思慕
マンションのリビングで、コウはひとり座っていた。ベランダに面した窓を握りこぶし一つ分だけ開けて、白い煙を逃がしている。
コウは何をするでもなく、壁に頭を凭せ掛けて気だるげに膝を折り、緩く吐き出した紫煙をぼんやりと眺めていた。静かな夜の中で、ぱちん、ぱちんと音が響いている。それはコウの左の掌から聞こえていた。
握りこまれた鈍い銀色のジッポの蓋を、開けては閉める。ところどころが黒ずみ、薄汚れたそれはコウのものではない。今わの際に竜矢から託された、唯一の遺品である。
手慰みに続けているだけの音は、どこか心音のような規則性を持ち、思考の渦から脳髄を引き離して麻痺させる効果があった。
ぱちん、ぱちんと音が響く。
少し離れた場所にあるソファの下には、厚手の紙袋とエナメルバッグが投げ出されている。それらはほんの少し前まで寝泊まりしていた姉の家から引き上げて来たものだった。
本格的に復讐を始めたときに、気になったのは家族の存在だった。実家は遠く、縁を切られているからまだいいだろう。だが、街へ出てきてから世話になっていた姉はどうだろうか。自分が元で〈ノアの方舟〉に勘づかれてしまったらと考えた時、コウは家を出ると決めた。
あの場所に帰ることが、大切な人を危険に曝すことだというのならば、離れるという選択肢しかコウにはあり得なかった。
もともと、そう言う気質なのだろう。生家を出た理由も、似たりよったりな理由だった。
あの夜に穂と会ってから、家に帰った回数など指の数で足りる。姉と顔を合わせた回数は片手でも足りた。
ほんのわずか顔を合わせた姉は、コウの行動に対してなんの咎めだてもしなかった。夜中に家に潜り込んだときに廊下で鉢合わせしたときにも、ただいまくらい言いなさいと小言を寄越してきただけで、他には何もいわない。どうやら姉は、廃人同然で引きこもっていた弟が家を空けるようになったことは心配だが、生きる気力を取り戻したことには安堵しているようだった。
心配では済まない気苦労を掛け続けていると思う。
厳格な気風の父に、優しいが身体の弱い母。田舎によくある裕福な旧家だったから、家族に加えて泊まりの若い家政婦がひとり。コウが生まれる前に祖父母は亡くなっていたから、四つ年の離れた姉の靖子が親代わりのようなものだった。
姉は早熟な子どもだったことに加えて、長く長男が生まれなかったことで後継に必要な教育を施されてきた長女だった。それ故に、母の代わりという仕事を快く請け負った。挨拶の文句、頭の下げ方。町の人や親戚に対する言葉遣い。箸の上げ下げに至るまで、姉の教育は熱心に施され、生来のんびりとした気質のコウは、それを素直に吸収していった。
長じてからも、家のしがらみにとらわれがちな母の代わりに、コウの言葉を聞き、理解を示してくれたのは姉である。自分は家を継げないと思いつめ、家を出て不良の真似事を始めたときにも、姉はコウを捕まえて自分の家に引き入れてくれた。
軽自動車で校門に乗りつけ、仁王立ちで待ち構えていた靖子の姿は印象深く残っている。コウを見つけて眦を吊り上げた靖子は、文字通り首根っこを掴まえて車の中にコウを引きずり込み、誘拐もかくやという手際の良さで、下宿先のマンションに連れて帰った。
コウにとって救いだったのは、靖子が家に帰れと言わなかったことだ。何故と問い詰められ、洗いざらい胸の裡を吐かされたが、全てを話し終わった後で姉の権限とばかりに命令されたことと言えば、ここにいなさい、と寝なさい、だけだった。
弱い子どもだったのだと今になって思う。そうして姉に守られて、自分は何とか生き延びた。
そして今、手元にある黒い手帳には、コウに半分だけ似せた風貌の男の写真が載っている。本人確認を取れば本人だと認識されるが、コウが別人だと主張すればそれが通る程度に加工が施された顔写真に並べられているのは「深矢 幸」という偽名だった。本名を少しだけ変えて、げん担ぎに竜矢の名前の字を貰ったものである。
細く長く、息を吐き出した。白い煙が外へ伸びていく。吐いた分の息を吸い込んだところで、玄関の鍵が開く音がした。
聴覚と意識だけをそちらに向ける。コウに連絡なくこの時間にここにくる人物は限られていた。脳裏に浮かんだ顔のうち、女子供に該当する者の顔を思い出すと同時に、子どもの身体の弱さと、女に変な匂いがつくことで面倒なことを言い始める男の嫉妬がちらついた。視線を落とせば、何度も吸い込んでいない細筒はいつの間にか焼け落ちて短くなっている。惜しむような長さでもない。靴を脱ぐ音に急かされて、指に挟んでいた煙草の火を灰皿に押し付けて消した。
しっかりしているのに、足音が軽い。やってきたのは穂がひとりだけのようだった。最近、ここに居座っているせいで、よく来る人物なら足音で判別できるようになっている。
最後に吐き出した紫煙を見送ってから窓を閉めたあたりで、リビングに入ってきていたらしい。立ち止まった音がして振り返ると、穂が驚いた顔で立っていた。
「おまえ、煙草なんて吸うんだな」
匂いも吸い殻も、隠す気はなかった。ソファの縁に手をかけてこちらを見下ろしてくる穂から目を逸らし、コウは緩く首肯した。
「たまにな」
『フォース』と言う集団の中で、一通りの悪さを覚えたことは穂も知っている。既に成人もしていて、目くじらを立てることでもない。それなのに感じる後ろめたさに、コウは覚えがあった。これは、弱さに対する後ろめたさだ。
ぱちん。開けた蓋を閉める。かちりと凹凸が噛み合った感触が親指の腹に伝わってきた。ぱちん、ぱちん、と緩やかに、だがとめどなく音が響く。
頼むから見ないでくれと顔を覆ってしまいたくなる弱さは、あの頃とちっとも変わらない。
ここにいる自分はあの人の弟ではない。そう思い定めなければと、姉のいない隙を狙って私物を全て運び出したのは自分なのに、やりきれない感傷のようなものに流されて煙草に逃げた。それを見られたのが恥ずかしい。それを恥だと分かっていながら、逃げに走った自分が愚かしく、その愚かしさを見せつけられたようで居心地が悪いのだ。
郵便受けに落としてきた、固い金属の感触が皮膚に残る。何も言わずに消息を絶った弟に、姉は怒るだろうか。嘆くだろうか。
あの時のように探してもらっては困ると、なけなしの知恵を絞って、絵葉書を一枚、鍵と一緒に落としてきた。宛名もメッセージも書かれていない、本屋の隅にひっそりと並んでいる何の変哲もない花の絵葉書である。
まだ実家に居た頃、修学旅行や合宿などで家を空けた時に、無事を知らせる便りとして絵葉書を送るのが慣例だった。そこから着想を得た絵葉書は、きっとあの人に正確に届くだろう。
「美味い?」
月並みな問いを投げかけられて、コウは間髪入れずに応えを返した。
「不味い」
「なんだそれ」
小さく吹き出して穂が笑う。返す反応に困りきって、コウは目を細めた。笑い返すにも茶化すにも、気力が足りなかった。穂の勢いを借りてしまうには、穂の零した笑みにもどこか力がなかったからだろう。
しんみりとした空気が払拭されることはなく、コウは自動的に動く掌に視線を落として、ぱちんという音を聞いた。
酒も煙草も、法に許されぬうちから覚えたが、ついぞ美味いと感じたことはない。酒はともかく、煙草はなおさらである。コウが選ぶ銘柄が、重いと評判の黒のセブンスターであることも原因のひとつだったが、竜矢が美味そうに吸っていたから、こういった嗜好品は合わない質なのだろう。
穂がソファに座り、コウはそこではじめて手を止めた。音が止む。静かになった空間にふさわしく、コウは立ちあがり、龍の彫り物が施されたジッポをポケットの中に仕舞い込んだ。
「どうかしたのか?」
いつも何かをやっていなければ気が済まないような穂が、ソファに深く座り込んで動かない。コウでなくても多少の違和感は覚えただろうが、感傷的になっているコウが尋ねてみようかと気を回す程度には常と様子が違っていた。
尋ねたコウに、穂が視線を向ける。表情を取り繕うこともせず、茫洋とした視線である。おそらく、コウが浮かべている表情も、それと大差ないだろう。コウは迷い、人ひとり分を空けてソファに座った。隣り合わせというには遠い。だが、先程よりは近い。手を伸ばせば届く距離に身を埋めて、自分でも珍しいと思いながら言葉を重ねた。
「……今日はもう、来ないと思った」
自分の中で区切りがついた言葉に、返答がないまま次を紡ぐ。滅多にしないそれをやったのは、どちらが弱っていたせいなのか、コウには分からなかった。
「すぐに、帰る」
台詞の割に、穂が動き出す気配はない。何をしに来たというわけでもないのだろう。穂が来ている服は、仕事のときに来ているかしこまった風合いのものとは違い、自宅に帰るときに着替えている洗いざらしの普段着だった。
「穂」
名前を呼ぶと、顔がこちらを向いた。黒いクッションを抱きかかえ、コウの言葉を待っている。名前まで呼んで意識を向けさせた癖に、気遣いの台詞はまとまらず、口にしたのは全く別のことだった。
「しばらく、ここに住む」
行くところがないのであれば、ここに住めと前から言われていた。部屋が空いているからというのもあったし、人数が増えた今、留守番役が必要だと言うのもあった。『フォース』たちと〈蒼〉との橋渡し役であるコウが適任なのだということも理解していたから、新しい住処を用意することはしなかった。
「そうか……」
「不都合があるときは、竜兄の家に行く。藤さんと麻美が鎌倉に引っ越すからな」
「お前が居て困ることなんてねえだろうけどな」
相槌がてら呟きながら穂はそう答えたが、コウが竜矢の家に赴くことについては反対しなかった。
藤と麻美が住んでいる部屋を、竜兄の部屋、と言うのは癖のようなものである。
空き家になる部屋を、解約するという選択肢は誰の中にも存在しなかった。藤も麻美も、与えられた役割のために引っ越すという穂の提案を快く飲んだが、今の部屋もそのままにしておいて、管理を続けると言っていた。
これからあの安普請は、たまにふらりと立ち寄って、原点を見つめ直す場所になるのだろう。今でも時折、交流が再開した元『フォース』の面々が訪れていくと聞いている。
「……何か、あったのか」
しばらくして、コウはもう一度だけ尋ねてみた。微動だにしなかった穂の雰囲気が緩んだような気がしたからだ。コウの問いに目を丸くした穂は、クッションに顔を半分隠しながら、小さく笑ったようだった。
「なんでもない」
自嘲とも違う、淡い笑みの意味は測りかねた。返ってきたのは短い否定だったが、先ほどまでの声とは帯びている色が違う。それをどうしたものかと思案していると、穂の身体が横に倒れてきた。身体を器用に折り曲げて倒れ込んできた穂の頭が、コウの横に付かず離れずの距離で落ち着いている。コウは身を強張らせて穂を見やった。
潔癖というわけではないが、相手が家族でも人との距離が遠い家で育ったコウには、身じろぎをすれば手が当たるような近距離はいつだって緊張を孕むものである。ぎょっとしながら髪の塊を観察していると、クッションに埋め込んだ顔から、くぐもった声がした。
「うそ」
布と綿に吸収されて聞きとりにくい声は、呻き声に似ていた。むずがる子どものような声音に耳を傾けて、コウは足の上に置いていた手の指先を擦りあわせることで傍に頭がある緊張に耐える。そわそわと落ち着かない。ここに現れる人たちは、総じて詰めてくる距離が近いのだ。
くぐもった声のまま、穂が呟く。玲が、と言ったようだった。
玲が、そう言ってまた、押し黙る。言葉を探しているのだろう。急かす理由も見つからず、コウは黙って待ち続けた。
「友だちとメシ食いに行ってるだけ」
やっとのことで絞り出した台詞は、揺らいで聞こえた。横目で穂を見る。ややあって、穂は顔だけを横に向けた。
「ほんとに、それだけ」
ぽつりと呟かれた音は明瞭だった。
実を言えば、玲が今日どこに何をしに行っているか、コウは既に聞かされていた。気が向いて外に出た程度で穂と出会うコウの引きの良さを知った玲が、裏切りや密偵などの妙な勘繰りをされては困ると自己申告していったのだ。食事をしてくるだけだよ、と玲も言った。それだけなんだよと繰り返したその声は、コウに心配するなと言っているようで、自分にも言い聞かせているようだと思ったのは、間違いではなかったらしい。
「……そうか」
そうか、とコウは呟いた。それしか呟けるものがなかった。
穂も逃げて来たのだ。それだけと言いながら、本当はそれだけではなくて、それを知らない振りしていなければならないから、それだけと言うしかなくて。家でじっとしていられなかったのだろう。
コウが、不味い煙草に火をつけずにいられなかったように。
やがて、穂は顔をクッションから持ち上げた。目元が赤いのは、少し泣いたからと布に擦りつけていたからだ。
「お前さぁ……それ、素なの?」
子どものようにぐずってみたところで、気分が一旦落ち着いたらしい。普段とほぼ変わりない声音で尋ねられ、コウは僅かに首を傾げた。
「それ、とは?」
「それ。喋り方。なんかちょっと硬いの」
ぽすんとクッションの上に頭を乗せる。まだすがるためのものを手放す気はないらしいが、気分が浮上したのならばいいことだ。心もち、コウの近くに頭が寄せられたことを気にしなければ、緩んだ雰囲気は歓迎されるべきである。どうせ穂の方はどこに何が触れようが気にしないのだろうから、コウの方が過敏になる必要もないだろう。努めて気にしないようにしながら、コウは鷹揚に頷いた。
「まあ、これが自然だな」
言葉遣いが固い自覚はあるが、これが最も気楽な喋り方なのである。なぜこうなったのかはコウにも分からない。おそらく、父を筆頭に近場の親戚の言葉が混ざった結果なのだろうと思っている。
「京とかと喋ってるとき、もうちょっと砕けてるじゃん?」
「あいつは特に、砕かないと会話が成立しないんだ」
「ああ、馬鹿だから?」
「馬鹿だから」
生まれ育った町では、こんなものかと受け入れられていたが、中学進学を期に東京に出てくるようになってからは柔らかい話し方を、と気をつけてしゃべるのが癖になっていた。不良の真似事をするようになってからはそれが顕著になり、自分が話すべき言葉が分からなくなって自然と口数が減ったこともある。コウが無口だと言われているのは、その影響が大きかった。口を開けば、何を言っているのか分からないという顔をされるのだ。特に意味のある会話をしているわけでなし、コウとしてはそこに居られればそれでよかったのだから、聞き役に回る方が安心できる。
だが、『フォース』に入ってからはそうも言っていられなくなった。何もしていなくても、京が喧嘩を吹っかけてくるからである。売り言葉に買い言葉で、コウは数々の語彙を披露して、京はそれに対する数々の馬鹿を披露したものだった。
苦虫を噛み潰したような顔のコウに、穂は小さく笑う。
返した首肯は思わずしみじみと重いものになった。述懐を思わせる首の上下運動に、穂が面白そうに下から見上げてくる。
「例えば?」
促されたことで記憶が引き出された。『フォース』の中でも特に京の武勇伝は多い。数多あるのエピソードの中でも簡潔で分かりやすい例はどれだと選別していったコウは、鮮明に覚えているエピソードを選んだ。
「…………語尾で、痛み入ります、って使ったのを聞かれたことがあって」
「ああ、痛み入ります、な」
さすがの経歴を持つだけあって、穂の理解は早い。使ったことさえありそうな反応に頷いて、コウは京の言い放った台詞を一言一句違わず真似をした。
「痛いのなんかいらねえじゃん、と言われた」
殴られたい被虐趣味でもあるのかと尋ねられてから、京には分かる言葉でしかしゃべるまいと頭に刻みこんだ。文脈で少しくらいは理解しろと、頭が痛くなってきた腹いせに京の頭を殴っておいたコウは悪くないと思いたい。その後すぐ、頭悪くなったらどうするんだと怒ってきたが、これ以上悪くはならんだろうと言い返しておいた。
「ハハハハ! 痛み要ります、な!? いらねえよ、痛みなんて!」
使われて分からない京も京だが、気安い会話の中に小難しい語彙をちりばめられるコウもコウである。さきほどまでの神妙な雰囲気を吹き飛ばして笑い転げる穂につられたようにコウも口の端を上げた。
「多少の熟語も分かってもらえないからな。例をあげると枚挙に暇がない……、ああ、これもか」
「あはは、ははっ! いとまがない! まいきょにいとまがない! それ使うお前もどうなの!?」
クッションが変形するほど叩きながら、穂が笑っている。それを横目に眺めながら、コウは脳裏に過ぎ去ったいくつものエピソードを思い出していた。コウが無意識に使う聞きなれない語彙を、京は決まって大真面目に馬鹿な解釈をして首をひねった。それ以上の言葉で応戦する気をなくしたコウが京の頭を殴り、それに京が怒る。いがみ合っている二人を眺めて周囲が笑い、お前らホント仲良いなぁ!と竜矢が乱入して、二人が揃って否定するまでがお決まりだった。
竜兄の目は節穴ですか!
勢い余って声を荒げても、竜矢は愉快に笑うだけで、そのうち京が節穴という言葉だけは使えるようになっていたものだから、それを聞いた藤たちにまた笑われて……。
「…………はぁ」
コウが懐かしい風景を思い出している間に、一区切りついたらしい。
ひとしきり笑い転げた穂が、疲れたような溜息を付いた後、またクッションに顔を埋めていた。浮いた空気が霧散し、夜の静かな空気が戻ってくる。沈黙はコウを焦らせるものではない。つられたように息を深く吐き出して見下ろした穂の頭はやはり近かったが、時間が経って慣れたのかうまく肩の力を抜くことができた。
「どうしてあたし、お前のトコに来ちゃったんだろ……」
ぼんやりと穂が呟く。疑問が含まれた声色の中に、懺悔が僅かだけ混ざっていた。
人間だれしも気が弱くなる日はある。それが夜ならばなおさらだ。気にする必要はないと言おうとしたところで、コウはぱたりと瞬きをした。
「……ん?」
コウのところに来た、と穂は言った。ここへ来た、ではなく、コウがここに居ると分かっていたからだと。どういうことだと瞠目したコウを知らず、穂は懺悔の色が濃くなった声音で言葉を継いだ。
「ごめんな、コウ。お前、あいつじゃないのに、あたし今、お前をあいつの代わりにしてるみたいだ……」
あいつ、と紡がれた音の響きが遠い。穂の脳裏に浮かんでいる姿は、おそらく玲のものではない。それに行きあたったコウは、なるほどと頷いた。
「俺に似ているって言ってた奴のことか」
穂の頭がこくりと動いた。
あいつ、と穂が呼ぶ男が生きていた頃、何かあれば穂はこうしてその男の傍に行っていたのだろう。コウが似ているから、つい拠り所を求めてきてしまったというのだ。
穂はそれを後悔しているようだったが、コウはそれを後悔する必要などないと思っていた。
「何ができるという訳でもないが」
突っ伏した頭に手が伸びる。コウの苦手な異性らしさが、今の穂からは感じられなかった。妹みたいだ、と思う。もしも妹が居たら、そしてその妹が落ち込んでいたら、きっと自分はこうして宥めたのだろう。
黒い髪を撫でながら、コウは言った。
「必要なら来たらいい。こうして付き合うくらいは、やぶさかじゃない」
会ったこともない男に似ていると言われても、正直なところなんの感慨も沸かなかった。ただ、頼られているのならば力になりたいと思っただけだ。生来のものか、長男気質なのか、自分にできることが分かっているのならば手を貸すくらい造作もないことだった。
「なんかそれも、京には伝わらなさそうだな」
礼を言われたのだろう。穂はそう言って言葉の代わりに小さく微笑んだ。