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KANAN Ⅰ  作者: 真柴 亮
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武器 2



 コウが居たのは、郊外を出て車で少し走ったところにあるさびれた道路だった。バブル期に大手企業の保養所が作られたことで道路が整備されたが、バブル崩壊後に保養所が次々と閉鎖され、他県から通勤する一部の人が使うだけの道路となった場所である。

 にぎやかだったことを覚えている。保養所のいくつかは一般にも公開されている場所があり、そのほとんどが自然公園の様相をなしていた。まだよちよち歩きだったるいを連れて、玲のいない日に、あいつ(・・・)に連れてきてもらったのがここだった。

 もう今はいない男の名は、思い返してみれば知らなかった。あの年上の仲間は、カイという愛称しか、穂に教えてくれなかったのだ。

 自分が赤いランドセルを背負っていた頃からのつきあいである。愛称しか知らない相手を疑うには、スタートが幼過ぎ、長じてから疑問を持つには親しすぎた。

 保護者のかわりに、穂は彼に面倒をみてもらったようなものなのだ。幼馴染と呼ぶにはこそばゆく、親友と胸を張って言うには互いの性別が邪魔をする。恋人にならなかったのは、それが当然だったからで、カイは穂にとって家族であり、おそらくカイにとっても同じだっただろう。

 穂が家族を作ってからも、カイとの距離は変わらなかった。むしろ、息子のるいがカイにことさら懐き、しょっちゅう世話を焼きに来るようになったものだから、るいが生まれてからの方がカイが家に訪ねてくるようになった。

 この近くの保養所に連れて行ってもらったのもそのひとつで、カイとのお出掛けに始終ご機嫌だったるいを抱き上げるカイを父子だと間違える人は多く、その都度申し訳なさそうな変な顔をしていたのが面白かった。

 つらつらと、昔の淡い思い出を反芻しながら、穂は慎重に道路の隅を進む。一年ほど前にこの辺りで起きた死亡事故がある。穂が調べているのはそれだった。

 妙な圧力のかかった形跡がある事故だった。警察の初期捜査から、検事の手に調書が渡るまでの間に齟齬がある。関わった部署にいる者の移動が不自然に多い。そういった場合の案件には、KANANが使われた可能性が高いのだ。

 大きなカーブに差しかかる手前には、反射材がごてごてと飾られた「急カーブ注意」の文字がいくつも並んでいる。その文字を証明するかのように現れた大きく急なカーブの真ん中には、死者に捧げる花がいくつもおかれていた。風で飛ばないようにガードレールに結ばれたそれらは、新しいものもあれば風化したものもある。ガードレールから外は樹木が広がる崖になっており、その縁には故人の好みなのだろう酒の缶や煙草の箱が並べられてあった。

 穂は、ここかと思いながら、近くの安全な場所にバイクを止めた。探していた事故の場所はここだと、それらの供え物を見て判断したのだ。

 その先に、コウは立っていた。

「……カイ……?」

 ひとり、音も立てずに佇むのは、カイと見紛うほどに似ている青年だった。

 馬鹿げた呟きは、相手には届かなかったらしい。青に背を向けて、ガードレールを一瞥すると、穂がいる場所の向かい側のガードレールに向かって歩いてくる。

 随分と、幼かった。成人したてだろう。カイの歳は玲のひとつ上だった。ましてやカイは死んだのだ。この男がカイだなんて、あるはずがなかった。

 男は、そっとしゃがみこむと、ガードレールの汚れに向かって手を合わせた。

 花束の置かれている、急カーブの先。

 数々の人が訪れていたそこに行かず、事故を起こしそうもない場所に手を合わせる青年。

 死人のように虚ろな目を、何の変哲もない平らな道路に向けて、あまりにもぼんやりとしていたから、消極的な自殺志願者かと思ったが、その身体はガードレールを越えようとすることもなく、悄然と項垂れていた。

 それだけで十分だった。

 月光の下でぼんやりと佇む彼が、穂が探っていた交通事故を目撃した唯一の人間だと推定するのには。

「ここで、亡くなったんだな」

「はい」

「でも、花はあっちにある、と」

 そう言うと、男は振り返った。探る視線をこちらにぶつけてくる。茫洋とした瞳から、威圧のような気配が見え、穂は感心しながら彼を見返した。

 探し求めていた目撃者に、獲物を見つけて舌なめずりするような高揚を覚える。どうにかしてこいつから事故当時の詳しい話を聞かねばと、脳味噌がフル回転する。鳥肌が立つほどに興奮している割に、頭のどこかで自分を俯瞰(ふかん)する冷静な自分もいて、穂はこの瞬間で考えうる最も彼に効果的だろう台詞を紡ぎ出した。

「あんた、目撃したな? その事故を」

 穂の指摘に、彼は驚いて目を見開いた。

 こんな反応まで、似ているのか。

 懐かしい気分と、こちらの想像通りの反応に、思わず咽喉を鳴らす。

「少し考えれば、分かるさ。普通考えて事故るならあそこだ。こんな道で事故るなんざ、よっぽどのアホだろう。でも、あんたはここに来た。ってことは、あんただけが正しい事故現場を知っている。見てたとしか、考えられない」

 淡々と事実を述べた風を装って、穂は男の顔を注意深く観察する。

 穂は「事故」と言った。それに返ってきたのは、純粋な疑問。なぜそれを知っているのかと、見知らぬ女に対する疑問だけだ。

 俯く男は生気の宿らない虚ろな目をしていた。この目が示しているのは後悔だ。それは深く、絶望とも呼べる。カイが死んでしまった後の自分の顔を鏡で見ると、こんな目をしていただろう。

「どんな事故だったんだ?」

 静かに、空気の振動を、最小限に抑えるように。穂はそっと尋ねた。絶望の淵にいる者は、えてして己の意思が働かないものだ。思った通り、男は尋ねられるままに小さく口を開いた。

「中型トラックと……、バイクの、衝突」

「ふぅん?」

「竜兄は、ここで……死んだ。俺は、間に合わなかった」

 調書通りの答えだ。そして、調書とは別の答えでもある。

 完全に当たりだと、穂は逸る気で震える手をぐっと握った。

 そう、この当たり(くじ)は、本当のことを知らない(・・・・・・・・・・)

 己の強運に感謝しながら、穂はもう一つ、彼の琴線に触れるであろう言葉を選んだ。

「妙だな。それ、本当に事故か?」

「妙……?」

 聞きとがめた青年に、穂はゆっくりと頷く。口元が緩むのを抑えて、不敵に見えるように笑って見せた。挑むような笑みは、正しく彼に対する挑発だった。

「普通、即死すんのはバイクだろ。間に合わなかったお前が来るまで、生きてる方がおかしいじゃねえか」

 慕っている相手の死に対する後悔。それが、絶望にも勝る程の強い感情を持つ者ならばなおさら、よく故人を知りもしないだろう女がする、己の無知への挑発は効果がある。

「事故じゃ、ないのか」

 さらなる煽り文句を考えていた穂に、男は鋭い声を向けて来た。がらんどうだった瞳には、強い光が見えている。

 穏やかそうに見える風貌からは予想しがたい、ざらついた獰猛な獣の気配を読み取って、穂は改めて彼を見つめた。

 絶対、真実を逃がさない。

 抜き身の刀身のような、研ぎ澄まされた鋭利な気配が肌を粟立たせる。意志の強い目に、穂はもしかして、と思った。もしかしたら、いい同胞に育つかもしれない。この「事故」で死んだ男を慕う者ならば、彼が本当は殺されたのだと知ったら、きっと仇を討とうと考えるだろう。

「来るか?」

 (おごそ)かに問いかけた穂に、男は少したじろいだ。

「え……?」

 穂は構わずに続ける。勘の良さ、察しの良さ。穂が与えた挑発まじりの言葉から、真実を読み取った頭の回転の速さ。こいつなら、戦力になるかもしれない。

「知りたいのなら教えてやる。だけどもう、引き返せなくなる」

「何から?」

 端的な問いは、穂の好むものだった。ニヤリと笑って、同じく端的に返してやる。

「復讐から」

 男がハッと息を飲んだ。

「これは、事故じゃないのか」

 確認するような声音に、穂は頷いた。

「事故じゃない。事故のはずがない」

 勘を含めた確信だったが、穂は自分の勘をある程度は信用していた。

「これは、殺人だ」

 口に出すことで、自分も納得した。肌が気味悪く騒めくような感じがしない。これが正解の合図だと、穂はよく知っている。

 男は、しばらく黙って穂を値踏みするように眺めていたが、やがて視線を逸らした。穂の代わりに注がれているのは、ここで殺された男の最期だろう。男は祈るように固く目を閉じ、それから毅然と顔を上げて穂に向き直った。

「行く。竜兄を殺した奴がいるなら、俺はそいつを赦さない」

 驚いたことに、獰猛な獣を乗せた瞳は消えて、いつの間にかその目には静謐が乗せられていた。怒りを裡に燻らせ、隠し通すことのできる人間は少ない。笑みで覆い隠すのでもなく、淡々と、それを悟らせないだなんてことを、この男はいともあっさりとやってのけたのだ。

「おまえ、名は?」

「コウ」

 名乗らなければ、カイと呼ぼうと思っていた。獣を潜ませた男は、もう、カイには見えなかったが、戯れに呼びかける呼称としては使っても良いと思っていた。

 だが、名乗れる名があるのはいいことだ。それが呼びやすいなら、なおさらである。

「じゃ、コウ。来いよ」

 顎でバイクを示して見せると、コウは自分の後方に視線を向けた。そこには彼のバイクが闇夜にうまく隠されている。穂はひとつ頷くと、バイクにまたがってエンジンをかけた。滑るようにコウのバイクが隣に並ぶ。思ったよりも低い音を出すそれは、車体に不似合いな大きな傷がある。

 発進すると、危なげなく付いてきた。

 バックミラー越しにその姿を見ながら、穂はフッと笑みをこぼす。フルフェイスのヘルメットを外した下にある済ました顔は、敵の前で鋭い牙を剥くだろう。その牙は一筋の狂いもなく相手の喉笛を噛み千切る武器となるのだ。

 予感のようなそれに、口元が緩む。

 さて、まずはこいつをどこへ連れて行こうかと考えながら、バイクを都心に走らせた。




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