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KANAN Ⅰ  作者: 真柴 亮
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結託



 疲れが押し寄せてくるのは決まって深夜を過ぎたあたりだった。

「…………ふぅ」

 凝り固まった肩をほぐそうと、手を当てて腕を回す。あらかたの書類は作り終わったが、ここからが正念場だった。

「―――穂、どうなった?」

 心配そうな面持ちのコウが、マグカップを持って入ってきた。

 自分の仲間だった者たちのことだ。それも、お世話になった先輩だと話していた相手のことである。気になるのは山々だったが、用事もないのに声を掛けるのは躊躇われたのだろう。口実として無理やり作り出されたマグカップの中には、綺麗な色で淹れられた緑茶が並々と注がれていた。

「サンキュ」

 折角の好意を無碍にすることもあるまいと、マグを受け取る。両家で育ったことの証のように、口を付けたお茶の温度は低かった。温すぎず熱すぎず、適温七十度のお湯で丁寧に蒸された味がする。穂の庶民の口には上品すぎて、どうにも不思議な味に思えてしょうがなかった。

 文句を言わないのは、気を使ったのではなく、飲めればよいという大雑把な基準でいるからである。玲だったらうまいって言うんだろうなぁとどうということもない感想を抱きながら、近くにあった椅子を引き寄せて、コウに座れと促した。

 甘露に淹れられた緑茶と違い、穂の顔は苦い。自分の甘さは承知しているけれど、こんな風に沙汰を渡すようなことは、本来苦手なのだ。独走するか追従するか。穂の得意分野はこれだと自覚している。

「猛はこっち預かりだな。私の協力者として上司に報告する」

 つい今朝ほどまでは、固有名詞にすぎないと言いたげにフルネームで呼んでいた相手を、仲間と同じように呼び捨てている。コウが驚いていると、穂は片眉を器用に上げて疑問を寄越してきた。

「ああ、いや……、もう呼び捨てなのかと思ってな……」

 不器用に困惑を返してきたコウに、穂が虚を突かれた顔をする。

「名目はどうあれ、共闘するんだ。呼び名すらよそよそしくてどうする」

 穂のこういうところが、きっと人の上に立つ素質というものなのだろう。気さくな性格というわけでもないが、懐に入りこむのが早い。

 竜兄もそうだったな、とコウは思い出した。いつの間にかするりと入りこんできていて、だからこそ誰にも言えない悩みを口にすることができるのだ。

「仁と直人、それに樹壱は保留だ。マンションの出入りは許可。つまり、身の振り方がいまいち決まらなかった。今のとこ、お手伝い要員ってことで、お前の指示に従うようにって言っといた」

「俺の?」

「なんだ? 先輩を顎で使うのは嫌だったか?」

「いや……、散り散りになるもんだとばかり思ってたから……」

 『フォース』として引き入れた京はともかく、元『フォース』のメンバーは個人的な参戦として扱われる。だから、仲間内でまとめて行動することを認められるとは思っていなかったのだ。

「あのなぁ、お前、一応マトリの手帳持たせたろ。なんのためだと思ってたんだよ? お前の作業玉として使えって言ってんの」

「作業玉……?」

「要は、お手伝い要員。来週から未来とキロの仕事、一個ずつお前に引き継ぐから、四人で頑張れよ」

「え、ちょ、そんな急に!?」

「人手不足って言ったろー? 大丈夫。補佐にるいも付ける。自動的に白もついてくるから、実質二人分だぞー」

 お得お得と笑う穂は、一体自分の息子をなんだと思っているのだろう。

「白、か……」

「苦手か?」

「苦手も何も……。正直、扱いに困る」

 苦虫を噛み潰したような顔で告げた台詞は、真っ正直にもほどがある。そこがコウの短所でもあるが、美徳でもあった。

「あいつが考える無駄をそぎ落とした存在が白だ。それだけあって白は有能だぞ。まあ、かなりのレベルのところまで全能を再現したAIロボットだとでも思っておけ」

「お前……、曲がりなりにも息子だろう」

「貶してるわけじゃねえよ。そうとでも思わなきゃ、やってらんねえ。なんせ、るいだけじゃなく、うちにはもう一匹、鬱陶しいAIロボットがいるんだからな」

 人間なのは自分ともう一人の息子だけだとぼやく。

 なるほど。選んだ男もそうであれば、開き直るしか道はないというわけか。

「後はあれだな、惇。あいつは除外」

 苦い顔で言われ、コウは顔を上げた。それに返されるのは残念そうな苦笑である。椅子の縁に頬杖をついた穂は、珍しい表情を浮かべていた。

「この一年で、妻子ができたんだと」

「さいし……、さいし、って、え? 惇さん!?」

「しーっ! 一応不夜城でも真夜中なんだぞ!?」

「う、えっ、あ、すまん……驚いて……」

「それは分かった。今までで一番素っ頓狂な声出してた」

「うわ……まじか……」

 思わず頭を抱えてしまう。たかが一年、されど一年だ。何があっても不思議じゃない。それがまさか大穴で惇がとは思ったが、彼は事務所の後継である。そんな話がないわけではなかった。

「家庭も復讐もどっちも大事だけど、どっちもを選んだら中途半端どころの騒ぎじゃねえからって頭下げられたよ。お前いなかったけど、他の奴らは居た。その前で堂々と詫び入れにくるって言うんだから、律儀な奴多いよな、お前の周り」

 正直なところ、穂としては何人かは、しれっと顔を出さずに知らん顔をすると思っていた。高望みはしない癖がついているのだろうが、ここまで義理堅い態度を取られたら少しは反省しようという気にもなる。

 穂の胸中を知らないコウは、褒められたことが分かって照れたように曖昧に笑っていた。

「だけどさ、何かできることないかって聞かれたから、コウ経由でって言っといたんだわ。なんかできそうなことあるか?」

 事情に明るくないと、提案などできるはずもない。大きな歯車のひとつにはなれずとも、小さな部品程度ならば役に立てるのではという惇の言葉は願ってもないことである。

「そうだな。本業が自動車整備だし、逃走用車両の手配とか、塗装を極秘で塗り替えて貰うとか、車体修理とかならいいんじゃないか」

「なるほど。お前らがよく使うってだけなら、問題ないな。そこ経由でデータくらいはこっそりやりとりできるだろ」

「万一、俺たちの行きつけってことで探られたりしても、知らない振りくらいはやってもらえるだろうし……」

「その路線で行こう。お前の練習にもなる」

 どのように情報を秘匿するかは、個人の工夫によってかなりガードが固くなる。お手並み拝見とばかりに全てを任せてみれば、コウはあっさりと頷いた。

「分かった。完成したら報告するから、そのうち抜き打ちでテストでもしてくれ」

「あいよ」

 こういうところがコウのすごいところである。一を聞いて十を知るとまでは行かなくとも、三を聞けば残りの七を悟る。これができる人材は中々おらず、よくもまあ夜道に転がっていたものだと感心してしまうのだ。

「あれ、藤先輩は?」

「あー、あいつは……」

 言い淀んだ穂に、コウは首を傾げた。多少の疑問を覚えたときには眉を寄せるだけのコウが首を動かすということは、強い疑問だということである。

 『フォース』で喧嘩慣れする前から高校ボクシング界で名を轟かせていた藤は、強さも申し分なく、竜矢と無二の親友を名乗るだけあって復讐心も厚い。複雑なことを考えるのが苦手で、学校の勉強など二の次という割には、勘働きは鋭く、不意に確信をつくこともある。

 竜矢が事故死せずに、順当に『フォース』が代替わりをしたのならば、おそらく次代にと育てられていた京が成長するまでは、藤がつなぎとして二代目を指名される予定だったのだろうとコウは思っている。

 その藤に、何か問題があるのだろうか。むしろ、復讐に混ぜてもらえないことの方が問題を起こしそうなのだが。一抹の不安を抱えて穂をじっと見つめていると、真面目な態度に疲れたらしい穂が、ひょいっと椅子の背もたれを前に抱え込むようにして座り直した。

「白石麻美って子、知ってるか?」

「白石……ああ、麻美か。苗字は知らなかったが、まあ、仲は悪くなかった」

 年も近いし世話してやれと言われて、何度か様子を見に行ったこともある相手である。だが、一方的に仲が良いというのも躊躇われ、悪くない、という表現しかできなかった。

 大きな目が特徴の小柄で可愛らしいひとつ年下の少女を思い出す。彼女は竜矢のことが好きだったが、竜矢は別の女性と結ばれた。そして、今一緒に住んでいると聞いている藤が、ほとんどひとめぼれのような勢いで麻美を好きだったはずである。

 男所帯の『フォース』に珍しい恋模様だったから、誰の記憶にも鮮明だろう。猛に電話をしたときにも、初恋が叶っていると驚いていたからコウの気のせいではない。

「その子にも話していいって、お前言ってたんだって?」

「ああ……麻美はほとんど仲間みたいな扱いを受けてたし……まずかったか?」

「いんや。結果的にはオーライって奴。しっかしなぁ……お陰でちょっと複雑なことになりそうなんだよな」

 話すこと自体は問題がなかった。コウが判断したということは、誰彼構わずということはないという信頼くらいはある。事前に、練習と称してコウにそれぞれの家を調査させておいたから、盗聴器が仕込まれていることもない。憂慮すべき事項はないはずだと怪訝な顔をするコウに肯定をしてみせて、穂はぐいっとコウの方へ椅子を寄せた。

 顔が近くなり一瞬仰け反るものの、真剣な内緒話をしようとしているのだと気付いて顔を戻す。

「荒事には向かない性格だって藤も言ってたんだけどな。その麻美って子、今度看護婦の試験受けるらしい」

「そうか……」

 竜矢に保護されてからの麻美は、誰かの後ろにいつもくっついているような頼りなげなイメージがあった。ときにはコウの後ろにもくっついてきて、平均よりも小さな体に何かあったらどうしようかと嫌な汗をかいていたものだ。

 その麻美が、自立しようと将来に向かって勉強していると聞けば、できの悪い妹を持った兄の心境とでも言おうか、感慨深いものがある。

「そんでな、なんとか一発合格するから、その資格使ってなんか手伝えないかって言ってるんだって」

「麻美が?」

「そう」

 首を縦に振る穂は心なしか嬉しそうだ。荒事担当者が増えると思っていたら、思いがけず救護班もついてきた、といったところか。何かにつけて怪我も増えるだろうから、頼りになる相手が増えるのはいいことだ。

「それがどうして、複雑なことになる?」

 むしろ喜ばしいことではないのかと尋ねれば、穂は眉間に皺を寄せてコウを見た。

「お前から見て、藤って男は忍耐力がある方か?」

「忍耐力? 何をするかによると思うぞ」

「そうだなぁ。例えば、そいつは〈ノアの方舟〉の首謀者だと分かっていながら、ただ黙って様子を探る、とか」

 それはまた、コウでも難しいことを言う。思わずきつく眉を寄せたコウは、じっと返事を待っている穂を見返して、目を見開いた。やれと言われたら歯を食いしばってでもやるだろう。だがその前に、穂の口ぶりから読み取れた情報は、看過しがたかった。

「まさか、穂、首謀者の見当がついてるのか……!?」

 〈ノアの方舟〉というのは未知の組織だ。そう聞かされてきたし、そう思って来た。だからこそ、内部に潜入する人員が必要で、コウはそれをいずれは自分でするつもりだったのだ。

 仇討ちするべき人間が特定できているのとできていないのとでは話が変わってくる。途端、鋭い目つきになったコウの額に指弾して、穂はコウを睨んだ。

「逸るな」

 きつい制止は、そのまま穂の覚悟でもあった。

「首謀者殺して終わりになるんなら、るいが生まれるよりも前に私がこの手で殺してる」

 ギリッと奥歯を噛みしめて穂が言う。普段の明るい調子からは忘れそうになるが、穂はもう十数年もの間耐えているのだ。喉笛を噛み千切り、復讐を果たせるようにと水面下で足掻き続けてここにいる。

「事はそう簡単なことじゃない。奴の死は私にとっては一家全滅と同義なんだ」

「一家、全滅……?」

 詳しい事情が明かされていないということは今までも分かっていた。そのうち話してくれるだろうと思っていたし、『フォース』からも何人か入ってくるならば、個々に話すよりも一遍に話した方が効率がいいと考えているのかもしれないとも思っていた。

 だが今、詳しい内情を知らないということが、何を意味するのか。コウには予想もつかなかった。

「ともかく、だ。藤の忍耐が持つなら、次の試験を通ってもらって、鎌倉支部の麻薬捜査員になってもらう。これは決定事項にしたいところだが、麻美の方も合わせて手配が必要になるから、今のとこ保留だ。所在はこっち預かりにする。以上!」

 担当地域は違えど、どうやらコウの同僚になるらしい。文字を読むと頭が痛くなると言っていた藤が勉強できるかと不安になったが、あの人は一度やると決めたならやり通すだろう。詳細は後で紙になって渡される。ならば、今コウがするべきなのは、それを待つことだけだった。

「帰るぞ、コウ」

 見上げると、立ちあがった穂が髪を解いている。仕事の時に結い上げるのだと言っていたから、今日はもう終わらせたらしい。穂が運転する車で来たからには、コウも一緒に帰らなければ置いてけぼりにされてしまう。慌てて立ち上がったコウに、穂が言った。

「良い機会だ。洗いざらい喋ってやるよ。シラフじゃ、とてもじゃねえけどな」

 マンションに行って、酒を飲みながら話してくれるということだろう。頷いて立ち上がったコウは、途中で二十四時間営業の酒屋か自動販売機に寄ってくれるように頼んだ。

 酒を飲まないと話せないような内容を、シラフで聞く勇気はコウにもない。だからせめて、自分が飲めるような軽い酒を購入する必要があった。

「風呂上がりのビールでいいなら分けてやる」

 ニヤリと笑う穂はそう言って、早々と帰る支度を整えてしまった。




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