表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
KANAN Ⅰ  作者: 真柴 亮
22/36

初見 1



 年が明けて数日。新年の忙しなさもどことなく過ぎ去り、世間は日常を取り戻した頃である。高層マンションの最上階にある一室では、拡大コピーされた地図がテーブルの上を占拠していた。

 その周囲を取り囲む頭は四つ。その視線はいずれも等高線を焼きつけた藁半紙に注がれている。

 上品に磨き上げられたイタリア製のマホガニーは、玲が学生時代に気まぐれで買い求めたものだったが、購入当初はもっと優雅な使用用途が期待されていたに違いない。嵌め込み細工の上でテーブルを飾るはずの一輪挿しやレース編みの敷物など、一切が取り払われた今、上質な家財が求められている役割は、ただ平らであれという味もそっけもない一点のみである。

「問題ない」

 広げた地図を眺めていたコウは、おおよその図線を確認し、己が求めた場所が印刷されてあることを確認すると頷きをもって他の三人にそれを示した。

「よし、じゃあ最終確認だ」

 対面に立つ穂が笑みを浮かべて音頭を取った。彼女の笑みは女性らしい微笑みとは違い、挑戦的な色を多く含む。つられるように口元が緩むのは、そのせいだろう。左右を見れば、キロと未来のどちらともが、よく似た笑みを模っていた。

「山道閉鎖時間は明日の午後七時から、夜中の正午零時まで。北側道路はA班と未来が担当。南側道路はB班とキロが担当」

 一度聞けば理解できるような簡単な指示である。覚えているかどうかの確認ではなく、変更がないかどうかの確認を目的としているのだ。

「くれぐれも、無線傍受には気をつけろ。一応性能の良い奴を借りてきてはいるが、警戒は過ぎるに越したことがない」

「分かってるって!」

 意気揚々と未来が答える。対面にいるキロも、無言のままに頷いていた。

「道路封鎖の口実は、昨夜の大雨で地滑りが起こり、樹木が倒れているため、その撤去作業を行っている、でいいな?」

 そのために、大雨の日を待った。昨夜の降水量は虚偽の交通規制をうまく隠してくれるはずだ。事前に聞かされていた説明通りの口実に、コウはしっかりと頷いた。

「ああ。大丈夫だ」

 元『フォース』のメンバーは、ほとんどが京と落ち合ってから来ることになっている。どんな口実にするかは穂の判断に委ねていたから、京には「何があっても無視していい」と伝えておいた。あの馬鹿正直な京のことだから、どんな重機が実際に道を封鎖していたとしても、呑気な顔でやってくるだろう。

「峠に集まるのは、お前を入れて七人でいいのか?」

「ああ……」

 藤、仁、直人、惇、樹壱。新たに連絡が取れたメンバーの顔を思い出していたコウは、今朝方に掛けた相手を思い出して顔を上げた。

「いや、すまん。八人だ。猛さんに連絡が取れた」

「増えたか」

「おかげで、十件ほど間違い電話を掛けるはめになったがな」

 藤から、おそらく猛の家の電話番号が書かれたメモだと紙の切れ端を渡されたのが昨夜のことである。今、彼は生前に竜矢が住んでいたアパートの一室を引き続き借りていた。私物の多くは婚約者だった女性が引きとって行ったらしいが、冷蔵庫に無造作に張り付けられた日焼けの強いメモまでは持って行かなかったのだ。

 走り書きしてあった数字は懐かしい竜矢のもので、しかしそれを見て懐かしむには解読が難しかった。案外丁寧な字を書くことは知っていたが、適当に走り書いた数字は読みにくいものである。そのうえ、日に焼けて薄くなったペン跡をなんとか読み取ったものの、一と七と九、五と六がそれぞれ判別できずに、途方に暮れたコウは迷惑を承知の上でいくつもの組み合わせを片端から掛け続けるしかなかった。

 僥倖だったのは、可能性が高そうな予測が当たったらしく、十度目に掛けた今朝の電話で無事に猛の家に繋がったことだろう。

 なんでもやってやると意気込んで始めたことだったが、流石に間違いだと分かりきっている不審な電話を掛ける作業は嫌な汗をかいた。

「使えそうだって言ってた奴か」

 己の身に降り掛かった思わぬ労苦を思い出していたコウをみやり、にやりと笑って未来が言った。正式に紹介されてからいくらも経っていないが、キロと未来はどちらとも何とも言えない得体のしれなさがある。それでも、未来は口数が多い分まだ親しみやすさがあった。

「俺にパソコンの使い方を教えてくれたのは猛さんだからな」

「どこか、内部にねじ込めそうか? お前の同僚にするとかはどうだ?」

 おざなりに試験を受けさせられ、コウは現在のところ、麻薬取締捜査員という肩書を持っている。さすがに試験問題をそのままではなかったが、試験範囲を厳選されたテキストを丸覚えすれば落ちることはないという魔法の紙束のおかげである。これはいわゆる不正というのでは、とこめかみが引きつりかけたが、何も試験を受けてもないのに合格するよりはいいだろうと全員から言われて諦めた。何せ、純粋無垢の権化のような微笑みを持つ中学生にも言われてしまったのである。

 自分が構築してきた常識は、この際捨てることにした。

「サイバー犯罪に関するところで、特別措置があれば何とかなるかもしれんが……」

「何か難しいか?」

「弱視なんだ。アルビノで、外見も目立つ」

 個人としてそれが負の感情を持たせるものではないが、この件に関しては難があるというしかなかろう。しぶしぶと口を開けば、穂が理解したように軽く頷いた。

「もしどうしても肩書が必要になったらなんか考えるか。有能な人材は多い方がいい」

「任せるから、それは猛さんと決めてくれ」

「そうだな」

「そもそも、協力するって決まったわけでもねえんだしな。取らぬ狸の皮算用は後にしようぜ」

 『フォース』である限り、協力を拒むことはあり得ないと分かっているが、それはコウの感情的な意見であって、決定事項ではない。未来の言い分も最もだと咀嚼しながらコウは峠道の等高線を指先でなぞった。

「そこでの話し合いは全面的にコウに任せる。何についてどこまで教えるかも自由だ。ただ……」

「ただ?」

「何を話したかをこっちも把握しとく必要がある。事後報告じゃあ、齟齬が起こらないとも限らないからな。こっちからも一人、参加させる」

 監視というわけでもないらしい。ただの報告係だと穂は念を押した。

「分かった。構わない。それで、誰が? 穂が来るのか?」

「いや、白だ」

「……シロ?」

 初めて耳にする名に、コウは目を瞬いた。臨時的に貸し出しされている捜査班がいるとは聞いたが、未来とキロの他に、固有名詞がついた人物の名を聞いたことはなかったはずだ。だが、訝しむコウを見た穂の方がきょとんと目を丸くしている。

「あれ? もしかして、コウって白に会ったことなかったっけ?」

「ないな。誰か他に仲間がいたのか?」

「いや、他にはいないんだけどさ」

「うん?」

「おーい、白ぉ! ちょっとこっちこーい」

 煮え切らない返事に違和感を覚えたコウが首をひねるのと、穂が奥の部屋に向かって声を掛けるのとが同時だった。

「え?」

 この奥には作業部屋と寝室がある。今日このマンションに来たのは、ここにいる三人と、パソコンを使ってやることがあると作業部屋に向かったるいだけだ。まさか自分たちが来るよりも先にやってきていた人物でも居たのかと、警戒心の交じった居心地の悪さが背筋に登る。

 男か、女か。どんな年齢で、どんな姿をしているのか。思わず身構えるコウの緊張は、ゆっくりと開けられたドアから細身の少年が現れたところで疑問に変わった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ