【第3話】揺れる心と決断のとき(2141年)
2141年の初夏。
戦火は世界を焦がし、終わりなき消耗戦の中で人々の心もまた荒れ果てていた。
アメリカ空軍中央司令室に配属されて三年目のユウマは、今日も収容施設のモニターへと視線を送った。
そこに映るのは、雪のように白い肌をしたレアの姿であった。
小柄な身体を抱え込むように丸め、静かに佇んでいる。
彼女は今も、「反乱軍指導者アリオスの娘」という戦略的交渉材料としての役割を背負い、捕虜としての境遇から解放されていない。
それでもユウマは、もはやただの監視対象では収まらない想いを胸に抱えていた。
画面の前で指が止まり、呼吸がわずかに乱れる。
複数の画面に映るのは爆撃データ、敵クローン部隊の稼働率、生存率予測──。
そのどれもが「数字」としてしか命を語らない。
その胸のざわめきは、数字と戦略の海に埋没しそうな自分自身を救い上げる、小さな灯火のようだった。
昼下がり。
決まった時間が来ると、ユウマはそっと司令室を抜け出し、控え室へ向かう。
週に三度だけ許される「面会許可」。
その緊張をかき消すように意識を集中し、鉄の扉を開く。
収容室内には冷たい蛍光灯の光が満ち、レアは無言で背を向けている。
だがその背中だけでも、彼の胸を締めつける切なさを孕んでいた。
「…今日は、詩を持ってきたんだ」
小さな声でユウマが告げると、レアはゆっくりと振り返り、淡いほほえみを浮かべた。
そのひそやかな笑みは、言葉以上に多くの思いを伝えてくる。
ユウマはシャツのポケットから紙片を取り出し、ショルダー越しに差し出す。
「これは『夕焼けの詩』。太陽が沈んだ後、空は最初の闇に震える、っていう一節なんだ」
レアは指先で文字をなぞり、瞳にわずかな色を灯す。
「闇の中でも光は揺れているのね…」
その呟きに、ユウマの心臓は跳ねた。
悲しみに満ちた言葉のはずなのに、そこには希望が宿っていた。
「夕刻にはいつも屋上へ向かうんだ。基地の高台から見下ろす街並みは廃墟と瓦礫にまみれているけど、空だけは変わらず広い。戦争なんて、ちっぽけに思えるんだよ」
言い終えると、レアは淡く頷いた。
「私…あなたと話す日だけが、唯一の安らぎなの」
捕虜としての境遇を忘れさせるようなその言葉に、ユウマは胸が痛んだ。
二人は、その孤独な日常の中でお互いを支え合うように心を通わせた。
レアは効率と合理性だけが求められてきた自分が、「感じること」を学んだ一人の人間だったと、自覚しはじめる。
「あなたと話す度に、胸の奥がざわつくの。これが感情なら、私は…生きていると実感できる。」
レアの告白は初めて会った頃には想像もできなかった言葉だった。
ユウマはその言葉を胸に深く刻んだ。
彼自身もまた、数値とアルゴリズムの海に溺れていた日々から救われたのは、レアの存在によるものだと気づいていた。
「君が教えてくれたのは、数字の裏にある命の重みだ。だから、君を交渉材料のまま終わらせたくない」
その小さな決意が、二人の心を決定的につなぎ止めた。
季節は巡り、2142年初頭。
国際連合特使から、戦争終結に向けた“党首会談”実施が正式に発表された。
生殖人間代表として選ばれた大統領アンドリュー・ハン、そしてクローン人間代表として立つアリオス
──その会談の条件として、レアを一時的に 解放し、会場へ護送することが決まる。
ユウマは再び監視兼護送官としての任務を託される。
出発前夜──控え室の扉前で、レアは俯きがちに口を開いた。
「…明日、私は自由に歩けるの?」
手錠は外せないが、その問いには期待が混じっていた。
ユウマはそっと微笑み、約束する。
「監視役は置いといて、君を“レア”として外の空気に触れさせたいんだ。心だけは自由に」
その言葉に、レアの瞳に小さな光が灯る。
二人は何かを決断したように強い覚悟を胸に秘め、夜明けの車両に乗り込んだ。
迎えた当日の朝。
会談場となるドーム型ホール前には、重厚な雰囲気が漂う。
大統領やアリオス、護衛、各国要人が列をなし、取材陣がひしめく中、レアは手錠をはめたまま椅子に座る。隣でユウマは、精悍な表情で会場を一瞥した。
会談は序盤から凄まじい勢いだった。
大統領ハンは生殖人間の権利と安全保障を訴え、アリオスはクローン人間の自決と平等を主張。
会場には両党首の声と要人の野次が飛び交い、不信と憎悪が火花を散らす。
その喧騒がピークに達したとき、レアが立ち上がった。
胸元に手錠の冷たさを感じながらも、その声は震えていた。
「私はクローンとして合理性を重んじるように設計されました。しかし、ユウマと対話を重ね、心の震えを知りました。人類は効率ではなく、感情で世界を紡ぐ道を探すべきです!」
会場は一瞬凍りつき、次いでざわめきが巻き起こった。
クローン人間の口から「感情」の言葉が飛び出したからだ。
続いてユウマが、声を張り上げた。
「僕らは統計値でも兵器でもない。ここに立つのは一人の人間です。戦争が残すのは悲しみと分断だけ。私たちは共生ではなく、共存を選ぶべきではありませんか!」
その言葉には、二人の出会いから紡がれた愛と希望が込められていた。
拍手はすぐには起こらなかったが、やがて要人たちの頷きと拍手が広がり、重苦しい空気を少しずつ溶かしていった。
ふたりはさらに力を合わせ、こう続けた。
ユウマ「私は子どもの頃から宇宙を夢見てきた。宇宙には過去も未来もない。私たちが協力して宇宙に新たな未来を刻みませんか?」
レア「そして、我々クローンは火星に移り住み、争いのない新たな世界を築くために。この一歩を共に踏み出しましょう!」
二人の勇気ある提案は、世界に新たな希望を示し、火星移住計画の大きな軸として動き出すことを予感させた。
捕虜と監視官として始まった二人の関係は、国と種族の境界を越え、人類の未来を変える原動力となった。
ユウマとレアの出会いは、偶然ではなく必然だった。
二人の声は、戦火の残響を越え、これからも遥かな空の彼方へと響き続ける