序
泣いている。
はかなげな少女が、細い肩を揺らして泣いている。
起きないといけない。
その涙をぬぐわないといけない。
華奢な肩を抱き寄せて、
大丈夫だよって、
俺が守るよって、
言わないといけないのに、
どうして自分は動くことができないんだろう。
泣いている声が、震えながらずっと謝っている。そんな必要ないのに。
「ごめん、ごめんなさい…。私のせいで…」
ちがう、そんなことを言わせたかったわけじゃないんだ。
ただ、守りたくて、
笑っていてほしくて、
そばにいたくて、
それだけでよかったのに。
「ごめんなさい…ごめん…」
気力を振り絞り、目を開けようとする。
瞼を開ける、
ただそれだけのことがひどくむずかしくて、
声をかけたくても、
喉からはひゅうと頼りない息が漏れる音しかしない。
こんなふうに泣かせていい人じゃないんだ。守らなきゃいけない人なんだから。
動かない腕を伸ばそうとすれば、筋肉が引きつれる痛みが走るけれど、それでも伸ばした手は、その人まで届かなくて空を切る。
かすんだ、はっきりとしないおぼろな視界の中で、彼女がはっと顔を上げて、地に落ちた手を握る。
「―――ッ」
彼女が自分を呼ぶ声がした。
そのはずなのに、誰よりも愛しい声が遠くなって聞こえづらい。
なんだか水の中にでもいるみたいだ。
冷えた指先に温度が灯る。
指に濡れた感触がする。
彼女がこちらの手を握り、祈るように額をつける。
伏せられた顔を見たいと思う。
ふいに聞こえた足音に、動かない体でも緊張が走る。
俺は、もう動けない。君のことを守れない。
だから、ここから、せめて逃げてもらわないといけないのに。
離れてくれと、この場所から逃げてくれと、押し返すこともできない。
彼女に近づく気配をさぐる。俺の手を握りしめたまま震える彼女の肩に、そっと綺麗な指が乗る。労わるような仕草に、ほっと息を吐く。
だいじょうぶ。この人なら、俺がいなくても守ってくれる。
「もう、行かないと」
やさしい、けれども有無を言わさない厳しさのこもった声が、彼女を促す。
そうだ、もう行かないと。
君は行かないと。
生きていかないと。
彼女が泣きながら首を振る。
「お姫さんがそんなだと、この子が安心して輪廻に戻れないよ」
お姫さん、と呼ばれた彼女がびくりと身体を震わせる。
どこまでも、人のことばかりで優しい。
それをわかっていて、的確な言葉で彼女を促す声に、こんな土壇場で嫉妬しそうになる。
彼女とその声の主の間にある信頼、絆、そんなものに。
綺麗な指が、俺の手を掴む彼女の手に重なる。
三つの指が絡まり合う。
「だいじょうぶ。返してやろう、輪廻に。もう一度会えるようにまじないをかけてあげる」
もういちど。
そうだ、俺たちは必ずまた会えるから。
悲しいことはないから。
また最初からやり直せるから。
だから、また会おう。そのときは、きっと守ってみせる、なにからでも。
顔を上げた彼女の顔を、最後に目に焼き付けようとしたのに、
ざぁっ、と吹いた風で場違いにも花が舞って、
君の姿がわからない。
耳元で鳴り響くアラーム音に、がばりと勢いよく起き上がる。
手は震えて、冷や汗が身体を伝う。
夢を見ていた。嫌な、やけに臨場感のある夢を。
死にかけた自分に、誰かがすがって泣いている夢。
それを泣き止ませたくて、でも動けなくて、そのまま死んでいく。
ひどい後悔と、別れに対する絶望と、それでもそばにいるその人、彼女が生きている安堵感。
「夢…」
夢にしてはリアルで、後味が悪かった。