4話 共鳴(1)
朝の日の光がカーテンの隙間から溢れ私の顔を照らす。外からは鳥のさえずりが聞こえ目を覚ました。
薄ぼんやりと覚醒していく意識の中、目を擦っていると手の中に感触を感じ確認する。そこにはあのクマのぬいぐるみがあった。思わず上体を跳ね起こす。
「まさか」
ぬいぐるみの存在に思考が凍りついていると、コン、コンと控えめに部屋の扉をノックする音が響いた。
「おはようございます、お嬢様」
入って来たのは侍女が二人、100回目の目覚めの時とは違う朝。
ぬいぐるみを握りしめながら硬直している私に、茶色の髪に薄い茶色の目の色をした侍女が話しかけてきた。
「おはようございます、セレナお嬢様。起きておられたんですね、では早速お着替えを致しましょう」
彼女は98回のループではすでに屋敷にはいなかったけれど、私が悪女と呼ばれてもずっと信じてそばに居てくれた一人。
私の筆頭侍女ーーマルセナ・パールストンだ。
そうか、今はまだ10歳だから彼女は屋敷にいるのね。
「どうかされましたか?」
動かない私にマルセナは首を傾げていた。
「なんでも、ないわ」
「お嬢様!今日のお召し物はこちらのドレスにしましょう」
そう言ってドレスを持って来たのはピンク色の短めの髪をふわふわと揺らす彼女はシェルミレッタ・アメドット。彼女も私の侍女だ。
ミレッタは少しアリーに似ていて天真爛漫で無邪気な笑顔を見せる、この可愛らしい笑顔も前回のループ中はすでに私に向けられなくなっていた。
「ミレッタ、走ると危ないですから慌てずにいらっしゃい」
駆け寄るミレッタを嗜めるマルセナ。
彼女たちにもう一度会えたことが嬉しくて涙が出そうになるのをグッと堪えた。
あんなに涙なんて枯れたと思っていたのに。
なんだか自分が涙脆くなってしまった気がする。
「ありがとう、二人とも」
二人は不思議そうに顔を見合わせていた。
「やっぱり頭を打たれてまだ、体調がすぐれませんか?」
マルセナが心配そうに私の顔を覗き込むが私は首を横に振って答える。
「大丈夫よ、なんともないから準備しましょう」
そう言って、二人に準備を手伝ってもらう。
ミレッタが選んできたのは、動きやすいように装飾が少なめで、胸に小さ目のリボンがある可愛らしいドレス。
髪をマルセナがハーフアップにしてくれて、控えめの緑に金の刺繍が入っているリボンを結んでくれた。
「今日もとってもお美しいですね」
「本当です!お嬢様は誰よりも綺麗です」
二人の褒め言葉が陽だまりの様に胸に広がっていく。
「二人のおかげね」
ドレッサーの鏡越しにみる二人の顔はとても嬉しそうに笑っていた。
あの1ヶ月とは違い優しい空気が流れていることになんだかソワソワした。そんな部屋にコン、コンっとノックの音が響く。
「セレナ様、私です」
扉越しに聞こえたのはアレスの声。私は「どうぞ」と返事をし、彼は返事を待ってからゆっくり扉を開けて入ってきた。
「ご準備は出来ましたか?今日一日のご予定ですが公爵様が一通りのご予定をキャンセルされましたがいかがされますか?」
「……特にしたいことなんてないわ」
自分が今までどうやって普通の生活をしていたかも忘れてしまったのに、予定なんて聞かれても。何をしたいかなんて分からない。
「では、庭を散歩してみてそのまま朝食を外で食べるのはいかがですか?」
「そうね……外の空気を吸うのはいいかもしれない」
私は庭に向かうことにして、アレスたちとともに、部屋を出てサロンへ向かった。
幾度となく通って来た廊下はあの1ヶ月の時とは違い薄暗さはなくどことなく明るく優しさが漂っている。すれ違う給仕や侍女たちも笑顔で私に挨拶してくる。
あのループの間は誰一人として、私に挨拶するどころか後ろ指を指し笑っていたのに。
ーー『アリシア様はお優しいのに』
『魔力なんて平民以下なのになんであんなに威張れるのかしら』
彼らの私を見る目は冷たく、蔑んでいた。廊下を歩くと私をみんな、避けて歩いていた。ーー
あの時は、冤罪もそうだけど私の性格まで嘘で塗り固められていつの間にか噂が一人歩きしてどんどん、悪女になっていた。
だから、この廊下も歩くのが怖くなってたから、あまり部屋から出なくなっていたけど、この廊下の壁に飾られた家族の肖像画は覚えている。
あのループの時にはもうーーここにはなかった。
私は、廊下の壁に大きく飾られている私たち家族4人の肖像画を見上げた。
「あっ!お姉様、おはよう!」
足を止めていたら後ろから小走りにアリーが近づいて来た。私は彼女を見ずにゆっくりと歩き出して返事は返した。
「……おはよう」
「ねぇ、お姉様!」
彼女は歩き出した私に追いつこうと駆け寄ってくる、私は少し歩く速さを早まる。
「お姉様ってば!体調は大丈夫なの?」
止まらない私の隣に並び彼女は私の顔を覗き込んでくる。なぜ、ついてくるのかしら。わざと離れているのに可愛いらしい仕草でコテンと首を傾げるアリー。
「えぇ、少し良くなったわ」
無視をするのは気が引けるから返事だけは返したけど、歩くスピードは変えない。
「何処かに行くの?」
彼女は私とマルセナたちをちらちらと見ながら考えるように、人差し指を顎に当てて聞いてくる。きっとアリーは自分が可愛いのを理解して動いてるんでしょうね。そんな事を考えながら仕方なく答える。
「……外の空気を吸いに」
「そうなの?庭にお姉様の“好きな花“が綺麗に咲いてるの……私も一緒に行っていい?」
私の言葉に目をキラキラさせて聞いてくる。
でも、正直に言うとあまり一緒にいたくない。
アリーがそばに居ると底のない沼のようなドロっとした感情が這い回るようで息が詰まる。しかし、10歳頃の私たちは仲の良い双子だったはず。
ここで断るのは変、よね……。
周りが感じている私たちの関係に違和感があるとまた、“悪女“と呼ばれてしまうかもしれない。私は小さくため息を吐き歩く速さを緩めて、彼女の顔を見て小さく頷いた。
「えぇ、もちろん」
了承を得たアリーは嬉しそうに笑った。
私たちがサロンから庭に出ると私の沈む心とは裏腹に、優しい風が頬を撫でた。
甘い花の香りと広がる懐かしい景色。
あの“ループ“の時は、庭にも出なくなってたから……。
本当に久しぶりにこの景色を見た気がする。
風に靡く銀色の髪を右手で押さえながら深く息を吸って吐く。
優しい日差しにさっきのドス黒い気持ちが少しだけ和らいだ。
ゆっくりと歩きながら庭にある花を鑑賞する。ここにある花たちは、ほとんどがお母様かアリーが好きな花。
私はどちらかというと可愛い物より落ち着いたものが好きだった。
だから、可憐な花よりも、根を張る観葉植物を見ているほうが落ち着いた。
「お姉様、ほら、見て!見て!綺麗よ」
前を歩いていたアリーが急にこちらを振り向き手招きしながら微笑んだ。
そして、手招きをする彼女のそばまで行くと現れたのは、視界いっぱいに咲き誇る“アネモネ“だった。