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うどんな客

作者: 水沢ながる

 その客は、うどんを好むと言う。


 客を迎えるためにぼくの父がまずしたことは、近所にある有名なうどん屋に弟子入りすることだった。いつ行っても繁盛している名店に、是非にと頼み込んでうどんの基礎から教えてもらうことにしたのだ。

 かと言って、店の親父も商売である。そう簡単にうどんの作り方を教えてくれるわけがない。父はうどん屋に日参し、頭を垂れて教えを請うた。しまいには頑固親父も根負けし、父にうどんの極意を授けてくれることとなった。

 しかし、客が来るまでにはわずか一ヶ月しかない。短い間にうどんを極めようと、父は血のにじむような努力を重ねた。

 食卓には毎日のように失敗作のうどんが並んだ。ほとんどコシがなかったり、あるいは硬すぎたり、短すぎたり長すぎたり、太すぎたり細すぎたりするうどんの数々を、家族みんなで食べて処理する。

 出汁の方も濃すぎたり薄すぎたり、甘かったり辛かったりするものをみんなで黙々と胃に収めた。

 麺も出汁もパーフェクトなのに、薬味のネギがとんでもなくまずい、ということもあった。バランスを取るのが一番難しい。そううどん屋の師匠が言っていたと、父は知った風に語った。受け売りに過ぎないのだが。

 父の努力の甲斐あって、それなりに美味いうどんを打てるようになった頃、客はやって来た。


 その客は、思っていたより小柄だった。

 ボロボロの布切れのようなものに身を包み、頭には妙な形の帽子を目深にかぶっている。髪がぼうぼうに生えていることもあり、顔はよくわからなかった。

 ぼくらはそろって客を迎えた。その客がどういう人なのか、ぼくは両親から何も聞いていなかった。ただ、大切なお客様だということだけ聞かされていた。

「さあさあ、よくいらっしゃいました」

 父はどこか大袈裟に言った。

「ささ、まずはお上がりください」

 客はきひ、と小さく声を上げ、ぺたぺたとうちに上がって行った。裸足だった。体にまとっているボロ切れだと思っていたものは、どうやら無数の紙切れのようだった。一番広い部屋に敷いた座布団の上に、客はちょこんと座った。

 ぼくら家族が客に向かってそろって頭を下げると、客はかん高い声で叫んだ。


「うどん!」


 それが、客が唯一口にした意味のある言葉だった。

 早速父のうどんが供された。

 温かな汁に沈んだうどんを、箸で持ち上げる。つやつやとした麺が現れた。どこか透明感のある白いうどんの麺は、光を受けて輝いた。ぷゃ、と客は感嘆の声を上げた。息子のぼくが言うのも何だけど、父のうどんは美しかった。

 客はずるずると麺をすすった。もっちりとした歯ごたえや喉越しの良さが、見ていてもわかった。

 くるるる、と客は満足げに言った。どうやら気に入ってもらえたことを察し、父と母がほっとしているのがぼくにもわかった。


 それから、朝昼晩の三食全てがうどんの日々が始まった。客はうどんしか食べず、食卓に家族全員がそろわなければ不満そうにけたたましい叫び声を上げたからだ。

 当時小学生だったぼくは学校で給食を食べられたし、こっそり買い食いもしていたので良かったのだが。後で母に訊くと、母も買い物に出たついでに外で何か食べていたらしい。父については、「あれはお父さんの自業自得だから」と言っていた。

 それでも、両親はなるべく飽きないように、あらゆる工夫をこらしていた。

 きつねうどん、月見うどん、天ぷらうどん、肉うどん、鍋焼きうどん、卵とじうどん、ぶっかけうどん、ざるうどん、釜揚げうどん、焼きうどん、サラダうどん、果てはカルボナーラうどんやミートソースかけ、うどん入りお好み焼き、うどん入り茶碗蒸しまで、ありとあらゆるうどん料理が食卓に並んだ。

 客はそれがうどんである限り喜んで食べ、ぴぃ、と満足そうな声を立てていた。

 父は毎日うどんを打ち、母は毎日料理の本やサイトを見てうどんの食べ方を模索していた。


 客は紙に妙な絵文字のような記号のようなものを書きつけ、自分の居場所である座布団のまわりにぺたぺたと貼り付けていた。そこが自分のテリトリーということなのだろう。紙切れは日に日に増え続け、部屋の至るところに貼り付けられていた。

 たまにテリトリーから出て、家の中を歩き回る。学校から帰って来たら、ぼくのマンガを勝手に読んでいることも度々だった。時々、早くこの続きを読ませろと言わんばかりに、ぎゅぐる、とぼくに向かって言っていた。

「ダメだよ」

 と、ある時ぼくは客に向かって言った。

「続きを買うお金がないんだ。お父さん、ほんとはお金に困ってるんだ。仕事が上手く行ってないんだって」

 父はその当時小さな会社を経営していたのだが、その内情は火の車だった。だから本来、うどんなどにうつつを抜かしている暇などないはずだった。しかし、それを置いてもこの客を最大限にもてなさなければならないようだった。

 客はひゅう、と残念そうな声を上げた。


 その夜。

 ぼくらは、いつものように客を囲んでうどんをすすっていた。客はいつもより静かにうどんをたいらげ、食べ終えるとすくっと立ち上がった。

「ぱーや!」

 客が叫んだ。

 それが合図のように、部屋中に貼り付けられていた紙切れが一斉にはがれて舞い上がった。紙切れはくるくると宙を回りながら、客の全身に貼り付いて行った。

 全ての紙が貼り付くと、客はぼくらに向かって深々と頭を下げた。その後客は、まっすぐに玄関まで歩き始めた。

 ぼくらはそれを呆然と見送った。すぐに父がはっと気がついて客を追った。ぼくと母も父に続いた。

 客はドアを開けて夜の暗闇の中に一人消えて行った。どこへ行くのか、ぼくにはわからなかったが、何となく二度と戻って来ないだろうことは感じていた。

 そのまま、客はぼくの家から姿を消した。


 あれから、倒産寸前だった父の会社が奇跡的に持ち直したばかりか、業績がトントン拍子に上向き、それなりの規模にまで成長したことがあの客のおかげなのかは知らない。

 ただその恩恵でぼくは大学を卒業し、出版社に入って好きだったマンガ雑誌の編集者になった。あの時読めなかったマンガの続きを何となく取り戻せたような気になって、ぼくは仕事に励んだ……のだけれど、5年くらいしてその雑誌は廃刊になることが決まった。会社からはマンガ以外の雑誌の編集部への異動を打診されている。

 さてこれからどうしよう、と思っていると、妻が何か手紙のようなものを持って来た。

「これ、ポストに入ってたのよ」

 怪しみながら二人で開いてみる。広告の切れっぱしのような紙に書かれていたのは、見覚えのある絵文字のような記号のような何か。そしてその下に、たどたどしい文字が書かれていた。


「うどんがたべたい」


 ぼくと妻は顔を見合わせた。妻もぼくの子供の頃の話は知っている。

 あれ以来、うどんは食傷気味で一切食べていなかったのだが、どうやら再度食べなくてはならなくなったらしい。


 ――さて、この近くに美味い手打ちうどんの店はあったろうか。

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