン、分かってるウ!」
カヌレがドヤッとしつつ、嬉しそうに叫んで紅茶を飲む。タタンは新しい紅茶を淹れながら、事務所で新聞を嬉しそうに見ていた。
「ところでカヌレ様、その後ポム様はどうなったのです?」
彼がふと気付いたように言うと、彼女はああと思い出すように言った。
「うーん、どうなったんだろうね。警察の事情聴取はポムのが先に終わったんだよね。ポムは証拠収集に関わってなくて、あの時車に乗っただけなんだけど…。一方で、私は証拠収集してたからね。まずどうやって証拠を集めたのかとか、色々きかれることが多かったんだ。だから、ポムだけ先に解放されて、私がその後しばらく警察署にお世話になったんだよね。」
「左様ですか。無事だと良いのですが…。」
タタンが不安げな顔を浮かべる。カヌレはそれを見て、大丈夫と頷いた。
「確かに今回、彼女は殺人を犯すように仕組まれてた。でも、結局彼女は殺人を犯さなかった。ポムは強い人だよ。きっと自信を持って生活し始めたんじゃないかな。あ…でも、屋敷じゃもう働けないか…主人が捕まったもんね…。今頃、新しい職場でも探してるんじゃない?」
呑気な声でカヌレが言った。
その時だった。
バンッ!
突如事務所の扉が開かれた。タタンとカヌレが驚く中、キャリーケースを持った赤髪の短髪女がずかずかと入って来た。赤いスカートに白いシャツ。可愛らしい見た目だが、険しい顔である。カヌレの座っている机の前に来ると、何も言わずカヌレをじっと見た。
「えと…何か、依頼でも…?」
紅茶のカップを持つ手が震えながら、困惑した顔でカヌレが言う。相手は、怒り狂った声を上げた。
「新聞見たわよっ。働くわよ、ここで!」
「えっ…?」
思わぬ言葉に聞き返すと、相手は説明し始めた。
「あたしが殺人犯になるように仕組まれてたなんて聞いたら、うかうか其処らへんで働いてなんかいられないわよっ!またいつ殺人犯にされるかも分からないのよ?!そのうえ、下手したらそいつに殺されるかもしれないじゃないっ。だったら一番安全なところで働くのが一番でしょ?!」
あまりの気迫に、タタンも思わず紅茶以外にお茶菓子も準備し始めた。カヌレが椅子にへばりつきながら、ご…ごもっとも…と呟く。それでもポムの勢いは止まらなかった。キャリーケースの取っ手を握る手に力を込めながら、イライラした様子で言う。
「あとムカつくのよ昨日のガレット刑事とか言うやつ!ハア?!あいつ何様なのよ?あたしが危うく殺人犯になるところだったなんて微塵も知らずに?探偵は信用してないとかほざきやがってさあ!…あたし、カヌレ探偵に社会的に救われてるのよ?!本当にムカつく。何が、「弟のことはすまなかった」よ!大体あんたら警察があいつらをそうそうにとっちめてれば…そもそも、カヌレが気付いてる、あたしをハメようとした奴を逮捕してれば!あたしこんな目に合わずに済んだのよ?!」
「ま、まあ…ポムをハメようとした奴は…人の手を使って悪行を行うやつだからね…。警察もまだ奴に感づいてないし…気付きにくいし突き止めにくいんだと思うんだ…。」
恐る恐るカヌレがなだめるように警察を庇う。が、ポムの怒りは全く収まらないどころか、さらに燃え上がった。
「突き止めにくい?だったら暴いてやろうじゃない。上等よ!こいつがあたしをハメようとして弟を殺した原因よって警察に突き出してやるわ。そのためにもここで働かせてもらうわ!あなた助手は?!」
勢いを鎮めようとしたタタンがポムにお茶菓子と紅茶をすっと手渡す。ポムはありがとうございますと鼻息荒く言い、客人用の机とテーブルに座らず、その場でカヌレ探偵の机に置き、目の前で紅茶を立ったまま飲み始めた。あまりの所業にカヌレが戸惑いつつも答える。
「えと…いないけど…。」
「じゃあ、決まりね!あたし、ここで助手として働くわ!今日から事務所にお世話になるけど、よろしくお願いいたしますねっ。」
立ったままバリバリとお茶菓子のクッキーを頬張る。カヌレもなんとか落ち着こうと紅茶を飲みながら、う、うん…あ、ありがとう…よろしく…と答える。探偵の目の前で鼻息荒く立ちながら食べる助手なんて前代未聞じゃないかとかこっそり思ってると、ポムが言った。
「んで?そのあたしをハメた奴は誰なのよ。ただじゃおかないんだからっ。」
いつの間にかお茶菓子を食べ終えており、タタンが横からすっとチョコレートを出す。ポムが再び食べ始めながら聞くと、カヌレはふっと真剣な顔になった。机の引き出しからすっと一枚の紙を取り出す。
「名前は分からない。なにせ、奴は自分の手を汚さず、人の手を使う。そのうえ、人の手を使ったことがばれないように…自分の駒には、自分のことを明かさないようにしつけてあるんだ。」
「最低ね!」
「全く同感だよ。けど、その割には自分の存在を、分かる人には分かるように、ごく少数の人には気付いて貰えるように仕向けてるんだろうね。いわば、自分の駒を…使い捨ての駒を増やすために。これが、奴が関わってることが分かるマークだよ。」
そう言って白い紙を机の上に広げた。そこには、金色で、ドロッと雫が垂れているような、SRの文字があった。
「………ガチャ?」
ポムが困惑しながら言うと、カヌレが笑った。
「スーパーレアとか?そうだったら良かったんだけどね。」
しばらくポムはじーっと見ていたが、ふと思い出したように言った。
「あれ!?あたしこのマーク見たことあるっ!同僚だったマカロンの鞄とか…弟のかかりつけ医のキーパッドとか…あと医療機器メーカーで、点検で病院に来ては、弟に懐かれてよく読み聞かせをしてたファッジさんとか……。てっきりなんかのブランドかと…。」
「その人たちは間違いなく、奴の息がかかった人達だったんだろうね。なにかおかしなことは無かった?」
彼女の問いに、ポムは思い出すような顔をしていたが、しばらくして、はっとしたように目を見開いた。驚いた顔でカヌレの方を見る。
「そういえば、あたしがご主人に弟の医療費を負担してもらってるって、本当は秘密だったはず。けどいつの間にか噂になってて、マカロンが他の使用人に言ってるのをあたし見たことあった。あの時は誰かにバレたか、うちの主人達が酒に酔って漏らしたのかなと思ってたけど…もしかして?それに弟が、以前あたしにお医者さんはどうして僕には、他の人と同じ器具を使わないのかな、みんなと一緒がいいのにな…とか言ってた…。てっきり病気のことだと思ってたけど……。それじゃあ、弟が亡くなった後ファッジさんに、この病院はやぶ医者だって噂があって、しかも割とガチっぽくて…弟さん大変なご病気でしょうに、なんでこの病院に連れて来たんでしょうね…出来れば別の病院の方が良かったでしょうに…と言ってたのも……。確かにあたし、あの言葉を聞いて…主人達を調べて…。うそ…思い当たるものがありすぎる。殺したくなるほどの殺意に満ちた時も、なぜかあたしの近くに凶器になりそうなものとかがあった。てっきり、殺意に満ちてるから偶然そんなものに目がいくと思ってたけど…うそ…あれは…でも…偶然じゃ…。」
脳内にこれまでのことがフラッシュバックしていく。ふと見つけた誰も使ってなさそうなロープ、弟の病院の廊下にある銀の荷台に乗ってた使用済みの麻酔針、屋敷の倉庫に目につくように置いてあった殺鼠剤や大量の薬…。そこにあってもおかしくないものだが、今考えれば、わざわざ自分が通る道に目につくように置かれていた。他の道にはおいてなかったの?と目の前で混乱するポムを見て、カヌレは小さくつぶやいた。
「…そこにあって当たり前のもの。だけど、普通はそこまで目につかないものだよ。どんなものでも凶器にはなるが、殺意に満ちた場合は確実に殺せるものを選ぶ…よほど衝動的で殺せないものしかない場合以外は、ね。…そう考えると、明らかにポムの周りにだけ、凶器があふれているのを私は見てたよ。そこにあってもおかしくないものだからこそ、普通の人は気づかない。その上、人を使ってそんなことをしているんだ。奴は相当タチが悪いよ。」
ポムを殺人者にさせなくて良かったとカヌレは微笑んだ。その優しい笑みに、ポムは動揺しつつも、少しだけ心を落ち着かせることが出来た。巧妙にはめられそうになっていたことを、とんでもない記憶を必死に受け止めながら、ポムはぐっと手を握りしめる。微笑んでくれたカヌレを見つめ返す。
「…ありがと、カヌレ。あたしを救ってくれて。思い当たる節がありすぎて、本当に仕組まれてたんだと実感したし、思い返すと本当に怖い。誰も信じられなくなる…。けど!負けないわよ、そいつの正体暴いてやるんだからっ!そしてあのガレット刑事にぎゃふんと言わせてやるのよっ。」
「良いね!その域だ。ポムならきっと出来るよ。応援してる!」
「あなたが解くのよ?あたしはあくまで助手よ?」
「あ、そうだった、私は探偵だった。」
「ふざけてんじゃないわよ。」
えへへと笑うカヌレに、ポムは呆れつつもにこっと笑った。すっと手を差し出し、カヌレと握手を交わす。二人は互いに意を決した様子で見つめ合った。
「これからよろしくね、カヌレ。」
「よろしく、ポム!」
薄暗い部屋で、男は一人で将棋をやっていた。相手はいないが、対面の座席にはシュバルツヴェルダーキルシュトルテが置いてある。
「う~ん、爪が甘いですねぇ。さぁ、ここで王者は破れるのか!血に染まった全国大会っ。努力が全て報われるとは限らない。しかし、その瞳はまだあきらめていない。…ここまで積み重ねてきたその足跡が糧になる。今永遠の王者へと手を伸ばす。さあ、ここで攻め切れるか。黒い森のサクランボケーキ選手!今、栄光へとその地道な足を踏み出すーー。たった一人の歩兵がうなりをあげたーーーっ。それでは私がその歩兵もらっちゃいまーーーす☆黒い森のサクランボケーキ、破れたりィーーーーー!!」
そう言って元気よく相手の歩兵を取ったその時だった。
ピロンっ。
近くに置いてあるパソコンに通知が届いた。男はそれを見ると、取った歩兵をポロッと落とした。しばらくして、興味深い声を上げる。
「ほお…。私の駒になるはずが、なりませんでしたか。まあ、そのようなこともあるでしょう。そしたらまた別の形で駒になるように…へ?探偵?」
彼はうーんうーんと頷くと、急に大興奮し始めた。
「ついに現れた!私の存在に気付いた探偵が。これは素晴らしい、いやなんと素晴らしい。良いでしょう、私が存分にお相手しますともっ。女探偵で名前はカヌレ…。良い名前ですねえ!私、昂ってきちゃいましたよお!」
そう言って雄叫びを上げると、将棋の乗ってた机を両手で持ち上げ、勢いよくひっくり返した。派手な音を立てて、将棋の駒が散らばり、台もころがり、相手だったケーキに将棋の駒が降り注ぐ。男は雄たけびをあげて、近くの棚からフォークを取り出すと、将棋の駒をよけてケーキを食べ始めた。
「祝杯ですね今日は!ああ、なんて素晴らしい日。普段ならこんなケーキを冒涜するような…将棋の駒を誤って降り注ぐなんてことしないのですが…今日はつい興奮してしまいました。てへっ☆許してぇーーーー…にゃんっ♡…これ実は、私の手作りケーキなんですよ~~~!まあ、なんて素晴らしい出来っ。君にはプロになる才能がある。うちの店に来ないか!ああ、やはり美味しいですね黒い森のサクランボケーキは。どれほど待ちわびたことか。」
ふふふと彼は笑うと、先程までの行動とは一見、上品にケーキを食べ始めた。
「さて、これで私の存在に気付いたのは二人目ですね。もちろん、一番に私の存在に気付いた君にも期待しているよ?…怪盗君。」
彼はそう言うと不敵に微笑んだ。
「しっかし、新聞に私の事務所が乗るとは…。しかも助手まで手に入る。こんな幸せな日なんてないよ。もう新聞のトップは私で間違いないね。一面を飾ったと言っても過言じゃない!なにせ事件を解決に導いたんだからっ。新聞の他の記事なんて…私の記事に比べたら、大したことないぜ~。」
事務所の椅子に座りながらカヌレが喜ぶ。ニマニマしていると、ポムが笑った。
「確かにこの事件の記事は、通行人も騒いでたわ。」
「でしょ?」
「でも、怪盗ノクターンの記事の方がもっと騒がれてたけどね。」
その瞬間、カヌレの笑顔に亀裂が入る。ばっと新聞紙を開き直し、他のページを見る。そして、自分の記事よりもデカデカと書かれている怪盗ノクターンの記事を発見した。「怪盗ノクターン、またもや現る!」とか「やつの目的は一体!」とか書かれている。月を背に、どこかの屋上に立つシルエットが、画像として張られている。カヌレは悔しそうに新聞紙を机にたたきつけた。
「おのれ怪盗ッ!私のデビューの邪魔しやがってっ。怪盗ノクターンだぁ?いつか正体暴いて、私が新聞を横取りしてやっかんなああああああああ!」
そう、これは、探偵、悪、怪盗の三つの勢力が互いに火花を散らす物語である。
第一話、いかがでしたでしょうか? 久しぶりの投稿に少し緊張していますが、楽しんでいただけたら何より嬉しいです。実はこの後、数分おきに第三話まで一気に公開する予定です。もしよろしければ、このまま続きも覗いてみてくださいね。




