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記憶のない僕らは  作者: 青山 立
第3章 夢と突然の別れ
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(093) Area 6 Elpis 雨の夜に

 --雨の夜に-- #海


 次の日、オヤジさんと僕は、まるで昨日の会話はなかったかのように、今まで通り過ごした。


 雨はその後、一週間まったく止むことなく降り続き、空には灰色の雲がどんよりと濃く厚く広がっていて、太陽が顔を出す隙を与えなかった。その重苦しい雲に頭を押さえつけられたかのように、僕の思考はぼんやりとして、日に日に立っていられなくなり、寝込むことが多くなった。



 "ごめんね。もう、一緒にいられない"


 目をつむっていて、部屋に一人でいるはずなのに、声が聞こえる。

 この声は、どこから聞こえるのだろう。

 僕の中から? それとも外から?


 "母さん、父さん。僕はどうすればよかったの?"

 "私は間違ってなんかない!"

 "ごめんなさい、ごめんなさい……"



 自分とも他人とも判断のつかない声にうなされて、僕は夜中に目を覚ますようになった。眠るたびにひどく汗をかいてしまい、目覚めると、ひどく喉が渇いていた。


 水を飲みに二階からキッチンに下りて行くと、毎晩のようにオヤジさんが食堂の奥のテーブルに座ってタブレットで何かしているのを見かけた。

 僕が見ていることに気がついているのかいないのか、わからなかったけれど、どちらにせよ、オヤジさんは険しい顔をしていることが多く、声をかける気になれなかった。


 僕は水を飲み終わると、静かに自分の部屋に戻ってベッドに横たわり、ただ静かに眠れることを祈った。


   ◇     ◇     ◇


 数日後。


 しばらくの間、重々しい天気の日がしばらく続いていたが、その日は、久しぶりによく晴れた午後だった。

 陽が傾き、影が長く伸びた頃、僕は店先に並んだ鉢植えの向日葵に水やりをしようと、ホースを伸ばしていた。すると、背後で鍵の落ちるような音がした。と同時に、突き刺すような、殺気とも言える鋭い気配を感じて、辺りを見回した。



 目の前には見慣れた景色が広がっている。



 食堂前の道は、自分の家の庭のようなもので、食堂の入口や鉢植えの植物だけでなく、道路の向かい側の電信柱や雑草まで、どこに何があるかわかっている。


 それらはすべて、一週間前とさして変わらずにそこに存在している。

 それなのに、その景色は今までとは決定的に何かが違う。


 つい一週間前までは、明るくて柔らかだった空気が、泥水のように澱んで、僕の体に重たくまとわりつく。太陽を見上げるように花びらを広げ輝きを放っていた向日葵が俯き、首をもたげて嘆いている。


 灰色に濁ったスクリーンを被せたように、瞳に映るものすべてが燻んで見える。今までは気にもならなかった小さな物音が耳に付き、重苦しい空気が意識の中に流れ込んでくる。まるで、激しい濁流に耐えきれなくなったように、僕はホースを道路に落とすと、沈み込むように道端に座り込み、頭を抱えた。


 その流されまいと立ち上がり、その場に踏みとどまると、ゆっくり頭を上げて商店街を見回した。僕の近くに人影はなく、遠くに視線を移すと、商店街の端の曲がり角にある葉の茂った桜の木の影を踏んで、見慣れないバイクが軋むような音を立てながら走り去っていくのが目に入った。



 僕には、この世界のすべてが変わってしまったように思えた。



 いや違う。きっと、周りが変わったのではなく、僕だけが変わってしまったんだ。

 もしかしたら、ここに来てからずっと、僕だけが、ひとりで夢を見ていたのかもしれない。


 僕の見ていたおだやかな世界は、すべては淡い幻だったのかな?


 何を考えても、目を反らそうとしても、僕が見ていた、信じていた日常は、世界は、もうここにはない。

 それだけは、確かだった。


   ◇     ◇     ◇


 その日、店を閉める頃、身体中が痛みに襲われて、立っていられなくなってしまった。


 オヤジさんに店の片付けを頼むと、ベッドに入って目を閉じた。少しでも動くと頭が割れそうに痛むので、両手で頭を抱えてじっとしていた。雨戸が風でカタカタと揺れている。


 嵐にでもなるのだろうか?


 痛みから逃れたいのに眠れない。時計の音が「カチ、カチ」と響いてうるさい。僕の重たい頭を引きずるように、時間がのろのろと過ぎていく。

 やっと、眠りに落ちそうになってうつらうつらしだした時に、家の外で物音がしたような気がして、僕は目を開けた。


 時計の針が夜中の一時過ぎを指している。オヤジさんはもう寝てるのかな?

 それからすぐに、一階でドアが開く音がした。こんな夜中に誰がきたんだろう? 

 お客さんが忘れ物を取りに来たのかな?



 気になって耳をすましていたが、風が強く吹いて、雨戸がガタガタと音を立てて揺れだしたので、一階の物音は聞こえなくなった。


 いつの間に眠っていたのだろう。人が走る音で目を覚ました。


 風はおさまっていて、静寂が広がっている。何かが床に落ちるような音がした。その直後に、勝手口のドアが開き閉まるバタンという音が建物中に響いた。


 やっぱり誰かいたんだ。でも、お客さんが勝手口から出ていくことなんてないはず。こんな時間に、一体誰が来ていたんだろう。



 窓から裏庭を覗くと、オレンジ色の光がちらちら揺れて見えたような気がした。その矢先に、再び雨風が増して豪雨となり、一階の小さな音までは僕の耳では拾えなくなった。僕は再びベッドに横たわると、眠りにつこうとした。


 それから数十分、いや何時間か経っただろうか。いつの間に雨がやんだのだろう。気が付くと、風の吹く音だけが耳に届いていた。


 その夜は何度眠っても、眠りは浅く、目覚めては天井を見上げていた。真っ暗な天井を見つめたまま動かずにいると、次第に夢の中に吸い込まれるように意識が遠ざかっていく……。疲れがピークに達した僕を揺さぶり起こすように、どこからか物音が聞こえた。人の声も聞こえる。誰の声だろう、一人や二人じゃない。


 妙な胸騒ぎがする。身の危険を感じて体がこわばる。

 どうしたらいい? オヤジさんは物音や声に気がついているんだろうか?


 ガッシャン。ドサッ。


 何かが倒れる音とともに、うめき声が聞こえてきた。

 間違いない、オヤジさんの声だ。もう考えている暇はない!

 僕は部屋を飛び出すと、一目散に階段を下りてキッチンに向かった。


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