2話 100回目のループ(2)
お母様は少女をアリーと呼ぶけど彼女は、私と“同じ“18歳“のはずだ。
それなのに、こんな幼い姿をしている少女がアリーだというの?
何度も立たされた地獄の断頭台の上。
恐怖と絶望で震える私を見下ろしていた、あの妹の暗闇の深淵のような瞳。
目の前にいる幼い少女の瞳にもあのアリーのような闇が映し出されていたような気はした。
しかし、最後の記憶の中にいる二人の姿と重ならないことに、鼓動がうるさいくらいに内側から警告音を鳴らす。
締め付けられ程の息苦しさを感じ胸をギュッと抑える。
私は少女を見ていることが出来ず視線を下に逸らし、唇を噛み締めた。
ふともし、この少女がアリーなら私の姿はどうなっているのだろう?
そんな疑問が浮かび私はベッドの横にあるタンスの中に手鏡があるのを思い出し、引き出しに手を伸ばし、手鏡を覗き込み自分の顔を確認する。
「……これ、って……」
手鏡に映っていたのは、小さな手を頬に添える幼い姿の私だった。
いったいどうなっているの?
この幼い姿は何?
この手鏡に映っているのが本当に小さい頃の私ならやっぱりあの少女はアリーなの?
手鏡をタンスの上にゆっくり置いてもう一度、少女に顔を向ける。
私に見つめられ少女は不思議そうな顔をして首を傾げ濃い茶色の瞳でこちらを見ている。
知っている。
この小さく右に傾ける仕草も私を映す瞳も。
「お姉様?大丈夫?」
彼女だと思うと体が無意識に拒絶し力が入らない。それでも、確認しないと納得できなくて、微かに震える肩にグッと力を入れベッドから立ち上がる。そして、少女の前に立ち、声を絞り出すように問いかけた。
「……あなた、アリーなの?」
そう問いかけた瞬間、部屋の空気が一瞬で変わり、ざわりと冷たい風が吹き抜け、静けさが部屋をゆっくりと支配していった。
目の前の少女が口を開こうとした瞬間、その静けさを切るように部屋の扉がノックされガチャリと開いた。私たちは、開く扉に顔を向ける。
入って来たのは、銀色のような薄い灰色の長めの髪を右の肩くらいのところで結び、こちらを見る瞳の色は濃い茶色をした若い男性。
「起きたかセレナ、そろそろ準備をしないと選定の儀に間に合わないぞ」
品のある歩き方でコツコツと靴の音を鳴らしながらこちらに歩いてくる若い男性は、その見た目より遥かに落ち着いた雰囲気を放っていた。
この気品のある貴族男性にも見覚えがある。
その人物も私の思い出したくない1人。
私のーーお父様。
そして、私に話すお父様の言葉にも強烈な違和感を感じ、ゆっくりと口にしてみた。
「……“選定の儀“?」
「そうだ、前から伝えてあっただろう、婚約者であるヴェルシエル殿下も立ち会ってくださると」
違和感の塊が、錘をつけたように胸に重く沈み苦い記憶が心を覆う。
お父様まで何を言っているのだろう?
魔力測定は10歳の頃に終わっているし……殿下が立ち会うなんてそんなこと、あり得ないわ。
お父様の話を聞いて現実味のなさに、少しずつ頭の中の困惑が冷静になるのを感じ、ようやく鉛のような塊を言葉にする。
「……お父様。選定の儀は……10歳の時に終わっていますし、殿下はお忙しい方なのでそんな事で、私に会いに来たりはしません」
私の言葉に3人は怪訝そうに眉をひそめ、お互いに視線を向けた後、私に目をやる。
「お姉様……さっきからどうしたの?私たち、先月のお誕生日会で10歳になったばかりよ?“シエル“もお姉様の好きな“アネモネ“の花束を持ってお祝いに来てくれたじゃない」
10歳になった“ばかり“その言葉に、感じていたズレのピースが一つ、一つ重なり形になっていく。
「すぐに枯れてしまうからって押し花にして栞したと見せてくれたじゃない、ほら、そのタンスの上にある栞」
そう言ってタンスを指さされ私は振り返る。
ベッドの横にあるタンスの上には確かに栞が置いてあったし、その“青いアネモネ“の栞に見覚えがあった。
「それに、“シエル“のことを殿下なんて呼んだことないでしょ?本当にどうしたの?」
彼女の言葉に胸の奥が軋んだ。
幼馴染でもある彼を“シエル“と呼ぶのは小さい頃の私とーー。
妹のアリシアしかいない。
目の前の彼女はやはり双子の片割れなのだと理解する。
重なったズレに理解は出来たーーが納得の出来ない光景に、逃げるように一歩後退する。
「セレナ?本当に大丈夫?どこか具合が悪いの?頭でもぶつけたのかしら?」
後退していく私に優しく声をかけるお母様。
優しいお母様の顔を、声をもう一度聞いたことに体が無意識に反応して、喉の奥がヒュッと音を鳴らす。
「……そうだな、選定の儀は日を改め、今日は医者を手配しよう。アレスにヴェルシエル殿下への伝令を頼んで来る」
私の異変にお父様もそう言って部屋を出た。
パタンと閉まる扉の音が妙に大きく響く。
お父様まで私を労っていて、目の前の光景はまるで奇劇でもみせられているような気がした。
「お姉様、本当に大丈夫?」
扉をじっと見つめる私にアリーとお母様は憂を帯びた独特な影を纏い私の顔を見つめていた。
今までのループとはまったく違う。
何がおきているの。
100回目のループで何かが変わったていうの?
起きている状況に思考が追いつかず、私はベッドの脇に崩れるように座った。
「セレナ!どこか痛いの?大丈夫?」
崩れ落ちるように座った私にお母様が駆け寄ってきて、目線を合わせるようにしゃがんだ。
どうして、私は10歳になっているの?お父様やお母様も若くなっている、魔力測定もまだ終わっていないなんて。
いつもの処刑ループじゃない……ってこと?
頭が、痛い。
状況の整理が追いつかず私は頭を抱えてお母様の問いかけに答えた。
「大丈夫です、お母様……でも、なんだか混乱していて、少し横になっていてもいいでしょうか」
「そうね、そうしたほうがいいわ、さぁ横になって」
お母様は私を優しくベッドに寝かせ布団を被せるとベッドの脇に座り優しく頭を撫でた。
こんな風にされたのは、いつぶりだろうか?
私が思い出せるお母様はもう私のことなんて、見てくれる事なんてなかった。
「ゆっくり休みなさい」
「……ありがとう、ございます」
久しぶりの優しさにこそばゆさを感じるのと、あのループでのお母様と目の前で微笑みかけてくるお母様、私への態度の違いの大きさに不快感が心を締め付けた。
「お姉様、ゆっくり休んでね?また、来るわ!」
柔らかく陽だまりのような温かさに、もう二度と触れる事はないと思っていた。本当なら嬉しいと思うはずの温もりに、今は息がつまりそう。
私は二人に小さく頷くのが精一杯だった。部屋を出ていく二つの背中を見送る。扉が閉まる隙間から見える二人の姿はまるで夢の中にでもいるようだった。
パタンーー。
静かに閉まる扉の音が消えた瞬間、体が下に引っ張られるような重さが一気に襲ってきた。
……何が、起きているの。
目を閉じ思考を巡らせるが、出てくるのは状況が分からない事実だけ。これから、どうしよう。不安が胸を覆う、部屋には自分の息遣いと外に吹く風の音だけが響いている。
現状を整理するのに疲れたのか、私はいつの間にか眠りについていた。
その後、お父様が呼んでくださったお医者様に診察されて、安静にしていれば明日にでも動けるだろうと言わた。今夜は、自室で夕食を食べるように言われ軽めの夕食をいただき再びベッドへ横になった。