先輩はオカルトがお好き
笑美を待って、碧衣は家の中を右往左往していた。部屋の窓から洋館のレンガ壁を見つめてみたり、玄関から出て通りの向こうを覗いてみたり。
だが、なんの変化もなく辺りはしんとしている。ご近所といえば隣の洋館だけで、雑木林と反対側、町に向かった先の隣人の家までは、徒歩で二十分はかかる。
走るのが苦手な碧衣では、走っても徒歩とさほど時間は変わらない。なにかあっても助けを呼びに行きにくい。
笑美が出て行ってから長い時間が過ぎた。ただ待っていることしか出来ない碧衣には、三時間にも四時間にも感じられた。
だが時計を見て、まだ一時間しか経っていないと知ったが、安心出来ない。
一時間も笑美はなにをしているんだろう。本当に洋館に行ったんだろうか。本当に誰かいて、笑美は中に入っちゃったんだろうか。それで一時間も帰ってこないって、もしかして監禁されているんじゃ……。
自分で考えておきながら、その可能性に脅えた。だが同時に探しに行かなければという使命感も湧いた。碧衣は震える足で立ち上がり、玄関からそっと外に出た。
洋館の門扉までたどり着き庭を見渡したが、笑美の姿はない。家人がいる気配もない。洋館は、相変わらず無人の幽霊屋敷にしか見えない。
雑木林の方を見るが、私有地なため立ち入り禁止の標識があるうえ、雑草が丈高く伸びて踏み込めない。虫が嫌いな笑美が入っていくわけはない。どう考えても、洋館にいるはずだ。
洋館の正面に見える窓は一階の玄関扉を挟んで左右に二つずつ、二階に六つある。どれにもカーテンが引かれ、内部の様子はまったくうかがえない。
もし、誰か住んでいるとしたら、人目を忍んで生きているのではないだろうか。たとえば、殺人鬼とか……。どうしても考えが怖い方へ、怖い方へと向かい、碧衣は泣きそうになった。
「笑美……」
叫んで探したいのに、小声を絞り出すことしか出来ない。ゴロゴロと雲が動く音がして、碧衣はびくりと震えた。見上げると、黒い雲が青空を覆い隠そうとしていた。
洋館がますます不気味に思えて、碧衣は家に駆け戻った。
笑美を探さなければと、スマートフォンを持ちあげたが、笑美はなにも持たずに駆け出していった。試しに電話をかけてみると、部屋の隅に置き去りにされた笑美のカバンの中から着信音が鳴っただけだ。神社の手伝いをしている母は明日の夕方まで帰らない。
警察に通報してみようかと思ったが、なんと言えばいいか迷った。友人がイケメンを探しに行って消えました。そんなことを言っても取り合ってくれないだろう。
電話帳アプリの中に助けてくれる誰かを求めて、スマートフォンを握り締める。
父も姉も神社で仕事中だ。夏の大祭が近い。身を清めているために神社から離れるわけにはいかない。内気な碧衣には友人らしい友人は笑美しかいない。親しくしている隣人もいない。
恐ろしさで回らない頭をどうにか動かして、一人の名前に行きついた。
「黒春先輩!」
神社の娘だと知られ部活に勧誘されたときに、無理やり交換させられた電話番号をタップする。オカルト研究部部長の黒春直人はコール三回で通話に出た。
「上野部さん、やっと入部してくれる気に……」
「助けてください!」
スマートフォンに縋りついて碧衣は叫ぶ。
「笑美がいなくなっちゃったんです! 幽霊屋敷に行ったんですけど、そしたら消えてしまって」
だんだん声は小さくなり、震えて掠れた。
「上野部さん、落ち着いて。誰がいなくなったって?」
直人の低い声を聞いて少し落ち着いた碧衣は、頭の中を整理出来ないままで話しだした。
「中島笑美です、私の友達なんです。イケメンを見に幽霊屋敷に行っちゃったんです。そしたら姿が見えなくなって。私、一人じゃどうしたらいいのかわからなくて……」
「もしかして幽霊屋敷って、川北町の?」
すぐに分かってくれたことに驚き、碧衣の目が丸くなる。
「知ってるんですか?」
「もちろん。オカルト好きの間では有名だよ。足を踏み入れたら、二度と出られないって」
「そんな……」
言葉を失った碧衣の息が緊張のせいで荒くなる。その息遣いに気付いたのか、直人が慌てて訂正する。
「ただの噂だよ。都市伝説ってやつ。だってさ、庭も手入れされてるっていう話じゃないか。もし人が住んでいなくても、不動産管理の人が定期的に見回って綺麗にしているんだろ、安全なはずだよ」
窓から外を眺めると、確かに洋館の庭は整っていて雑草なども見受けられない。
「上野部さん、もしかして、川北にいるの?」
「はい。うちの隣が、その洋館なんです」
「今から行こうか? その、俺で良ければだけど」
「お願いします! 助けてください!」
再びパニックになりかけた碧衣をなだめ、詳しい住所を聞き出し、直人は通話を切った。碧衣は混乱したまま、窓から洋館を眺めることしか出来なかった。
直人がやってきたときには雨が本格的に降りだしていた。呼び鈴を聞いて暗い玄関に出た碧衣は恐々と扉を開けた。
「黒春先輩……」
心底ほっとしたといった碧衣の表情を見た直人は、ぎこちない笑顔を見せた。
「遅くなってごめん。中島さんはまだ行方不明?」
「はい。戻ってきてないです」
「幽霊屋敷、見てきたけど、ちょっと見ただけでは人が住んでいるかわからないね」
碧衣は胸の前で両手を握り締めて、何度も頷く。
「訪ねてみた?」
碧衣は目をつぶって強く首を横に振る。
「とにかく、行ってみよう。普通に人が住んでて、中島さんを家に入れてくれただけかもしれないし」
そんな当たり前の可能性を少しも考えていなかった碧衣がぽかんと口を開く。
「そう……かもしれませんね」
「行こう」
幼いころからの苦手意識が洋館を本物の幽霊屋敷のように見せていただけなのではないかと思うと、急に恥ずかしさが込みあげてきた。
それをごまかすためにゆっくりと傘を手に取り表へ出て、そっと扉を閉めた。