お客様は神饌が苦手
洋館は今日もひっそりとして人気を感じさせない。トワにあったことが夢だったのではないかと思われる。
果物が入った紙袋を左手に提げて、しばらく突っ立っていた。よく知らない人物の家を一人で訪ねることにおののく。
人見知りする質なうえ、昨日、勝手に上がり込むという失礼なことをしてしまった後ろめたさもある。
門を開けるために手を上げることが出来ず、かといってこのまま家に帰るなどということをすれば、それこそお遣いもまともに出来ない幼子のようではないか。
「そんなところで何をしているんだ?」
突然声をかけられて、飛び上がりそうなほど驚き、勢いよく振り返った。
雑木林の方から、スーツ姿の若い男性が歩いてくる。シャツもジャケットもなにもかも黒い。ネクタイも黒いのは葬儀にでも出たのかと思いそうになるが、服は全て光沢のある生地で、全身つやつやしている。
身長が高く肩幅が広い。整った顔立ちは精悍で、イケメンというよりハンサムという言葉がしっくりくる。笑美が見たら狂喜乱舞するだろう。
笑美が踊り狂う様を想像すると緊張が解け、男性に向き合って立つことが出来た。
「幽霊屋敷の探索にでも来たのかな?」
男性は小柄な碧衣の視線に合わせて腰を折る。小さな子どもとでも思われているようで居心地が悪い。
「違います」
小さな声を出すのが精いっぱいだ。地面を見つめて黙ってしまった碧衣に、男性は赤ん坊をあやすような優し気な声をかける。
「お嬢ちゃんは、どこの子? 迷子なら送っていってあげるよ」
からかわれていることはわかったが、反論する勇気は出ない。俯き加減にちらちらと洋館の門を見ていると、男性はますます調子に乗ったようだ。
「ああ、ここの家に用事があるの。それなら一緒に行ってあげるよ。一人じゃ怖いんだろう」
碧衣は屈辱で真っ赤になった。どうしてここまでバカにされなければならないのだろう。
だが、やはり言葉は口から出てこない。男性が門を開けて碧衣の背を軽く押す。碧衣は促されるまま邸内に入った。
「トワ、お客様だぞ」
ノックもせずにドアを開けた男性が声をかける。大声ではないのに、どこまでも響いていそうな、不可思議な音波を出しているように感じた。
すぐに二階のドアが開き、茜部トワが顔を出す。
「碧衣さん」
トワの柔らかな微笑を見ると、緊張が一気に解けた。まるで昔から知っている人に出会ったかのようだ。
すぐにトワは階段を下りてきた。側にいる男性には目もくれず、碧衣のもとへ大股に歩みよる。
「いらっしゃい。どうぞ、上がって」
紙袋を渡したらすぐに帰るつもりだったのだが、自分の背後に男性が立ったままだ。その脇をすり抜けて帰ろうとすれば、またなにかからかいの言葉がやってくるだろう。
いや、一挙手一投足、碧衣がなにかするたびに傷つけるような言葉を口にするに違いない。碧衣が動けずにいると、トワが碧衣の手を握った。
「来てくれて嬉しいよ。一緒にお茶を飲もう」
トワも男性と同じように碧衣と視線を合わせるため腰を折ったが、そこに悪意は微塵もない。碧衣のために出来るだけ優しくしてくれているのだ。頷いて碧衣は廊下に上がった。
応接室に招かれると、男性が当然のような顔をして後についてくる。
「君に出すお茶はないよ」
トワが冷たく言っても男性が動じることはない。
「おかまいなく。俺はトワの顔が見られればそれだけで満足だ」
男性の言葉が聞こえなかったような顔をして、トワは碧衣にカウチソファを勧めた。
「少し待っていてね」
柔らかな声で言うと、男性の腕を掴んで応接室からつまみだした。屋敷の奥に向かいながらつんけんとした声で話している。
「迷惑だ、来るな」
「つれないな、俺はトワのためならなんだってすると言っているのに」
「君に用はない」
言い合いをしているが、二人は仲良さげな感じがする。ケンカするほど仲が良いというやつなのではないかと、碧衣は面白く思い、一人、くすりと笑った。
迷惑だとつれないことを言っていたトワだが、紅茶のカップは三つ運ばれてきた。トワは碧衣の隣にやってきて、男性はつまらなそうに肘掛ソファに座った。
「主がこっちの椅子に座るべきだと思うんだがな」
「君を女性の隣に座らせるだなんて、そんな危険なことをするわけがないだろう」
男性がまだなにか言いたそうにしているが、トワは聞くつもりはないらしい。膝を繰って碧衣に向き合う。
「笑美さんは大丈夫だった?」
「はい、元気にピザを山盛り食べて帰りました」
「それは良かった。食べることが出来れば、なんとかなるものだからね」
トワの微笑につられて、碧衣の頬にも笑みが浮かぶ。まるで昔からの友人のように思う。碧衣が人前でこんなに寛げることはほとんどない。
「あの、昨日はありがとうございました」
紙袋をトワに渡す。
「果物がたくさんだ。いただいていいの?」
「はい、良かったら召し上がってください」
トワは壁のシェルフからガラス皿を取り、果物を盛り付ける。桃、巨峰、小玉スイカ、季節の果物が皿の上に山をなす。
「お嬢ちゃんの家は果物農家なのかな」
勝手に手を伸ばして男性が巨峰を一粒口に入れた。
「いえ、違います。うちは神社で、それは神饌のくだりもので……」
グッと変な音がした。男性が巨峰を丸呑みしてしまったらしい。
「神社のお供え物だったのか!」
テーブルに身を乗り出して男性が碧衣に詰め寄る。
「そういうことは早く言え!」
男性の剣幕に驚いて、碧衣は身をすくめた。トワが碧衣をかばい、男性との間に腕を差しいれる。
「グヒン、女性を怖がらせるな」
グヒンと呼ばれた男性は大げさな咳をして、巨峰を吐き出そうとしているようだ。
「あの……、神饌だといけませんでしたか?」
グヒンとトワの顔を見比べて心配そうな碧衣にトワが優しく微笑んでみせる。
「大丈夫。グヒンは無宗教で、篤い信仰心に触れると、過敏に反応するだけ」
そう言われてグヒンを見ると、とても大丈夫そうには見えない。顔色は真っ青で、体はぶるぶると震えている。
「本当に大丈夫なんですか?」
なにかあれば、説明もなく果物を渡した自分の責任だ。碧衣はぐっと両こぶしを握り締めた。
「救急車を呼びましょう」
ポケットからスマートフォンを取り出そうとする手をトワがそっと押さえた。
「私に任せておいて。よくあることなんだ」
トワはグヒンの腕を取ると、軽々と肩にかついで部屋を出ようとした。ふと足を止めて碧衣の方に振り返る。
「心配しないで、寛いでいてね」
そう言ってドアを閉めた。




