1話 終わらない断頭台
98回目の断頭台の上。
私は、この国フロラティア王国の筆頭公爵家の一つ、ラドリディア家の公女ーーセレナリア・ラドリディア。
今まさに私は98回目の断頭台の上に立ち、98回とも変わらない景色を眺めている。
愛していた婚約者の冷たい瞳と、その傍に寄り添い微笑む妹。
そして、他人のように私から目を背ける両親。
どれだけ足掻いても変わらなかった絶望を私はーー98回も繰り返している。
執行人に頭を押さえつけられ跪き、足に痛みを感じながら下を見下ろせば、私たちに起きた出来事なんて何も知らないのに、興味本位だけで処刑を見に来ている群衆。
何度繰り返してもこの一連の流れは変わらない。
初めて処刑宣告を受けたのは、学園の卒業パーティーだった。
ーー『貴様を子爵令嬢毒殺未遂に国家反逆罪の罪で処刑に処す』
ダンスパーティーが盛り上がり始めた頃合いに会場に鋭い声が響き渡り参加者たちがこちらを、注目する。
短髪よりはやや長めの薄めの金髪を耳にかけ、右分けにされた前髪の間から丸い目を鋭く尖らせ、深い緑色の瞳がこちらを睨みつけ中性的な美しい顔を歪ませ私を指差すのは、この国の第一王子であり私の婚約者のーーヴェルシエル・アクリオス。
私の婚約者はいったい何を言い出したのかしら?
会場はどよめき立つ。
そして、私を蔑みゴミでも見ているかのような彼の隣には、美しい黒髪を編み込んで纏めた上げ大人びた髪型に似つかわしくない無邪気な微笑みを浮かべ濃い茶色の瞳の彼女ーー私の妹である“アリシア・ラドリディアン“がいた。
『身に覚え、ないとは言わせない、きみのしたことは、この国の王太子である私への、侮辱だ。今ここで、婚約破棄ならびに、処刑を、いい渡す!』
そのような権限、王太子にはないはずなのだけど、私はそう思いながら目の前で寄り添い合う二人を交互にみる。
そして、私を映す殿下の瞳はまるで光が宿っていない。その奥には何かと葛藤しているような揺らぎを映しているような気がした。
『聞いて、いるのか、セレナリア・ラドリディアン』
それに、さっきから殿下はまるで言葉を発しにくそうに片言に話している。
その姿は、違和感でしかなかった。
パーティー会場は殿下の宣言でざわつきが広がり、周りから次々と私の悪行が聞こえてくる。
『殿下に近づいたからと、とある令嬢を階段から突き落としたらしいぞ』
『私は、殿下と公式のお茶会でお会いしただけなのに髪を切り刻まれたご令嬢がいたと聞きましたわ』
『いつもあんなに優しいアリシア様を、何もしていないのに叱責していたのを多くの者が見ていたらしい』
彼らの語る悪行はどれも私には身に覚えのない話ばかりだし、どの話も信憑性のない“らしい話“でしかない。
『魔力量も天と地の差ですもの、アリシア様を妬んでいたんだわ』
確かにこの国は、魔力量が高いほど地位が高い。そして魔力量は、王族、貴族、平民と量が変わっていく。もちろん稀なケースで平民が貴族並に魔力を持っていたり、貴族が平民以下なんてこともある。その中で私はこの国の筆頭公爵家の公女でありながら、魔力量が平民以下なのだ。
『“王族並“と“平民以下“の魔力量では、比べることもできないな』
『双子なのに、まるで“聖女“と“悪女“だな』
そう、私たちは双子なのに何もかもが違った。見た目も全然似ていないし、魔力量は彼らの言うように天と地ほどの差がある。それに私はこの国で珍しい“属性なし“なのだ。それでも、自分の不甲斐なさに打ちひしがれることはあても、一度たりとも妹を恨んだことなどない。
会場の中央辺りに立つ私たちを取り囲む生徒たちの目は私を見下し、蔑み、嘲笑っていた。ーー
そんな断罪を受けて私はずっと処刑を繰り返しているけれど、おかしな話で罪状は98回ともまったく同じ。
子爵令嬢毒殺未遂と国家反逆罪。
学園では妹を虐げる悪女と呼ばれ孤立無縁だったし、ラドリディアン家はこの国にとって重要な役割を担って誇りを持って貴方を支えてきたはずの私には考えられない罪。
なぜ罪状が変わらないか分からないけれど、私がどれだけ無実を叫んでも誰にも信用されず、“血統魔法“を受け継いた証の濃い銀髪はボサボサになり、汚れた長い髪の隙間からは群衆の好奇な目と罵詈雑言を受け1回目の処刑を終える。
そして、息を乱し飛び起きた私が目覚めたのは処刑1ヶ月前の自分の部屋だった。
ここから、私の地獄の処刑ループが始まる。
目覚めるたびに広がるのはなんの穢れも知らないような自室の真っ白な天蓋。
私は、ループの中で処刑を免れようとあらゆる事を試してみた。
ーー期間はたった1ヶ月。
その短い期間に悪女と呼ばれない努力をしてみが、どれだけ努力をしても必ず妹を虐げ、他の令嬢にも危害を加える悪女に仕立て上げられる。
妹と話し合ってみたりもしたけど、私が話しかけるだけで必ず彼女が泣き崩れ、その光景だけで私が妹を虐げていると決めつけられる。
殿下との関係を改善をしてみようと彼に会いに行ってみるが、彼はピクリとも表情を変えずいつも私を冷たい目で睨んでいた。
国外に逃げてもみたけど、必ず指名手配され捕まる。
そして遂に、私は部屋に閉じこもった。
一歩も外に出ず息を殺して部屋にいるのに、なぜか変わらず私は悪女と呼ばれこの断頭台に立たされるのだ。
乱れた髪の隙間から空を見上げる。
視界に広がる空は、昼間のはずなのにまるで私を冥府に呼んでいるかのような薄暗い空をしている。後ろ手に縛られた手を握りしめる。
98回繰り返すループの中で彼らはまるで台本でも読んでいるかのようにほぼ毎回同じ動き、同じセリフを言う。
「セレナリア・ラドリディアン、貴様がこのような、残虐な心根の持ち主だとは、思わなかった」
殿下、痛いほどの冷たい視線を冤罪の私に向ける貴方のほうが残虐です。
「お姉様、どうして私たちを裏切ったのですか」
アリー、私の愛した彼の傍に立って微笑んでいる貴方の方が裏切ったのよ。
「ラドリディアン家の恥晒しが」
「妹を祝福出来ないなんて、なんて冷酷な子」
お父様、お母様、私を信じる事なく捨てた貴方たちの方がよほど冷酷です。
「いい残すことはないか?」
最後はいつもこの言葉で締めくくられる。
いったい何をいい残すと言うのだろう。
はじめは、怒りや恨みの声を上げ、だんだんそれも哀しみと嘆きに変わり、最後は赦しを願った。
98回も繰り返していたらもう何を言うことも、願うことも残らず諦めた。
だから今の私がもし願って叶うなら、たった一つだけ。
「静かに……いきたい」
私は乾ききり割れる唇から小さく呟いた。
私の呟きに群衆が怒鳴り声を上げる。
「生きられるわけないだろ!」
「そうよ!優しいアリシア様をずっと虐げてきてそれでも、アリシア様の姉なの!」
何が起きたかも知らないくせに、彼らは罵声を浴びせながら石を投げてくるのだ、投げられた石は必ず、右の額に当たり赤い花が咲く。
どれだけ経験しても痛いものは痛いのね、なんて他人事のように何度も思った。
「アリシア様に謝れ!」
「この稀代の“悪女“が!」
どこの誰が稀代の悪女なのかーー。
ただ愛されたかっただけの、何も出来ない私が、稀代の悪女だなんてなんだか、笑えるわ。
どんな奇劇かしら。
「もうやめて、みんな!私は大丈夫、いくら罪人だからってお姉様が可哀想だわ」
さめざめと泣くようなそぶりを見せ殿下に寄りかかる。
「なんて、お優しい方なんだ!」
「あんな、悪魔みたいな姉を庇うなんて!」
涙など出ていないのにアリーはハンカチで涙を拭くそぶりを見せる。
誰も私の話なんて聞いてはくれなかったのに、彼女が少し話すだけでみんな耳を傾ける。
私はうなだれるように下を向く。
何が違ったのだろう?
私の何がいけなかったのだろう?
何回考えても、誰に問いかけても答えは返ってこない。
そしてもう一度、妹の顔を見上げる。
微笑むその瞳は暗く底のない海のような静けさを宿し私を見下ろしている。
その瞳はなぜか分からないが何度見ても、私に恐怖を与える。
98回も見ているはずなのにその瞳の異質な深い色に、私は慣れることなく体が勝手に震えた。
そんな彼女を守るように肩を抱く彼が静かに執行人に合図を出す。
もう、涙も流れない。
ゆっくりと私の首に冷たい刃が落ち、98回目の処刑を終えた。
ーー99回目の目覚め。
変わらない自室の真っ白な天蓋。
何度も何度もよぎったがそれでも、この国の“神龍“に背く行いはしたくなかった。
でも、何度願っても私の願いは誰にも聞き届けられなかった。神龍などいないのだ。
他に何も願わないから、どうか静かに終わらせて欲しい。
ゆっくりとベッドから降り部屋の隅にある机の引き出しを開ける。手に取ったのは手紙の封を開けるペーパーナイフ、私は静かに眠るためにペーパーナイフを片手にある場所へ向かう。
そこは、“私たち“の思い出の場所。
※ ※ ※ ※ ※
ある森の中に小高い丘の上がある。ここにはすずらんが咲き誇っている、すずらんはまるで白銀の絨毯のように一面に広がり、静かな風がふわりと私の銀色の髪をなびかせる。
この場所は、変わらない。
ここだけが、優しく穏やかな時間が流れている。
白銀の絨毯の上をくるくるとワルツを踊るように回り、ゆっくりと横たわる、その瞬間に爽やかで優しい香りが私を包む。
最後の瞬間には、似つかわしくないくらい穏やかな匂い。
私の人生を思い返す。
小さい頃は仲の良かった姉妹。
いつも私の後ろをついてきて可愛かった。
でも、彼女はいつから私を裏切っていたのだろうか?
ごろりと横を向くと、無意識にペーパーナイフを持つ手に力が入る。
殿下と約束したはずだった。
この国を共に支えあって守って行こうと。
優しく穏やかだった、彼が好きだった。
いつから彼は、私を置いて行ってしまったのだろうか?
空を見上げる。
私の想いとは裏腹に空は真っ青に晴れわたっている。
愛していると言ってくれていた両親。
私たち2人を包み込んで守ってくれていたはずなのに。
いつからあの人たちは私だけを捨てたのだろう?
目を瞑る。
いつからなんてもう思い出せないほどのループを繰り返した。
もしもう一度ループしたら、私はどうしたいのだろう?
諦めてしまう私を誰かが許してくれるだろうか?
あの仲の良かった頃に、大事にしていた頃に、愛されていた頃に。
もし、戻る事が出来れば何か変えられるだろうか。
だけど、いつも戻る場所は変わらずあの地獄のような処刑1ヶ月前。
やり直すことのできない事実を、私はどれだけ諦めればいいのだろうか。
私は手の力を抜き深く息を吸い吐いた。
そして、ペーパーナイフを持つ手にもう一度力を入れ胸元に添える。
あの冷たい刃の痛みよりも、小さな痛みと共にゆっくり意識がぼやけていく。
白銀の絨毯が赤く染まっていき、視界がぼんやりしていく瞬間、私は誰かに抱えられた。
「セレ……様!どう……んな!ダメ……ッ……ないでッ」
誰だろう。
視界が揺れてもう何も見えない。
耳も聞こえなくなっていて、何を言っているのか上手く聞き取れない。
だけど、聞き覚えがある優しい声。
その声色は優しかった頃の殿下に似ている気がした。
でも、彼じゃないのは分かった。
こんな私の死をまだ泣いてくれる人がいたなんて思わなかった。
誰とも知れない抱きしめてくれる人に私は最後の力で手を伸ばし、その頬に触れる。
「ご、めん……ね」
「ッ……謝るの……です。ずっと……なさい」
何故かその人は私に謝っているようだった。
私が伸ばした手を包んだ手からは、優しく暖かな温もりを感じた。
でも、もうダメだ。
私は何か言葉にしたくて口を開くがもう声もでない。
意識も薄れていく中でまた別の誰かの声が聞こえた気がした。暗く冷たい意識の奥底から静かに響くその声は……。
《その選択は正しいのか》
はっきりと輪郭があるかのように私に問いかけてきてその瞬間、私の体の奥が熱くなり一気に頭の中に知らない映像が流れ込んで来た。
この記憶を、私は知っている?
霧がかかっていて鮮明には見えない。
でも、その記憶を私は知らなければいけない気がした。
しかし、私の意識は限界を迎え静かに暗闇に沈んでいく。
ふと気づくと意識の中にいままでのループで見たことない白く光り輝く小さな蝶が舞っていた。
何故かは分からないが、その蝶に触れたら何かが変わるような気がして、私は力が入らない手を伸ばしてみた。
蝶のほうが私の方に寄ってきて手に舞い降りると、私を沈めていくはずだった暗闇をゆっくりとした光が明るく染めていったところで意識を手放した。