25(2)
夜の王宮、深い静寂に包まれている。
淡い灯りが差す執務室の中、ヴェルシエルは一枚の手紙に目を通していた。
机の端には、小さな小箱が置いてある。
中には、幼い頃セレナが作ってくれたピンクの押し花。
それをふと手に取り、彼は静かに笑った。
(……あの頃と、何も変わっていない)
優しく、真っ直ぐで、他人を思いやる。
誰かが泣いていれば必ず手を差し伸べ、
それがどんなに自分を傷つける結果になっても構わない――セレナは、そういう人間だ。
そんな彼女が“悪女“と呼ばれている。
彼にとってそれは笑い話にもならない。
「……くだらない」
小さく吐き捨てる。
その声には、怒りと悲しみが混じっていた。
扉が叩かれる。
「殿下、アルディア・カリステラが参りました」
「入れ」
金属音を響かせて、王宮騎士団団長アルディアが姿を現した。
彼女は一礼し、報告書を差し出す。
「こちらが本日の魔獣報告書です。」
「あぁ」
ヴェルシエルは報告書を受け取り、短く息をついた。その瞳は小さく揺れる。
「殿下。例のセレナリア様の件はどうなったのでしょう?」
「それならさっき了承の手紙が届いた。予定通り五日後の正午に来る」
そう話す彼の瞳には先程の揺れはなく何処か優しさを宿していた。
「……承知致しました。しかし、よろしいのですか?」
「何がだ」
アルディアの言葉にヴェルシエルは声を低くする。瞳には怒りが揺れた。
「いえ。ただ彼女は今、少しばかり世間から注目を浴びております。婚約者とはいえ直接王宮にお呼びするのは危険ではありませんか?」
「分かっている……」
ヴェルシエルは手にしていた押し花へ視線を落とす。
「セレナは幼い頃から私の隣にいた。だから私は彼女が誰よりも優しく努力家なのを知っている。……そんな彼女が“悪女”などと呼ばれるのを、黙って見過ごすつもりはない」
その声には、政略的な婚約者の義務感はなかった。一人の青年としての思いが込められていた。
「殿下、しかし噂の出どころを探っているのは危険です。相手が貴族筋であれば――」
「理解している。だが、やめる気はない」
ヴェルシエルは掌の中にある押し花をそっと握りしめる。
「……セレナを傷つける者がいるなら、たとえそれが誰であろう私が止める」
「……殿下」
アルディアは一瞬、言葉を失う。
普段の彼なら決して口にしないほどの強い感情。
「彼女はこの国にとっての光になる。けれどそれ以上に――」
ヴェルシエルは微かに笑みを浮かべた。
「――私にとって必要な存在なんだ」
静かな夜に、優しく呟かれた思い。
けれどその声色はとても悲しげに聞こえた。
(……殿下はもうとっくに決意されているのだ)
「殿下のお気持ち承知いたしました。殿下がそこまで信じられるのであれば、私どももあの方を信じましょう。」
「ありがとう、アルディア」
少しだけ安心したように笑うヴェルシエルにアルディアは小さく頭を下げる。
「それで殿下は五日後立ち会うのですか?」
「……あぁ。今後の動きに必要なことだ」
「必要?」
「彼女の“努力”を、王家が正しく証明する。そして彼女の噂を流している者への牽制にな」
ヴェルシエルは手を背に組み、窓の外に目を向けた。月が輝き、王都を静かに照らす。
アルディアは口元にわずかな笑みを浮かべた。
「殿下……まったく、貴方ほど愚直な方はおりません」
「愚直でいい。私は彼女を愛している」
その言葉に、アルディアは一瞬だけ息を呑む。
「了解いたしました。今後、余計な口を挟む者がいれば厳正に対処いたします」
「頼む」
短くそう告げると、ヴェルシエルは再び押し花を見つめた。
あの日、彼女が「殿下みたい」と言って笑っていたピンクの花。
その押し花から彼女の微笑みが浮かぶ。
(……もう二度と、間違えない)
王太子の胸に、静かな決意が揺れた。
月光がその想いを照らし輝く。




