洋館に……、突撃?
「そんなの、本人に聞けばいいじゃない」
碧衣の部屋で仔細を聞いた笑美は、迷うことなく断言した。
「わからないことは知っている人に聞けばいいの」
「でも、秘密にしていることをずけずけ聞いても、教えてくれるかどうか」
気弱に呟いた碧衣の両肩を握って、笑美は碧衣の顔を覗き込む。
「秘密にしてるって、イケメンが言ったの?」
「そんなわけじゃないけど」
「聞いてみたら、なんてことない事情かもしれないよ」
バケモノに襲われてケガをして倒れたことが「なんてことない」というなら、世の中の大半の出来事はなんてことないだろう。笑美のいつもの能天気な発言が、今は役に立つとは思えない。碧衣が申し訳ないと思いながらも、笑美の提案を却下しようとしたのだが、直人が口を挟んだ。
「そうだね。上野部さんはもう、お隣さんの秘密を見たんだ。それに妖怪の被害にもあってる。知る権利はあると思う」
二人から熱い視線で見つめられ、碧衣はいたたまれなくなり立ち上がった。
「お茶、お代わり淹れてくるね。冷たいのでいいよね」
そそくさと部屋を出る碧衣を二人は止めなかったが、戻ってくればまた、直接トワに尋ねるように説得されるだろう。
どうやって二人の追求をかわそうかと悩んでいると、ものすごい勢いで階段を駆け下りてくる足音が聞こえた。
「碧衣! すっごいハンサムが洋館の前にいる!」
「えっと、イケメンじゃなくて、ハンサム?」
台所に駆け込んできた笑美が勢いよく何度もうなずく。
「銀幕のスターって感じ! 全身真っ黒のスーツが嫌味なく似合ってて……」
「真っ黒尽くめの男性。グヒンさんかな」
「知り合いなの!?」
笑美が碧衣の腕を強く引っ張る。
「紹介して!」
「しょ、紹介出来るほど知ってるわけじゃないよ」
「名前がわかるなら、紹介できるって。ほら、行くよ!」
どこにそんな力があるのかと不思議なほどの強さで腕を引かれて、碧衣はずるずると玄関に引きずられていく。
二階から下りてきて何事かと様子を見ている直人に救いを求めて視線を送ったが、意図は通じなかったようで、直人も共に家を出た。
引かれるままに小走りに道に出て隣の洋館に目をやると、やはりグヒンがいた。門扉に手をかけて、ガチャガチャと揺すっている。
「こんにちは!」
笑美が大声で挨拶しながら碧衣を引きずっていく。
「先日はこの子がお世話になったそうで。改めて御礼を言いたいって言うんです」
なにも知らないはずなのに、すべて見てきたかのような態度で笑美はご機嫌でグヒンの側へ駆け寄った。
「お嬢ちゃんか。こっちの元気のいい子は友達か?」
「はい! 宍倉笑美です! 高校一年生です!」
いつもよりワントーン高く、二倍ほど大きな声で笑美は自己紹介した。グヒンは適当にうなずくと、碧衣に目を向けた。
「トワはどうした?」
以前会ったときのような自信に溢れた不敵な感じが今日はない。静かな口調だが、焦っているようだ。
「なにがあったか知らないか」
グヒンはトワと親しげだったが、どこまで話していいものか判断がつかない。碧衣は直人と笑美の顔を交互に見つめたが、二人も迷っているようだ。
「知っているんだな。まさか、襲われたのか?」
グヒンは知っている。事情を聞けるかもしれない。思わず碧衣はうなずいた。
「お嬢ちゃんは見たのか、あいつらを」
また力いっぱいうなずく。グヒンは眉を顰めて直人と笑美を見やる。
「君たち二人は?」
「見てはいません。俺たちは居合わせてないんです。話を聞いただけで」
それを聞くとグヒンは直人と笑美に対する興味が一切なくなったようで、顔を背けた。碧衣の両肩を掴んで声を低める。
「トワは無事か」
今現在のことではなく、襲われたときのことを聞かれているのだろうと判断して、碧衣はうなずいた。
「ケガをしてたんですけど、すぐに治ったんです」
グヒンの肩から力みが抜けた。
「なら、一応は安心かな。引きこもっているだけかもしれん」
グヒンは門扉に近づき、柵に手をかけた。自分の背丈ほどもある門を軽々と飛び越え、玄関に向かって歩いていく。笑美が小声で「かっこいい」と呟きながら身悶えている。
「グヒンさん、私たちも入れてください」
碧衣が呼び止めると、グヒンは振り返り、碧衣と笑美を見比べた。
「そうだな。乙女が来てくれたほうがいいかもしれない」
そう言うと、戻ってきて掛金とかんぬきを外して門を開けた。碧衣と笑美を通すと直人の鼻先で門を閉じる。
「君は来なくていい。役に立たないからな」
「いや、でも……」
「邪魔だ」
グヒンは断固とした態度でかんぬきまで掛けてしまった。
レンガで囲まれた歩道を無視して真っ直ぐ玄関に突き進む。ノッカーも鳴らさずドアノブを回して、グヒンは舌打ちした。
「鍵がかかってる」
何度かノブを回そうとガチャガチャと音をたてていたが、諦めたのか窓の側に移動して、ガラスをこんこんと叩いた。ノックしたわけではなく、なにか考えているようだ。
「もしかして、割るつもりですか?」
碧衣が尋ねると、しばしの間を置いて「まさか」と言いながらグヒンは爽やかに笑ってみせた。碧衣が口を挟まなければ、本当に窓を割って侵入したかもしれない。
「ちょっとここで待っていろ」
そう言うと窓のない側面、煙突のある側に向かって歩いて行き、建物の陰に姿を消した。
「かっこいい」
笑美はそれ以外の言葉を忘れてしまったかのように、ぶつぶつと同じことを繰り返している。碧衣は笑美の脳天気な言葉が耳に入らず、いったいこれから何が起きるのかと不安な気持ちで佇んでいた。
「待たせたな」
玄関のドアが開き、グヒンが顔を出す。
「ど、どうやって入ったんですか?」
驚きすぎた碧衣がしどろもどろで尋ねると、グヒンはなんでもないことのように「秘密の通路がある」と答えて、二人を中に通した。
家の中はどこか暗い空気で満ちているように感じる。何度か訪れたときには明るく清潔な雰囲気だったが、それがまったく変わってしまっている。
グヒンはぐるりと首を回して、すべてのドアに鋭い視線を向けた。
無言で二階に向かうグヒンの後に急いでついていく。グヒンは飛んでいるかと思うようなスピードで階段を上る。笑美は自慢の脚力で駆け上がり、碧衣は二人に振り切られないように必死で足を動かす。ここで二人の姿を見失えば、二度と会えないような不安を感じていた。
碧衣が最上段に足をかけたとき、グヒンが一つの扉を開けた。一瞬、足を止めて目を見開いたが、すぐに室内に入っていく。笑美が扉の陰から中を覗いて呆然としている。いったい何が起きたのかと、碧衣は駆け寄り、笑美の腕を掴んだ。
「イ、イケメンが……」
言葉をなくした笑美の視線を追って室内を覗き込む。大きなベッドが部屋の中央に据えてあり、トワが倒れ込んだかのような姿勢で横たわっていた。顔色は蒼白でピクリとも動かない。生きているのかどうかもわからない。
グヒンがトワの側に立ち、熱を測っているのか、トワの額に手を置いていた。
「お嬢ちゃんたち、泣けるか?」
問われた意味がわからず、二人は顔を見合わせる。
「すぐに涙を流せるかと聞いている」
碧衣は戸惑ったが、笑美は元気よく手を挙げた。
「私、泣き真似は得意です!」
「よし。じゃあ、こっちに来て泣いてくれ」
いそいそとベッドの側に歩み寄る笑美は、すでに涙を流す準備が出来ているようで、目が真っ赤になっている。グヒンの顔を見上げたときには、一筋の涙が頬を伝っていた。
グヒンはその涙を指で掬うと、トワの唇に触れ水滴を擦りつける。何度か繰り返すと、カサついていたトワの唇がしっとりと潤っていくようだった。
ぺろりとトワの赤い舌が唇を舐めた。そっと目が開かれ、トワはぼんやりと宙に目を泳がせた。
「気付いたか」
グヒンの声に返答はない。トワはベッドに肘をついて起き上がった。未だ意識がはっきりしていないようだ。
ふと笑美と視線が合う。まだ涙を流している笑美の腕を、トワが強く引き寄せ、濡れた頬に唇を押し付けた。舌を長く伸ばし、笑美の涙を舐め取る。
笑美はぶるりと身震いすると、操り人形の糸が切れたような姿で床に崩折れた。
「笑美!」
碧衣が叫んで駆け寄ると、笑美は、にへらと幸せそうに笑っていた。
「笑美、大丈夫?」
「幸せすぎて、腰が抜けちゃった」
なんとも間の抜けた答えに、碧衣も力が抜け、笑美の隣に座り込んでしまった。
「碧衣さん?」
今初めて碧衣の存在に気付いたようで、トワが目を丸くしている。
「どうして、ここに」
トワの顔色は青ざめていて、問いたい疑問が霞んでしまった。
「トワさん、大丈夫ですか? ケガはもう?」
トワは碧衣から顔を背ける。唇をぎゅっと噛んでなにかに耐えているようだ。
「お前に涙を飲ませてくれた乙女に礼を言え、礼を」
グヒンが笑美の肩に手を置く。笑美はハンサムに触れられて興奮したようで「おひゃ」と呟いた。
「笑美さん、ありがとう」
まだ力が入らない声だったが、トワが笑美を見つめて礼を言う。
「いつでもどうぞ!」
笑美の元気な言葉で、部屋の中が明るくなったような気がした。だが碧衣の胸には、小さなもやもやが湧いていた。自分が涙を流せていたら、このもやもやは、なにかに変わっただろうかと、ふと思う。




