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KANAN Ⅰ  作者: 真柴 亮
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過去 1


 マンションに帰ると、そこには玲と未来がいた。珍しい取り合わせだと思ったが、別に仲が悪いわけでもないらしい。穂の「飲もうぜ」の一言であっという間に酒盛りの準備を整えてしまった二人は、議題を分かっていたのかどうなのか。お前はこれだろうと架空の神獣が書かれた白い缶を手渡され、未来に促されるままにカーペットの上に座らされると、未来と玲に挟まれて逃げようにも逃げられない布陣ができあがっていた。

「キロは?」

 不在の人物について尋ねると、未来があっけらかんと笑いながら手を振った。

「一月末だぜ? あいつが顔出せるかっての!」

「いや、俺はキロが何をしてるのかも分かってなくてだな……」

 政治関係だとは分かっているが、あの若さで議員でもないだろう。もしも見た目よりも随分年が上で、と種明かしをされたとしても、あの無口具合では議員の秘書がせいぜいと言ったところだ。

 急かされて飲んだアルコールも手伝って、聞かれるままに推論がするすると零れ出る。コウの立てた予想を聞いていた未来と穂が、同じように腕を組んで、ううむと唸った。

「結構いい線行ってるよな」

「うんうん。年は二十三、やってることはある政治家の裏の仕事。秘書ってのもまあ合ってる。そいつ、キロがいないと何にも仕事できないから」

「そーそー。選挙もキロが考えたことやって、考えた台詞カンペしただけだもんな! なんだっけ? カンペの隠し方とかも、キロが考えてるんだっけ?」

「最近は、本物の秘書に丸投げできるようになったって言ってたけどなー」

「議員育てるよりも、秘書育てた方が早かったよな!」

 まるで漫才の掛け合いでも見ているかのように軽快に会話が飛び交うが、その内容は笑えるものではないはずだ。喋っている二人が陽気なことが救いなのか嘆くところなのかも分からなくなる。

「すまん、出だしから聞いてて頭が痛くなってくる……」

「常識なんて厄介なもんは早々に捨てて来た方が身のためだぜー」

 ぱしぱしと背中を叩きながら未来が助言をくれるが、コウにとって度数の高いウイスキーをロックで水のように飲むというだけでもはや常識外れなのだ。これ以上どこまで常識を置き去りにすればいいか、検討するだけでも疲れ果ててくる。

 それでも、話してくれるということは、それだけ仲間と認めて貰えたということだろう。おざなりでは失礼だとできうる限り居住まいを糺すコウの態度は好ましい。穂は新しい仲間を歓迎するように杯を持ち上げて乾杯をしてみせた。

「キロのことは、あいつから喋らないだろうから、おいおいで。基本情報としては、戸籍が貰えてない大物議員の隠し子ってとこかな」

 これだけ分かっていれば下手を踏まないだろうと穂が言う。勝手にしゃべってもいいのかと思ったが、それを受けた未来がさらに爆弾を追加した。

「年の離れた本妻の息子ってのがまぁた無能でさ。あれはちょっとビビるレベル。んで、二十近く年の離れたキロの方を教育した方が早いってんで、あれこれ仕込まれて仕事を肩代わりしてるってわけ!」

「え、二十三で……?」

「そー、二十三で!」

「仕事自体は十五くらいでやってなかったか? あいつ、それくらいからうちに来なくなったぞ」

「十三くらいからちょくちょくやってたって。俺、それであいつのこと気づいたんだもん!」

 何も聞かずとも、相手の議員が誰なのかを聞いてはいけないことくらいは分かった。キロと呼んでいるのも偽名だろう。苗字が分かれば途端に議員の正体がばれる。ならば、知らぬが仏というものだ。

 竜矢が殺されているような世の中である。何が起こっていても不思議じゃないとは思っていたが、ここまでだとは思わなかった。片田舎でのんびりと育てられていたから無縁だったのか、人並み外れて彼らが突拍子もないのか、流石のコウにも測りかねる。

「穂の話をするんじゃなかったの? なれそめでいいなら、僕が話そうか?」

 ほんの三十分ほど前に、妻にAIロボット扱いされた男がにこやかに話を元に戻す。そうだったそうだったと二人が揃って息をついた。

「なれそめっていうと、お前の脚色すごいからなぁ」

「なんだっけ? 君を見た瞬間に、世界が急に色づき始めた……んだっけ?」

「やめろ、鳥肌が立つ! 玲、お前こいつに何アホなこと言ってんだ!? 最初に会ったとき、お前、あたしのことへのへのもへじくらいにしか思ってなかっただろ!」

「そんな時代もあったかもしれないけど、君の魅力に気が付いてからそんなものは吹き飛んだよ!」

「ハハハハ! 懐メロかっての!」

 未来は腹を抱え、穂は顔を赤くして憤慨している。ひとり大真面目に言ってのける玲の隣で、一体自分はどんな顔をしていろというのだろうか。

 穂とふたりきりで、静かに話が聞けたなら、もう少し神妙な気分になれたかもしれないが、この状況で真面目にしていろという方が無茶な要求だ。

 こんな人たちもいるのだと一線を引くことで心の平穏を図ることにしたコウは、仕切り直しに苦いビールを咽喉の奥に送りこみ、深呼吸をして気を取り直した。

「ことの起こりは最初、お前のプチストーカーしてた私の友だちが、死んだことだったよな?」

「ぶはっ」

「うわっ、なんだよ、コウ。お前も似たようなもんだろう?」

 折角取り直した気も破壊する勢いで唐突に降ってわいた殺人事件である。噎せたコウの背中を未来が叩き、手元にあった布巾を穂が差しだした。

「出だしからっ、情報過多過ぎるんだが……ッ!?」

「そうか?」

 心臓がいくつあっても足りないとぼやけば、穂が目を丸くする。感覚が麻痺するとこうなるのかと学びながら、コウは布巾で手を拭いた。

「んじゃあ、とりあえず、二十個くらい用意しとけよ」

 またしても貴重な助言が未来から齎されるが、規格外からの助言が本当に役に立つのかは微妙なところだ。本当に二十で足りるのかととりあえず手近なところから疑っておく。心臓で間にあうのかという疑問は、あえて無視しておいた。心臓以上のものを用意できるわけがないからである。

「謎の突然死って奴だったからな。警察も来て、ニュースにもなったけど、犯人は捕まらず迷宮入り。それが気に入らなくていろいろ探ったら、こいつに行きあたったってわけだ」

 夫を指さしながら言うには随分物騒な話である。殺人犯候補として対峙した相手と何がどうなって結婚することになったのか。だが、疑われた方はにこにこと、

「あのときの穂は勇ましくて、戦いの女神様みたいだったよー」

と思い出に浸っているからさしたる問題はなさそうだ。穂はむしろ、脳内で脚色付きに改ざんされた記憶の方が問題があると言いたげな顔をしているが、コウの感知するところではないと傍観に徹することにする。

「平たく言えば、僕が持ってたKANANを盗まれちゃってたんだよねぇ、その子に。不適合だったみたいであっという間だったみたい」

 気の毒そうだが、さして気の毒そうにも見えない。これを穂は胡散臭いといっている。言い得て妙だとコウは常々思っていたが、これを見分けられない人も多いらしく、巷では人が良い好青年として通っているらしい。

「それがまた、薬物の中毒症状と同じ死に方するだろ? 薬学部だったこともあって、研究室から盗んだんじゃないかとか、いろいろ憶測飛び交ってさぁ」

「え? 玲が?」

「いや、その子が」

「その子って、穂の友だちだっていう? 薬学部と知り合いになれるもんなのか?」

 部活でも同じだったのだろうか。それとも、大学によっては他学部とも仲良くなれるものなのだろうか。進学しなかった自分には分かりかねると思いながら尋ねたが、途端に右からは笑い声が上がり、穂の目が半眼になった。

「お前、あたしが薬学部だったとは思わないわけ?」

「えっ!?」

「お、驚くなよっ……!? マトリってのは、そもそも薬学部出身って条件があるっくらいなんだからなッ!?」

 あはははは!と大口を開けて笑う未来は容赦がない。

「すまん……」

 姉が医学部に進んだとはいえ、大学進学は男のするもの、とでもいうような封建的な家で育ったコウは、どうあっても頭の固さが抜けないところがある。女性差別をしたいわけではないのだが、根本のところから前提がそうなっているのだ。申し訳なさに恥じ入るコウに、まあいいけど、というお決まりの台詞で受け流してくれる穂は大人物だと思う。

「ま、世間受けするような動機じゃなかったのは確かだけどな。多少の勉強で何とかなって、大人になって一人でも生きていける安定した生活を手にするには何になればいいと思う?って近所のオニーサンに聞いて、それなら薬剤師はって言われたからそうしようかなって」

 そんな簡単なノリで入れるような学部だったかと首をひねる。しかも、この玲が通っていた大学と考えると、最高学府とは言わないまでも、全国に名前が轟いているあたりだろう。私立の名前が頭に浮かんでいる理由は、玲に対する偏見のようなものと、もう一つ。この言い分ならば私立の奨学金制度を利用したはずだという穂に対する理解である。言及も説明もなかったが、コウの予想は当たっているはずだ。

「こいつが犯人だと思って、観察しとくだろ? そしたら、犯人じゃないって証拠の方が出てくるわけ。なのにさ、こいつと来たら疑う私に対して一言の弁解もしないんだよ!」

 苛立ち紛れに飲み干したグラスを、だんっと机に叩きつける。それにすかさず酒を注ぐのは玲の専売特許だ。穂としては手酌が気が楽なのだが、玲がいたらさせてもらえないのが不満だった。自由気ままに飲めなくなると思っていたが、放って置けば勝手に酒が入るのも楽でいいと思えて来た今日この頃である。

「そのうちにさ、KANANのこと突き止めるだろ? 今度こそなんか弁解するかと思ったら、しょうがない、しか言わないと来た!」

「待ってくれ、穂、本気で情報量が多い!」

 当時のことを思い出して目を吊り上げている穂に掌を見せることでコウは話を制止した。洗いざらい、と表現した通り、全てを包み隠さず、だがざっくばらんに概要だけを聞くと、一文節ごとに新しい情報が仕込まれていることになっていて頭が混乱しそうだ。疑問を持たずに理解しようとしても、限度というものがある。

「じゃあ、穂と玲が会った時には、すでに玲はKANANを使っていたってことか?」

「そうそう。元を糺せば僕が最初に実験台にされたんだよね。それから常用しないと死んじゃうから、やむなく」

 ちっとも「やむなく」という表情ではない。にこやかに笑ってさえいるそれにコウは呆れ、穂は怒った。ひょいっと伸びた指が玲の頬を抓っている。爪は伸びていないが、細い指が柔らかな頬をぎゅむっと摘まめば痛いだろう。

「実験台って、なんでまた……」

「だって、KANAN作ったのって僕の妹の婚約者だったんだもん」

「…………分かった。過去形を使った理由だけ教えてくれ」

 片手で両目を覆い、コウは呻くように願った。後の事情の詳しいことは、それこそおいおい教えていってもらいたい。

「良い質問だね」

 コウの端的な質問は玲のお眼鏡に叶ったようだ。迂遠な会話ほど面倒なものはない。的確な質問はそれだけで好ましいものである。

「妹は死んだんだよ。だから過去形。不慮の事故だった。これは本当」

「それで、愛する婚約者を失って狂気に身を委ねた大阿呆が、はた迷惑にも周りを巻きこんで全世界心中を企んでKANANを作った」

 玲の言葉を引き継いで、いとも簡単そうに言ってのけた穂の台詞に、コウはついに固まった。










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