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KANAN Ⅰ  作者: 真柴 亮
30/36

品評 2




 やかんの湯が沸き、ほぼ同時にるいの髪が乾く。仕上げとばかりに丁寧に髪を梳られた中学生が食卓についたときには、ちょうどポトフが皿によそわれているところだった。

「で、どうだったんだ?」

 キロの前には茶漬けが、他三人の前にはポトフが置かれている。食事と言うよりも夜食のようなものだから、多少砕けた話し合いが同時進行してもよいだろうという判断で、穂が声をかけた。

 問題点があれば先に連絡があったはずだ。少なくとも、手短な報告もなしに風呂に入った時点で、取り立てて報告すべきことがないというのは分かっている。さらに言えば白として出掛けたるいが、るいになって帰ってきたところで、問題などなかったと報告しているようなものだ。だが、こうして話に聞くイメージだけでも分かることがあるだろう。

 もきゅもきゅとキャベツを咀嚼していたるいが顔を上げ、ごくんと飲みこんでから口を開いた。

「概ね、母さんの予想通り。一言一句いる? 文面起こしいるならするけど」

「必要そうだと思ったとこだけってできるか?」

 会話と言うものはニュアンスで進むことが多い。抜粋に意味があるかと言われれば首を傾げざるを得ないが、文章化してとっておけば、後々何かの提出を求められたときに便利なのである。母の欲目を理解した息子は、柳眉を寄せてみせた。

「それなら全文作っとくよ。来てた人もあんまり喋ってなかったし、必要になったら参考資料で番号振って添付すれば」

「悪いな、頼む」

 すまなさそうな母に首を振るるいの頬はすでにじゃがいもでいっぱいだ。突いてみたい衝動を視線を外すことで誤魔化して、自分もフォークを持ち、ウインナーを突きさした。

「反応的にはどうだったんだ? 騒がないようにはするってコウが言ってたけど……」

「思ったよりも静かだったよ。驚いてたみたい」

「まあそりゃあ、事故死だと思ってた奴が殺人で、しかも復讐しましょうって言われてすぐに対応できる奴なんていないだろうしな。絶句して理解するのがせいぜいじゃね?」

 まるで見て来たように語る未来の指摘はおおむね正しい。コンソメスープをすすりながら、穂が頷いている。向かいでは未来が、大きく齧ったウインナーを満足げに咀嚼していた。

「そんなのいたら有能に決まってる。すぐにでも育てたいね」

 人手不足に加えて人材も不足しているのだ。肩を竦めた穂に、るいが考えこむように首を傾げた。

「しろ」

 ちらりと視線だけを上げたキロがるいのもう一つの名前を呼ぶ。

 それに呼応するように、瞬きひとつの間に「白」になった少年は、酷薄にも見える微笑みを口元に讃えて指を組んだ。

「育てようによっては育つかもしれない人は居ましたよ。視力に問題はありそうですが、自己を客観視できる人材は貴重でしょう」

「ああ、コウも言ってたな。アルビノがいるんだって?」

「そうですね。アルビノの人も、思考能力には問題ありませんでしたが、人材という点においては彼の方が頭一つ抜きんでているでしょうね。最も、本人の自覚はなさそうですが」

「んあ? 誰だぁ?」

 コウがまとめたリストには、それぞれが何を得意とするかなどの特徴が簡潔に記載されている。アルビノである一条猛以外の人物に、視力についての言及はなかったはずだ。穂と未来が揃って資料を思い出していると、白が、ああ、と頷いた。

「コウさんは知らなかったかもしれませんね。通し番号二番の人です。右目を失明していると思います」

「藤尚太、だったか?」

 白がそういうならそうなのだろう。穂は軽く頷いて納得を見せた。片目だけの失明なら、普段は普通に生活している者も多い。本人が言わなければコウが気付いていない可能性は大いにある。

「片目くらいなら誤魔化せるかもな。いっそ本当にコウの同僚にしてやるか」

「体重移動の癖から見て、おそらくボクシングの経験者ですよ」

「じゃ、なおさら都合いいじゃん! 武術経験アリなら問題なくね!?」

「こら、未来」

 好都合だと笑う青年に、穂は低い声で待ったをかけた。まだ話を通しただけで、正式には決定していないことである。穂に報告するということは、話に出た人物に拒絶の意思はないのだろうが、全ては本人の意思を確かめてからのことだ。こちらの思い通りに動かそうと無理を押すと不満があっという間に歪みに変わる。不本意な立場に立ち続けても目的を見失わない人間など、砂漠で落とした宝石を見つけ出すようなものなのだ。折角見つけた人材を、些末なことで失うわけにはいかない。浮かれる気持ちも分からなくはないが、事はもっと慎重に当たらねばならないことである。

「〈ノアの方舟〉の動きも活発になってきてるんだ。ここで失敗するわけにはいかない。奴らが本格的に動き出すまでに、こっちの体制を整えておく必要があるんだからな」

「わーかってるって!」

 穂の苦言に返ってくる未来の声は軽快だ。分かっているのか、いないのか。どうにも測りかねた。元々、未来は〈ノアの方舟〉の被害に遭っていた人間ではない。危険を察知して自分の方から近寄ってきたのだ。人生にリスクが欲しい。そして、それは穂の近くにいるとリスクの方から転がりこんでくる。およそ子どもに似合わぬ期待に目を輝かせて、自分を売りこんできた物好きである。穂がるいを見ても個性的で済ませることができるのは、それまでに見て来た未来やキロがより一層個性的というにふさわしい思考回路をしているからに他ならない。

 いつどこでどう捻じ曲がるか想像もつかない相手を二人も知っていると、頭が良すぎて回路がどう繋がっているかは分からないが、そこに至るまでの道程が素直な性格から読み取りやすいるいの思考回路はまだ理解がしやすかった。

「入ってくる人材がある程度確定したら、今後の方針も改めて決めるからな。下手打って面倒起こすなよ」

「はーい」

 念には念を入れて、奔放な仲間に釘を刺す。刺された方はポトフのおかわりを注ぎに行きながら、返事だけは行儀良かった。

「はやめがいい」

 もくもくとお茶漬けを片付けていたキロが、ややあって口を出す。こちらの行動に注文をつけてくることなど滅多にないことだ。穂と白、親子できょとんと似た表情を向けられて、言葉足らずな青年はぼそりと付け加えた。

「よさんあん、まとめるときがいちばん。こうしょうしやすい」

 お偉方に、融通を利かせてもらいやすくなる時期だということだろう。長い間政界に身を置いて全てを見て来たキロの言葉は重みがあった。忙しいだろうから遠慮しようかと思っていたが、意見が通しやすい時期に纏めて厄介事が片付く方が面倒がないのだろう。こういった交渉事はおおむねキロに任せきりである。もう少し、別の伝手があった方がキロの負担も減るとは思うが、生憎穂の周りにそんな伝手が辿れるような人脈はなかった。

「キロ、お前、なんか食いたいもんあるか?」

 苦労を掛ける分、何かお礼をと思って聞いてみる。今現在、腹が膨れて満足したばかりの青年は、小首を傾げて考えてみても、良い案がでなかったらしい。きゅっと眉根を寄せてしかつめらしい顔を作って見せると、妙にコミカルな重苦しい顔でひとつ頷いた。

「つぎまでに、かんがえておく」

「ん、よろしく」

 律儀なキロはきっと何かを考えてくるだろう。次に会ったときは、開口一番何か食べ物の名前を言われるはずだから、呆けた顔をしないように心しておかねばならない。

 もしそんな顔をしてみせれば、不幸に慣れ過ぎているこの青年は、穂の言葉が社交辞令だったのだと思い直して、すぐになんでもないと誤魔化してしまうのだ。そうなれば、彼がなんと言ったのかをもう一度聞き出すことなど困難の極みである。

 心構えを忘れないように、心の備忘録に書きとめた穂は、隣で静かに座っている息子に声を掛けた。

「るいに戻って、早く食え」

「はーい」

 呼べば変わるが、呼ばないと変わらない。全く器用なことをするものだと感心しつつ、ポトフが冷めていないかと心配にもなる。様子を窺っても、るいはそういったことを億尾にも出さないのだ。今も、フォークに突きさしたウインナーを、どこから齧ろうかと左右に首を傾げては決めかねている。やがて、左からかぷりと齧った肉汁が、勢い余って顔にかかった。ぎゅっと目を閉じて、眼球への直撃は免れる。自分でも間抜けなことをした自覚はあるらしく、目を閉じたまま眉がへにょんと下がっていた。

 母親として唯一できたことと言えば、見なかったふりをしてやることだけだ。小柄とはいえ、春になれば高校生である。思春期真っ盛りというお年頃に、いらぬ恥をかかせる必要もない。

 しかし。

「母さぁん、ティッシュ取ってぇ……」

 折角の穂の思いやりは、目を閉じたまま開けられなくなった長男坊の情けない訴えによって無駄になったのだが。




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