搬入
意識のないるいがマンションに運ばれて来たのは、二月の始め、逢魔が時のことだった。薄手の掛布にくるまれて、玲に抱きかかえられたるいのぐったりと動かない姿を見た瞬間、身体が強張り、全身が総毛だつ。本当に生きているのかさえ疑わしいその姿に、コウはごくりと唾を飲んだ。
急ごしらえで暖められた和室には、布団が一組用意されたばかりだった。毛布をるいに掛けるために、キロが待ち構えている。穂に先導されながら和室に入った玲の顔がいつになく厳しい。そっとるいを布団に降ろす手つきだけは慎重だったが、すぐに穂を伴って慌ただしく駐車場へと取って返した。
後を任されたキロが、手慣れた様子で甲斐甲斐しく毛布やら掛け布団やらを掛けていく。何をすればいいのか分からずに、コウは枕元に胡坐をかいた。
るいの顔に表情がない。あの笑顔がないだけで、こんなにも雰囲気が変わってしまう。白として意図的に浮かべている無表情とは別の意味で心臓に悪かった。
枕が合わないのか、るいの顔はコウの方を向いている。苦しいのではないかと、頭をまっすぐに戻してやろうと手を伸ばし、その冷たさにゾッとする。恐る恐る顔に耳を寄せれば、途切れがちではあったが微かに呼吸音がした。
「そのまま」
るいに向かって伸びていた手を止めるように、後ろから肩が掴まれた。
キロがコウを止めたのだ。なんだと振り返ったコウをじっと見て、キロはぼそりと声をだした。
「うえ、むけない」
「え?」
「ぜっこんちっそく」
「ぜっこん……ああ、舌根窒息」
舌は常に軽く持ちあがっており、気道を塞いでしまうことはない。だがそれは意識があれば、の話であって、今のるいでは何かの拍子に舌が気道を塞いでしまう可能性もなくはない。それを防止する為に、わざと横を向かせているようだった。
コウが納得したのを確認したキロは、肩を掴んでいた手を離すとそのまま和室を出て行った。出て行けとも言われなかったから、一時この場は任せた、というところだろう。
静かになった部屋に、灯油ストーブ特有の埃が焼けた匂いが充満する。久しぶりに嗅いだその匂いは懐かしさを感じるはずなのに、目の前の華奢な子どもが気になってちっとも落ち着かなかった。
子どもが病弱な話は聞かされていたし、最近熱を出したらしいという噂は耳にしていた。だが、こんなにも生気のない姿で運び込まれるだなんて話は聞いていなかった。
最近、るいが来なくなり、穂が長居をしなくなった。コウが気付いていたのはその程度だったから、ほんの半時間ほど前まで、夜中の作業に向けて、夕方の浅い時間から二時間ばかりの仮眠を取っていた。
だから、コウができたことと言えば、未来に指示されたストーブの準備だけだったのである。
***
何も知らされていなかったコウを叩き起こしたのは、先触れのように飛び込んできたキロだった。最も、彼にコウを起こす意図はなく、慌てていて寝ているコウの存在を確認しないままに、コウが使っていた布団を剥ぎ取ったというのが正しい。
突然の暴挙に文字通り飛び起きたコウは、布団を抱えて自分を凝視するキロと目が合った。
無口なキロの目は口よりも雄弁だ。お前ここにいたのかとでも言いたげに丸く見開かれたそれに、害意のなさを悟ったコウは、努めて深く呼吸をして気を落ち着け、警戒を解いた。
「……すまん」
「ああ……」
肩を落として謝罪を受け入れる。本当ならばあともう数十分眠る予定だったが、一気に緊張が走ったせいか眠気はどこかに飛んでいってしまった。布団を拉致したキロが、そこら中を走り回っているのもあって、とても仮眠を取る雰囲気でもない。
仕方なく起き上がったコウがジャージの上着を羽織ってリビングに行くと、そこには未来がいた。
「未来も居たのか」
「よぉ、悪いな、騒がせて」
「いや……」
眠気が飛んだと言っても、脳が働くにはまだ少し時間がかかる。何があったのかと問いかけたコウに、未来は、ああ、と頷いた。
「そうか、お前は初めてだったな」
「何かあったのか」
「まあ、何かあったからこうして大騒ぎしてるんだけどな」
そう言われて、コウは大きく瞬きをした。
無言のキロがあちこちから物を運び込んでいる。やかんに水を入れて火にかける。いつもは使わない和室の換気をする。布団を運び入れる。クローゼットから物を出す。物音をあまり立てないからこそ静かだが、なるほど、なまじな人間が同じことをやれば大騒ぎと言えるだろう。
未来でさえ、リビングの収納庫からストーブを出そうとしているのだから、何かを始めようとしていることは一目瞭然だった。
「るいが熱出してな。それはまあ、珍しくもなんともないんだけど、たまぁに高熱出して寝込むんだよ。そういうときはいっつもこっちに運んでんの」
ストーブは昔ながらの灯油を入れて火をつける物である。コウにとっては見慣れた形だ。上に芋を置いて焼きたてを食べるのが、正月の楽しみだった記憶がある。仕舞い込まれていたストーブは冷え切っていてとても冷たい。渡された掃除用のタオルで軽く周囲を拭きながら、コウは最初の疑問を未来に向けた。
「わざわざ?」
端的に発された最もな問いに、買い置きの灯油を奥から引っ張り出していた未来は声だけで答えた。
「安静にしておけって常套句守るなら、連れ出さない方がいいんだろうけどさ。あいつはKANAN打たないとだろ」
未来の視線が蓋を探す。コウが手を伸ばして蓋を開ければ、自分よりも慣れている気配を感じ取ったのか、すぐに場所ごと明け渡された。小学校で高学年にあがった頃から、背も伸び、力も付き始めた。灯油の補給はそのころから家で担当していた手伝いのひとつである。なんの躊躇もなくポンプを給油口に差し込んだ。
赤い蛇腹を慣れた手つきで押していく。じゃぼじゃぼという軽い音と共に、灯油が吸い上げられ、ストーブの中に落ちていった。こういう安い油の匂いはどこか癖になる。
コウが地道な作業をしている間に、未来は同じ収納から別の何かを取り出しながら、滔々と説明を続けてくれた。
「こういうの、年に、二、三回はあるんだよな。お前来てからはなかったけど、冬はただでさえ病気の流行多いからな。今日までここに来なかったのなんて、珍しいんだぜ、あいつには」
「なるほど」
弟もいる家では、KANANの香は焚けない。食べさせようにも、食事すらまともに摂れていない。いつもの注射ではどうかと言えば、ただでさえKANANの常用で塞がりがちな細い血管は、連日の注射や点滴で両腕とも限界を超えてしまっている。
まさに八方ふさがりになってしまった最終手段が、ここへ連れてきて香を焚くというものなのだそうだ。
ストーブの用意が整うと、未来とふたりがかりで左右から持ち上げて運び込んで点火した。未来が後で出していたのは、点滴を吊るすための金具だったらしい。壁に取り付けられていたフックに引っかけるだけで使える優れものだと教えられた。
コウが和室に入ったのは、これが初めてのことだった。いつも使っているリビングの隣にあるのだが、一段高い場所に作られた特別感のある設えは人を寄せ付けない雰囲気がある。
「おまえ、かなん、すったか」
初めて足を踏み入れたコウが周囲を観察していると、飾り棚部分に無造作に置かれてあった香炉を手にしたキロが声を掛けて来た。
未来の言ったように、それでKANANを焚こうというらしい。キロなりに、コウが中毒にならないかと心配してくれたのだろう。〈ノアの方舟〉の信者に紛れて本部に潜入するという前提で、コウはKANANを摂取していた。いずれの話ではあるが、慣れているに越したことはない。〈ノアの方舟〉に近付けば近付くほど、KANANを使われやすくなる。先に耐性を付けていた方が動きやすいのだ。もちろん、コウも死にたくはない。やみくもに実験をしたわけではなく、血液検査である程度の適合値は保障されてからの話である。
「ああ、三回ほど……。最後は一昨日だったかな」
「ならいい」
キロの返事はそっけなかったが、返事があるだけまだマシだ。
むしろ、未来とキロのふたりにKANANの耐性があることに驚いていたが、それに対して言及が許されるような雰囲気ではないだろうと尋ねるのは諦めた。
部屋が温まる。香炉はきちんと用意された枕元に設置され、後はKANANと火を入れるだけとなった。未来とキロは和室を出てリビングの椅子に座って何かを待っている。迷ったコウが、二人に倣い、椅子を引いたところでチャイムが鳴り響いた。
***
穂と玲が戻ってきて、まず最初にしたのはKANANの香を焚くことだった。
「やっぱり、これからは熱が出たらるいが動けるうちにこっちに連れて来た方がいいんじゃないか」
「検討事項ではあるけど、るいが納得するかな」
「だって、もう私ひとりじゃ運べなくなってる」
不安そうな面持ちで言いあいながら、粉状になったKANANと火をつけた木炭の欠片を一緒に灰に埋める。少しすればKANANの持つ独特の甘い煙が漂い始めた。細くたなびくそれは、僅かに青みが勝っている。今までコウが使っていたものよりも色味の強いそれは、るいのために量を増やしているのだと穂は言った。
「きついと思ったらすぐに部屋出ろよ。ついでだから、お前もしばらくここに居たらいいけど」
毎月、玲が貰ってくるというが、数は有限である。香のように一度に複数人使えるものであれば、共有するのが効率がいい。そう言われたコウは大人しく頷いて、邪魔にならないように布団から少し離れた場所に腰を下ろした。
手持ち無沙汰に座っているだけのコウに、苦笑した玲が座布団をだしてくれる。穂たちの手慣れた様子は、るいのこれが珍しいことではないと目に見えて知らせてきたが、普段の笑顔を知っているだけに、死んでいるように動かない様子は胸をざわつかせた。
「熱があるんじゃなかったのか」
指先で触れただけだったが、るいの顔は氷のように冷たかった。眉を寄せるコウに、玲が悲哀を込めて苦笑した。
「KANANが切れかけているんだよ。だから熱も出せないんだ。本来なら、八度を優に超えているはずだよ」
長く寝込んだ故の弊害だと穂は吐き捨てるように言った。熱で苦しむことさえ辛いのに、そこにKANANの副作用までがるいの身体を蝕んでいる。忸怩たる思いが伝わってきて、コウは黙って頷いた。
「風邪が治るのに六日かかったんだ。その間に体力をごっそりもってかれた。目を覚まさないのはそのせいだ」
風邪によって気力と体力の両方を消耗したことで、回復と疲労の需要と供給が見合わなくなる。そこでなんとか帳尻を合わせようと、蓄積された疲労から回復するために、身体が昏睡状態を作り出してしまうのだという。
「るいの場合、病気が終わった後が長いからね」
そして長く寝込めば寝込むほど、KANANの効果が切れて中毒症状が酷くなる。聞いているだけで憂鬱になってくるような完全なる悪循環に、コウは驚きしか返せるものがない。
「浮腫んでるな」
布団の中を確かめて、穂が渋面を作った。部屋を暖めても、るいの身体が冷たいままなのであれば、布団の中も冷たいままなのだろう。
「しょうがないよ。目を覚まさなくなってもう二日だもの」
俯く穂に、玲が冷静な声を掛けた。
「まってろ」
動いたのはキロだ。キッチンに向かい、がさごそと何かをやっていたかと思えば、案外時間をかけずに戻ってくる。その手にあったのは湯たんぽだった。やかんで湯を沸かしていたのはこのためだったらしい。柔らかいバスタオルに包んで、るいの足元に置く。その上に両足を揃えるように置けば、熱源になりながら浮腫対策にもなるというのだろう。
根本的な解決ではないが、対策にはなった。温度が下がりすぎれば、身体は機能を止めてしまう。外部からの熱源でそれを阻止している間に、KANANの香が効き始めてくれれば、少なくとも熱を取り戻すことはできるはずだ。
「かぜ、か」
「なんとかな」
キロの問いに穂は頷く。その返答が奇妙なことに訝しんだコウに気が付いた穂が、薄く苦笑した。
「風邪から肺炎になることも珍しくないんだ。特にこいつは気管支が弱いからな。毎回喘息も併発するんだけど、今回は軽めで済んでたし」
るいの額にかかった前髪を払って、今回は幸運だったんだと穂は言う。だが、その割に、顔の曇りは取れなかった。
「今回はKANANの投与が間に合わなくて……。いつもはもうちょっと早くにここに連れて来れるんだけど……」
るいが成長したことで、穂がひとりで運べなくなった。我が子の成長は喜ばしいが、玲の帰りを待たなければ、ここへ連れてくることができなかったのだと顔を歪ませる。自由気ままに生きているような玲でも、仕事をほったらかして帰るわけにはいかない。今回は間に合ったからよかったようなものの、この先そんなことが相次いで、KANANの投与が間に合わなかったらと考えると背筋が寒くなるようだった。
誰からともなく黙り込む。
銅色の香炉から、青い煙がまっすぐに昇っていた。細くたなびくそれが空中で渦を巻き、ストーブからじわりと齎される熱が揺蕩う煙を押しだして、るいの顔を取り巻くように淡い靄が漂い始める。KANANの独特の甘い香りが嗅覚で感知できるようになり、それを待っていた穂たちは、それぞれが安堵の息を吐いた。
「ごめんな……」
意識のない子どもの髪を丁寧に撫でる。未来とキロが和室から出て行き、玲と穂だけになった。彼らは静かに息子を見守っている。しばらくそうして眺めていると、心なしか、顔色が良くなってきたような気がして、詰めていた息と緊張を吐き出した。
吐き出した分だけ息を吸い込み、甘い香りに眩みを感じる。緊張が一気に解けたことで、安堵が酩酊を連れて来たようだった。
KANANを摂取すると、慣れるまでは強い酩酊が現れる。これは副作用というよりも、麻薬と同じ精神高揚作用のようで、長く常用すれば少なくなってくるものらしい。現に、コウよりも香炉の傍に居る二人は平気な顔をしていた。
るいのために強く焚くと言っていた通り、不慣れな身体にはかなりの酩酊感が眩暈のようなぐらぐらとした浮遊感を齎した。
振り返った穂が、俯くコウの肩に触れる。酩酊を振り払い、やり過ごそうとするが、うまくいかない。振り払うように頭を振れば、眩暈はさらに酷くなった。酒をしこたま飲まされたときのような酩酊だったが、酒に酔ったときよりも気分が良い。
「死なないから、安心して寝てろ」
死なないから。それは安心できる要素であっていいのだろうか。靄のかかった頭で考えようとしても、うまくまとまりはしない。いつの間にか用意された座布団に促され、穂がトンと強く腕を押すと、コウは糸が切れたようにそこへ倒れた。
「なんか掛けるもの持ってきてやって」
苦笑しつつ、玲に頼む穂の声が聞こえてくる。玲が立ちあがった衣擦れのような音と溜息は聞こえたが、意識が保てたのはそこまでだった。
***
酩酊が消えて浮上する。温かな水の中を揺蕩っていた身体が、ゆっくりと浮かび上がるような感覚は、KANANの酔いから醒めたときにいつも感じるものだった。
ふわりと最後に浮き上がり、コウは同時に目を開ける。次に戻ってきたのは聴覚で、人ひとり分の気配と紙を捲る音が聞こえて来た。
ひとつ落とされた明かりが、夜半の静けさを伝えてくる。のそりと起き上がって時計を探せば、壁に掛けられた赤い屋根の鳩時計が、真夜中の正午を告げようとしていた。
「……!」
慌てて身を起こし、周囲を見回す。肘をついて起き上がったコウを、キロが一瞥したが、それ以上作業の手を止めようとはしない。
寝ているるいの他にはキロしかいなかった。部屋の隅を居場所にしているキロは、コウとるいの様子見のためにここに残っていたのだろう。とは言え、忙しいと言われている最中のことである。持ち帰られるだけの仕事を持って来ているのだろう。来た小さな折りたたみの机の上にはワープロがモーター音を立てて乗せられており、周囲の畳の上にはいくつもの分厚いファイルが広げられていた。公的文書であることは、遠目にも分かる。できるだけ視界に入れない方がいいのだろう。
るいを見ると、頬に赤みが戻って来ている。だが、それはコウが期待したような安心できるものではなかった。掛け布団の上に出されている右腕には、医療用の白いテープがいくつも張り付けられてあり、透明な管が二本固定されている。細長い管を辿っていくと、壁に取り付けられたフックには、透明な液体と、薄く濁った液体が入った容器がふたつつりさげられていた。
香炉は既に片付けられている。赤々と燃えるストーブの上に湿度調整のためか、やかんが乗せられていた。
自分の上にかかっていたタオルケットを手に取る。室温に暖められたそれは温かい。起きた時には気付かなかったが、十分に暖められた部屋は、寒さに強いコウには暑いほどだった。涼しい顔で仕事をしているキロが寒がりなのか、そうでないのか。
丁寧に畳み、枕代わりにしていた座布団の上に置く。端に寄せて片付けたことにして、軽く息を吐いた。
あれからどうなったのか。リビングの方の気配を探ってみたが、物音ひとつしなかった。
KANANの酩酊はすでに残っていない。身体に馴染めば消えるものなのだ。KANANに慣れ始めた身体はむしろ軽い。強い常習性を彷彿とさせるように、KANANを吸った後は調子がよかった。
ふと顔をあげると、キロがコウの様子を窺っていることに気が付いた。
「穂と玲は?」
言葉を捜しているように見えて、水を向けてみる。すると、こちらをじっと見つめていたキロはそのまま黒い瞳をまっすぐに向けたままで静かに答えた。
「いえ、かえった」
思わぬ返答に瞬きをする。この状態のるいを放って帰るような人たちではない。何か理由があるのかと思ったが、キロはそれを察して答えをくれるような人物ではなかった。
「未来は?」
「かみん。にじ、まで。そのあと、ねる」
夜中はキロと未来で交代すると言いたいのだろう。今までの経験則からそう判断する。
「あさにくる。あいつ、ねてない」
小さく、キロが唇を噛んだ。心配そうな顔を見せたことに軽い驚きを覚える。そして、その心配が向けられた先を悟り、納得した。連日続いたるいの看病で、寝ていない穂を心配しているのだ。夜の看病を二人が請け負うことで穂を帰らせた。抱えきれないほどの仕事を持ち込んで、忙しい中飛んで帰ってきたのも、穂を休ませるためなのだろう。主張のないキロの思いやりを理解して、コウは驚きを深くした。
表情がない分、キロの考えていることは分かりにくいのだ。今、コウが慮ることができたのも、コウがキロの考えていることが分かるようになったのではなく、穂とるいのことだからキロが分かりやすくなっているだけなのだろう。
ふっと笑ったコウは、まっすぐに見つめてくるキロに応えるように視線を糺して向き直った。
「分かった。手伝おう。俺は何をすれば、」
「ねろ」
看病の分担を申し出たコウへの返答は、簡潔だった。
そっけないほどの声に、コウの目が丸くなる。断られるとは思ってもみなかった。差し出がましい真似をしたのだろうか。どうしようかと眉を寄せたコウに、キロはもう一度、寝ろと繰り返した。
「いまは、ねろ」
ぐっと口がへの字に曲がる。黒い瞳がコウからそれて、苦しそうに眠っているるいに向けられた。
「ながくなる」
コウの想像以上に、るいは寝込むのだろう。長丁場に備えろと言っているのだ。ならばコウにできることは、今できることを急ぎ片付けて、できるだけ彼らの手伝いができるように時間を作ることだろう。
「分かった。今日の分のやることが終わったら、一旦寝ることにする」
コウの考えていることは、キロに伝わっているはずだ。立ちあがり、和室を後にしても、キロは何も言わなかった。
襖を閉めるときに振り返る。
ついと細められた黒い瞳が、痛ましそうに子どもを見つめていた。