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KANAN Ⅰ  作者: 真柴 亮
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団欒 1


 京と峠道で別れたあと、コウが帰りついた先は、墨田区の川沿いにある高級マンションだった。

 最上階にある部屋は、棟にひとつしかない特別仕様だ。そこの住人として登録された指紋認証システムの鍵を使い、中へ入る。エントランスで一度許可を貰わないで済むのは良いが、無断で上がりこんでいるようで少しばかり尻の座りが悪い。

 洒落た洋風の玄関扉を押し開き、靴を脱いでいると、壁の向こうのキッチンから食器がかち合う音がした。

 時刻は八時を回ったところである。こんな時間に晩ご飯を作っているのかと首を傾げながらリビングに入れば、いつものすっきりとした佇まいがなくなっており、母ひとり子ふたりのにぎやかな一家の団欒風景が目に飛び込んできた。

「お母さん、ケチャップーっ!」

「お母さんはケチャップになったことなんてないんだけどなぁ」

「待って、ユイ。ここにあるよ。何描くの?」

 見慣れた子どもと、見慣れぬ子どもがひとり。遠目に、明かりが付いているのは確認していたから、誰かが来ているのだろうとは思っていたが、まさか子どもがふたりもいるとは思わなかった。母に手渡された大振りの平皿には、薄い卵でくるりと巻かれたオムライスが乗っている。キッチンにあるコンロには大きなフライパンがふたつ並んでおり、今も何かを焼いている音が聞こえてくる。スプーンが並べられたテーブルを見る限り、このオムライスができたばかりの一つ目なのだろう。それは、最も年下の子どもに与えられるものらしく、兄に差しだされたケチャップを喜々として受け取っていた。

 家庭によくある一場面なのだろうが、一遍を思い出すだけで純和風の生家ではあり得なかった光景である。まるでドラマでも見ているような気分で兄弟のやりとりを眺めていると、年上の子どものるいと母親の穂が同じように顔をあげてこちらを見た。

「コウ兄、おかえり!」

「おかえり、コウ」

 顔の造形はあまり似ていないのに、こうしたときの表情がとてもよく似ている。やはり親子なのだなと思いながら、コウは自身もドラマに引っ張り込まれた気分で応えを返した。

「ああ、ただいま……」

 リビングは広く、テーブルも八人掛けだ。家族の団欒風景から一線引いた場所の空いている椅子に腰を落ち着ける。

 奥に居る母親の(すい)は、現在仲間と呼んでも差し支えない関係にある女性である。このマンションも普段は活動拠点のひとつとして使われており、こんな和気あいあいとした雰囲気のリビングを見たのは、これが初めてだった。

 子どもたちを眺めるコウの訝しげな表情に気が付いたのか、穂はこちらを振り返り、肩を(すく)めて見せた。

「悪いな、騒がしくて。今日はいろいろあってさ」

「父さんが仕事でトラブルがあって、帰れなくなっちゃったんだって」

 母の言葉を受けて、るいが補足を入れる。ちらりとこちらを見て微笑むが、その視線はすぐに弟に向かった。彼が気にしているのは、懸命にオムライスの上にケチャップで絵を描いている弟の袖口である。集中し過ぎて袖にケチャップが付いてしまわないか、それを見張っているのだ。

 放任主義な母親より、よっぽど過保護に面倒を見ている兄を、弟は心底慕っているらしく、二人が一緒に居るときは、片時も傍を離れないで後をついて回っている。

「るい兄、描けた!」

「上手に描けたね」

 頭を撫でられて満足そうに笑い、早速とばかりにスプーンを握る。いただきます、と元気に挨拶をするのは、誰の教育の賜物なのだろうか。

 ぼんやりとそんなことを考えていたコウの目に、今度はもう一回り小さなオムライスが映った。

 隣の弟が食べているオムライスがおそらく標準サイズなのだとすれば、今度のそれは半分程度しかない。ミニサイズと呼んでも差し支えないだろうそのオムライスが、るいにとっては満腹になる量なのだということを、コウはもう知っていた。

「ほいよ、るいの分!」

「ありがと。母さんの分は?」

「あるある、大丈夫! 玲の分もあったから、材料は余ってるんだ。コウもどうだ?」

 心配する子どもに笑みを見せ、穂が明るく請け負った。さらについでとばかりに矛先をコウへと向ける。自分もとケチャップを手に取ったるいが、それはいい、と笑顔を見せた。

「母さんのオムライス、おいしいよ?」

「遠慮はなし。それとも何か食べて来た?」

「いや……、今日は呼ばれてたから何も食べて来てはいないが」

「なら、ちょっと待ってな。すぐできるから」

「ああ、じゃあ……」

 頷いて、ご相伴に預かることにする。コウの戸惑いが、気軽に食事を振る舞われることではなく、オムライスという子ども向けの洋食に対する馴染みのなさに対するものであることは、このとき誰も気が付かなかった。

 手の込んだ料理は苦手だと、穂本人は言っているが、フライパンを使う料理に関しては得手だというだけあって、オムライスを作る手つきは鮮やかだ。二つあるフライパンを使って、あっという間に手際よく大きなオムライスを仕上げてしまう。コウの目の前にオムライスが置かれたのは、小食のるいが自分のオムライスの二口めをむぐむぐと咀嚼している最中のことだった。

「玲がトラブルって、珍しいな?」

 いただきますと手を合わせ、先達の子どもたちを真似てケチャップを卵の上にかける。この年になって絵を描くのはいささか恥ずかしかったので、うねうねと波のようなものを書いておいた。

「トラブルってやつは、起こすんじゃなくて起きるもんなんだってよ」

 からりと笑いながら、穂がケチャップを豪快にかける。描くというよりもさっさと絞り出したと言った方が正しいそれに、こんなところにも性格が表れるものなのだなと妙な感慨を覚えた。

 食べ方はるいを真似るのが無難そうだと判断し、スプーンでひとくち掬って口に運ぶ。仄かに酸味を帯びたトマトソースに、香ばしいバターの香りがうまく合わさり、なるほど子どもが好きそうな味だった。栄養面も考慮されているのか、小さく刻まれた野菜がちょうどいい歯触りで加熱されている。口に付いたケチャップを舌で舐めとると、甘味と酸味がちょうどいいアクセントになる。

 次のひとくちを口に入れれば、今度はやさしい卵の風味が感じられて、飽きの来ない食べ物だということが分かった。夕食には遅めの時間だったこともあり、空腹だったのだろう。コウが掬うひとくちの大きさに目の前の子どもが驚いていることにも気付かずに、黙ってオムライスを食べ続ける。

「……うまいか?」

「ん? ああ、そうだな、うまいな」

 穂が笑いを堪えているような、驚いているような複雑な表情でそう問いかけてきたときには、コウの皿に残っているオムライスは、半分にも満たなかった。

 むぐむぐと咀嚼しては、あぐりとオムライスを口に入れる。感心したように眺めているるいのひとくちとは、体格以上の差があったが、コウはそれを頬張るでもなく、実に行儀よく淡々と食べていった。

「ごちそうさまでした」

 空になった皿に匙を置き、コウは丁寧に手を合わせる。顔を上げると呆けたるいがコウを見ており、なぜ自分を見ているのかと首を傾げられたことで我に返る。慌てて冷めはじめたオムライスを口に運ぶるいの横で、穂がおかしそうに笑いを噛み殺していた。





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