あるがまま
もしも神々がいるならば、
その声は何を語るのか?
思い当たるはただ一つ。
「怒るなかれ」だ。
深夜の都会に灯る明かりも、
人焦がすかと見紛うほど。
陽光に照らされても、
光のなかに影が潜んで。
こうして、
醒めやらぬ美酒は、
あらゆる時と国で、
老若男女の境なく、
人を惑わし酔わしてきた。
いな、それについて諭すべき、
神々さえも、
我を忘れて、
怒りたもうたこと幾度ぞ。
人をして鎮まらんと祈りしぞ。
あるいはまた、
その怒りの源を、
歌って聞かせと祈祷して、
人も神も怒りの根源、知らんとせし。
平和な時代もあった。
舅エトロの羊飼うモーセ、
彼がうけた"召命"は、平穏だった。
「わたしはある、わたしはあるという者だ」
モーセの見し柴は、
炎に焼かれず。
柴は怒りに燃え尽きず、
命の炎がただ燃えていた。
六百年の後、
戦乱の時代には、
卜者、テストールの子カルカースが、
受けし"召命"は過酷なり、
怒りを鎮める手立を請われる。
だが、宣せし者には怒りなし。
「今あること、やがてあらんこと、
かつてありしことどもを」
弁えしが卜者なり。
カルカースの命脈は、
一層優れし卜者に会えば、
燃え尽きると告げられり。
そこに怒りなどなくとも。
しかるに人の心には、
怒りの炎は今も消えず。
三千年を過ぎてなお、尽きぬのか?
これ、何事なるか?
言葉は刃となりて、
眦を決して、
口を歪めて、
舌打ちとなりて、
あるいは殴打や鞭や武器となり、
友と己れを生贄とする。
ああ、神々よ、
預言者モーセよ、
卜者カルカースよ、
あまたの術師や巫女たちは、
何ぞその口貸したのか?
今も知る者は無きか。
ただ人は、血を飲みて、
収穫祝う葡萄酒で杯を重ね
無色透明の清酒を汲みて、
今も怒りに酔うている。
東洋の聖人、仏陀は云いし。
「怨みに報いるに、
怨みを以てしたならば、
ついに怨みの息むことがない。
怨みをすててこそ息む。
これは永遠の真理である」
願わくば我にその叡智を、
授けたまえ。
ただ、あるがまま。
いまだ、一人も知らぬ秘を
授け賜らんことを願う。
永遠の真理の到来を希求する。