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KANAN Ⅰ  作者: 真柴 亮
23/36

初見 2



「……るい?」

 いつの間に着替えていたのだろう。否、着替えていることに対しては疑問などない。ここは彼らのテリトリーであり、着替えのひとつやふたつあってもおかしいことなどないからだ。

 だから、白い開襟シャツに黒のスラックスという姿でやってきた少年に対して疑問を感じたのは、その佇まいが、およそ「るい」のものではなかったからだ。

「お呼びですか?」

 静かに少年は問いかける。柔和でありながら静謐な様は、華奢な身体に似合わぬ老成さを醸し出していた。口端は緩く上がっていて、微笑んでいるように見える。それが作りものめいて見えるのは、るいの浮かべる笑みを知っているからと言うだけではないだろう。

「白はコウと会ったことなかったと思ってさ。明日、お前に報告頼むことにしたから、顔合わせしといてくれ」

「そうですね。お互い、初対面は困ります」

 あっけらかんと言い放ち、視線でコウを示してみせた穂に、白と呼ばれた少年はほんの少し目を細めた。

 初対面という言葉が、これほどに似合わない場面は珍しいだろう。さっき一緒に玄関で靴を脱いだはずの少年の姿をしている別人は、納得したように廊下からこちらへと歩を進めた。

「ええっと……」

 あまり狼狽などしない性格をしていたはずである。冷淡なのではなく鷹揚。起きた出来事の大半を、そんなものかと受け入れてしまう。そのコウが受け入れられない事柄が、人生においてはいくつかあって、そのひとつが竜矢が殺されたという事実だった。

 その衝撃に匹敵するほどの狼狽が我が身を襲っている。妙に冷静な頭ではそう分析していたが、動揺は拭えない。比較すれば平和な内容ではあったが、コウにとってはこれ以上ないほどの狼狽えようだった。

 言葉が見つからずにいる青年を、白はなんの感慨もない凪いだ瞳で見上げている。無感動とも無表情とも違うそれは、何とも言えない。あえていえば、キロのそれと似ていた。

「僕は白。明日はよろしくお願いします」

「あ、ああ……」

 なんとか返答ができただけでも上等だろう。差しだされた右手を反射的に握り、日本人には馴染みのない握手を交わす。違和感を感じさせない自然な流れで促されて、動転していたコウは不慣れであることすら思い出すことなく手を放した。

「明日は七時にここに集合。現地にはキロに乗せてってもらえ。お前の役目は〈蒼〉への報告。その他はコウの指示に従うこと」

「分かりました」

 絶句するコウを横目に、穂が口を出した。追加の指示を振られたキロが、白を見やり、視線を交わして同時に頷く。それを確かめた穂は話は終わりだと言うように白に笑いかけた。

「作業を止めて悪かったな。もう戻ってくれていいぞ」

「はい。それでは」

 にこりと微笑んで、白は去って行った。茫然としたコウだけが取り残された気分でそれを見送る。二の句が継げないコウを苦笑した穂がキッチンへ向かい、左右の青年二人が大きく広げられた地図を巻き直して片付け始めた。

 何もすることがなくなったコウが、脱力して椅子に座りこむ。そうなると分かっていたような顔で戻ってきた穂の手には、ウイスキーの瓶とグラスが四つ携えてあった。

 未来が訳知り顔で持ってきた氷が入れられたグラスに、穂が琥珀色の液体を注ぐ。無言で差しだされたそれに口を付けると、コウにはきついアルコールが咽喉を焼いて溶かした。

「なんなんだ、あれは……」

 るいではなかった。それだけは分かる。あの人物をるいだと言われても、コウは納得しないだろう。だとすれば、全く別人だと言ってもらった方が理解ができる。それほどまでに、そこに立つ少年の何もかもが違っていた。

 未来がつまみのチーズに手を伸ばし、キロがアーモンドの袋を開ける。つまみに手を伸ばさずにグラスを呷った穂だけが笑って、コウの相手を買って出た。

「それがるいの難しいところでもあるんだけどな」

 説明が難しい、と穂はぼやく。あの無邪気な子どもの性格を変えてしまうような重苦しい過去を予想して身構えたコウに対して、返ってきたのはあっさりとした答えだった。

「二重人格ってわけじゃないんだよな、あれって」

「え?」

 まさかあれほどまでの変わりようが、二重人格でもなければなんなのか。白と別の名前まで付けて、るいの鱗片すら見当たらなかったというのに。目を丸くしたコウの内心を読み取ったかのように、穂は肩を竦めてみせる。

「平たく言うと、ただの演技なんだよ。気にせずそういうものだと思って、受け入れてやってくれ」

「……は?」

 主演男優賞でも目指していると言うのか。返す言葉が見つからず、口を開けたコウに、未来が口を挟んだ。

「ほら、なんかドラマでよくあるじゃん? ガミガミ怒ってた母親が、電話がかかってきた瞬間に別人みたいになんの。本人としちゃ、あれを真似したらしいんだよな」

「母さんもしてるでしょ、って言われたことあるんだよな。学校の先生相手にしたときと、家での言葉が違うって」

「穂のは変わりすぎって奴じゃねえの? ヨソじゃ、ちゃんと女らしくしゃべってんだろ?」

 二人の間で軽快に話が進むが、コウの理解がどうにも追いつかない。これは理解するよりも、言われた通り受け入れてしまった方が早い話だと、何とかそこまで思考が追い付き始めたばかりである。

「そうだけどさぁ、あんなに変貌はしないって」

「変貌」

 なるほど、とコウは頷いた。言い得て妙という奴だ。感心したのも束の間、コウは再度眉を寄せた。

「それにしても、あいつ、まだ中学生だろう?」

 子どもがやってのけることなのか。自分の数年前を思い出しても、そんな芸当は逆立ちしたってできる気がしなかった。

「うちの子、ちょっと変わっててさぁ」

「個性の範囲内にしていいレベルなのか、あれは!?」

 あれが個性として認められれば、そこいらの個性など無個性になり果てる。慌てて意義を唱えてみるも、穂はそういうものだと疑問を持ったこともないらしく、狼狽えるコウを目の前にして不思議そうな面持ちで空になったグラスにウイスキーを注いでいた。

 母親をして、変貌と言わしめるほどの変わりようである。あれが意識的に行われている演技だと言われて、一体何人が納得するだろうか。

 頭を悩ませているコウの左から、ふたりとは別の声が飛んできた。

「おれ、が、おしえた」

 寡黙なキロの言葉は珍しい。思わず顔を向けると、彼の不器用な表情筋はどうやら自慢げな顔をしているらしかった。

「指導者付きなのか」

 くだらないことでも言っていなければ身が持たない。思わず呟いたコウを慰めるようにつまみの柿ピーを差しだされてとりあえず受け取る。

「まあ、でも、そうだよな……」

 るいがここに出入りを許されている時点で、気が付かなければならなかったのだ。KANANの注射が必要だと言っても、別にここでしなければならないわけではない。家でだってどこでだって、いくらでも隠れてKANANを打つ機会はある。

 ぐったりとしながらひとくち酒を飲み、嚥下したところで顔を上げた。

「どうした?」

 渋面を作るコウに、穂が問いかける。まだ何かあるのかと不思議そうな顔にコウは呻いた。

「この酒、きつすぎないか……」

「うえ? いつもの奴だけど、これ」

「薄めてくれ、頼むから……」

 酒に弱い自覚はあった。それでも、目の前に水のように飲んでいる人間がいると感覚が麻痺するらしい。二度めの咽喉焼けでようやく己に過ぎた度数であることに気が付いたコウは、からりと笑う穂に水を嘆願した。




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