再会 2
話がある。
そう言って京を探す男に、心当たりはなかった。
あれからもう一つの溜まり場であるレッド・ロビンに足を向けた京は、そこでもまた、同じ男が京を探していたと言われたのだ。
RABBIT BURROWのときと同じように、彼は足取りに迷いなく店内に入り、『フォース』のメンバーがいつも使う席までまっすぐにやってきたという。
なんとはなしに面白くない。言葉にできないいらただしさを感じて、京は不機嫌に立ちあがった。
「今日はもういいや。適当に解散してくれ」
「へいよー」
ぶっきら棒に言い放つリーダーに、最も年嵩の千紘がのんびりと応えを返す。そのまま大股で店を出た京は、舌打ちをすると愛車に跨り、割れたガラスの破片で白く濁ったアスファルトを蹴った。
行先は何も考えていなかった。ただ、この妙な苛立ちが紛れればよい。気の赴くままにタイヤを転がして、着いた先は東京と埼玉の境にある旧中山道だった。
まだ先代が生きていたころ、正月の日の出を見にやってきた場所である。山合いにある小高い道路には、対向車を避けるため場所があり、そこで寒さに震えながらご来光を拝んだものだった。
旧中山道を「いちにちじゅうやまみち」と読んで、そのネーミングセンスに驚く京たちを、それは「きゅうなかせんどう」と読むのだと呆れかえった顔で言ったあいつの顔が思い出せない。
憎たらしい奴だったくせに、初代の死から姿を見せなくなった金髪は、噂のほんの一筋さえ残さなかった。今にして思うのだ。あいつの頭脳があれば、もっと他にやり方があったのではないか、と。
殴りこみを嫌い、知恵を使って事を収める方法を、あの時でこそ臆病者と笑っていたけれど、あいつを仲間に加えた初代は、きっと分かっていたのだ。
本当に困ったときにこそ、あいつのようなブレインの存在が必要なのだ、と。
「兄ィ……、俺は、どうすりゃいいんですか……」
遠くに見える街の明かり。それに埋もれるようにして、足掻くしかない力を持たない者たちの力になれるようにと『フォース』は作られた。
―――俺みたいな奴を、もう作りたくないからよ
そう言って二カッと笑う初代リーダーを、多くの者が兄と慕った。京もその中のひとりだった。
幸村 竜矢というその人の名を、正しく呼ぶ者はいなかった。親しい仲間は彼をユキと呼び、京のような慕っている弟分は竜兄と呼んだ。
京はどうしても他の人とは違う呼び方で呼ぶ特別さを味わいたくて、「兄ぃ」と勝手に呼んでいた。もっとも、呼びかけにこだわるような男ではなかったから、彼は京がなんと呼ぼうと同じように振り返って答えてくれだだろう。
ポケットから煙草を取り出して、安物のライターで火をつけた。押しつぶされてひしゃげた箱を、ポケットに戻す。吸い口を噛んで煙を吸い込めば、いくらかマシな気分になった。
ふーっと長く息を吐く。
これも初代の真似だった。いつも誰かに囲まれている彼は、ほんのときたま静かになって、遠くを見ながら深く長く息を吐き出した。
そんなとき、周りにいる京たちは、同じように黙って傍に居て、ゆっくりとした沈黙を共有させてもらえる特別感にこそばゆさを感じたものだった。
(どうしちまったんだろうな、今日の俺は)
どうにも昔のことを思い出してやまない。それだけならまだしも、感傷に浸ることに慣れていない京にとって、この奇妙な感傷は、京の中の獣を目隠ししてしまう不可思議極まりないものだった。
己の意思とは関係なく、牙を剥き、涎を散らす獰猛な獣が形を潜め、塒に引っ込んでしまうのだ。
もともと京はそんなに感傷的な性格ではない。刹那的で、単純で、仲間内には馬鹿と呼ばれる類の直情的な性格である。だからこそ、初代の死以降に訪れる感傷を飼いならすことができていなかった。
じゃり、と軽い音が聞こえた。砂利を踏んだ音だ。音の軽さからして、細身の男だろう。黒い空を見上げていた京が視線を下げると、意外とすぐ近くに、男がひとり立っていた。
照明もない、暗がりの古びた道路である。バイクのエンジンを切った今、男の顔は見えなかったが、おそらく彼が自分を探していた人物なのだろう。勘というほどのものでもない、ごく単純な推論は、果たして当たっていた。ざくざくと足音をたてて傍へやってきた男は、初対面の人間が持つ遠慮を持たないかのように距離を詰めた。その気安さは、何故か京の癪に障らなかった。
だが、開口一番に吹っかけて来た台詞がいけなかった。
「『フォース』を名乗る癖に、随分と辛気臭い面してるな」
「あ?」
男の声は、ほんの少しかすれていた。聞き覚えのない声は、呆れとからかいの両方が少しずつ含まれている。
初代と比べて劣っている自覚はあれど、それを他人から指摘されて頷くわけにはいかなかった。それは、京自身の矜持と、現在の『フォース』のリーダーとしての誇らしき義務である。
威嚇に不機嫌な低音を響かせた京は、目の前までやってきていた男がおもむろにポケットに手を入れるのをシルエットで確認して身構えた。
そこからナイフのひとつでも出てくるのではないかという警戒は、小さく落とすような笑いで出鼻を挫かれる。それは、警戒に対する揶揄というよりは、自分の何気ない動作を誤解されたことに対する驚きと納得の気配がした。
怪訝に思いながら差しだされた手を見つめる。その影から見て取れるシルエットが何かを理解するのと同時に、彼が取り出したそれが、明るい光を放った。
「……っ!」
正体はただの小型な懐中電灯だった。指先程度のそれだったが、暗闇に慣れた目には過ぎた光だ。
慌てて瞬きをし、光に目を慣らす。男は笑うでもなく、ただじっと京の視界が整うのを待っていた。
やがて、仄かに灯された明かりに目が馴染み、互いの顔が見えるようになる。顔を上げた京は、そこに現れた顔が信じられずに、ゆっくりと瞠目した。
「久しぶりだな、京」
そっと開かれた唇から零れたのは、低く割れた声。
耳元にあるのは飾り気のない赤い小さなルビーのピアス。
黒い髪。
そのどれにも見覚えがなかった。
しかし、その笑みは覚えていた。
いつも落とすように小さく笑っていた、臆病者のライバル。
互いに敵視していて、顔を合わせればケンカをしていた。
澄んだ少し高めの声に青い小さなサファイアのピアス。こまめに染められた金色の髪。
これらの特徴は、全て失われてしまっていたが、京には間違いなくこれはあいつだという確信があった。
「お、まえ……!」
京は拳を握りしめた。
ふりかぶった京のそれを何なく受け止める掌は温かい。
「殴らせろ!」
「やだね、痛い」
「……っ、ばかやろ……ッ……!」
先代、竜矢の死から、姿を見せなくなった同胞の中に、彼はいた。
コウと呼んでいて、コウと呼ばれていることだけを知っていた。本名など意味をなさない場所に居て、コウというのが通称なのか本名の一部なのかも分からないままで消えたかつての仲間。
事故の後、原因を調べた京たちの情報の中で一番有力だったのが、彼が竜矢と最後に会った人間だということだった。彼は何か知っているかもしれない。そう思い、方々を探したが、コウは一年以上の間、見つからなかった。
絶望して、死んだのかもしれない。
そう、みんなが思っていた。
確かに、後追いのように自殺したものは、数え切れない。だが、その中で、京はそれを否定した。ずっと探し続けた。京だけが、この憎らしい男の生存を信じていたのだ。
「おまえ、フォース戻れ……!」
京はそう叫んでいた。
抗争で、前線に出ることを嫌ったコウ。
臆病者だと馬鹿にしていたけど、違うのだ。
頭の切れる、参謀。
リーダーの指針に、具体的な方法を作る者が、どうしても必要だった。京にはその力はなく、それは彼を置いて他にはなかった。京の弱点を知り、カバーできるのはコウしかいない。思わず震えた京の言葉に、コウはきょとんと京を見た。
「抜けたつもり、なかったんだが」
「え……?」
「ごたついていてな、こっちに来るのが遅くなった」
コウはそう言って、京に向き直った。
「俺は、まだフォースに迎え入れてもらえるか?」
京は、ニッと笑った。
「たりめぇだろ! 俺の右腕にして、こき使ってやるよ!」
「ハッ! お手柔らかに頼むよ」
コウは愉快そうに笑い、手にしていた懐中電灯のスイッチを切る。
「話があったが、今日はもう時間がない。明日は、空いているか?」
「九時過ぎたら暇だぜ」
「なら、そのときに」
コウはバイクにまたがって、別れの言葉を口にした。
「……コウ!」
「?」
なんだ、と言いたげに、エンジンをかけたまま、彼は振り返った。
話とはなんだ。今まで何をしていた。お前はあの人の事故を見たのか。
聞きたいことはたくさんあったが、京は頭を振った。
それは今聞くべきことではない。明日、きっと向こうの方から話してくれる。
「また、明日な!」
京はそう言って大きく手を振った。